第6話:忘れられた旋律(6)

 秋深くなりカエデが染められた森林のくぼみに造られた二つの線路の辺りはキツネの尻尾のようなススキが満ちている。線路の続きが見えなくなる所までススキの群生が続いている。夕日に照らされると黄金の絨毯のようになり、秋風に靡けばサワサワと音を立てる。

 カテリナは休みの日には線路沿いを歩きながらこの景色を眺めていた。故郷の麦畑にとても似ていたからかもしれない。

 カテリナはたまらずストールを首元にまで巻き、帰路につこうとした時だ。前に伸びた自分の影に違う影が重なり、それは歩いても、歩いてもついてくる。

———嘘、さっきから誰かに後ろにつけられている?

 マスターの忠告をもっと真剣に受け止めればよかった。ススキ畑に入っても追って来ているではないか。カテリナは足を止めて息を潜めて身を小さくしたが、途端、ススキをかき分ける音が止まった。

「———っ」

 カテリナの目の前に、鋭い何かが突き付けられた。それがナイフだと分かり、悲鳴すら上げられずにしりもちをついた。

「なんだ、君か」

「————え?」

 わざとらしく耳元で囁き、カテリナは慌てて振り返るとそこには薄く笑みを浮かべる、探していたピアノ弾きだ。

ノア。

「危なく喉笛を切ってしまうところだった」

 ————この危うさは本当に死神のようだ。

 紅を指していないことが不自然な程、美少女のような整った顔立ちは、カテリナは戸惑い、女としても嫉妬してしまう。

 肌寒い季節が近づいているというのに、彼は以前と変わらぬ服装だ。寒さというものを感じないのだろうか。

 じ、と観察しては考えに耽るカテリナに、ノアは呆れたようにため息をついた。

「で、誰に頼まれた?」

「誰って?」

「誰から金を貰っている?」

 体の力がすっかり抜けてしまったカテリナは、ノアに手を引いてもらい起こしてもらった。

「まさか、私が誰からかお金を貰ってあなたをつけていたって言いたいの?」

「そうでなきゃ、どうして僕をつけるのかな?」

 ナイフをクルクルと指先で転がし、懐にしまった。

「違うわよ」

 カテリナはしわにならないようにと、鞄にしまっておいた手紙を取り出した。

「これを渡したかったの。安心して、中身は見ていないから」

 手触りから中には数枚の便せんがある。上質な封筒。そして、緋色の封蝋(シーリング・スタンプ)にはフリーゲルの国民ならば誰もが目にしたことのある、二頭狼。差出人不明だが、フリーゲル国軍のものだとすぐに分かる。

「………死神、か」

 ノアは渡された手紙の宛名を見て、鼻で笑ってびりびりと細かく破り捨てた。

「ちょっと!」

「わざわざ持ってきたのに悪いけど。元古巣からの色気も品もないラブレターは見ないことにしているんだ」

「それ、軍からでしょう? 機密事項とかあるんじゃないの?」

 ノアは肩をすくめて答えた。

「僕は退役した身だ。一般人に送る手紙がどうなろうが、それは僕の責任じゃない」

 人がせっかく持ってきたというのに。せめて本人の前で破り捨てず、見えないところで捨てて欲しいものだ。

「僕のこと、何か調べたりしたの?」

 唐突な問いに、どきり、とカテリナの心臓が跳ねた。言い訳の余地がなく黙るしかなかった。

「…………」

「図星かな。いいよ、この間の御礼に君が訊きたいことを一つだけ答えてあげる」

 目の前にいる青年は、まるでおとぎ話に出てくるような神様や妖精のようだった。彼との対話は慎重に答える旅人のそれを彷彿とさせた。一つ言葉を間違えれば二度と口を聞いてくれなくなる気がするのだ。

 それでも人の気持ちを計算で推し量れる程カテリナは器用でないことを自覚していた。素直にシンプルにカテリナは訊きたいことを訊いた。

「じゃあ、教えて。あなたはパブで弾いたあの曲。どうしてシルヴィアの曲を弾いたの? あれはどこで誰に教わったの?」

 カテリナの問いに、ノアは目を丸くした。

「そいつは、予想外な質問」

 驚いた表情を見せたのはほんの一瞬。

 質問を一つだけすることを許した以上、ノアには答える義務があった。

 遠く思いを馳せて、ノアの琥珀色の目が夕暮れの光に揺らいだ気がした。そして紡がれた言葉は彼の代名詞とも言える皮肉は少しも含まれていなかった。

「あれは、キールが弾いていて、初めて教えてくれた曲だから」

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ツインズ・ワルツ 白野 大兎(しらのやまと) @kinakoshirakawa

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