第4-1話 しずく①

 白秋公園の西側を走る大通り。観光客を主たるターゲットとした飲食店や工芸品店が立ち並ぶ。私たちが向かっていたのは、美幸たちから勧められた呉服屋『纏々』である。元は老舗の呉服屋として和服の販売のみを行っていたようだが、和服の需要減に伴って販売事業を縮減し、代わりに観光客向けの貸衣装サービスを始めた。これが観光客には非常に好評で、初めは貸衣装の種類も和服だけであったが、毎年徐々にバリエーションを増強し、今では貸衣装サービス店としての認識の方が知れ渡っていた。


「あ、あれじゃない? 看板に『TenTen』って書いてある」


 麻美が指差す先には、木目調に白抜きのゴシック体で店名を記載した、およそ呉服屋とは思えない洋風なデザインの看板があった。


「え、あれ? なんか……呉服屋ってあんな感じなの……?」


「まぁ、入ってみましょ。あんまりガチな感じ出されても入りづらかったし、ちょうどいいわ」


 聡子はそう言って入口を開ける。たしかに、そのカジュアルな外装はまるでセレクトショップのようで、老舗の呉服屋然としているよりも若年層にとってはずっと入りやすかった。そういったところも価値観の変容に対応して商いを続けるための工夫なのだろう。

 店内に入ると、たくさんのコスチュームがところ狭しと陳列されているのが目に飛び込んできた。これが話に聞いていた貸衣装サービスなのだろう。どちらかというと和のテイストに寄ったものが多いが、やはり呉服屋とは思えないほど多種多様の衣装が並んでいる。左手側には別の部屋が繋がっており、厳かな雰囲気の和室が広がっている。そこには、いかにも高そうな着物や生地が展示されていることから、本業である和服の販売や仕立てはそちらの方で行なっているのだろう。


「いらっしゃいませ。貸衣装の方ですか? でしたらこちらからお選びいただいて、決まりましたらお声がけください」


 中年の女性が流れるように案内をする。この時期は観光客でかき入れどきなのだろう。私たちのほかにも数組の先客が、店内に吊り下げられた大量の衣装を物色していた。早速、私たちも思い思いの方向へ散らばる。私としては、そもそもルナの格好をしている時点でコスプレをしているようなものなので、こういった衣装を着ることに今更抵抗はなかったが、どういう系統がルナに似合うのか考えたことがなかったため、そういった観点では悩ましかった。


 そうして物色していると、すぐ近くで着物を見ている麻美が目に入った。


「着物、麻美似合いそうだね」


 私が声をかけると、麻美はこちらに気づいて言う。


「……子どもの頃、なんかのお祭で着せられたのが最後で、それ以来着てないなぁって。当時はさ、自分になにが似合うのかも自分がなにを着たいのかもよくわかってないし、親が調達してきたのをなされるがまま着せられて、こんなのただ窮屈なだけじゃんって、すごい嫌だったんだけど……」


 麻美の言うことはなんとなくわかる気がした。親のセンスで与えられる衣服が自分の感性と合わなくても、ならばどのようなものを良いと思うのか、幼さ故に言語化できないもどかしさに苛まされるという経験は私にもある。それでも、そう話しながら着物を眺める麻美は、幼き日の自分に優しく語りかけるような、そんな目をしているように見えた。


「ねぇルナ! これ一緒に着ない?」


 聡子の大きな声が店内に響く。その手には大正ロマンを思わせる、所謂“ハイカラ”な色使いをした衣装を二着抱えていた。当時の街娘が着ていたような着物をモチーフに今風なワンピースにアレンジされている。上半身が赤と白のチェック柄に下半身が紫色のものが一着、そしてもう一着はそれとは逆の配色で、上半身が紫と白のチェックに下半身が赤色のデザインとなっている。聡子は前者を自分用に、後者を私にあてがう。


「わ、かわいい……。そういうのもあるんだ」


 私の反応を見て聡子は満足気な表情をしている。


「えーなに? 二人してお揃いとかズルい」


「だって麻美、あんたもっとシンプルなやつのが好きじゃん。ルナくらいしかこういう派手なの着てくれなさそうだし」


 聡子の言い分は的を射ていた。麻美もああは言ったものの、本気で自分も着たいと思っているわけではない。おそらく彼女の中ではある程度着たいものが既に決まっているのだ。そして、千景にあっては尚更このように派手なデザインのものを着たがるとは思えない。


「そういえば、千景はなに選んでるんだろう?」


 店内を見渡してみると、奥の方で右往左往している千景の姿があった。


「なんとなくお店に入ってしまいましたが……私も着るん……ですよね? 私でも着れそうな服ってあるんでしょうか……?」


 千景は自分がどのようにすれば良いのか皆目検討もつかない様子だ。


「千景は、自分が着たいものとかないの?」


 聡子が尋ねる。


「えーと、えーと……うーん、特には……。というか自分になにが着れるのか……」


 先程の麻美の言葉が思い出される。というか、春休み中に千景の私服を買いに行ったときも全く同じやりとりを見た気がする。そのときの展開を踏襲するのなら、聡子は次にこう言うはずだ。


