黒猫を飼い始めた
堺春真
黒猫を飼い始めた
黒猫を飼い始めた
最近引っ越してきた地方都市とは言い難いがそこまで山奥というわけではなく、地方の主要駅の近くにあり歩いて10分ほどでスーパーに辿り着くような、そんな土地に住処を移した。そこで出会った一匹の黒いメス猫「シロ」。
都会の謙遜に疲れたのもあるが、たまたま買った宝くじがまさかの結果をもたらしたのだ。
ホットコーヒーの美味しい季節。スーツと冬用コートの重みを肩に感じながら、仕事帰りにコンビニで発泡酒を買って晩酌しようといつもの帰路についた。そう思い立ち寄ったコンビニ店舗でたまたま目についた、数字を選んで定刻に発表される数字と合っていればお金がもらえるアレを申し込んでみた。機械がランダムなのか運営が意図して数字を振ってるか疑問に思っていたこともある。
いつものルーティンとは違うことをやってみたいという思いもあり適当に頭に浮かんだ数字を入れてみた。
帰ってまずは買い溜めしていた白米を半合計りジャーに突っ込む。炊けるまでにシャワーを浴び、ユニットバスルームから出れば肉とコンビニで買ってきたカット野菜に濃い味の焼肉のタレで適当に炒める。炊き上がった白米と、肉と野菜の炒めもの、それに発泡酒。もう最近はこれがいつもの流れである。本当はカット野菜など入れたくないが、身体への罪悪感を減らすためにしかたない。
ふと、発泡酒も2本目に手がかかったところで宝くじの存在を思い出した。財布にレシートと一緒に突っ込んでいたのをコートから引っ張り出し、数字を確認。
(ん?・・・?)
何やらおかしい、当選数字と宝くじのチケットが同じ数字だった。三度見…どころでなく何分と交互に見返しているうちに緊張に変わっていく。
「こりゃー、えぇー…え?」
あまり独り言を言う人間ではないと…僕は思っているが、予想外のことがおきるとつい口が勝手に動いてしまう。
そこからの行動は早かった。相談する相手もおらず、気を使う人も少なかったと言うのもあっただろう。二ヶ月間で溜まっている仕事を終わらせ、引き継ぎもしっかりと入念に行なった。後々にヘルプ電話がかかって来ないようにという願いも込めながら。
そして、新入社員が入ると噂されているなか入れ替わるように僕の席が空になった。
場所選びはもう適当だった。こだわりもない。
ただ、手元には当分は身体を休めるには心配しなくてもいいくらいのお金はあった。
ワンルームの学生向けのようなアパートの一室を借り、ほぼ手ぶらで初めての土地へ向かった。そして明るいうちに最低限の寝床と衛生雑貨やら家電を買い込む。当日に冷蔵庫や寝床となるベッドは届くということで、そのまま夕方に運び入れてもらった。
特に何をしたいということはなかったが、今まで暮らしてきた都会に飽きてきたので、次にしたいことを見つけるまでの期間の隠れ家というような場所だ。
SNSで見た情報だと、今週にでもこのあたりの桜が開花するらしい。近くの学校の学生さんのような若者ともすれ違った気がする。
今日から新居となる部屋を管理している会社の事務所に寄り、挨拶を済ませ鍵を受け取り立ち会いも済ませ、大家さんにもお土産を渡し、近所の散策へ出かけた。
一駅向こうには地元では有名な高級住宅街もあるようで治安もそんなに悪くないという印象を抱く。
1時間ほどブラブラしながらスーパーやコンビニ、ドラッグストアの場所や万が一の避難場所などを確認しつつ日も沈んできたので駅前の定食屋で味見も兼ねて夕飯をいただき、今日から住む部屋に戻った。
2階の隅の部屋。2階であれば嫌いな地を這う虫も、騒音の心配も少ない良い部屋だと思って契約した。
散歩から帰ってきた、だけれど部屋の前に何かいる。
近づいてみると一匹の黒猫がいた。
黒猫は不吉な迷信があるが、引っ越し早々これか…と少し落胆してしまった。
そんな気持ちに気づいたのか、こちらを一瞥すると部屋の扉を開けるのに邪魔にならないところに少しズレてくれた。ありがとうというつもりで会釈をして、そのまま部屋に入って引越しの疲れもありシャワーを浴びてそのままベッドへ倒れ込んだ。
翌朝、引越しの荷解きで出たゴミをちょうど可燃ゴミ回収の日だったのでゴミステーションへ持って出ようとして扉を開けた。まだ少し肌寒い。
ふと足元に…
「また君か」
昨日の黒猫がいた。昨日からいたのか、ここが寝床なのか。
もしかしたら先達かもしれないし、そっと後ろを通りゴミを捨てに出かけて、そのついでに朝の空気を吸いに散歩へでてみた。
小学校が近くにあるらしく子供達が元気良くかけて行くのを横目に、奥様方の井戸端会議の横を簡単な挨拶をしながら通り過ごし30分ほど経ちアパートへ戻ってきた。
「…ずっといるのかい?そこに」
黒猫くん?黒猫ちゃん?
