第4話 帰り道の笑顔
河野の機嫌が直るまで三十分ほど時間を要し、時刻は既に十六時になっていた。
水族館から移動して一時間ほど経過しており、これ以上の長居はお店に迷惑をかけると思い、俺たちは荷物をそそくさとまとめて退店する。
「まだ十六時だけど、何処か寄ってく?」
数歩先で楽し気に俺の方を振り返る彼女。
そんな彼女の態度に一つため息を吐いてから、彼女の横に並ぶようにゆっくりと歩き出す。
「はぁ……普通に帰るから。てか、ストーカー被害にあってるんだから、明るいうちに早めに帰ろうって話をしただろ……」
「あはは、そうだった」
俺の隣で楽しそうに笑う河野は、先ほどまでの不機嫌さは欠片も見られない。
さっきの不機嫌な彼女は、何だったのだろうか。
そんな疑問を抱えながら、俺たちは並んで歩く。
「河野の家、俺知らないから、案内頼むぞ」
「それはそうだ……知ってたら、高宮がストーカーってことになっちゃう」
俺たちの関係は、この数時間で大きく変わってしまった。
ただ一度、顔を合わせたことのある二人から、被害者と巻き込まれた人、そして偽の恋人関係に。
いつ何時ストーカーの牙をむくか分からないので、早速俺は河野を家まで送っていくことになった。
「それなら良かったのにな、俺ほどの小心者もあまりいないし」
「高宮が小心者?」
「ああ、今日だって面倒事の前にさっさと逃げようとしたしな」
「たしかに」
そう言って、表情和やかに笑う彼女とは対照的に、俺は少し険しい表情で周囲に気を配る。
こうして他愛もない雑談中でも、危険は降りかかってくるかもしれない。
そのため、常に気を張ってなければならない。
「大丈夫だよ」
「え?」
「今は視線、感じないから。それに、高宮が居れば私に近づかないと思う」
何を根拠に言っているんだか。
しかし、そんな彼女の発言には何かしっかりとした理由がある気がした。
それは、今日一日彼女と接して感じたことだった。
「まぁ河野が言うなら、そうなんだろう」
河野は俺の言葉を聞くと、うんうん、と満足げにうなずく。
そんな彼女と並んでしばらく歩く。
(――あ)
無言で並んで歩くのもなんだと思い、スカスカな脳内から何かしら話題を探していると、ひとつ気になったことを思い出した。
もしかしたら、デリケートな話題かもしれないが、思い出してしまった疑問は口に出さずにはいられなかった。
「そういえば、家族にストーカーのこと言えないって言ってたけど、何か事情があるのか?」
「あー……」
「言いたくなかったら、別に構わないけど」
どこか微妙そうな反応をする河野に、俺はまた地雷を踏んでしまったかと思い、即座にフォローを入れる。
「別に大丈夫。うち、片親なんだよね……それで夜遅くまで仕事頑張ってるんだ、お母さん」
「そうか……余計な心配はかけたくないよな」
「うん、だから言えない」
彼女は彼女なりに色々考えているのだと、今日何度目かのやりとりで理解した。
だから、彼女の「家族に言わない」という選択を尊重したいと思った。
「母親、好きか?」
「うん、大好き」
「そっか」
そんなやり取りをすると、二人の間に再び沈黙が流れる。
沈黙は苦ではないが、どこか落ち着かない。
それは、きっと隣で歩く彼女の存在が影響しているだろう。
俺はちらりと彼女の顔を盗み見る。
女子の平均より身長が高いといえ、俺よりは背の小さい彼女。
整った顔立ちに、ゆらりとなびく黒髪。
その顔に不相応な大きめな黒縁眼鏡。
「…………ん? なに?」
「い、いや、なんでもない」
「へんなの」
(――なるほど、これにやられたのか)
そう言って、クスクスと笑う河野を見て、自分の中で彼女に対する認識が少しだけ変わる。
さっきまで、彼女のことをストーカーするなんてとんだ物好きだと思っていた。
しかし、こうして彼女と共に過ごし、言葉を交わしていると彼女もちゃんと女子だって、分かる。
出会ったときは、意味不明なことばかり言って、面倒事に巻き込んだ疫病神。
だけど、少し話せば楽しそうに笑ってくれて、どこか彼女と過ごす時間が嫌いではないと思わせてしまう空間を作る女の子。
普通にしていれば少し冷たそうな表情をしているが、話してみれば意外と表情豊かな女の子。
ストーカーは彼女の容姿だけではなく、彼女の内面にも触れて、惹かれていったんだな、なんて考えてしまう。
――ああ、罪づくりな女ってことか
そんなことを他人事のように思いながら、俺は彼女の隣を歩き続けた。
***
「あ、ここ」
「ん?なにが?」
「私の家」
そう言いながら、先ほどまで俺と並んでいた足を一歩前に進める。
河野の家は、大きいとも小さいとも言えない、普通の一軒家だった。
「……そうか、じゃあこれで」
俺が別れを告げて、彼女に背を向けたとき、服の裾がぐいっと引っ張られた。
「………………」
「……なに?」
「…………ありがと」
俺の背中側から小さく消えてしまいそうな呟きが、そっと聞こえてきた。
今日初めての彼女からの感謝。
これまで俺は他人に感謝なんて、ほとんどされてこなかった。
「…………どういたしまして」
だから、振り返ることなんてできずに、ぶっきらぼうに独り言のように呟く。
俺の声が聞こえたからか、裾にかかる力は無くなり、彼女の足音が遠ざかっていく。
そして、鍵を開け、ドアを開け、ドアを閉める音だけが俺の耳に届く。
俺はちらりと彼女の家の玄関に目をやり、彼女がきちんと家に入ったことを確認する。
さて、どうやって帰るか……。
スマホを取り出しながら、俺は帰路へと歩き出す。
ゴールデンウィーク明け、俺の生活はどうなってしまうのか。
そんなことを考えて歩くが、今考えても仕方のないことであった。
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