「そ! じゃあこれ着てみてよ、千景に似合うと思うんだけど!」


 想定していた言葉と一言一句違わなかったことがなんだか可笑しくて、傍で聞いていて思わず口元が緩む。


「こ、これですか……!?」


 聡子が持ってきた衣装に戸惑いを隠せない千景。それも無理はないだろうと思った。なぜなら、彼女の手には巫女服が抱えられていたからだ。


「あー、たしかに似合いそう。ま、とりあえず試着だけでもしてみなよ」


 そう言って麻美は店員を呼ぶ。なされるがままに試着スペースに連れて行かれた千景は、数分後その身に巫女装束を纏って登場した。長めの黒髪はリボンのような飾りのついた髪紐によって後ろで一本に結われている。朱に近い赤と白の目の醒めるようなコントラストとは対照的に、本人は落ち着かない様子で自信なさげな表情をしている。


「あーほら! やっぱり似合ってるじゃん! っていうかポニテ可愛くない? やっぱ巫女は黒髪だよね〜」


 千景の仕上がりが想像以上だったのか、露骨にテンションが上がる聡子。


「で……でも、この格好、悪目立ちしませんか……?」


 やはり不安気な千景に着付けをしていた店員が言う。


「それなら大丈夫ですよ。その衣装、中央広場でやる奉納演舞の出演者が着てるものとほぼほぼ同じつくりなので。その完成度なら祭の関係者だと言われてもおかしくないくらい」


 もしかすると地域の郷土芸能を嗜む者は、その衣装を繕うため、純粋に呉服屋としてこの店を利用しているのかもしれない。


「それなら……いいん……ですかね……?」


 納得したようなよくわからないような反応をする千景。悪目立ちしないとは言ったが、目立たないとは言っていないことには触れないでおこう。とはいえ、私たちの衣装もだいぶ派手だし、千景だけ疎外感を感じることはないはずだ。

 続いて私たちも選んだ衣装を店員に持っていって着替えを始める。麻美は着物なので店員の着付けが必要だが、私と聡子の衣装はワンピースを基本形としたつくりなので、店員に着付けをしてもらわなくとも着ることができたのは正直ありがたかった。


「あら、皆様とってもお似合いで。うちの宣材写真に使いたいくらい!」


 年の功か、店員もおべっかが上手だ。いや、彼女らを見ていると、あながちそれもお世辞ではない気もする。千景は、本人の純朴な雰囲気も相まって本職の巫女だと言われても違和感がない。聡子はいかにも大正時代のハイカラな街娘という感じで、実際の史実ではどうだったのかはともかく、その時代が舞台の創作物のキャラクターが飛び出してきたかのようだ。麻美の着物は私たちよりも古い時代のデザインで、おそらくは当時ここの藩に仕えた女中の着物をイメージして作られたものなのだろう。シンプルな淡い水色の生地に金色の髪飾りが差し色になっており、その端正な顔立ちから、まるで大河ドラマのヒロインを想起させる。


「ねぇねぇ、これ姉妹に見える?」


 聡子が色違いの衣装を着た私の近くに立ち、腰を軽く曲げ顔の前にピースサインを持ってくるポーズをして麻美と千景に尋ねる。


「いや……姉妹には見えんわ、タイプが違いすぎて」


 麻美の言葉にむむと漏らす聡子。聡子はそういう姉妹コーデ的なことをしたかったのだろうか。


「じゃあ……これならどうかな?」


 それならと私は両サイドの髪の毛を高い位置で縛り上げる。聡子が着替えるのと一緒にツーサイドアップにしていたので、私もそれに合わせた格好だ。私はそうして聡子と線対称にポーズをとる。


「いやいや、髪型お揃いにしたって……なんだろう、なんかムカついてきた。ねぇ聡子、あんたばっかそうやってズルい!」


「はぁ? 知らないっての! だいたいその高そうな着物を何事もなかったように着こなしてるやつがよく言うわ!」


「あわわ……どうしましょう……」


 突如、二人が言い合いを始めるのを見て狼狽える千景。


「ああ、大丈夫。あの二人にとってはこれ、喧嘩じゃなくてコミュニケーションだから。私には真似できないけど……」


 そう言って両の掌を上に向けて顔の横で広げてみせる。麻美は先程、姉妹コーデをする私たちが羨ましいと言って聡子にあたる素振りをしたが、彼女らは彼女らで腐れ縁故の意思疎通の図り方ができる。私としては、それだけ近い関係性を続けられること、そういう長い付き合いの友達がいることの方が羨ましかった。

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