昨日のように扉を開けて部屋へ戻ろうとしたとき
「にゃー」
思わず振り返る。
「入りたいのか?」
まぁ、春が近いとはいえまだ朝は冷える。
特にアパートは鉄筋コンクリートだ。
玄関扉の前の通路は冷えるかもしれない。
(子猫ではなさそうな大きさだが…)
特に室内も暖房をつけているわけではないが、エアコンを朝起きた時はつけていたので外よりは温かいだろう。そう思い、猫の気持ちに任せようと入室したあと扉を少し手で押して待ってると警戒することなく入ってきた。
特に綺麗好きと言うことはないが、この猫はどこを歩いてきたかわからないこともあり少し拭いてあげようとした。少し身体がこわばったように見えたが、間をおかずに意図を察してくれた。
「君は女の子なのか…」
苦笑いをしながらぼそっと呟いた。
ちょっと気になって覗いてしまった後に少し謎の罪悪感にかられた。
そんな僕を不思議そうに見ている。そう見えた。
気温は低めだけれど天気は良かったこともありベランダの扉は開けておいた。猫だし適当に外に逃げるだろうと思ってだ。
僕は会社勤め時代にはできなかった平日の二度寝というものを楽しむためにもう一度床についた。なんと幸せな時間なのだろう。夢現の中、「確かこの物件はペット可となっていたし猫を連れ込んでも特に問題ないだろう」と頭の中で言い訳をしながら眠りについた。
ずいぶん長く寝ていたようで、外は赤くなっている。
「そっか窓を開けたままだったな。」
あの猫はどこに行っただろうか、とふとベッドから降りてみるとベランダの窓のところから夕陽に照らされて丸くなっていた。
「まだいたのか…」
起こすのも悪いと思い夕飯の買い出しにスーパーまで目覚ましがてら散歩に行くことにした。
日も暮れて薄暗い夕暮れ道を部屋まで帰り扉を開けてみると、二つの白い目がこちらを覗いていた。
スーパーの帰り道に昨日確認したドラッグストアで買ってきた猫用のおやつが無駄にならなくてすみそうだ。
夜になるとまだ寒い。外へ出たがれば扉から出してあげようとベランダの戸をそっと閉めた。
引越し初日というわけではないが、この部屋で最初に食べるご飯は何がいいかなと思いながら引越しそばという字面を思い出し、そばを茹でることにした。
乾麺のおそばと顆粒の出汁をお湯に溶かしながら適当に作った。あとは白ネギを千切りにし、七味を適当に振りかける。ネギは西日本東日本で青ネギ白ネギと違うらしい。こんなところにも違いがあるとは面白い。
あとは天ぷらの惣菜を買ってきたのでそれも温め直す。天ぷらは作って時間が経つと水っぽくなる。醤油でいただこう。
そうしてワンルームの中央に置かれたホームセンターで買ってきた簡易ちゃぶ台のうえに持っていく。
「お酒〜お酒〜」
缶ビールもセットし、食べようとしたところ猫も寄ってくる。美味しそうな匂いにでもつられたか。
「ちょっと待てい」
そう言い、そばが伸びぬよう急いで猫用おやつを開封して、猫の前に用意してあげる。
「いただきます」
そう言い終わる前には猫はすでに食べ始めていた。
食事も終わりお風呂からも上がった。
猫も丸くなっている。
「なんと呼んで欲しいんだい?」
缶ビール二缶目のプルタブを弾きながら猫にそう聞いた。
僕の方を振り向き猫は
「にゃー」
と言うだけである。ただ、社会人としてサラリーマンをしてた僕の一月前の自分ではありえなかったほど目に光が灯っているようにお風呂の鏡で感じたこと、そして猫の黒い姿の中で綺麗に光る目玉を見て
「白い綺麗な瞳をしているよな…」
そう口から漏れた。それなら姿出たちには合わないような気もしながら
