#4 素知らぬ荒野


 目が覚めると、どこまでも高い空と赤砂の地が続いていた。びゅん、びゅんと突風が吹いて砂が巻き上がると、枯れ草を抱きこんで転がしている。

 雲一つない青く広い空を、一羽のコンドルが飛んで、地層の合間を縫って翼を広げた。赤茶けた大地を睨みつけるように旋回して飛んでいく。

 

 そんな中に一人、学生服の少女が立ち尽くしていた。

荒涼な気候のこの地で、カヨコの濃紺のブレザーは浮いていた。グレート・ベースンの渇いた大地は、火傷するような力強い日差しで彼女を歓迎している。

 

「ここ…どこ?」

 

 ようやく出た言葉は細やかで、息の詰まるような熱い風に吸い取られていった。

 

 目の前の非現実的な今のこの光景に頭が追いついていなかった。もしかして夢でも見てるのかもしれない、とベタに頬を抓ってみる。痛い。普通に痛いな。

 それに、制服の間に入ってくる砂の気持ち悪い感じが、これは現実に起きていることなのだと知らせているようだった。

 

 とにかく立ち上がってみると、雲一つない大空、砂漠、乾燥して暑い空気、見たことない植物に低い木。雄大な自然が胸いっぱいに入り込んできた。

 何より合成かと疑うくらいの見事な、褐色の渓谷。西部劇の舞台にでも迷い込んでしまったような気分だ。

 呆然と渓谷の地層を見ていると、カヨコの頭の上から笛のような音が聞こえて我に帰った。コンドルだ。カラスよりも大きな鳥なんて初めて見た。

 

 とりあえず歩いて人を探さないと。ここがどこなのかせめて聞かないと。

 

「誰かー…あのー…」

 

 暑さにやられ、汗がどっと滲んだ。ブレザーを脱いでシャツだけで歩いて、声を絞り出すがどこからも返事はない。と、いうか人影どころか建物も見当たらない。数歩、荒野を探索したがその焼けるような暑さに耐えきれなくなり、日陰のある岩肌の下へとたまらず潜り込んだ。

 

「あづ…」


 というか今は何時なんだろう。ここで目を覚ましてから鞄もスマホも何も無いことに気づいたので、時間すら把握できない。それに、どこにも助けを呼ぶ方法も無く途方に暮れていた。


(…そういえば)

 

 ふらふら歩いて、強い日差しに焼けて、赤くなった腕と足を見ながら思い出す。

 そういえば、さっきの火事で火傷とかしなかったな。火の粉が舞っていたのに、制服や髪に焦げた跡も無かった。煙で口の中が熱くなったような気はしたけれど…


 すると、カヨコは背後から嫌な気配を感じた。

 誰かが自分を見ているような、睨んでいるような、この感覚。ザリ、ザリと何かが砂を掻く音が密かに聞こえてくる。風の吹く音だけが響く静かな地だ。当然その不規則な音はカヨコの耳に入ってきた。

 

 恐る恐る振り返って、すぐに後悔した。カヨコは背後から狙っていたソレと、目を合わせるべきではなかった。

 

「な……」

 

 血走った目、滴り落ちる涎と、鋭い牙。

 カヨコには飢えた大きな野犬にしか見えなかったが、その正体はコヨーテだった。

 コヨーテは顔を皺で歪ませ歯を剥き出しにし、、唸り声を上げている。そして低い警戒態勢でじりじりとこちらへ摺り寄ってきている。

 そうか──今この場所で最も弱くて、そして柔らかい肉を持つ生き物は、自分。私だ。コヨーテは一匹しかいなかったが、武器になるものも何も持ってない、無防備なカヨコを仕留めるには十分だった。

 

「来ないで!」

 

 カヨコは近くの砂を掴んで投げて威嚇するが、コヨーテは怖がる気配も逃げる素振りもない。むしろ挑発だと捉えられてしまったのか、更に尻尾を上げて歯軋りしながら近づいてきていた。

 コヨーテが前足を突き出したのを見て、尻餅をつきながらカヨコは後退りして逃げる。翻ったスカートを爪が噛みつき大きく引きちぎった。鋭い野生のその爪の威力を目の当たりにし、カヨコは震えた。

 

「い…や…、…止めて…」

 

 助けを乞うが、飢えた獣の耳にその言葉が理解できるはずもない。コヨーテは唸り声を絶叫させ、破れた紺のスカートから覗く、カヨコの白い太腿に噛みつこうと飛び上がった。

 

 ──嫌!


 カヨコは咄嗟に身を守るように丸まった。目を瞑り、これからやって来る激痛を覚悟した。

 まさかこんなところで、知らない土地で、でっかい犬に襲われて、私は──死ぬ?いや、死にたくない!本物の野生動物というのがこんなに大きくて、恐ろしいものだとは思いもしなかった。

 

 …が、身構えていてもその衝撃は一向にやって来なかった。うっすら目を開けて自分の太ももを見る。犬の牙も噛みつかれた血も何もない。少し日に焼けて、赤らんだ足しかそこには無かった。

 顔を上げてみると、変わらずコヨーテはそこにいた。大口を開け、大の字でぐったりと倒れた姿で。

 

「………え?」

 

 思わず間抜けな声が出る。

 

「よ、ケガねぇか?」

 

 頭の上から声がしたので見てみれば、真っ黒な学ラン、ワックスの行き届いた…なんだっけ…リーゼント?それと金属バット。

彼の顔をようやく見ることができた。

 

「にしてもあっちーなココ。どこなんだ?」

 

 額の汗を拭いながら彼は言う。カヨコは目の前で何が起こったのかは分からなかったが、すぐに状況を理解できた。またも彼に助けられたのだ。

 劇場での火事で一度、今のコヨーテでもう一度。火に囲まれ動けなくなっていたカヨコの手を引き、連れて行ってくれたのも彼だった。

 カヨコは立ち上がり、せめて礼だけでも言おうとした。何せ命の恩人だ。それも二回も救ってもらった。が、うまく言葉が思い浮かばず、口澱んでしまう。

 

「あ…えと…」

「水も無えし喉乾いてよ。誰かいねーかなーって思って歩いてたら、アンタがいたからさ」

「あの…」

「ん?…あー、別に気にすんなって。」


 青年は肩にバットを担ぐ。カヨコは改めて横たわったコヨーテの姿を見た。口はあんぐりと開いて白目を剥き、ぐったりと倒れている。

 よく見れば頭のあたりが少し凹んでいた。ピクリとも動かないその姿にカヨコはある不安が過ぎる。

 

「こ…殺しちゃったの?」

 

 震える声で聞くと、青年は「いや、」と答える。


「ただ気絶させただけだよ。可哀想だけど、アンタを襲おうとしてたしな」

「そ、そうなんだ…」

「そ。だからしばらくしたら起きっからよ、さっさとここからズラかろうぜ」


 彼の言う通りだ。できればもう自分たちの跡を追ないよう、できる限り遠くに離れるのが先決である。

 青年の背を追って立ち去ろうとした時だった。突然、彼が自らの上着を脱いだ。そのままバットの先端に引っ掛けて吊るしたかと思えば、カヨコの目の前へ差し出してきた。

 

「ん。」

  

 何故かこちらを見ないまま青年はぶっきらぼうに言う。

 

「腰、巻いとけよ。それじゃ冷えるだろ」

 

 その言葉でカヨコはようやく気づいた。スカートは大きく裂けて破れ、お尻の部分が丸出しになっていた。

 

「あ…ありがとう…」

「いーや」

「あなたの名前、聞いてもいい?」

「鉄太。山田鉄太」 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る