第2話 天然で不思議なワケアリ少女
「……いつからだ?」
河野の隣に再び腰を下ろした俺は、項垂れながら問いかける。
すると、彼女は少し悩んだ仕草をする。
「えーっと、気づいたのは一か月くらい前……高校入学前後からかな」
「……長いのか短いのか良く分からないな――ってそうじゃない」
いつ、としか聞かなかった俺も悪いが、知りたかったことはストーカー被害歴ではない。
そんな俺の反応に河野は澄まし顔で、どこか不思議そうな表情をしていた。
「聞きたかったのは、今日はどれくらい尾行されているかってこと」
「……それはわかんない。ただ、水族館に入って少ししてから、視線を感じたかな」
俺は自分の頭の後ろに両手をやる。
水族館という暗がりで、男女二人が密会。
そして、なんか手を繋いでいた。
ストーカー視点では、こう見えているだろう。
(ああ、最悪だ……完全に巻き込まれた)
俺は小さく息を吐くと、顔を上げる。
「……まぁ過ぎたことは仕方ないか」
「そうそう」
俺は目を細めて河野に、じっとした視線を向ける。
彼女は自分の立場が分かっているのだろうか。
地味目な風貌だけど、しっかり見ると美人。
だけど、中身は天然というか不思議ちゃんというか。
そんな自分がストーカーに危害を加えられるかもしれないということを分かっているのか、不安になる。
「もう一つ質問に良いか?」
「なに?」
「じゃあ、聞くけど……なんで俺を巻き込んだ?」
俺が質問すると、何故か黙る河野。
そもそも、俺に話しかけるハードルだってそれなりにあったはずだ。
なのに、なぜ。
その答えは、俺には理解できないものだった。
「……それは、高宮だったから」
「は?」
「高宮は、なんだかんだ言って相談に乗ってくれそうだったから」
俺は彼女の答えに、言葉を失ってしまう。
相談……?
なんで、ほぼ初対面の俺に?
なんでストーカーにつけられている時に?
俺の脳内には、ふつふつと疑問符ばかりが埋まっていく。
しかし、そんな疑問も目の前の河野澪という少女には、伝わらないのだろう。
俺は先ほどまでのやり取りで、それを理解してしまった。
それほど、彼女は変わり者ということだ。
「……分かった。とりあえず、ここから出よう」
今日はゴールデンウィーク初日で家族連れで賑わっているが、薄暗く視認性の悪い水族館ではストーカーからどんな被害を加えられるか分からない。
そう思い、俺は立ち上がると、河野に手を差し伸べる。
「……?」
「いや、不思議そうな顔されても……もう少し明るいところで続きを話そう」
俺はそう言いながら、手を少しだけ動かす。
そして、俺の意図が伝わったのか河野もすっと立ち上がった……差し出した手を使わずに。
(……これじゃ、ただの恥ずかしい人じゃないか)
行き場のなくなった手を、なんでもなさそうに引っ込めようとしたとき。
ギュッ――っと暖かい温もりに包まれてしまう。
「……あの、何してんの?」
「手、繋ぎたいのかなって」
「いやいや、そういうわけでは――」
「いいから、行こうよ」
俺が再び手を引っ込めようとしても河野がそれを許してくれなかった。
それどころか、俺の手を引いて水族館の出入り口へと向かっている。
そして、俺は手を引かれるがまま、彼女の半歩後ろをとぼとぼと歩くことになった。
(……どこの誰だか分からないストーカーさん、なんでこいつなんだよ)
俺は、彼女に好意を抱きたくなる気持ちを一ミリも理解できなかった。
***
「――河野、ちょっと」
俺たちは人が賑わうカフェへと場所を移した。
お互い注文を終え、飲み物を持って席に着くと、俺は河野に向かって軽く手招きをする。
「ん……? こう…………いて」
俺の手招きで、顔を俺の方に近づけてきた彼女の額に向かって、軽く小突く。
俺の行動が予想外だったのか、両手で額を抑える彼女。
