#5 フィルムスタート
カヨコとテッタはそれから荒野を彷徨い続けていた。コヨーテからは遠く離れたものの、やはり人影も建物も見当たらず、途方に暮れていた。
カヨコと同じく、テッタも目が覚めた時に金属バット以外身につけていたものが全て無くなっていたそうだ。やはり助けを呼ぶことは無理だと判断し、ただひたすら二人は人気のある場所を探していた。
「あっーぢぃ!…ったくどーなってんだよ!」
テッタがその場に座り込んだのと同時に、カヨコもしゃがみ込んだ。
二人とも喉がカラカラだし汗で体中ベタベタだ。この荒野に来てからというものの、かれこれ一時間以上は放浪している。水も何も口にできていない。雨が奇跡的に降ってくれれば別だが、このままでは熱中症になってしまう。
「なあメガネ、お前本当にここがどこか知らねーの?」
テッタは出会ってからずっとカヨコをメガネと呼んでいる。きちんと自己紹介は済ませているのだが、ずっとメガネ呼びだ。
「…知らない…」
「だよなあ。知ってたらこんなに迷わねーもんな」
ふう、と肩を落としてテッタは吐息を吐く。カヨコより元気そうに見えてはいるが、彼も限界が近いことは明白だった。
何も思いつかずカヨコは空を見上げた。スマホが無ければ何もできない、この不甲斐なさと不安を払拭するために何となしに見てみた。ふと、違和感を感じた。青くて広い空、まばらな雲。照りつける太陽──
(雲が…動いてない?)
かれこれ一時間ぐらい歩き回っているのに、雲の位置は先程から変わらないままだった。この荒野で目覚め、コンドルの鳴き声を聞いて顔と上げた時から、だ。それに日が傾いているようにも見えず、何なら空の風景は貼り付けられた絵のように変わらないままである。
「ねえ、えっと…」
テッタに声を掛けようとした時だ。被せるように彼が口を開いた。
「…なあ、あれ…車じゃね?」
「えっ」
「あそこ、動いてんだろ」
「どこ?」
「あそこ」
テッタが指差す。蟻ほどの大きさの黒い点が、蜃気楼の奥で動いているようだった。
(目めっちゃ良いな…)
「動物…とかじゃないの?」
「それよりはえーし、しかもあれ道路っぽくねーか?」
「あー…うん、そうかな…」
「携帯借りようぜ」
「え、ちょっと」
「ほら早く」
カヨコが立ち上がるよりも早く、テッタは遠くの黒点へ向かい走り出してしまった。釣られるようにしてカヨコも立ち上がり、その背を追って走り出す。
「おーい!そこ、待ってくれよ!」
「はあ…はあ…」
「ほらお前も!おーーい!」
「ま、待って…私、走るのにがて…」
肩で息をするカヨコを尻目にテッタはさっさと駆け抜けていってしまった。立ち止まって息を整えながら、日頃の己の運動不足を呪った。
(ちゃんと体育の授業、出れば良かった…)
言い訳して見学ばかりしていたのを今更後悔する。なんでもいいから、きちんと受けるべきだったな…
しばらくして追いついたテッタが車を止めているのが見えた。脇腹を抑えつつ、ゆっくり歩いて道路の真ん中へと向かっていった。
テッタが見つけた車は古びた黒のピックアップ・トラックだった。荷台には服やバイクなどが載せられていて、ごちゃごちゃと物が詰め込まれている。禿げた塗装や、掠れたナンバープレートなどから見て随分乗り回されたものだと一目で分かった。
ようやく車に追いついた時、テッタは運転手に話しかけていたが難航している様子だった。
「どうしたの?」
「メガネお前英語得意か?」
「…なんで?」
「外国人みてーでさ、俺話せねぇんだよ」
「私もあんまり得意じゃないけど…」
学校で軽く習った程度の英語しかできないカヨコからしてみれば、身振り手振りを交えて伝わるようにするしかない。一抹の不安を抱えながらテッタ同様に運転席を見上げると、助手席にもう一つ頭が見えた。どうやら相手は二人組であるらしい。
「えっと…エクスキューズ…ミー…?」
「──よお、バスを間違えたか?」
「え?」
「ベガスはこっちじゃない、逆だ。それに…ニューヨークでは昨日雨だったんだろ?」
