(18) 鳴亜梨基準
台所には二人だけだ。
さて、なにから切り出そう。うーん……
……う〜ん? だめだ、いざとなると気の利いた台詞の一つも出てこない。こんなことなら事前にもっと準備しておくんだった。
ふと、気づく。このみちゃんの手が止まっている。じっと考えこむように、まな板の上の玉ねぎを見下ろしている。
わたしの視線に気づいたのか、このみちゃんが顔をあげる。
「柚花ちゃん、あのね、」
それきり、言葉は途切れる。再び考えこむようにうつむいていまう。
わたしは、このみちゃんが次の言葉を紡げるようになるまで、じっと待った。
しばしの沈黙のあと。
「わたし、柚花ちゃんに相談したいことがあるの。……いいかな?」
「いいに決まってるでしょ」
「……ありがとう」
安堵したように頬を緩めたのは一瞬で、すぐに表情を硬くしてしまう。
「わかってると思うけど……鳴亜梨のこと」
「うん」
「わたしね、鳴亜梨と仲直りしたいって、思ってるんだよ」
このみちゃんはゆっくりと話し始めた。
「でも、だめなの。自分でもどうしたらいいかわからないの。鳴亜梨のこと友達だって思いたいのに、それを許せない自分がいる……わたし、自分で自分が嫌になるよ」
声に自嘲の色が交じる。
「……ねぇ、柚花ちゃん。友達って、なにかな?」
「わたしとこのみちゃんみたいな関係のことだよ」
「……うれしいな。じゃあさ、 友達の『基準』って、なんだと思う? 」
「友達の、基準?」
「そう。基準。言い換えれば、誰かが誰かを友達と呼ぶための、『条件』」
このみちゃんの言いたいことが、いまひとつ飲みこめなかった。だって、基準とか条件とか、そんなこと考えたこともなかったから……。
「よく、わからないかも」
「だと思った。柚花ちゃんはいつだってまっすぐだもんね」
「……このみちゃんは、なんだと思うの? 友達の基準って」
「わたしにも、わからないよ」
「え?」
「わからないから、こんなことになっちゃった。どこまでも、際限なく求めて、期待して。相手が応えられなくなったら拒絶する。『あなたなんかもう友達じゃない!』ってね」
「……」
「最低だよね、わたし。見損なった? わたしはまだ、柚花ちゃんの友達でいられてる?」
「友達だよ。わたしが保証してあげる」
そう答えると、自嘲的な笑みから一転、このみちゃんの目に涙が浮かぶ。
「わたし、ほんと馬鹿だ……鳴亜梨のこと笑えないくらいの、大馬鹿だよ。だって、自分から壊した。二回も!」
「落ち着いて、順番に話して。二回って、いつのこと?」
「……昨日と、二年前」
二年前。
それがきっと、二人の関係に歪みが生じた日なのだろう。
「二年前になにがあったのか、詳しく聞かせてくれる?」
このみちゃんは無言でうなずいた。
「二年前、わたしと鳴亜梨はいつも一緒だった。休み時間も、学校の外でも、授業で二人組を作るときも。
ある日の授業で二人組を作ることになったとき、いつものように『一緒に組もう?』って伸ばした手を、鳴亜梨は取らなかった。『ほかの子と組むから』ってね。原因はそんな些細なことだった」
このみちゃんはそこで一度言葉を区切ると、小さく深呼吸してから笑顔を作った。
「笑っちゃうくらい、くだらないでしょ。でもね、当時のわたしにとって、鳴亜梨の拒絶は想定外の緊急事態で、どうしても認めることができなかった。お互い距離を置くようになってからも、心の中で鳴亜梨を責め続けてた。
その理由も、今ならわかる。今にして思えば、わたしは『鳴亜梨にとっての一番がわたしじゃないこと』が許せなかったんだ、って。
『わたしにとっての一番は鳴亜梨なのに、鳴亜梨はそうじゃないの?』
『そんな一方的な関係を、友達って呼べるの?』
『
――それがわたしの基準。エスカレートした『友達の基準』のなれの果て。親友の、基準――」
「……」
