第17話 どっち
「じゃあちょっと待ってて」
河野はそう言いながらローファーを脱ぎ捨てて、家の中へと入ってく。
「――今更だけど、ストーカーに後をつけられている状況で、家に上がるのマズくないか……」
一人だけになった玄関先で、現状に対してそんな不安をこぼしてしまう。
もしかしたら、これをきっかけに逆上して危害を加えてくるかもしれない。
しかし、俺は既に河野家の敷地内に足を踏み入れてしまっているため、もしそうなってしまっても後の祭りということだ。
「……いや、まぁあまり攻撃的なやつではないんだろうな」
先ほどの河野の発言が確かなら、週三回は俺たちの後をつけていたことになる。
河野と一緒に帰宅するようになってから二週間。
俺たちが一緒にいるのを目撃した回数で言えば、水族館であった日も含めて六回。
普通、それだけ傍に男が居れば、ストーカーという人種は逆上するものではないのだろうか。
けれど、実際は俺たちに危害を加える素振りはなく、ただ遠くから見ているだけ。
俺は今日までそのストーカーを認識できていないため、彼女の発言を少し疑いたくなってしまう。
そんな考えても無駄なことをぐるぐる考えていると、先ほど遠ざかっていった足音が今度は近づいてくる。
「おまたせ、はいこれ」
「おう、さんきゅ………………っ!?」
河野の手からタオルを受け取るとき、一つの違和感に気づく。
俺の視界には、いつも以上に肌色が飛び込んできたのだ。
いつもは、黒いタイツを履いている彼女。
雨でタイツが濡れたから脱いだのだろう。
それは理解でき、それだけなら俺も平静を保てただろう。
問題は、下よりも上だった。
「なに?」
「いや、眼鏡、ないなって……」
いつもかけている彼女の顔に鎮座していた少し大きめの黒縁眼鏡。
それが外されており、彼女の顔がいつも以上によく見える気がした。
そして、俺は眼鏡を外した彼女に視線を奪われていた。
今の彼女は、長く綺麗な黒髪に透き通る白い肌を持つ、正統派の美少女といって差し支えなかったから。
「あー、家では外すんだよね……てか、早く拭かないと」
やってしまった、そんな気まずそうな表情の彼女。
しかし、そんな表情はすぐに消え、タオルを持った俺の手を身体に押し付けてくる。
そんな彼女の発言と行動で、固まっていた俺は、手に持ったタオルの使い道を思い出す。
「まぁ、その、なんだ……眼鏡無いのも似合うな」
河野から視線を外し、タオルで水気を取りながらわざとらしくそんなことを話す。
出会ったときから、彼女が美少女であったことは何となく気づいていたが、実際に見るのと想像していたのでは大きな差があった。
事実から目を逸らすかのように、俺の口はついそんなことを言ってしまったのだ。
「高宮はそう思うんだ…………私は嫌いなんだけど」
河野は俺の言葉に対して、冷たく突き放したような言葉を口にする。
「嫌い…………?」
「――私、この容姿のせいでたくさん裏切られたから」
俺が視線を彼女に向けると、そこには悲壮感漂う表情が浮かべてあった。
彼女の表情と悲しげな発言から、俺は彼女と出会った日を思い出す。
『こんなこと、家族には言えないし…………友達なんていない』
ストーカー被害について、俺以外に頼れる人がいるんじゃないか、そう問いかけた時。
彼女は今、あのときと同じ表情を浮かべていた。
「…………そっか」
俺は、そんな表情を浮かべる彼女に何を言ったらいいのか分からなくて、適当な相槌を打ってしまう。
「高宮も、地味な姿よりこっちの方がいいと思う?」
悲しそうで不安そうな顔つきで、俺に問いかける彼女。
こんな時、どんな言葉を彼女にあげればいいのか、俺には分からない。
百戦錬磨なイケメン男なら、きっとふさわしい言葉を彼女にあげることができるのだろう。
だけど、俺は恋愛経験なんて皆無な目立たない人間だ。
それでも、少しでも彼女の表情を和らげたい。
ほんの少しでもいいから、彼女を過去から救い上げたい。
(それに、『いつか来る今日を最高に幸せにするため』なら、今、彼女を救わないときっと俺は幸せになれない)
俺の中にあった、そんな気持ちを自覚すると、言葉は自然と湧き出てきた。
「俺は、地味だろうが美人だろうがどっちでもいいよ……どっちでもお前は分かりづらくて、面倒なんだから」
悲しそうで、不安そうな相手に投げかける言葉ではないのかもしれない。
それでも、いつも彼女に感じている俺の素直な気持ちは曲げられないのだから。
そうやって口から出てきた俺の言葉は、優しい声色に乗っていただろう。
「……やっぱり、高宮はいいね」
俺の失礼な発言に、先ほどとは打って変わって楽し気な表情を浮かべる河野。
俺としては、彼女の言う「いい」がいつも全くもって分からないのが、今だけは彼女が笑えているだけで良しとしよう。
「そういうとこが分かりづらい……」
「でも、嫌いじゃないでしょ?」
「できれば、直してほしいけどな」
「ふふっ……嘘ばっかり」
「…………面倒だな、ほんと」
……俺の言葉がきちん届いていない気がする。
だけど、先ほどから楽しそうだから、今日くらいはまぁいいか。
そんなことを考えている俺の口元が綻んでいることに、当人だけが気づいていなかった。
それから数分、他愛ない会話をしながら、タオルで水気を拭き取る。
「まぁ、こんなところか……タオル、ありがと」
一通り濡れたところを拭き終えたから、水分を含んで少し重くなったタオルを河野に差し出す。
「まだ、濡れてるけど」
「どうせ、こっから家まででまた少し濡れるだろうし、このくらいで大丈夫」
「なら、いいけど……」
どこか名残惜しそうな様子の彼女。
しかし、あまり長居すると、外で待機しているかもしれないストーカーにあらぬ誤解をされてしまうかもしれない。
「じゃあ、帰るから……また明日な」
「あ………………ま、待って!」
ガチャリと玄関の扉を開けたタイミングで、彼女にしては大きめの声で呼び止められる。
「……どうした?」
俺が振り返ると、彼女は何かを決心したかのような表情で俺を見ていた。
「――土曜日、空いてる?」
「土曜日? ……まぁ空いてるけど」
「――デート、しようよ」
こうした彼女の申し出から、俺たちの初デートが決定した。
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