(17) 行動開始

 チャイムが鳴り止むなり、真剣な面持ちでやってきた悠斗に、いきなり廊下に連れ出された。


「なんなの、せっかくのティータイムに。告白?」

「ばっ……ちげえよ!」


 冗談の通じないやつめ。


「おまえな、あんな宣言なんかして、ちゃんと策はあるんだろうな?」


 なんだ、そんなこと。


「特にはないよ」


 それが考えた末に出した結論だった。


「はあ!?」

「慌てなさんなって。特に、って言ったでしょ。少しくらいはあるさね」

「誰なんだよそのしゃべり方……で、どんな?」

「とりあえず、今日も悠斗んちに全員で集まる」

「来ると思うか?」

「来るんじゃない?」

「んな、呑気な……」

「で、このみちゃんと鳴亜梨ちゃん、それぞれと二人きりになれる時間を作る。一緒だと話しにくいこともあるだろうし」

「なんだ、意外と考えてるじゃねーか。で、それから?」

「それだけ。作戦はここまで」

「……あのなあ」

「そこからはまあ、自然体? ぶっつけ本番? みたいな。とにかくお腹割って話す! 過去バナ聞き出す! 喧嘩の原因探る! 解決方法考える! わかんなかったらわかるまで考える! そしてなんやかやあって無事解決、ふたりは前よりも友情を深め、めでたしめでたし……って、ダメ?」

「……」


 呆れたような顔をされてしまった。

 少し考えるような間があって、悠斗は小さくため息をついた。


「ま、柚花らしいっちゃらしいか。わかった、それでいこう」

「悠斗ならそう言ってくれると思ってた」

「二人きりになる時間については、こっちでなんとかするから心配するな。問題は……」



「このみちゃんが帰った?」

「た、たぶん……」


 放課後。わたしと悠斗が最後の打ち合わせを終えて教室に戻ると、このみちゃんの姿が消えていた。


「たぶん、ってどういうこと?」

「『ちょっと用事があるから』って言って出て行っちゃったから……もしかしたら、一旦帰ってからまた戻るって意味かも……」


 真緒くんはいつにも増して不安げだ。


「メガネのやつも用事があるって言って早々に帰っちまったし……おい、どうすんだよ」


 最後の部分はわたしにだけ聞こえるように言った。

 現在教室の後ろに集まっているメンバーは、わたしに悠斗、真緒くん、それに鳴亜梨ちゃんの四人だけ。当初の予定、「全員で広見家に集合」は早くも頓挫してしまった。


「う〜ん」


 たしかに昨日は充分すぎる働きをしてくれたこのみちゃんだ。カレーはほとんどこのみちゃんが作ったといっても過言ではない。今日休んだからって誰も文句は言わないだろうけど……。


「でも、メガネはともかく、このみちゃんは来ると思うんだよなぁ」

「根拠は」

「や、ないけども」

「まぁ、二人を分断する手間が省けてよかったと考えるべきか」

「けど、明日も明後日も来なくて、そのままずっと来なくなっちゃったら、意味ないよ」

「……だな」


 まあ、このみちゃんが不在な以上、先に鳴亜梨ちゃんと話すことになるわけだけど……。


「鳴亜梨ちゃん、さっきからなにやってるの」


 なぜか四つん這いになっている鳴亜梨ちゃんは、床の溝に沿って分銅を並べていた。


「なにって、見てわからない?」

「わからないから訊いてるんだけど」

「奇行だよ」

「それは見ればわかる」


 鳴亜梨ちゃんは平常運転だ。少なくとも表面上は、いつも通りに見える。

 でも、違う。こんなもの、“いつも”じゃない。これは見せかけ、作られた平穏だ。鳴亜梨ちゃんがそれを選択した。


 ……なら、その意思を尊重すべき?

