地味を装う美少女に『人生』について問われたら、偽の恋人になりました。~美少女たちの人生観は、俺には難しい~

浅野 蛍

地味を装う美少女編

出会いと日常

第1話 面倒事はいつも突然に


『――人生って、何だと思う?』


 普通の人生を送っていても、人とは違う稀有な人生を送っていても、老若男女に問わず誰しもが自分の人生に迷うことがある。


 我々人間という生き物は、度々立ち止まって人生について考える。


 自分の人生とは何なのか、今日までの人生は何だったのか、これからの人生はどうするのか。


 それは答えることが難しい問いかけであり、その答えを知る者はほとんどいない。


 大半の人間は、自分の人生の意味など知らぬまま死んでいく。

 一部の人間は、自分の人生が何だったのかを理解することができても、それは死の間際であり、その答えは誰にも届かないだろう。


 だから、そもそもこの質問自体に意味がないのかもしれない。


 しかし、意味がないと知っていても我々は人生の意味を問い続けているのだ。

 そして、その問いの数だけ答えがあるだろう。


 そんな人生について、その意味を問われる機会は一生の中で、一度あれば良い方だろう……そもそも、そんな厄介な質問はしないで欲しいが。


 しかし、来ないでほしいと思うほど、来てしまうのが厄介事というもので。


 普通に生きてきただけの俺にも、その機会が来てしまった。

 俺は目の前の女の子に、己の人生観について問われている。


 俺は、彼女になんて答えるべきなんだろうか。


***


 ゴールデンウィーク初日。

 俺はひとり寂しく県内でも大きめな水族館へと足を運んでいた。


 俺が「ひとり寂しい」理由は、一緒に行ってくれる彼女や友達がいないということではない……彼女なんて生まれてこの方いたことないけど。

 四月に高校に入学して、それなりに話す友達もできたし、中学時代からの友人だっている。


 男同士で水族館に行っても、大して盛り上がらないだろうと思い、誘わなかった。

 女友達もいるが、二人で水族館に行ってしまえば、それこそ変な空気になってしまうだろう。


 だから、一人で水族館に来ている。


 そんな誰に対してか分からない言い訳を頭の片隅で考えながら、館内をゆっくり歩く。


 今日がゴールデンウィーク初日ということもあり、それなりの客足が運ばれており、人の流れに身を任せて水槽を見て歩く。


 水中を漂う魚。

 彼らについて何も知らないが、水槽近くの説明文に軽く目を通し、一通り納得したつもりになって、ぼーっと彼らを眺める。


「このおさかなさんたち、ずっとここでひまじゃないのかな?」

 そんなことを何回か繰り返したとき、俺の隣で小学生くらいの女の子がそんな問いかけを発した。

 子供の母親は、突然の無邪気な疑問に言葉を詰まらせ、狼狽えながらも、

「じゃあ、この子たちが暇にならないように会いに来ようね」

 と、子供の質問を躱すかのような答えを、まるで正しいかのように告げる。

 

 俺は子供とその母親から距離を取るように、人混みをかき分け、一つだけ水槽を飛ばし、次の水槽の前に移動して、説明文と水槽を眺める。

(……俺はなんて答えてあげられるだろうか)

