第2-1話 新学期 -side S- ①
西洋風の意匠と薄桃色の外壁が周囲の建造物と比較して特に華やかな雰囲気を醸し出す。二ツ谷駅北側に位置するここ聖蘭高校においても、市内のほかの高校の例に漏れず、今日は新年度となって初めての登校日であった。新しいクラスに馴染めるだろうか、そういった不安を人一倍抱えて重い足取りでやってきたのは、この度聖蘭高校の二年生に進級した少女、松橋千景である。
実のところ、彼女が無事進級できたという事実は、昨年度彼女と同じクラスだった者からすればにわかに信じ難いことだった。友達はおらず、休みがちで出席日数も危うく、授業に出ていないのだから当然勉強にもついていけない。留年し、さらに通いづらくなってますます休みがちになり、休学、いずれは自主退学コースではないかと、元クラスメイトらのほとんどは内心そう思っていた。
幼馴染であり、彼女がこの高校で唯一心を許せる存在である生徒、葉山麻美とは一年時に引き続き別のクラスとなった。そのことが心細くなかったかと言えば嘘になるが、仮に同じクラスだったとしても、校内の人気者で常に周りから人の絶えない麻美が自分なんかに関わっている余裕などない。春休みの間は誰が見ても場違いな自分のことも遊びに誘ってくれたが、校内で下手にこんな陰気な生徒に関わりでもしたら無駄に彼女のブランドを汚すだけだ。そんなことを考えて新しい教室に向かう。
新しい教室の扉を開けると刺すような視線が彼女の身体を貫く。実際にはそれほど多くの視線が向けられているわけでも、殺伐とした空気があるわけでもなく、単純に彼女が注目されることを滅法苦手としているだけだった。しかし、もっと静かに扉を開けるべきではなかったか、自身の挙動におかしいところがあるのではないかと、その苦手意識は被害妄想を増幅させ、一挙手一投足が気になって仕方がなくなる。
前のクラスでは、休みがちな生徒ということで半ば腫れ物のような扱いであったが、そういった空気感に自身も慣れてしまっていたのだろうということを再認識させられる。今この教室には以前のクラスメイトが全くいないわけではないが、そのほとんどが知らない顔である。彼女らはまだ自分のことをただの一聖蘭高校生として認識している。そしてこれから、こいつはこういうやつだと無慈悲に品評が行われてゆくのだ。
そんなことを考えると、先の見えない無力感に襲われたような気がして目眩がする。千景はそそくさと自分の席について、時が過ぎるのを待つことにした。
クラス替え直後で浮足立つ教室、少しずつグループを形成しつつある生徒たち、黙って席に着いている間にもどんどん孤立してゆくのがわかる。友達がいないのは今に始まった話ではないが、それでも一人取り残されることに全く焦りを感じないほど達観しているわけでもない。千景は、このままではいけないと、脳内で何度もシミュレーションを重ね、近くの席の生徒に話しかけようと試みる。だが、その生徒は反対側の席の生徒と話し続けており、なかなか入り込む余地がない。
「ねぇ、あなた。お名前は?」
不意に予期せぬ方向から声をかけられ戸惑いを見せる。声の方へ顔を向けると、そこにはショートカットに黒縁メガネをかけた生徒が立っていた。
「あ……えっと、松橋千景です」
千景が名乗るとその生徒は千景を品定めするかのようにジロジロと眺め始めた。
「ふーん……ま、いいか。私は華恵、清水華恵よ。あなた、友達いないみたいだし、次の移動教室一緒に行きましょ」
「え……? あ、はい」
高飛車というか、ナチュラルに見下すような態度が気にならない訳ではなかったが、自分に声をかけてくれたことを無下にすることへの申し訳なさが勝り、千景は華恵と行動することにした。
「……へぇ、そんなに危うかったのによく進級できたわね」
その日の昼休み、千景は教室の前方窓際で華恵と共に昼食を取っていた。
「ええ、家庭教師をしてくれた方がいたので。あ、実際に勉強してたところは家じゃなくて図書館なんですけど」
そう言って千景は控えめに笑うが、華恵は難しい顔をしている。
「ねぇ、その“家庭教師”ってまさか恋人とかじゃないわよね?」
つかぬことを尋ねる華恵に千景は咽せそうになる。
「え、えぇ? い、いや、ルナさんとはそういう関係じゃ……」
「ルナ……。ま、それもそうよね、あなた彼氏とかいるタイプに見えないもの」
そう毒づきながらも、なぜ千景が狼狽えているのか不思議に思う気持ちと、どこか安心したような感情が入り混じったような表情を見せる華恵。
「華恵ちゃんはいるんですか? その……付き合ってる人」
何気なく聞き返してみた千景だったが、その数秒後に自身の言動を呪うことになる。
「え、いや?」
短く返答する華恵だったが、彼女の中でなにかスイッチが入ったようで、険しい顔をして続ける。
「……だいたいさぁ、彼氏がいるからいい女なんて誰が決めたの? 私に言わせたらそれって男に都合のいい女ってだけだから。男の好みに合わせてあざとい仕草して媚売って、そんなの売女と変わらないじゃない。それに……」
話しているうちに自分の言葉にさらに焚き付けられたのか、徐々に声のボリュームが上がる。
「ちょ……ちょっと、華恵ちゃん……!」
彼女の言っていることが全て間違いだと頭ごなしに否定するつもりはないが、新しいクラスになって初日に、それもほかのクラスメイトに聞こえるのを憚らずに話す内容としては明らかにTPOを履き違えている。
滅多に他人の話を遮るタイプではない千景も、さすがにまずいと感じたのか華恵を諭すように彼女の口を噤む。
千景の制止にぼやく華恵を見て、出過ぎた真似をしただろうかと千景は内心不安に思ったが、彼女の表情は何故か満足気であった。
わからない。自身がコミュニケーションを苦手としているから、人とあまり関わって来なかったから、こういう場面における彼女の心情を慮れないのだろうか。それとも単に彼女が変わり者なのか。初日からクラス内で孤立しなかったのは、昨年度に比べたら自分の中では大きな進歩である。だが、孤立しないならしないで、この程度の会話量でさえ息つく間もなく別の試練が降りかかる。
千景は既に精神的に疲弊しているのを感じていたが、そのことには気づかないフリをして昼食用に購入していたコッペパンの残りを無理矢理頬張った。
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