 考えるまでもなかった。

 わたしがこの手で、鳴亜梨ちゃんを偽りの日常から救い出す。


「……やっぱり、ぼくが引き止めなかったから……引き止めてさえいれば少なくとも集まれたのに……」

「いや、真緒はなんも悪くねーって」

「ううん……だいたいぼくが調子に乗ったせいで、こんな……」


 真緒くんはこれでもかというほど落ちこみまくっている。


「悠斗の言う通りだよ。真緒くんも、ほかの誰も悪くない」

「でもぉ……」

「それに昨日の真緒くんはなかなかイカしてて、わたしは好きだよ」

「……」


 真緒くんの表情は一向に晴れる気配がない。うーむ、今はそっとしておいたほうがいいのかも。


 当然といえば当然だけど、この話題のあいだ、鳴亜梨ちゃんは無反応を貫いていた。もしかしたらそのための奇行なのかもしれない。

 おもむろに、鳴亜梨ちゃんは二足歩行になると、真緒くんの顔をまじまじと覗きこむ。


「あんさん、なんや景気悪い顔してまんなぁ」


 エセ関西弁は多少鼻についたが、鳴亜梨ちゃんなりに真緒くんを心配してのことだろう。


「せや! アメちゃんあるで」


 四次元ポーチをガサゴソ漁り、千歳飴を取り出した。


「……いらない」


 あの真緒くんが、お菓子に見向きもしないなんて……。

 鳴亜梨ちゃんがぽつりと言った。


「こりゃ重症やでぇ」



「あれ? よく考えたらさ、昨日のカレーがまだ残ってるんじゃない?」


 玄関の前まで来て、鳴亜梨ちゃんがそんなことを言いだした。


 そう、今日の料理はお休みだ。本来の目的である女子会だけならば、なにも広見家にこだわる必要はない。鳴亜梨ちゃんに言われるまでもなく気づいていたが、麻由ちゃんのこともあるし、それに。


 この場所が、わたしたちの帰る場所で在り続けてほしかったから。


「あぁ、カレーな……」


 ドアノブに手をかけながら、悠斗はなぜか顔をしかめた。


「あ、カレーの匂いだ……って、今日は麻由ちゃんのほうが早かったんだ」


 きちんとそろえられた靴を発見。土曜の朝にやっているアニメのマスコットが控えめに描かれたやつだ。


「やってるー?」


 暖簾を手で押し退ける仕草をしつつダイニングに顔を出すと、麻由ちゃんの顔が白いお皿になっていた。


「あ、おかえりなさい!」


 お皿の下から麻由ちゃんの元気な笑顔が現れる。口の周りには茶色い跡。どうやらカレーをかきこんでいたようだ。


「おっ、さすが成長期だねぇ。こりゃ柚花のおっぱいを超えるのも時間の問題だ」

「え〜、ほんとですか?」


 お腹をさする麻由ちゃんはどことなく苦しそうにも見える。


「よし! 全部食べちゃったから、今日もはりきって晩ごはん作らなくっちゃ! わたしもできる限りお手伝いしますので、みなさん今日もご協力のほどよろしくお願いしますね!」


