第6-1話 虚ろ①

 放課後、私と真綾はひと気のない特別教室棟へ差し掛かる階段の踊り場にいた。


「……」


 真綾は前を見てなにか喋っているようだが、その内容はよく聴き取れない。耳をそばだてていると、少しずつ内容が聞こえてきた。


「……ま、出る杭は打たれるってことね。あたしみたいに可愛くてモテるとほんと大変よ」


 真綾はわざとらしくため息を吐いて言う。なにかツッコミ待ちだったのかもしれないが、真綾がモテていることは紛れもない事実だったので、特に否定もしなかった。

 そのときの真綾の表情は私からは見えなかった。


 少しの沈黙の後、真綾は残りの階段を昇る。そして最後の段を昇りきったと同時にこちらに振り返って言う。


「高校生になったらさ、たぶん今より校則も緩くなるじゃん? そしたら……お洒落しまくって、みんなが憧れるような流行りの最先端を行くギャルになるの。嫉妬なんかする気も起きないくらいずっと高いところに行ってやるわ────────」


 すると、急に階段の足場が狭くなり、階段は崩れ始める。いよいよそこに留まっていられなくなり、落下する感覚とともに目を覚ます。



「────これを化学式で表すと……」


 化学教師が淡々と説明を続けている。どうやら居眠りをしていたようだ。先日真綾に遭遇した影響か、夢に見たのはいつか彼女としていた会話の断片だった。

 夢で見るまでは私も忘れていたが、あれはいつのことだったか。思い出そうとして記憶を辿っていると、小テストが始まり思考の中断を余儀なくされた。




『アニソングランプリ in 楢崎』が終わって二日。初夏から夏へ差し掛かろうかという時季。その日の放課後、私は麻美と二人、駅前のカフェにいた。


「ごめんね、中間前なのに買い物付き合ってもらって」


 麻美はそう言って椅子にかける。


「それは聖蘭も同じでしょ。麻美こそ良かったの?」


聖蘭うちは赤点のボーダーも全然緩いし、さすがに二ツ谷そっちとは比べられんわ」


 出会った当初こそ、ルナは通信制の高校に通っているという設定であったが、今となっては柊野翠自身の通う二ツ谷高校の生徒として会話が成立している。高校が違うこともあってか、聡子ほどその辺の設定を気にしていないようだった。


「まぁ……言っても中間だし……私も単位落とさなけりゃいいかなって。聡子は真面目だからガッツリ勉強してるけど」


「あぁ……あいつはそうだろうね。そういえば千景も、追い込みをかけるんだって意気込んで図書館行ったみたい。去年よりかは余裕あるだろうし、あんまり根詰めすぎなくてもいいと思うんだけど……」


 以前、千景の進級の是非がかかった期末考査前は、週に一度のペースで図書館で彼女に勉強を教えていた。だが、窮地を脱した最近にあっては、それは月に一度あるかないかの頻度となっていた。それでも、千景は私と一緒のときでなくとも、たまに図書館を利用して勉強しているようだった。

 麻美は手元のコーヒーにミルクを入れようと逡巡してやめる。そしてそのまま窓ガラス越しに店外へ視線を向ける。


「……麻美さ、もしかして私になんか言いたいことある?」


 私の質問に不意をつかれたためか、麻美は口を固く結んで気まずそうな表情をしている。

 いつも飄々としている麻美には珍しく、時折どこかよそよそしい雰囲気を醸し出していたため、なにかあるのではないかと思っていたが、どうやらその予感は当たっていたらしい。麻美は観念した様子で口を開く。


「……ほら、こないだ誘ってくれたあのイベントあるじゃん。あれ結局どうなったのかなー……って」


 出演を断った手前ばつが悪いのか、麻美の言葉は探り探りだ。実のところ、私の方も彼女たちに出演を断られた後、なんとなく気が引けて意図的にその話題を避けていた。だから彼女たちは私が例のイベントに出演したこと自体知らないのだ。


「あー……よく覚えてるね。うーんと、実は……」


 私もまた口籠る。自身の彼女たちに対する身の振り方があまり好ましいものではなかったため、私としては彼女たちには一刻も早くそのことを忘れていて欲しかった。だが、そうやってわざわざ話題に出した以上、少なくとも麻美に関してはこのことが頭の片隅に引っかかっていたのだろう。私は観念して携帯電話に保存された画像データを探す。


「じゃーん!‎ 見てこれ!」


 私はそのまごまごした空気を勢いで流してしまおうと、テンション高めにそう言って画像を見せる。それは運営から後日送られてきた、ステージ上で歌唱する私の姿を写した写真だった。次回開催時のポスターやチラシの素材にするかもしれないとの断りとともに送られてきたもので、そうやって各出演者の写真を撮って提供する流れで使用する承諾を得ているのだろう。広報用として撮っているだけあって、自分が見てもよく撮れていると思った。


「え! なにこれ、めっちゃカッコいいじゃん! っていうか出るんなら言ってよ、観に行ったのに!」


 画像を見て麻美は興奮した様子で話す。彼女から褒められたことよりも、先程までの気まずい反応ではなかったことに胸を撫で下ろす。


「あはは、ごめんごめん。正直、私も自信なくてさ。みっともないところ見せることになったらって思ったらなかなか言い出せなくて……」


 私は彼女たちに知らせなかった言い訳を取り繕う。本当の理由を話したら、断った側を責めている風になってしまい、またギクシャクした空気になってしまうだろう。

 実際、そういう気持ちがあったこともまた事実なので、嘘を吐いているわけではない。


「もう、今度こういうイベント出るときは絶対教えてよ、応援しに行くからさ」


 ステージ上にあって、誰かが応援してくれていることの重要性は身に染みて感じたところだ。だから、麻美の言葉は嬉しくもあり心強くもあったが、同時に、あくまでも彼女自身がステージに立つことは微塵も想定していないのだということが、その口ぶりから察せてしまったのが少し寂しかった。


「そうだね。ぶっちゃけ私も麻美たち呼ばなかったのちょっと後悔してるもん。だから、次は絶対呼ぶ……!‎ 迷惑だと思っても声かけるから……!」


 私が宣言すると麻美は控えめに笑う。麻美はあまり社交辞令を言うタイプではないと認識してはいるが、私にはまだ自分のステージを見に来いと胸を張って言えるほどの実力はない。それでもあの日、たった一人でステージに立ったことは、少なくともそう言える程度には自信となっていた。



 それから、麻美と小一時間ほどお茶した後、解散の運びとなった。アーケードを通って改札の方向へ歩いていると、見覚えのある人影が目についた。

 私は反射的に身を隠そうと身構えたが、それはそれで怪しいし、身を隠そうとしたことを見られたら余計にややこしい事態を招きそうだったので、気づいていないフリをして極力気配を消す。だが、柊野翠の状態であればいざ知らず、ルナの格好で人目を憚るという考え自体が愚かだった。

 その人影は案の定、すぐにこちらに気づくと、その場で小ジャンプして手を振りながら近づいて来た。


「ルナさん!‎ すごい偶然!‎ まさかこんなすぐにまた会えるなんて!」


 二ツ谷北高校の制服を身に纏ったその人影は、つい先日、白中ルナのファンとして声をかけてきたかつての同級生、小柴真綾だった。

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