第6話 Dig up her bones

 私はそののところまで、無限にも思える距離を進んだ。

 そしてやっとたどり着く。

 その正体は獰猛な四足獣などではなく、一株の植物であった。

 葉をべったりと地に這わせている、それはおそらくは竜舌蘭の仲間だ。

 平行な葉脈が白く浮き出た太さ20センチほどの巨大な葉は、一センチほども厚さがあり、砂漠の乾季に打ちのめされて黄土色に萎びている。それらは根元から僅かに浮き上がるように伸びたのち、その先は空を目指すことを諦めたようにだらりと力を失い地べたに這っている。この植物は、雨季のうちに大量に根から吸い上げた水をこの分厚い葉に貯え、それを使って乾季を乗り越えているのだろう。だからこの葉を採れば、断面から生きた水が吸えるに違いない。

 私は葉の中から比較的若く状態がよさそうなものを掴み、手に力を籠め葉を引きちぎろうとする。もう丸一日水を飲んでいないせいで、歩くのにもふわふわと雲の上を歩くように現実感が無かったのが、植物を前に急に活力が湧いてきた。私は前例の力を込めて葉を握りしめるが、しかし葉の繊維は思ったよりも固くうまく引きちぎることができない。私は今度は葉の先端を折り曲げて踏み、折れ目に沿って切り取ろうと試みる。今度は葉の表面がほんの少し裂けたが、内側の繊維質の葉脈がやはり破片と破片を固く繋ぎとめていて、どれだけ引きちぎろうとしたってまるでびくともしない。

 もどかしくなった私は葉を持ち上げて噛みつき、直接その断面から水を吸うことにした。その途端、途端噎せかえるような青臭さがあり、灰汁の強さに舌が痺れるほどであったが、私は僅かに口の中に水分を感じた。丸一日ぶりの水分がもたらす快感はすさまじく、まるで全身の細胞が一気に逆立つようであった。上手く葉脈から水分を吸いだすことは難しく、口に入ってくるのはじゃりじゃりとした砂粒の感触ばかりであったが、それもほとんど苦にならなかった。私は赤子が乳を吸うように、夢中で竜舌蘭の断面を口に含んだ。

 

 夢中で吸い、少し喉が潤ってくると、私にも物事を考える余裕が出てきた。

 私が今手に握っている、この葉の固い表皮の奥には病毒に柔らかく侵された組織がある……そして湿った感覚。それを意識した瞬間、デジャブが私の記憶を掘り返した。

 私の脳裏に浮かんだもの、それは横たわっている人間の姿であった。ただ横たわっているのではない、その身体は明らかに死んでいる……遺体の身体も顔もよく見えないが、私にはそれが分かった。死体は防腐処理が施されて十分な時間が経ち、その皮膚はたっぷりと黄色い溶剤を含んでいる。

 その様子がこの竜舌蘭の葉とよく似ていると感じられたのだ。死体と、指先に触れるこの葉は、黄色く濁ったその表面の色だけでなく、ぶよぶよとしてかつての張りを失ったその感触までよく似ている。

 無影灯の下、死体は流し付きのステンレスの寝台に寝かされている。金属のベッドなんて絶対に寝心地が悪いに違いないと思うが、死体は寝心地なんか気にしない。中指の関節がごつごつしている手に握られたメスが正確にシヒトにあてられ、器用に皮膚がはがされていく。その下からは黄色い脂肪の層が現れ、さらに下からは血行が失われて青白く、いやむしろ灰色になった筋肉が現れる。鼻粘膜の上にまざまざと現場の臭いが蘇ってくる。突き刺してくるような薬品の臭い、べとべとぬるぬるした脂肪の臭い、私はそれにいつまで経っても慣れることが出来なかったのを思い出す。

 私はその死体によく似た葉を口にする。頑丈な繊維質を噛み切る力はなく、臼歯ですり潰し、柔らかくなった葉肉をこそげ落とすようにして食べる。まるで砂埃の味に植物の青臭さを垂らし、そこにバケツ一杯の古雑巾の汁と酢を一滴たらしたような味。死体のデジャブと併せて、最低の感覚に傷めつけられながら、私はその葉を食べるのを止められなかった。私には水が必要だ。舌は次の一口に向かって水分を渇望して収縮している。噛む。飲みこむ。口唇、舌、咽頭、食道。たとえわずかな剥片であっても、食塊が下っていく過程がまざまざと分かる。死体が私の肉体に同化していく。

 結局、竜舌蘭を三十センチほど食べたところで腹が満たされた。本能というのは現金なもので、今となってはおぞましいものを口にした嫌悪感が空腹を上回り、腹の内側と外側の両方に百足がゾゾゾとが這いまわっているような怖気を感じる。

 しかしそれに溺れる暇はない。

 やがて眩暈がやってきた。

 次の瞬間には私は吸い込まれるように眠っている。

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