第12話 la balle
私は落下感とともに目を覚ました。五階の踊り場で赤い光に目を遣れば、スノウが部屋の入口のところで焚火をたいている。彼はあぐらをかいて座り込み、下を向いて何かをしている。その手元からは、しゃぅしゃぅと快い音が聞こえてくる。
私は手足の先が冷えきっていて身体を丸めて温めようと試みたり、足指の先を曲げ伸ばししたりして何とか温度を取り戻そうと試みるが、どうにも冷たくて仕方がない。私は布団を抜け出し火に当たることにした。砂漠の夜がこれほど厳しいものだとは思いもしなかった。焚火を挟んだ向こう側ではバッシュが眠っていて、すぴ、すぴと微かに鼾を立てている。スノウの手元からなるしゃぅ、しゃぅという音が紛れ込む。私が人一人分を挟んだ隣に座っても、スノウはこっちを見もしなかった。
「隊長、何をしてるんだ?」
私が声を掛けても、スノウはこちらに目もくれず、手元の作業に没頭している。
「祈ってるんだ」
「見ていてもいいかい?」
「駄目だね。」
そう口で言ってはいるが、スノウに私を拒絶する様子はない。
祈り。スノウの右手には小刀が握られており、彼はそれを器用に使って小さな丸太に沿わせる。しゃぅしゃぅという小気味よい音は木が削れる音であった。スノウは大まかに周囲を削りとり、時折ふっと息を吹いて白い木クズを飛ばす。慣れた手つきである。私は眠気も忘れて彼の手元に見入る。段々と人形が露わになっていく。それは全長20センチほど、平べったい頭部からはシャチの背びれのような突起が上に突き出している。腕は胴部の両脇に添えられているが、丸く突き出した腹を支えるような恰好を取っており、更にその腹から棒が突き出している。像の足は細く、かつ膝は緩く曲げられている。全体として華奢である、
全体の姿が顕れると、彼は今度は刃先を細部に潜り込ませ、表情や装飾を作っていった。腹部の棒を削り出し、彼は鎖を作っていった。器用なことに一つ一つの輪を繋げたまま木から掘り出している。そんな芸当が出来るようになるまで、彼は一体どれだけの人形を掘ってきたのだろうか。彼はおがくずを払った後で、人形を彩色していった。土に水を混ぜて作った泥で汚し、細かい部分に石灰や木炭の粉を使って装飾をつけていき、焚火の傍で乾かした。それは紛れもなく勇壮な戦士の像であった。頭部の突起は彩色を施されたことにより兜だったことが分かった。兜は細かいところまで彫り込まれ、獣の皮で作られている耳当てまで再現されており、左右二つの部品が頭頂部で縫い合わされている構造になっているのが見て取れる。首には高位の者しか付けられないに違いない、重い宝玉なネックレスをつけているが、手足は細く武器はもっていない。人形のモデルが誇っているのは武官としての力ではなく、政治的な手腕や賢さであることが分かった。これは文官のスノウにとっての理想の戦士の像なのだ。
しかし、不思議な事だが……それは同時に胎児の像でもあるようにもみえる。なぜなら、腹から突き出した鎖は明らかにへその緒を意味している。鎖の先端に円盤が(つまり胎盤が)ついていることからもそれは明らかだ。スノウは特別に思入れがある様子で、このへその緒に特別丁寧に文様を彫り込み装飾していた。完成した鎖には、静脈を表しているであろう白と、動脈を表しているのであろう黒が溝に沿ってらせん状に配置されている。
異形の像である。
彼は先程、この像を作る行為を祈りと呼んだ。
祈りという行為の鋳型は手を合わせて跪き、天に向かって祈るものだとわたしは思っていた。スノウの人形は、その鋳型とはとてもかけ離れていた。しかし、それは確かに祈りであった。人は満ち足りぬ時にこそ祈る。スノウの人形は、それを見たものに突きつける切っ先であった。幼虫が蛹の中から大空を望むような、あるいはスポイルされたライオンが檻の中からサバンナを夢見るような、強烈な変身の願望の具象であった。人嫌いのスノウが心に秘して抱えている不安や、未来への渇望がありありとその像には表れていた。ここに居るのは少年ばかり。きっと彼らの寿命は短い。死は現実のものとしてここにある。それは当然恐ろしいものだが、しかしそれでも彼らは未来を夢見て進み続ける。胎盤に結ばれて火の傍で佇んでいるのは、まさにその意思であった。
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