 子供の純粋無垢な疑問に、今の俺は答えを持っていなかった。

 あの子の母親も、たぶん同じだろう。


 だけど、それでは駄目だと高宮たかみや優斗ゆうとは知っている。

 正解がなくても、何かしら答えを出さなければならないことを。


 俺は目の前を浮遊する彼らを前に、少女の疑問の回答を頭の片隅で考える。


「ああ、ほんと――」


 その呟きは周囲の雑踏にかき消され、それを発した本人も何を言ったのか覚えていなかった。



 二時間弱。

 これが水族館の館内を見て回るのに要した時間だった。

 普段なら一時間程度で見終わるだろうが、今日は大型連休初日ということもあり、人が多かった。

 長時間立っていたことと人混みにいたことで、俺の両足にはそれなりの疲労がたまっており、休憩できる場所を求めて館内を彷徨う。

 しかし、どこも人手あふれかえっており、唯一、座れそうだったのは入口近くの巨大水槽前の休憩スペースしかなかった。


「つかれた……」


 腰を下ろすと、そんな言葉が自然と口から出てきた。

 そして、同時に水族館に来たのも失敗だったと感じる。


 俺は水族館が好きでも嫌いでもない。

 母親が貰ってきた水族館の割引券が家にあって、休日にやることもなかったから、ただ何となく来ただけ。

 こんなに疲れるのなら、休日を無益に過ごすとしても、家でゴロゴロ過ごせばよかった。


 そんなことを考えながらも、俺は自身の疲れを癒すかのように、目の前の巨大水槽をぼーっと眺める。

 はじめは、ただ大きな水槽を眺めているだけだった。

 だけど、次第にその認識は変わっていく。


 目の前を漂う彼らの名前どころか、その形と色以外は何もわからない。

 だけど、目の前の光景は人の目を奪うのに十分すぎるものだった。

 水中に差し込む日光に、多種多様な魚たち。

 それは普段では目にしない光景であり、どこか現実を忘れさせてくれる。


 先ほどまでは、ただ海の生き物の悠々と泳いでいる姿が展示されいるだけだった。

 だけど、今、目の前に広がる光景は、確かに非現実と言えるものだった。


 俺はしばらくその光景に夢中になってしまった。

 だから、

 

「――水族館、好きなの?」


 隣からそんな女性の声が聞こえてくる。

 俺は視線を水槽から離すことなく、脊髄反射のようにただただ彼女の質問に答えていく。


「今日、初めて来て、好きになった」


「そっか……なんか意外」


「意外って?」


「高宮は、達観してると思ったから」


「そんなことない。俺だって普通の高校生だ」


 館内を歩いて疲れていたからか、それとも水族館の雰囲気に当てられたか。

 俺はほとんど無意識で、誰ともわからない女性と会話を続けていた。


「ふーん……じゃあさ」


 ――人生って、何だと思う?

 

 その質問をされたとき、俺の意識は一気に現実へと引き戻された。

 質問の内容が特殊だったからか、それとも非現実の魔法が切れてしまったからか。

 理由は分からないが、ようやく俺は見知らぬ誰かと会話をしていたことに気づき、ゆっくりと顔を動かし、恐る恐る会話相手の顔を見る。


「…………河野こうのか?」


 水族館の暗がりで分かりにくかったが、俺の隣には河野こうのみおが水槽を見つめていた。

 俺は先ほどまで会話していた相手をようやく知ることとなった。



 河野こうのみお


 彼女は俺と同じ笠間高校に通う、隣のクラスの女子だ。

 綺麗な長い黒髪に透き通る肌。

 背丈は他の女子より少し高いくらいで、すらっとしている。

 その体型のためか、七分袖のパーカーにジーンズといったラフな格好でも、彼女の素材の良さが引き立てられており、とても似合っている。


 そして、整った顔立ちを隠すかのように少し大きめの黒縁眼鏡をかけていることが特徴的な女子だ。

 そんな眼鏡のおかげか、きっとクラスでも目立たない立ち位置にいるのだろう。


(近くで見れば、こんなに美人だっていうのに……)


