#2 月と花 2/2
「ちょっと邦じい!」
「おーカヨちゃん。来たねえ」
「廃館って何?どういうこと!聞いてないよ!」
「そういうことなんだよ。ごめんなあ」
「なん…おじさん、腰が限界にならない限りは続けるって言ってたじゃない。どうして?」
カヨコが食ってかかるように問い詰めるが、館長の水野邦彦は困ったように笑ってそう言うばかりで、はっきりとした答えは返さなかった。
「最近、色んな設備がおかしくなっちゃってなあ…何もないのに火災報知器は鳴るし、その度に上映が止まっちゃって大変でね。」
「修理できないの?」
「一応出してるけど…思えば、ここも建物がそろそろ古いし、危なっかしいとこも結構あってさ。全部直すとなるととてもお金が無いんだよ。それに最近バイトも辞めちゃったし」
「え?あの大学生の?入ったばかりだったんだよね?」
「やることがなさすぎるんだと。」
カヨコは頭を抱えた。落ち込むカヨコに、水野はただ困ったように笑いながら「ごめんね」と小さく謝っていた。
クラウドファンディングでも薦めてみようか…。
この映画館はカヨコが生まれるずっと前からあるし、廃館の危機と知れば協力する人だって多いはず。SNSに投稿して、集客を促して、資金を募れば…
と、考えたがすぐに壁が立ち上がった。
ひとつは、クラウドファンディング云々の前に、邦じいがネットほか機械類に疎いこと。ネット予約などもここでは導入されておらず、未だにチケットもぎりをしているような場所だ。到底使いこなせるとは思えない。
もうひとつは、邦じいのあの目だ。
あの目はもう諦めている──いいや、違う。もう終わらせたいのだ。ここら一帯は都市開発に巻き込まれずに済んできたものの、だからといって集客率が高いわけじゃない。現に、下のボウリング場は閑古鳥が鳴いてるし、この上の施設もそこまで人が来ているようには思えなかった。
つまり、すっきり終わらせたいのだ。邦じいは。彼がいつ、そう考えて、そう決めたのか。そこまでは分からないけれど。ダラダラと時代に取り残されて廃れていくよりも、思い出と共にきちんと幕を下ろしたいのだろう。
そう考えて、カヨコは項垂れた。あくまで推測でしかないけれど、もうしそうなら邦じいは時代や流行に順応して続けていくことを望んでいない。
なんてったって閉館、じゃなく廃館、と書くくらいだし。時代に沿って、変化しながら続けていく“ムーンライト“は、邦じいにとっての“ムーンライト“ではないのだろう。
カヨコや他の常連客よりも、設立当時からこのムーンライトで働いていて、それから館長にまでなった邦じいの方が、想いはずっと深いに決まってる。
「どうしたら…いいのかな…」
カヨコは肩を落としながらトイレの鏡で自分の顔を見た。ひどく情けない顔だった。
思えば邦じいの言う通り、ムーンライトは古かった。
新作の映画はここではやってないし、4DXやIMAXといった設備なども無くて、ポップコーンの機械が2年前に壊れてからというものの、今は邦じいがミルで挽いてくれるコーヒーなどの飲み物しかメニューはない。
それに、館内のスクリーンの数多くはもう使われていなかった。今はこの受付兼売店からすぐ近くにある、一番大きい7番スクリーンしか使われていない。
お客さんも多分そんなに来ていないように思える。週末に来てもそこまで混んでいるわけではなかった。
「まあカヨちゃん、そう落ち込まないで」
「…邦じいはここが無くなったら、どこに行くの?」
「うーん帯広にいる娘んとこかな」
「帯広!?この近辺じゃダメなの?」
「いやあ、腰だけじゃなくて最近膝も辛くてさ…一人暮らしも大変だし。娘がよかったら、って」
「そんな…」
「まあそんなすぐに閉めるわけじゃないし。ね。ほら、コーヒーミルク。好きだろう」
「……」
「あと10分後くらいにフィルム取りに行くから、席座っときな」
7番スクリーンに行くと、案の定閑散としていた。
平日の夕方だから仕方ないかもしれないが、一番大きいスクリーンに一人だけとなると、今までは独り占めできてラッキー!…と、思っていたけれど、今日は何だか寂しい気持ちが滲み出る。
ムーンライトに来たとき、カヨコはいつも座る特等席があった。中央列の特に真ん中あたり。この席が一番、映画に入り込むことができるからだ。
「はあ…」
邦じいが淹れてくれたコーヒーミルク…もとい、カフェオレをカップホルダーに置いて、カヨコは再び大きな溜め息を吐く。
何故かムーンライトシネマでは、コーヒーに牛乳を入れたものをカフェオレではなくコーヒーミルクと呼んで販売している。何度もカフェオレじゃないの?と聞いても邦じいはそれをコーヒーミルクと呼び続けている。
ていうか、今日集中して観れるかな。いや、ムリ…多分ムリ。
観てる最中にも“廃館“の二文字がチラつくに決まってる。2時間ロクに過ごせないかもしれない。
教室での事といい、ムーンライトの閉館といい、今日は不運続きだとカヨコは頭が痛くなってきた。悪いことは続くとよく聞くけれど、まさかこんなに立て続けに起きるだなんて…
ふと、何となしに前の座席を見ると黒い頭がひとつ浮かんでいるのが見えた。この時間に自分以外がいるのが珍しく感じ、ついそのつむじをじっと見つめてしまう。
自分とは違うものだが、彼は学生服を着ていた。ブレザーのカヨコとは違う真っ黒な学ランだ。髪もワックスか何かつけているのか、照明に反射して光っている。
すると、その頭が揺れたかと思えば、頭を上下に振ったので「ひゃっ」とカヨコは小さく悲鳴を上げた。
しばらく揺さぶられたように動いたかと思えば、鼻に音が引っかかったような、地鳴りのような声がしばらくして聞こえてきた。
「いびき…」
同級生に絡まれ、行きつけの映画館は廃館、おまけに居眠りしていびきをかく迷惑な客と同席。
いよいよ今日は厄日だ。カヨコの不運はまだ終わらず続いているらしい。
しかしカヨコを襲う予想外の不運は、これから更に思わぬ形で起こるのだった。
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