第4-1話 イベント当日①

 降り注ぐ日差しと抜けるような青空。長らく雨空を留めていた梅雨前線は過ぎ去り、日ごとに暑さを増す季節。それでも、この時間はまだ気温が上がりきっていないためか、適度なそよ風が肌に心地良い。イベント当日は恵まれ過ぎるほどに良い天気だった。

 私は二ツ谷駅からバスを乗り継ぎ、会場である『楢崎産業振興センター』へ到着する。ここは市が管理する施設で、1ha弱の広さの二階建ての建物の中に、イベントホールやいくつかの多目的フロアが用意されている。広い駐車場も併設されており、様々なイベントの会場として使用されているようだ。

 ただ、開場まではまだ時間があるためか、駐車場に停まっている車はそれほどなく、バス停から建物へ向かう途中に見かけたのも、作業着を羽織って忙しなく動くスタッフと思われる数名だけだった。

 建物の中に入ると、日光が差し込む開放的な造りのエントランスが眼前に広がる。向かって右側に受付と思われる会議テーブルを並べただけの即席ブースを見つける。私は携帯電話を開き、運営から送られてきたメールに添付された受付票を開きながらそちらを目指す。


「『白中ルナ』さんですね。ええと、順番は……8番目ですので、6番目の方がステージに立つ頃にはステージ横に待機していただきます。近くにスタッフがおりますので、順番が近づいたらお越しください。それと、こちらが出演者証になりますので合わせて提示してください」


 スタッフの一人が事務的に留意事項を伝える。一通り伝え終わったと思うと、また別のスタッフが案内を始める。


「順番になりましたらスタッフが合図をしますので、そうしたら登壇してステージ中央まで行ってください。その後、司会の紹介があって司会のキューでオケが流れます。曲が終わったら司会が礼を言うので、その後で下手側から履けて、そちら側にいるスタッフの指示に従ってください」


 ステージ上でのシナリオを矢継ぎ早に話すスタッフ。以前、紫帆と出演したときの経験からイメージに難くはなかったが、なんの前知識もなく一人で今の説明を聞いていたら、おそらく狼狽してしまっていたことだろう。そんなことを思いながら、受付を後にする。

 エントランスを抜けると、間もなくしてだだっ広い空間に出る。ここが今回の会場となるイベントホールと呼ばれる施設だ。普段はコンクリートに囲まれたシンプルな空間のようだが、開催されるイベントに応じてブースが設営されたり、ステージが設営されたりするのだろう。中では音響のテストが行われている横で、設営機材の最終調整のためにスタッフが右往左往していた。よく見ると同じ出演者と思われる数名が、開演までの暇を持て余して音楽を聴いたり発声練習に勤しんだりしている。

 ここに来て漸く、今日この舞台において私はたった一人でパフォーマンスをするのだという実感が込み上げてきた。ルナという仮面があるため、素の自分が出演するよりはずっと精神的に楽だが、それでもこの期に及んでなお、私の実力で場が凍りついてしまわないだろうかという不安が拭えない。気休めにしかならないと自覚はあったが、自分が歌う曲の最終確認をしようと、携帯電話とイヤホンを取り出す。そのとき、背後から聞き覚えのある声が私を呼んだ。


「やぁルナ、直接会うのは久しぶりだね。その様子だと無事受付も終わったみたいでよかった」


 スラリと伸びた肢体に端正な顔立ち、艶のある黒髪にミルキーパープルのインナーカラーを施したボブカット、そしてその圧倒的オーラを感じる佇まいは日向紫帆のそれに相違なかった。


「紫帆、久しぶり!‎ 元気にしてた……って連絡取り合ってるのに今更か」


 慣れない環境で一人慣れないことをしていた心細さからか、知り合いの存在が妙に嬉しく、柄にもなくはしゃいでしまった。


「はは、相変わらずすごい存在感だね。遠目でもすぐにわかったよ」


 それを紫帆が言うのもどうかと思ったが、敢えて指摘するのも野暮な気がした。


「そうだ紫帆、調書からなにから作ってくれてありがとう。こういうの全然わからなくて……」


「いや、礼には及ばないさ。出るように推し進めたのは僕の方だし、それに……」


 そう話す紫帆の言葉を掻き消す声が響く。


「もう紫帆!‎ 勝手に一人で先に行かないでよ!」


 声の主はカーキ系のブラウンがかった長い髪をワンサイドアップに縛り上げた女性だった。


「あれ?‎ もしかしてこのコがルナちゃん?‎ えーどうしよ!‎ 動画で見るよりもっとかわいいじゃん!」


 その女性は私を見るや否や、そう言って私の前に駆け寄った。

 紫帆の知り合いのようだが、私のことを動画を見て知っているということは紫帆が見せたのだろう。というか、このタイミングでこうやって紫帆に声をかけて来るということは、彼女が何者なのかは大体想像ができる。


「あぁ、彼女は『Violet Strawberry』の片割れ、僕の相方の……」


「私ね、紫帆の姉の日向一果いちかっていうの!‎ よろしくね!‎」


 紫帆の紹介を遮って彼女が言う。


「え?‎ お姉さん……?」


 それは予想外の情報だった。この一果と名乗った女性が、紫帆と『Violet Strawberry』というユニットを組んでいる相方なのだろうということはなんとなく想像できたが、それが紫帆の姉だったとは。言われてみれば、顔の造作が少し似ている気がしないでもない。


「そ!‎ いつも紫帆がお世話になってます。今回も紫帆がなんか無理言って出てくれたんでしょ?‎ ごめんねー、あ……でも私、生でルナちゃんが歌ってるとこ見たくてさー、今日見れるって思ったらめっちゃ楽しみで……」


「ちょっと、姉さん……!」


 一果が口を開いたと思ったら矢継ぎ早に言葉が溢れ出す。それを見かねた紫帆が制する。


「……あはは、ごめんごめん。ルナちゃんに直接会ってみたらめっちゃ美人さんでテンション上がっちゃった。……っていうかそのシャドウの色かわいいね、モーブ系?‎ いいなぁ、私そういう色使うと腫れぼったく見えちゃってダメなんだよね。……って、よく見たらそのマスカラあれでしょ、この間話題になってた新色のやつ!‎ それ気になってたんだよねー、使い勝手は……」


 再び機関銃のようにとめどなく言葉が紡がれる。紫帆が年齢の割に落ち着いていることもあり、二人の間のギャップが激しい。おしゃべりでテンションが高いのは聡子も同じだが、彼女はまた違ったタイプのように思える。


「そういえば……去年のクリスマスのイベント、インフルで出れなかったんですよね?‎ 私なんかが代わりに出ちゃってすみません」


「あ!‎ そうそう、その節は本当にご迷惑を!‎ 当日はもう熱も下がってたんだけど、外出たらダメって医者に言われてて……でも、ルナちゃんがあの日あの場にいて良かったよ。私が出てるよりむしろ盛り上がったと思うから、‎あはは!‎」


 そう言って一果は軽快に笑う。


「いや、そんなことは……」


 否定しようとする私の言葉をすかさず遮る。


「あ、お世辞だと思ってるでしょ?‎ “そんなこと”はあるんだよ。だって私、悔しくてあのあとしばらく動画見て研究してたからね?‎ どうやったらこんな風に歌えるんだろうって……」


 そう話す彼女はまるで子どものように無垢な眼差しをしていた。いや、子どもはむしろここまで素直に感情を表現できないかもしれない。少なくとも彼女に世辞や打算の意はないように思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る