「シロと呼んでもいいかい?」
そう猫に向かいつぶやいた。またしても猫はこちらをみて
「にゃー」
と答えるだけである。だが、僕の主観的に少しトーンが上がったように聞こえた。そう聞こえたので、これで決まりだった。
そこから「シロ」こと猫という存在との半同棲生活が始まったのであった。
普段は僕の部屋にいつつ、僕の出かける時は律儀にシロも外出している。大家さんには名をつけた翌日に申し出た。野良猫ということは自分からは言わなかったが相手から聞かれなかったのと、最悪なにかあれば修復費用を払えばいいと思ってのことだ。
そこからは帰るといつも扉の前にシロはいて、入室するとついて入り、出かけるタイミングでいつも出ていく。
「好きにすればいいさ、猫って本来そんな生き方してそうだもんな」
決めつけは良くないとは思いつつもそう猫に呟くと呼応するように一度
「にゃー?」
と語尾が上がった返答が返ってきた。
言われなくてもそうしているけど?と聞こえた。
今の時代便利なもので猫の飼い方をネット検索すればさまざまなアドバイスがヒットする。ハーブの香りはダメだとか、食べてもいいもの悪いもの。さほど昔でもない過去でも図書館に行って関連文書を調べてた気もするが時代の移り変わりを感じる。ネット情報はピンポイントで情報を得られる分、周辺情報や内容の精査をしっかりしないといけないと思いコーヒーを淹れながらゆっくり調べたりもしている。
季節は移り変わり、住み始めて2年目の冬を越した。あれからというもの、あまりに暇すぎて老いが早まりそうだったので、春過ぎごろからは本や雑誌記事の校正の仕事を受けてみた。それだけでも校正しながら目を通す文書は今までサラリーマン時代では得られない情報ばかりで目新しさや、知識欲を駆り立てる日々だった。在宅でできるのも良い。ただ、日本語力をもっと磨かなければと思い、読書量を増やしてみたりもしている。
シロとは相変わらずやっている。変わったことといえば冬はいつも僕の部屋にいるようになったことだろうか。
「シロには家族はいるのかい?」
いつだかそう聞いてみた。それを問われても僕の方を振り向くだけでまた丸まってしまった。僕は君の猫としての家族の話をしたつもりだったのだけれど。でもまあ、僕を家族と認識してくれているのならそういうことにしておこう。
もうすぐ3年目の春、ここに引っ越してきた時にすれ違った近所の学生らしき子は最近はたまに夜に顔を赤くしていたり、時折可愛らしい女性と一緒に歩いてるところを見かける。彼にとってもここが新天地だったのだろうか。時々スーツ姿でいるのを見かけるが、就活だとしたら人生を楽しめる仕事について欲しいものだ。
僕もこの部屋に来て2年が経つ。契約更新の時期だ。
「シロ、きみはこの家をどう思う?」
そう話しかけてみると僕のベッドの上に駆け上って丸まった。
契約更新の知らせを近いうちに大家さんに入れておこう。
近所に行きつけの定食屋や居酒屋、美容室もできた。ゴミ捨て場では時折交わす挨拶も心地いい。そして部屋に戻るとそこにいる同居している生き物。僕にとって、とても住みやすい街にこの2年でなった。
黒猫はどこかの国では魔女の使いだとか、横切ると不吉という話もあるが、僕はそんなことは感じない。もしかしたら僕は魔法使いだったのか、もしくはおひとり様に優しいがために魔女のそばにいたのか。
こしして僕は猫と暮らし始めたのだった。
黒猫を飼い始めた 堺春真 @sakai6728
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