第7話 割拠

「その服、とてもお似合いですぅ。試着していきませんかぁ?」


「あ、それいい! ねぇルナ、それ着てみてよ!」


「えぇ〜、また試着するの? せっかく来たんだから、私ばっかじゃなくて真綾もなんか選びなよ」


 真綾と二ツ谷駅で再会した日から一週間後の放課後、私と真綾は駅ビル『focus』のレディースファッションフロアにいた。

 今日は二人の都合がたまたま合ったので二ツ谷駅で落ち合うことにしていたのだが、会うなり真綾はここに行きたいと言った。なんでも、彼女の高校の友達らは店員が怖いと言ってこういったところには来たがらないそうだ。確かに、店内には大音量のクラブミュージックが流れ、派手な店員がぐいぐい商品を推し進めてくるとあっては、そう思う気持ちも理解できる。真綾自身はおそらく一人でも来ることはできるだろうが、かといって一人で来てもつまらないと思う気持ちもまた理解できる。

 それ故か彼女は、放っておくとこうして自分の服よりも私の服ばかり選ぼうとする。別にそれはそれで構わないが、せっかく来たのだからやはり自分の服を選んであれこれ悩んだ方が楽しいはずだ。


「あ、真綾あっちのやつとかどう?」


「うーん、ちょっと可愛いすぎない? あたしキャラじゃないっていうか……」


 先ほどから真綾はややボーイッシュなストリートファッション系のものをよく見ていた。確かにそれはそれで似合ってはいるし、真綾がそういうファッションを選択するのも、彼女の性格を考えるとなんとなくわかる気はした。だが、ルナの立場にあっては彼女のキャラも過去も知り得ない情報だ。だから私はそういった先入観を意識的に排除して接する。


「そう? 似合ってるなら良くない? あ、あんまり好きじゃないなら別だけど」


 すると、真綾は一瞬考え込んだ後、真剣な顔をして鏡の前で服を当てがってみる。


「あ! ほら、やっぱり似合うじゃん! かわいー!」


「そ、そう? ま、あたしってかわいいからなに着ても似合っちゃうのよね────……って、ニコニコしてないでツッコんでよ! あたしイタい女じゃん!」


 そう言われて初めて自分が笑っていたことに気づく。そして、それとほぼ同時にある会話を思い出す。


『……ま、出る杭は打たれるってことね。あたしみたいに可愛くてモテるとほんと大変よ』


 先日夢に見た過去の真綾の言葉だ。真綾と過ごしているせいか、前よりも鮮明に記憶が蘇る。あれは中学一年の秋、文化祭の準備中のことだった。あのときの私は否定こそしなかったが、思春期真っ只中の私は、自身の言動であらぬ方向へ誤解を招くのも嫌だったため、敢えて言葉にして肯定もしなかった。だが、ルナとして接している今ならなんのしがらみもなく言える。


「あはは、まぁいいじゃん。かわいいコはそれをガンガン表に出していかなきゃ!」


 真綾は一瞬照れくさそうに俯いたが、すぐに顔を上げて満更でもない表情で鏡の前でポーズをとる。


 どうして私はあのとき、「私と遊ぼう」などと言ってしまったのだろうと今更にして思う。幼馴染だから情が移ってしまった、ルナとしての行動原理に従いすぎてしまった、いずれにしても、リスクを考慮するなら彼女との距離は維持しておくべきだった。

 それでも、こうして真綾と過ごしている時間は幼い頃を思い起こさせる。自分の立ち位置も他人の腹の内も気にせずに済んだあの頃を。


 


 しばらく服選びに興じた後、私と真綾は駅ビル『tocoro』内のクレープ屋にいた。


「そういえば、ルナって付き合ってる人いるの?」


 薮から棒に真綾の口から恐れていた質問が発せられる。ただ、女子高生同士の会話でこの話題が出ない方が珍しいだろうとも思っていたので、それに対する回答を持ち合わせていないわけではなかった。


「あー……一応いるよ」


「そうだよね、いないワケないと思った! どんな人? どこで出会ったの?」


「どんな人……かぁ。一言で言うと偏屈なオタクだね。私が中学のときに行ってた塾で知り合ったの」


 私はいつぞや聡子たちに話していた、翠とルナの架空の出会いのエピソードを話す。ただし、聡子たちとは違って真綾が相手となると、翠の中学時代のエピソードの解像度を上げるわけにはいかない。交際相手が柊野翠であるという設定は開示しない方が無難だろう。


「あはは! 偏屈なオタクって、なにその紹介の仕方。ねぇねぇ、写真とかないの?」


「えー、無理! 恥ずかしいから!」


 もちろん無理なのは恥ずかしいからではなく、物理的にルナと翠とのツーショットなど存在し得ないからだ。上手いことコラージュして二人で写っている風のものを造るか、ルナが撮った風の翠単体の写真を三脚とタイマー撮影機能を使って用意することもできなくはないだろうが、その作業の虚しさに耐えられる気がしなかった。


「それより真綾はどうなの? モテそうだし、真綾こそいないワケないよね」


 私は自身のエピソードの掘り下げを防ぐために真綾へ話を振る。私の記憶ではそういう話は真綾の大好物だったから、他人の話を聞くよりも自分の話をしたいはずだ。それが同年代の同性相手ならば尚更だろう。

 ところが、真綾の反応は私が想定していたものとは異なり、バツの悪そうな表情をして言う。


「あたしは……今ちょっとそういう気分じゃなくて……付き合ってる人はいないんだ」


 真綾がこの話を振ってきた時点で、少なからず真綾に自身の恋愛トークを展開したい気持ちがあるのだと思っていた。だとすれば、先ほどの会話はルナへの興味から来るものか、もしくは単純によくある会話デッキの手札の一つを切っただけということか。


「それは……なにか嫌なことでもあったの……?」


「うーん……そうだね、嫌なことがあったのが半分、あとの半分は自分の気持ちの問題……かな」


 真綾は乾いた笑みを見せてクレープ屋の外を行き交う雑踏に視線を移す。真綾のこういう表情を見たのは久しぶりだ。むしろ私の記憶の中では、今までの人当たりの良い表情の方が希少で、こういう棘のある表情の方が馴染みがあった。ただ、昔と違って怒りの感情を顕にするのではなく、どこか諦めてしまったような皮肉っぽさに包まれているのは、ある意味で彼女もまた大人になったという証左なのかもしれない。


「よければ、話聴いてもいい? もちろん真綾が嫌じゃなかったら……だけど」


 まただ。ルナの正体がバレるリスクを考慮するなら、入り組んだ事情に首を突っ込むことなく、上っ面の話だけで終わらせておけば良い。だけど、そう判断するより先に、またルナとしての行動原理が先行して言葉が口を衝いて出てしまった。

 すると真綾は、携帯電話に表示された時刻を確認してから再びこちらに向き直る。


「長くなっちゃうけど、いい?」


「もちろん」


 私が二つ返事で頷くと、真綾は手元のおしぼりを畳み直しながらゆっくりと話し始めた。


「あたし……好きな人がいたの。でも、そいつはあたしの恋愛的ないざこざに巻き込まれて、結果的に碌でもない日々を過ごす羽目になった……責任感じちゃうっていうか、そのことがあたしの中でずっと引っかかってるんだ」


 真綾は手元のおしぼりから視線を私の方に移して続ける。


「こんなこと言われても困るかもしれないけど……ルナはね、そいつに雰囲気が少し似てるんだ。小さい頃からの腐れ縁の、あたしの幼馴染に」

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