 俺が名前を呼んだにも関わらず、じっと水槽を見つめ続ける河野。

 俺はその横顔に、つい見惚れてしまっていた。

 正直、河野は美少女と言って差し支えない綺麗な顔立ちをしている。

 だけど、高校に入学してから一か月、彼女が地味な女子を演じているためか、誰も彼女に興味がないのか、ほとんどの生徒が彼女が美少女であることに気づいていない。


「……驚いた。名前、知ってるんだ」


 ずいぶんなタイムラグを感じるが、俺の声が彼女の耳に届いていたようで、彼女は静かな透き通った声で、一瞬、俺の方をチラリと見る。

 しかし、すぐに彼女の視線は巨大水槽へと引き戻されていた。

 俺は河野に合わせるように、再び顔を水槽へと向ける。


「まぁ、一回だけ顔合わせたことあったし……てか、そっちこそ俺の名前知ってるじゃないか」


「ま、一回会ってるし……」


 顔の向きはそのまま巨大な水槽を向いているが、横目で俺の様子をうかがう彼女。

 その表情は、どこか楽しげな様子だった。


「……なんだよ」


「別に……それより、私の質問に答えてよ」


 未だどこか楽し気な河野から視線を外すように、三度みたび水槽を見つめる。


『ふーん……じゃあさ――人生って、なんだと思う?』


 先ほど、河野に問われた内容をなんとか思い出す。


 人生とは、何か。


 十六年弱しか生きていない、ただの高校生にその質問は非常に重たい。

 当然、そんな質問に対してすぐに答えが出てくることはなく、少し悩んだ後に俺は口を開く。


「人生が何なのかは、俺には分からないけど……今日が何なのかってのは分かるよ」


「……ふーん?」


「今日って日は、今を最高に幸せにするためにあるんだ」


「…………なにそれ。嫌なこととかも幸せなの?」


 俺の答えが彼女にとって不満だったのか、隣からは冷たい声色で問い詰められる。

 しかし、「俺も毎日が幸せ」なんて何も知らない子供のような考えを持っているわけではない。

 どうやって説明しようか、そんなことを悩みながらも、俺の口は自然と動いていた。


「……明日になればそれが今日になるし、今だって昨日になる。つらい日も悲しい日もあるとは思う……けど、それはいつか来る今日を最高に幸せにするための味付けだって、そう思ってる」


「………………そっか」


 俺の拙い答えを聞き終わると、彼女は先ほどよりも優しい声色でそう呟いた。

 どうやら幼児のようなお花畑な考え方をしている訳ではないと、理解してもらえたみたいだ。


 俺たちはそのまま並んで、会話もなく、ただ水槽を眺める。

 一分ほど経った頃だろう。


「――私はね、高宮とはまったく反対の考え」


「………………ああ、さっきの話か」


 突然、隣で話し始める河野。

 俺は先ほどの会話から時間が空いたことで、何の話か理解するのに暫しの時間を要した。

 そんな俺の反応なんて気にせず、河野は淡々と自分の話を続ける。


「人生は、今日っていうものは、後悔の積み重ねにしか過ぎないって……そう思ってる」


「……まぁそりゃ生きてれば、後悔はあるだろうけど」


「今日を生きているのは、後悔し続けて変われない私。そして、今日も新たな後悔を無駄に積み重ねていく」


 そう吐き出す彼女は、どこか苦悶の表情を浮かべていた。

 何を経験したら高校一年生で、そんな悲観的になるのか、俺には想像し難いものだったが、彼女がこれまで苦労してきたことだけは容易に想像できた。


(だからこそ……)

 河野が話し終わると、今度は俺が口を開いていた。


「ま、それを言われたからって、俺の人生観ってやつは変わらないけどな……河野もそうだろ?」


「………………まぁ」


 どこか煮え切らない返事だったが、お互い同じ感想を抱いているとして、そのまま話を続ける。


「だから、人生に正解なんかないからあんま気にすんなよ」


 俺は先ほどまでの会話をすべて投げ出すかのような発言をして、すっと立ち上がる。


(こいつと関わりたくない)


 ほぼ初対面で、他人に人生観聞いて、会話もスムーズにできない。

 それに、どこか面倒事を持ち込んできそうな気がする。

 正直、俺には河野澪彼女がほんの少しも理解ができなかった。

 たった数回の会話のリレーで彼女のことを理解できる、なんて傲慢なことは思っていないが、それでも俺は感覚的に彼女とは合わないと分かった。


 頭の中は彼女への個人的な印象でいっぱいだったが、平静を装いながら彼女の前を通り過ぎようとする。


 ――ガシッ


 しかし、俺の手は、しっかりと河野に掴まれてしまった。


「あの……河野、その手を離して欲しいんだけど…………?」


「私はね、私の考えを変えられない……だからね、高宮を巻き込むことにする」


 ――ああ、俺の勘は正しかったようだ。


 この時の俺は、河野の言ってることの一つとして理解できていなかった。

 けれど、今から面倒事が舞い込んでくるってことだけは、俺にも何となく分かったし、もう逃げられないことも、頭のどこかで理解していた。


「…………な、何に?」


 俺は耳をふさぎたくなる気持ちをぐっと堪えて、彼女に問いかける。

 聞きたくない、けれどもう避けては通れない。

 俺は息を呑むように、彼女からの死刑宣告に等しい返答を待つ。


「今、ストーカーにつけられてて……ごめん高宮」


「ごめん、って…………」


「多分、今めっちゃ狙われてる……命」


 ああ……もう、訳分からない。


 河野がストーカー被害にあってることでも衝撃的ま事実なのに、現在進行形でストーカーが傍にいて、俺はそのストーカーに命を狙われているとか……。

 なんかさっきは巻き込むとか言ってたけど、最初からストーカーが居たら、俺に話しかけてきた時点で巻き込んでいるじゃないか。

 てか、ストーカー被害ってこんなにあっさり告白するものなのか?


 あまりの情報量に混乱した俺は、現状を把握するため、先ほどの位置に再び腰を下ろすことになった。

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