第23話 誰の言葉でも
あの後、飲み物を飲み干した俺たちは、そのままショッピングモールを後にして、電車に乗って戻ってきていた。
「うー、戻ってきたー」
約三十分、電車に揺れただけで、改札から出た俺はぐっと背伸びをしてしまう。
ショッピングモールは想像以上の人で賑わっていて、帰りの電車で俺は睡魔に襲われていて。
そのためか、五時前の夕日が体に沁みる。
「……疲れた?」
「いや、ぜんぜん……ほら、行くぞ」
河野は身体を斜めにして、俺を心配そうにして顔をのぞき込んでくる。
実際疲れてはいたのだが、それを認めるのは何だか癪で、虚勢を張って歩き出す。
「ふふっ……」
俺の後ろで、彼女のそんな笑い声が聞こえた気がするが、街の雑踏にかき消される。
駅前の数多の音に紛れるようにして、彼女は俺の隣に並び立つ。
「………どうした?」
「ううん、なんでもない」
俺の隣に並び立った彼女の手と、俺の手がぶつかる。
ショッピングモール内では手を繋いでいたが、カフェを出てからはそういう空気ではなくて。
俺たちは、今日顔を合わせたときの距離感に戻っていた。
「どうだ、『人生は後悔の積み重ね』なんて考えは変わったか?」
しばし流れた沈黙を破り、俺は彼女に問いかける。
そんな俺の問いを聞いて、小ばかにしたような笑い声が隣から聞こえてくる。
「人間そう簡単に変わらないよ……今でも、そう思ってる」
「そっか」
和やかなテンションでする会話ではないだろうが、俺たちにとってはこれは触れてても良い話題になったのだ。
「――でも」
「………でも?」
「今日は、楽しいままいれた」
そう言って、楽し気な笑みを浮かべる彼女。
俺は彼女に「そうか」と返すだけで、再び沈黙が流れる。
俺は、彼女の傷に触れた。
それは触れてほしくない、とても人に言いふらすような過去ではなかった。
ありふれたなんて言わせない、ありきたりなんて言わせない。
彼女の負った傷は、彼女だけの痛みだから。
そんな傷跡を俺に打ち明けてくれた。
俺たちの距離は、今日出会ったときから変わらない。
だけど、それはあくまで物理的とか関係性的とか。
俺は確かに彼女へと近づいた。
これだけは、きっと間違いなんかじゃないから。
「あ……ついちゃった」
駅から河野の家は案外近くて、十分ちょっと歩くと彼女の家の前までたどり着くことができた。
「いいだろ、着いて……」
「私も、聞きたいことあったのに……」
家の前で、河野はそんなことを言い出す。
聞きたいことなら、いつでも聞く機会も時間もあったのに。
そんなことを思うが、きっと彼女なりにその機会をうかがって、逃し続けてきたのだろう。
「すぐに済みそうな話なら今でもいいけど……」
今日は彼女に色々聞いてしまった。
だから、少しくらいは彼女の願いを聞き入れようと、俺は自ら申し出る。
「あ、ありがと……あのさ――『今日は今を幸せにするためにある』って誰の言葉?」
瞬間、俺は一歩後ずさる。
手は中途半端に曲がって、行き場を失って。
足だって、ここから逃げ出したくなって。
「………………それはどういう」
「なんとなく高宮は、そういうタイプじゃないなって」
俺が彼女に近づいたから、彼女も俺に近づいたのだ。
それは、とても普通の権利で、当たり前のことだった。
「いつか話す………なんて言って逃がしてくれないよな?」
「そりゃ、高宮が逃がしてくれなかったから」
彼女の家の前で立ち話するには、話が長くなってしまう。
だから、極力短く、意を決して口を開く。
「俺の恩人の言葉だよ……俺がくじけそうだったとき、そんな言葉をくれたんだ」
「そっか……」
「ああ……」
俺たちの間に、気まずい雰囲気が流れる。
俺自身、普段は自分の事を語らないためか、どこか居心地が悪い。
しかし、そんな空気を彼女が破ってくれる。
「なら、その人が今の高宮にしたんだ……感謝しないと」
今日は比較的わかりやすかった彼女の言葉が、いつものように難解になる。
「なんで感謝――」
「高宮と出会えたのは、きっとその人のおかげだから……じゃあ、また明日」
「お、おう……」
聞きたいことを聞き出し、言いたいことを言って、彼女は家の中に引っ込んでいく。
「俺と出会えたって……最初に会った時、俺何にもしてないんだけどな」
誰に対しての言葉でもない、独り言を空に呟き、俺は彼女の家の前から歩き出す。
「あ」
歩き出して、しばらくして俺は彼女と初めて出会った日のことを少しだけ思い出す。
それと同時に、俺の足が止まる。
とある男子を佐藤先生が呼びだしていた。
俺は廊下にいたその男子に声をかけると、彼は河野と話していた。
二人の会話を邪魔した俺は、河野に軽く謝って、教室に戻った。
「――あの男子、早川だ」
だから、どうしたということを思い出した。
早川と河野が話していたからって、俺に何か影響があるわけではない。
そのはずなんだけど、胸のあたりで何かがチクリと身体を刺す。
しかし、次の瞬間にはそんな痛みは綺麗さっぱり消えていて。
だけど、何とも言い表すことのできない不安だけは残っていて。
俺はそれらを気のせいだと自分自身に言い聞かせて、自宅へと向かって再び歩き出した。
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