#1 月と花 1/2
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駅前商店街にある喫茶ジェルヌは週替わりのサンドイッチが人気だ。
喫茶ジェルヌでは毎日三回パンを焼く。朝の開店前、昼のランチ前、夕方の帰宅ラッシュ前。焼き立てほかほかのパンをサンドイッチにして、数量限定で売り出す。
価格はひとつ520円。前までは480円だったけど少しだけ値上げした。それでもお買い得。ワンコインで食べられる上にとても美味しい、名物サンド。
木曜日だけ、カヨコはこのサンドを買っていく。彼女にとって木曜日の放課後は特別な日だった。
高校2年の春の終わり。ゴールデンウィークも過ぎて、そろそろ湿っぽい空気がやって来る頃。
周りはトレンドや恋バナ、ちょっとだけ中間テストの話題などが飛び交う中、カヨコはというと一枚のチラシに夢中だった。
『木曜17時の
(何の作品やるのかな〜)
にやにやを隠しきれていないままポスターを四つ折りにたたみ込む。
ムーンライト・シネマではフードメニューは無いが持ち込みは許可されている。そのためにこの後、喫茶ジェルヌの限定サンドを買って持っていくつもりだった。
サンドイッチが売り切れる前に、さっさと学校を出たいものだが──
「ね、この後ヒマ?」
突然、声をかけられてしまった。折ったポスターをちょうどカバンにしまい込んでいて反応が遅れてしまった。クラスメイトの女の子。名前は忘れてしまったが、教室のグループで一番目立っている子だった。
「え…」
「月見さん、いつも木曜は早く帰るよね。どうして?」
「部活とかやってたっけ?」
「いや帰宅部っしょ?たしか」
その子がカヨコに声をかけた途端、彼女の友達たちが集まってくる。しまった、とようやく気づいた。気がつけば机周りを囲まれてしまっていた。
「みんなでカラオケ行こって話しててさ」
「最近中間テスト近くてみんなピリピリしてるし、発散したいな〜って」
「カラオケひさびさ〜何歌お」
「ね、月見さんは誰好き?」
「え、えと、あの」
(ど、どうしよ…行くって言ってないのに行くことになってる…)
ただでさえ流行りの歌に興味のないカヨコが行ったところで、ついていけずにノリが悪いと周りを白けさせてしまう。それにこのままでは歌え、とマイクを渡される最悪なパターンが脳裏をよぎった。
そんな黒歴史を生むわけには…!とカヨコは周りの会話をかき消すように立ち上がった。
「あのっ」
(あっ、声裏返った)
「何?」
「わ、私この後用事が…」
「ゴメン、塾とかあった?」
「月見さん頭いいもんね」
「い、いやそうでなくて…行くところが…」
「えっどこどこ?」
「ならあたしたちも行きたーい」
「新作リップ見たいしぃ」
(いや…来ないで欲しい…)
(知らないし仲もそこまで良くない人との買い物とか疲れる…)
「映画に…」
「映画?誰かと行くの?」
「もしかして彼氏?」
「えっ彼氏いるの?見たい見たい!写真ある?」
「意外〜彼氏いるんだ?うちの学校のヒト?」
「いや…」
「何?」
「声小さいんだけど」
「そ、その、一人で…観に行こうかなー?って…」
絞り出すような声で言うと、周りが急に静かになった。
沈黙に背中が冷たくなる感覚を覚えながら、そっと顔を上げてみると、皆同じ顔をした女子たちがカヨコを見ていた。
トラウマになるにはちょうどいい、冷たい表情でこちらを睨んでいた。
「は?何それ、暗っ。」
(そんな風に…言わなくたって…)
それから一時間後。喫茶ジェルヌのレジ前でカヨコは落ち込んでいた。
自分が悪いことは分かってる。せっかく誘ってくれてるのに断って、しかもバカ正直に一人映画するだなんて答えた自分が。これじゃあまるで「アンタたちと行くらいなら一人が良い」って言ってるようなものだ。
でも、あっちだってこっちの意見聞かずに勝手に話進めてたし…
周りの子が言ってたように彼氏と行く、とでも言っておくべきだったんだろうか。それだったら写真はーとか、どんな人ーとか、絶対に聞かれる。そこまで嘘に嘘を重ねると後々めんどくさいことになる。
「はぁー…」
カヨコは思わず大きなため息を漏らした。
せっかく残り一個だったサンドイッチを買えたというのに、これではテンションが上がらない。
レモンさばサンドイッチ。ジェルヌの中でも特に人気な商品で、大好物で、買えて嬉しいはずなのに…
(一人で観に行くのって、やっぱり変なのかな…)
ひとりカラオケ、ひとり焼肉にひとりキャンプ。世の中にはソロ活なんて呼ばれて、一人で楽しむ人が増えてきてる、って話をテレビで紹介されていたはずなのに。
それもあくまで大人になったら、の話なのだろうか。
学校でも放課後でも、カヨコは一人で過ごしていた。入学当からずっとそうしていたので、もうすっかり単独行動が板についている。クラスメイトに裏で色々言われている気がするが、あえて気にしないようにしていた。
なのに、まさか今日突然興味を持たれてしまうなんて。
と、考えるほどさっきのクラスメイトの表情が頭をよぎった。あの顔。なんていうか、ドン引きしてる顔。
ウソー…って感じの。思い出すとお腹の奥がズーンと重くなっていくのを感じた。
(まあでも!今日は月光祭だし!)
(邦じいのお気に入りが観れるわけだし!)
「切り替えていこ、オー!」
と、自分を奮い立たせて軽やかにジェルヌを後にした。
駅前商店街を抜けて進むと、居酒屋やバーが立ち並ぶ通りになる。その古びた映画館は、並んで建っていた。
ムーンライトシネマは昭和の初めにできた映画館で、元は月光座という小さな劇場だった。
その後名前を変えて“ムーンライト・シネマ“という名前でリニューアルオープンした。リニューアル後にはいわゆるシネコンの型になって、複数のスクリーンが増築された。
エレベーターから降りて、すぐ横の螺旋階段を上がればチケット売り場兼売店に着く。階段横の壁には、上映している作品のポスターが宣伝代わりに貼られている。
階段下のトイレに通じる廊下には、歴代の公開した映画のポスターが飾ってある。有名なやつも、ちょっとマニアックなやつも、全然知らないやつも、関係なく綺麗に額縁に入れられて。
ここら辺のポスターの作品は、支配人の趣味だ。彼が特に好きで、気に入ってる作品の公開当時のポスターが並んでいる。
『木曜17時の月光祭』は、この展示されているポスターの中から選ばれた作品を公開する、ムーンライト・シネマ独自の催しだった。チラシのデザインは看板絵師をしていた館長の友人が描いたものなんだそうだ。
館長は物知りで親切で、孫ほど歳の離れたカヨコにも映画にまつわる色んなことを教えてくれる。彼の選んだ作品はどれも面白いものばかりだ。
(何やるのかな〜邦じい、レアな作品とか知ってるし)
(さっきのはさっさと忘れて楽しもっと)
(もしかしたら掘り出し物とか観れるのかな〜前教えてくれたのも私好みだったしー)
そんな期待に胸を躍らせるカヨコの前に、一枚の張り紙が目に入った。
『ムーンライト・シネマ 廃館のお知らせ』
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