第4-3話 イベント当日③

「続いては『白中ルナ』さんです!」


 スピーカー越しに司会の声が聞こえるのと同時に私は壇上へと駆け上がった。

 ステージの上からは観客が視界いっぱいに広がる。ハコの大きさ的に当然ではあるが、クリスマスのときとは比べものにならない人数だ。


「えぇと、調書によると……今回はお友達に勧められての出演とのことで?」


 司会が話を振ってきたことに戸惑いを覚える。なぜだ、他の出演者のときはそのようなことはなかったではないか。不意の質問に全く気の利かない返答をする。


「はぁ……そうですね」


 尺が微妙に余っているのだろうか。それにしても調書をほとんど紫帆に書いてもらったせいで質問内容を予想できないのが痛い。


「それじゃあ……今回歌ってもらう曲、『ミラクルポリシー』を選んだ理由はありますか?」


 続いての質問に、どういった回答をするのが無難だろうかと思考を巡らせる。

 その途中、先程の紫帆の言葉が頭をよぎる。


『だから、そんな難しい顔をしないで、キミはキミのやりたいようにやればいいんだ』


 そうだった。急なシナリオ変更と、司会主導の流れで会場の空気に飲まれてしまっていた。


『僕も、もちろん姉さんもキミのステージを楽しみにして来たんだ』


 この会場には、少なくとも私のステージを楽しみにしてくれている人が二人いる。その事実だけで、得体の知れない思念の集合体のように見えていた観客が、ウォッシュアウトして二人の表情だけが色づいて見える。実際には二人が会場のどこにいるのかさえわからないが、それはさしたる問題ではない。

 急に地に足がついたような、会場全体の輪郭がはっきりしたような、そんな感覚が身体を巡る。


「​───────幼い頃を思い出したんです。『ミラクルポリシー』は、皆さんご存知『トゥインクル☆ナイト』のオープニングです。アニメが放送されていた当時、私はまだ幼稚園児でしたけど、そのときは『トゥインクル☆ナイト』ごっこをしているだけで友達ができました。そう思うと、アニメってコミュニケーションツールでもあったんだって……そういうことを再認識させてくれた特別なアニメなんです。今この場にはアニソンってコンテンツを介して、本来なら人生で出会うはずがなかった人同士が一堂に会した……それってちょっとした奇跡じゃないですか?‎ ​───────だから、聴いてください。アニメ『トゥインクル☆ナイト』第一クールオープニングテーマ、『ミラクルポリシー』​───────」


 思いついたままに言葉にしていたら、つい勢いで自分でキューを出してしまった。それを聞いた司会がアドリブで慌てて音響へ合図して壇上から降りる。

 そして、幼い頃から何度も聴いたエレキギターから始まるイントロが鳴り響く。

 不思議と緊張感はなかった。私はいつものように『白中ルナ』を演じるだけ。それがたまたまステージの上だというだけ。紹介した曲のエピソードについては柊野翠のものだが、それを出力するのはあくまでも『白中ルナ』だ。彼女ならどう歌い、どう動き、どういう表情をするだろうか。思い描いた彼女の像を忠実になぞってゆく。

 気づけば曲はもう最後のサビ、最後のフレーズとなり、演奏が終わる。私の声と楽器の反響音が止むと同時に拍手が巻き起こった。


 壇上から降りていた司会が再び登壇し、ありがとうございました的なことを言っているような気がするが、酷く現実感がない。短時間に集中しすぎた反動か、酸欠状態で思考が散漫になっているようだ。私は流れに身を任せ一礼をしてステージを降りる。その後、スタッフから労いの言葉とともに誘導された気がするのだが、やはり記憶がぼんやりとしている。出演者やスタッフの通行用として仕切られた通路を抜け、出演者出口と張り紙された扉をくぐるとホールの外へ出た。そこは私たちが入ってきた方とは反対側に位置するようで、関係者以外の人通りはほとんどなかった。


 少しずつ意識が明瞭になってきた。ホールの方からは次の出演者のパフォーマンスであろう音声が微かに漏れ聞こえてくる。終わってみると本当に一瞬だ。高揚感と虚無感が入り混じり自身の中を錯綜しているのがわかる。自分はこれほどまでに非日常的な体験をしたのにも拘わらず、行き交うスタッフたちは何事もなかったように持ち場の仕事を続けている現実感に急激な落差を感じる。そうか、前回は紫帆と一緒だったからパフォーマンスが終わった後に気持ちを共有できる相手がいた。一人で出演するということはこういうことなのだ。あの瞬間を、あの場で感じた気持ちを誰とも共有できない。今さら一人であることに起因した感情の揺らぎなどないと思っていたが、このような場で感じることになろうとは。


 一般客用のホールの入口まで歩こうと思ったが、いかんせん方向がわからない。私は自身の方向音痴を呪いながらフロアマップか案内板を求めて彷徨っていると、こちらの方へ駆け寄ってくる影が見えた。


「ルナ、お疲れ様!‎ ステージ、とっても良かったよ。周りのお客さんもみんなキミのことが気になって仕方がないみたい」


「ルナちゃん、めちゃくちゃカッコよかった〜!‎ 思わず見惚れちゃったよ〜!」


 紫帆と一果だった。わざわざホールを抜け出てこちら側へ来てくれたようだ。


「ありがとう……二人のステージもすごいよかった……あんな風にハーモニーできたら楽しいだろうなって……」


 私がそう返事すると、二人は目を見合わせて笑い出した。それに合わせて私も思わず笑みが溢れる。

 緊張感はないと言ったが、パフォーマンスに支障があるほどのものではないというだけで、ここに来てからというもの、ずっと気は張っていたのだ。それが、二人の顔を見て一気に緩んだようで、話したいことが次々と浮かんでは、言語化が追いつかないもどかしさに駆られる。

 それでも、これだけは伝えておきたかった。


「一人でステージに立つのは、やっぱり心細かったよ。でも、二人が見てくれてる、応援してくれてると思ったら、不思議と肩の力が抜けて……あれ​───────?」


 視界が揺らぎ鼻の奥がツンとする。どうしたことだ、これは一体なんの感情に由来するのだろう。そんな思考をよそに一筋の雫が頬を伝った。

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