わたしは続きを促そうと口を開きかけて、やめる。代わりに、ポケットからマイハンカチを取り出し、紳士モードで差し出した。
「お嬢さん。せっかくのプリチーなお顔が台無しですぜ?」
涙もろいこのみちゃんは、玉ねぎを切る前から大粒の涙をぽたぽたとこぼしていた。
「ありが、とう……」
「つらいなら、無理しなくていいからね」
「……ごめん、大丈夫。ぜんぶ、話させて」
なんだかわたしまでもらい泣きしそうになる。
「ゆっくりでいいよ」
過去を語るためにこれだけのエネルギーを費やしたこのみちゃんは、いったいどれだけのやり場のない感情を今まで抱えていたんだろう。
わたしはこのみちゃんの背中をそっと撫でた。
「……昨日、真緒くんが『誰にも言えない悩みを打ち明けて』って言ったとき」
落ち着いたこのみちゃんは、静かに語りだした。
「鳴亜梨は一瞬だけわたしを見た。曲がりなりにも親友だったわたしには、その表情の意味するところが手に取るようにわかった。あぁ、鳴亜梨は二年前のこと、忘れたわけじゃなかったんだ、って」
「鳴亜梨ちゃんが覚えてないと思ったから、今までは普通に話せてたってこと?」
「そう。正確にいえば、鳴亜梨はもう、あのときのことを根に持っていないものだと思ってた」
「それは、なんで?」
「四月のクラス替えで、わたしは一年ぶりに鳴亜梨に再会した。運がいいのか悪いのか、席まで隣同士で。話さないのも不自然かと思って、話しかけようか迷ってたら、鳴亜梨のほうから話しかけてきた。
内容は他愛のないこと。三年のときに過ごした時間が丸々なくなったみたいだった。
時間が経って、鳴亜梨は忘れてくれたんだって思った。実際に覚えているにしろ、忘れているにしろね。
……わたしの場合は、鳴亜梨を見る目を『親友』から『友達』に変えただけ、なんだけど」
「……」
「ともかく、それからは、お互いどちらからともなく、少しずつまた話すようになった。
本格的に話すようになったのは、ついこのあいだ――女子会に入ってからだったけど」
「……まじで? 全然そうは見えなかったよ」
「まあ、一、二年のブランクだし。元の調子を取り戻すのにそれほど時間はかからなかったよ。――だから、わたしは、気が緩んじゃった。
みんなでスーパーに行ったとき。昔となにひとつ変わらない鳴亜梨を見て、あぁ、鳴亜梨はやっぱり鳴亜梨なんだな、わたしが知ってる鳴亜梨なんだな、って思った。
そう思ったとき、わたしの鳴亜梨を見る目は、『友達』から元の『親友』に戻った」
……つまり、
その時点から鳴亜梨ちゃんはまた親友になり、
「昨日のあの時点で、二年前と同じように『親友の基準』を超えられなくなった……?」
「察しがいいね、柚花ちゃんは」
そう言って、このみちゃんは力のない笑みを浮かべた。
「そうだよ。わたしにとっての『親友』って、昔の鳴亜梨だから。二年前のあの日からわたしたちの関係は変わっちゃったけど、ようやくそれ以前の遺恨のない関係に戻れたんだ、って思ったのに。昔の鳴亜梨に戻ったって思ったのに。
だけど違った。目の前にいるのはあの日より前の鳴亜梨なんかじゃなくて、あの日から地続きの鳴亜梨だったんだ。
鳴亜梨はわたしの知ってる『
「……」
要するに。
今のこのみちゃんにとって親友の基準となるのは、『昔の鳴亜梨ちゃん』なのだろう。
わたしや鳴亜梨ちゃんはともかく、このみちゃんも友達が少ないと知ったときは正直意外だったが、『基準』を知った今となってはうなずける。
言い方は悪いが、このみちゃんは『友達の基準』や『親友の基準』で友達をふるいにかけ、選別していたのだ。それが無意識的であれ、意識的であれ。
それらの基準を満たすことができたごく少数が、このみちゃんにとっての『友達』や『親友』だった。
そしてその基準は、鳴亜梨ちゃん本人にも適用された。