「……は?」
「その服。そんな暗い服着るの、雨のニューヨーカーかバッツィーくらいだぜ」
紺のブレザーを指差しながら男は笑う。彼なりのジョークがカヨコの頭の上から降ってきていた。
運転手の男はブロンドの男だった。綺麗なグリーンの瞳、少し日に焼けた肌、ほつれたカウボーイハット。歳はカヨコやテッタからみれば少し上のように見える。
……あと、なんか見覚えがある顔。どっかで、見たことがあるような…
彼の口から飛び出したのは流暢な日本語だった。それも一切言葉のほつれのない、歯切れのよいものだった。
ただ違和感は感じた。口の動きだ。唇の動きや舌のはね方は、日本語を示しているように見えない。英語を発音するときの動きだ。何というか、口の動きに声を上から重ねているように見えた。それに、
(今の言葉、どこかで…)
「俺ら迷ってるって伝えてくれねーか?」
「なら乗ってけよ。町に行けば電話くらいならある」
「お、オッサン日本語話せんだな。」
「あいにくうちはリムジンじゃないんでね。悪いが荷台に乗ってもらう」
「全然大丈夫だ、ありがとよオッサン。おいメガネ、乗せてくれるってよ」
「………」
「メガネ?」
此処に来てからの数々の違和感をカヨコは思い出していた。
現実離れした風景、凶暴な野犬、動いてないように見える雲、砂漠のハイウェイ、そして見覚えのあるカウボーイハットの男……どれも初めての経験ばかりだが、同時にデジャブをカヨコは感じていた。
そしてさっきのカウボーイの言葉。あの言葉を先程カヨコは耳にしたばかりだった。劇場で。
火事が起きる前に見ていた映画の中で、主人公がヒロインとの初対面の時に交わした会話にそっくりだった。
「バスを間違えたか?オクラホマ行きと」──少し地味なヒロインに対しての軽いジョークとして、主人公がそう話しかける。そんな導入部だった。
その時の会話の内容とは少し違っていて一瞬分からなかったけど…
そう考えると思い返してみれば、全て既視感のあるものばかりだった。この荒野も、さっきの大きな野犬も、そしてこの古びたピックアップ・トラックも……
そしてこのブロンドの男も。今思い出した、彼を観たことがあるのだ、何度も。彼は今もなお活躍し、悪役もワイルドなアクションもこなすムービースターとして名を馳せている…
「ケビン・ディラー…」
「あ?」
「若くて分からなかった…ケビン・ディラーだわ…」
「知り合いなのか?」
「ま、まさか…知り合いなわけ…」
「そういや自己紹介がまだだったな。俺ゃクリス。横のは相棒の──」
「エルだ。よろしく」
「はああああああああやっぱりぃ……」
「やっぱ知り合いなんだろ」
「違うぅ……まさか、嘘、そんなあ……」
「どうしたんだよ変な声出して」
「大変なのよ…これは…もしかしてと思ってたけど私たち…」
「俺たち?」
カヨコが頭を抱えていると、ピックアップ・トラックが道路の石を踏んで二人の体は軽く浮き上がった。
小さく悲鳴を上げてカヨコがテッタに寄りかかったと同時に、古ぼけた看板が視界をよぎる。
『炭鉱と遺跡の町 フォーチュン』
「よ、お二人さん。お熱いとこ悪いが見えてきたぜ。俺らの
「
Death Crawlers
「なんだ今のでっかい文字」
「あ〜〜〜〜〜………」
「お。どっかで誰か音楽流してんのか?」
空中に真っ赤な英語が飛び出す。タイトルコールだ。鏡に写ったように文字が反転して浮かんでいた。そしてカントリー調の穏やかでノスタルジックな音楽…BGMだ。どこからともなく流れてきた。
「私たち……映画の中に、いるんだわ…」
田舎町、フォーチュン。その町の名物コンビのクリスとエル。一時間ほど前まで、ムーンライト・シネマで観ていた映画の中に出てきたキャラクター…
──カヨコとテッタは、映画の世界の中へ来てしまっていた。
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