一瞬、不覚にも彼女の仕草に目を奪われたが、すぐにジトっとした視線を向ける。
「…………」
「…………なに、その目」
「……無関係の俺を巻き込んだんだ。これくらいで許してもらえることを、ありがたく思え」
「…………む」
俺の行動と態度に不満そうな河野の表情を無視して、俺は水族館での話の続きについて問いかける。
「俺を巻き込んだ理由はさっき聞いたが、俺に何を期待しているんだ?」
「……期待?」
俺の問いかけに不思議そうな顔をする河野。
彼女は、意外に察しが悪いのかもしれない。
相手には察することを求めておきながら、なんと傲慢な女なんだ。
そんな気持ちを静めるように、ふぅ、と一息置いて俺は再び口を開く。
「俺に相談にのってほしかったんだろ……なら、俺に何かして欲しいことがあったんじゃないか? 例えば、ストーカーの撃退方法とか、ストーカーの正体を突きとめてほしいとか…………」
俺の説明を聞いても、いまいち納得できていない様子の河野。
そんな彼女をじっと見つめて返答を待っていると、どこか拗ねた子供のような表情に変わる。
「――ただ」
「ん?」
「ただ、高宮なら一緒に悩んでくれると思ったから」
「いやいや、俺よりもっと親身になってくれる人はいるだろ……家族とか、友達とか……」
このとき、俺はごく当たり前のことを言ったつもりだったが、彼女にとってはどれも地雷だったようで。
「こんなこと、家族には言えないし…………友達なんていない」
そう小さく呟く河野は、暗い表情をしていた。
(しまった……訳あり、か)
――家族とか、友達とか
普通の人であれば、そういった自分の身近な人を頼るだろう。
そう思い、俺から自然と出た言葉は、彼女を傷つけてしまったかもしれない。
事実、彼女の表情は暗くなった。
暗い、なんてものじゃなく、どこか苦しんでいるようにも見える。
だからだろうか、俺は考えるよりも先に口が動いていた。
「わ、悪い……まぁ、あれだ。俺も自分の身が大切だからな…………ま、何とかしてやる」
それは、同情だったのかもしれない。
だけど、まぎれもない本心だったと思う。
――俺は、彼女を傷つけた責任を取らないといけない。
なんて、大層な理由なら格好がついたかもしれないが、このときの俺はお詫び程度にしか思っていなかった。
それに、俺もストーカーの目の敵になっているだろうから、協力せざる終えない。
そんな建前を後付けして、自分の発言に納得したつもりになる。
「――ほんと?」
俺が建前について「うんうん、そうだよな……自分のためだし」なんて、自分自身を納得させていると、目の前の少女は俺をじっと見つめる。
その表情は、不安と期待が入り混じるような、だけど嬉しそうな表情を浮かべていた。
「ああ……まぁ、解決策とかそういったものは、これからだけど」
そんな彼女の眼差しに耐えることのできなかった俺は、心を落ち着けるためにも手元の飲み物を口へと運ぶ。
「ううん、高宮がそう言ってくれて良かった」
河野も先ほどまで全く手を付けていなかった飲み物を両手で掴み、ゆっくり飲み進める。
ただ、コーヒーを飲んでいるだけ、なんだけど……
河野の身長は百六十センチちょっとだろう。
そんな彼女に、小さな子供のような可愛らしさを覚えてしまう。
まるで、小動物が一生懸命餌を食べている様子を見ているような、そんな微笑ましい気持ちになってしまう。
「…………?」
俺の視線に気づいたのか、飲み物を飲みながらも不思議そうな表情で目が合ってしまった。
俺は、なんでもなさそうに窓の外の景色に目を向ける。
ああ、今日は大型連休初日だったな。
そんなことを、窓の外を見て思い出すのであった。
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