『昔の鳴亜梨ちゃん』というものさしで、今の鳴亜梨ちゃんをはかる。 今の鳴亜梨ちゃんが昔の鳴亜梨ちゃんに達していなかったら、「そんなのは鳴亜梨じゃない」と切り捨てる。 それは『親友の基準』というより、もはや鳴亜梨ちゃん専用の『
過去と現在の埋められないギャップに、このみちゃんは苦しんでいた。
「これでわたしの話は終わり。最後までちゃんと聞いてくれて、ありがとう」
「……不器用すぎるよ、このみちゃんは」
思わずそんな言葉が漏れる。
「そうだね。自分でもそう思うよ。だけど、これがわたしなの。変えられないの。――自分でも、どうすればいいかわかんないの!」
このみちゃんの心からの叫びが、台所に響き渡る。
助けてあげたいと思った。
だから、わたしは。
「壊そう」
一言、そう言った。
「……え?」
戸惑ったように揺れる瞳が、わたしを見る。
「その基準とやらを。わたしもできるだけ手伝うから」
それが相談を受けたわたしの出した答えだった。
「けど、どうやって……」
「わからない」
問題はそう単純じゃない。仮に鳴亜梨ちゃんと仲直りできたとしても、このみちゃんの中にある『基準』を壊さなければ根本的な解決にはならない。また同じことが繰り返されてしまう。このみちゃんもそれがわかっているから、また『友達』に戻るという選択肢は取りたくないのだろう。
本当の親友に、なりたいのだろう。
「けど、まずは。鳴亜梨ちゃんと話してみるしかないと思う。きっとそこが、スタート地点だから。
鳴亜梨ちゃんが帰ってきたら、おかえりって声かけてみよ? わたしもずっとそばにいるから。ね?」
「……うん。そうする」
そう言って、かすかに微笑む。それは久しぶりに見た、このみちゃんの自然な笑みだった。
……本当にこれでよかったのだろうか?
口ではああ言ったものの、いま鳴亜梨ちゃんと話すことが本当に最善なのか、確証はない。悠斗が説得に成功している保証もないし、かえって関係を悪化させてしまう可能性だってある。
悠斗を信じていないわけではないが、やっぱりわたしも一度鳴亜梨ちゃんとサシで話してからのほうがスムーズに事が運ぶ気もする。
それにこのみちゃんの問題に関して、わたしにはもう手の出しようがない。このみちゃん自身が認識を変える以外に基準を壊す方法はないのだ。
だったらなおさら鳴亜梨ちゃんと話して、解決の糸口を探るべき……?
わたしは、二人のためにまだなにもしてあげられていない。あれだけ啖呵を切っておいて、このザマだ。わたしにできることは、実際にはあまりにも限られていて。もどかしくて、悔しくて、だけどやっぱりわたしは無力で――
「そっち行っちゃだめですってば……」
声に、現実に引き戻される。麻由ちゃん?
振り向くと、メガネがこちらへ接近していた。引きずられるようにしながら麻由ちゃんもついてくる。
「少し若月と話がしたい。席を外してくれないか」
メガネの目は眼鏡ごしでもはっきりわかるほど真剣だった。
「えっ、でも……」
「いいよ麻由ちゃん。もう話は済んだから」
「あ、そうなんだ」
もういつ鳴亜梨ちゃんが帰ってきてもおかしくない。正直なところ、今はもう少し考え事に時間を費やしたかったけど……。
「小森。君の意見を聞こう」
「わたしも話は済んだからいいけど、まだ肝心の料理が……」
「ふむ……となれば」
まな板の上には手つかずの玉ねぎが転がっていた。
「メガネ」
「いいだろう」
わたしとメガネは大きくうなずきあった。
「席を外すのは、わたしたちのほうだ」
「そういうことだ」
わたしとメガネは連れ立って玄関に向かう。
背中ごしに、このみちゃんの声が届いた。
「柚花ちゃん、ありがとう。柚花ちゃんに聞いてもらってよかった」
「いいってことよ。じゃあの」
「そこの子ども。小森のフォローは任せたぞ」
わたしとメガネはそれだけ言い残すと、外に出た――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます