この星を捨てた君へ

異端者

『この星を捨てた君へ』本文

 ――君が幸せになることを望んでいる。そして……


 もう何度目になるだろうか、僕は彼女に送った手紙の内容を思い出していた。

 このラボ内はどこもひっそりと静まり返っている。深夜の時間帯のせいもあるだろうが、昼間でもあまり変わらない。

 僕と彼女は恋人だった。彼女がこの星を出るまでは。

 そう、そのことが僕と彼女の決定的な違いだった。

 彼女は「行く」ことを選んだ。僕は「残る」ことを選んだ。

 多数決が正しいというのなら、彼女の選択の方が正しかったのだろう。

 実際、気付いた時には地球はもう手遅れだった。1990年代頃には既に環境に配慮する動きがあったが、今思えばその時点で手遅れだったのだろう。

 人間が与えた環境へのダメージは数10年のラグを置いて表面化した。ちょうど、大昔に禁止されたフロンガスが10年以上もかけてオゾン層に到達してダメージを与えたように。

 温暖化、異常気象、新種のウィルス――挙げればきりがないが、それらの影響はあらゆる所に及んだ。瞬く間に人類や他の生物の生息地は減少していった。

 最初の頃は、地球環境を改善しよう、今ある土地をなんとかしようとしていた人類だったが、やがて方針が変わった。

 食料は野菜工場で、生活はシェルターで――他の種などどうでもいい、ただ人類だけが生き残れば良いという風に変わっていった。

 その結果、人類はとうとう地球を捨てた。

 コールドスリープ装置を搭載した巨大な宇宙船で、居住可能な惑星に移住することとしたのだ。その船はおよそ50年後、目的地の惑星に到達する。

 その20年前なら席の取り合いになりそうな案件だったが、幸いにも座席には余裕があった。逆に言えば、そこまで人類は減ってしまっていた。

 だが、僕は地球に残る選択をした。彼女は船に乗る選択をした。

「どうして? もうここには何も無いのに?」

「だからといって、星を捨てる? ……それは選択じゃない、思考放棄だ」

「生まれついた星を捨てられないっていうこと? これからは、人類は一つの星に縛られる時代じゃない。もっと大きな可能性を求めるべきよ」

「違う。そうやって、都合が悪くなったら逃げ出すのなら、他の星に行っても同じだ。またそこが汚染されれば逃げ出す。目を背けては駄目なんだ」

 彼女はわざとらしく眉をひそめた。

「あなたって、温和そうに見えてそういうところが頑固なのよね。一緒に行けないことは分かったけど、新たな旅立ちを祝福してはくれないの?」

「君が幸せになることは、願っているよ」

 僕は彼女の手に手紙を押し付けた。今時データではなく手書きの手紙だった。目的地について目覚めたら読んでくれ、とだけ言って別れた。

 僕はディスプレイに現れた大気浄化用のナノマシンの実験結果をぼんやりと眺める。

 悪くない。だが、足りない。

 僕は内線でアンドロイドのユカにコーヒーを持ってくるように頼んだ。

「――ああ、ブラックの……なるべく濃いやつを頼む」

 ラボの奥では、今では古くなったスーパーコンピュータが鎮座している。

 ものの5分と経たないうちに、ユカはコーヒーを持ってきた。

「熱くなっておりますので、ご注意ください」

 コーヒーをデスクに置きながら、いつもの決まり文句を言う。そんなことは一度言えば分かると思うのだが、安全基準の関係上、省くことはできないそうだ。

「ああ、ありがとう」

 ユカは昔のまま、若い女性の姿のままだ。アンドロイドだから当然と言えばそうだが、そう思う度に僕が年とったことを実感させられる。

 もっとも、昔の通りとはいかない。

 メンテナンスが不十分で、昔よりもモーターの駆動音がしている気がする。

 慢性的な物資とマンパワーの不足――それが今の地球における最大の問題点だった。

 今テスト結果を確認したナノマシンも、当時のように大量生産が可能ならば十分に効果を発揮するスペックだった。しかし、今の小資源、小労力で行うことを考えた場合には圧倒的にスペックが足りない。

 必要なものは、ほとんどは宇宙のかなた、あの移住船が持って行ってしまった。

 もう少し、あと2,3倍の資源と労力があれば――地球に残った「同志」と長話をすると、必ずと言っていい程この話題に突き当たる。そして、お互いに気まずくなって会話が途切れてしまう。

 ――そう。我々も捨てられた。地球と共に。

 とはいえ、見殺しにされた訳ではない。選択権はあったのだ。自らがそれを拒んだ結果がこうなのだから、文句ばかりは言えない。


 僕の選択は間違っていたのだろうか?


 時折、自問する。このまま全てを忘れて自堕落な生活を送った方が幸せかもしれない。実際、最初のうちは希望を持っていてもそうなったかつての同志は数が知れなかった。

 幸い、地球に残ったアンドロイドには残った人間の欲求を満たすには十分な機能が備わっていた。どうせ滅びる運命ならばと考えて、アンドロイドのハーレムを築いてもそれを責める資格はない。

 それでも、僕は研究をやめようとは思わなかった。

 彼女への手紙に誓ったのだ。今は駄目でも、彼女が目的地に着いた頃には地球を再生してみせると。向こうで幸せになったら、いつか地球を観測してみてほしいと。


 それは彼女にとってはもはやどうでもいいことかもしれない。それでも、僕は彼女にそれを見せたい。

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