 あー……そういうこと。納得した。


「今朝もあれだけ食ったのによくやるよ。……まぁ、俺も食いすぎたけど」


 悠斗がわたしの隣でぼやいた。


「あれだけ入ってた鍋をよく空にできたね」

「ん? ああ、メガネのやつがたいそう気に入ったらしくてな、かなりの量をテイクアウトしていったんだよ。それがなかったらさすがにウチだけじゃ食べきれねえよ」

「ふーん、メガネがカレーをねぇ」


 ちょっと意外。


「ところでまゆまゆ、今日はなに作るの? 昨日広見悠斗が買ってた食材から作れそうなのは……」

「あ、あー! わたし肉じゃが食べたいかも! たしか肉もじゃがもなかったような! 肉、じゃが、肉、じゃが」


 キョロキョロと辺りを見回しながら奥へと進んでいく麻由ちゃん。最終的には視界から消えてしまった。


「にいちゃん、ゆかちゃん、ちょっと!」


 ??? どこからか声が聞こえる。ちょっと怖い……。

 ともあれ、わたしと悠斗は顔を見合わせると、麻由ちゃんを追った。


「ね、このみさんは?」


 開口一番、そんなことを訊いてくる。


「このみちゃんなら、もうちょっとしたら来ると思うけど」


 希望的観測ではあるけど。


「やっぱりそうなんだ、よかった。じゃあ、これからわたしがめあちゃんと一緒に買い出しに行って、二人で話してみるから。そのあいだににいちゃんたちはこのみさんの説得をお願い」


 やっぱり?

 引っかかる口ぶりだったが、それよりも聞き捨てならない部分があった。


「いや、麻由。おまえはここに残って、柚花のフォローをしてくれ」


 そうだ、麻由ちゃんにそんな役までやらせるわけには……って、わたしのフォロー?


「なんで! 友情の深さは時間では決まらないんだよ!」

「鳴亜梨の説得はにいちゃんに任せろ。おまえよりはうまくやれる自信がある」

「でも……」

「ちょっと待ってよ二人とも……これはわたしが決めたことなんだから、二人の説得はわたしの仕事で――」

「それは違うよゆかちゃん。だって、わたしだってあの二人には仲直りしてほしいもん」

「麻由の言う通りだ。いつまでも険悪なまま居着かれても迷惑だしな」

「……」

「てなわけで、買い出しは俺に任せろ」

「待ってにいちゃん、わたしが――」

「……任せたからね、悠斗」

「おう」

「麻由ちゃん、わたしのフォロー、お願いしてもいい?」

「……うん! 任せて!」


 よし。そうと決まればさっそく行動開始だ。


「ところで麻由ちゃん、さっき『やっぱりそうなんだ』っていってたけど、ひょっとしてこっちの内情を把握済みだったりする?」


 まるでこちらの作戦や段取りを知っていたかのような話の進め方だった。学校でのわたしたちのやりとりを盗み見してたのかな?


「え、これ、ゆかちゃんたちじゃないの……? 玄関の郵便受けに刺さってたんだけど」


 そう言って、麻由ちゃんが取り出したのは。

 時代劇でよく見かける、赤い風車かざぐるまだった――。



「じゃがいもあった?」


 戻ってくると、鳴亜梨ちゃんが真顔で訊いてきた。


「残念ながら」

「そっか……あたしも鮭とばなら持ってるんだけどね……」


 ポーチから鮭とばを取り出してみせると、一口かじった。


「そういうわけだから、鳴亜梨、真緒。買い出しに付き合ってくれるか?」

「ま、そこまで言うならね」

「……うん」


 真緒くんはどこか上の空だ。

 悠斗がすれ違いざまに言った。


「俺も女子会のメンバーだってとこ、見せてやるぜ」

「幸運を祈ってる」


 ……。

 そして、わたしと麻由ちゃんの二人だけが残された。


「にいちゃん、大丈夫かな……」

「大丈夫。きっとぜんぶ、うまくいく」


 ほどなくして、チャイムが鳴った。

 悠斗たちが出ていってからまだそれほど経っていない。財布でも取りに戻ったのかと一瞬思ったが、だったらチャイムなんて鳴らさないだろうし……。


 そっと覗き穴から覗きこむと、そこには見知った顔が、二つ。

 扉を開ける。


「おばんでした」


 謎の挨拶とともにメガネが現れた。そしてメガネの後ろに隠れるように、このみちゃんもいる。


「一緒だったんだ」

「……わたしは今来たところなんだけど、マンションの近くに園部くんが立ってて、それで一緒に……」


 説明しながら、このみちゃんはわたしの背後をちらちらと窺っている。


「わたしと麻由ちゃんだけだよ。悠斗たちにはさっき買い出しに行ってもらったとこ」

「そっ、そうなんだ……」


 微妙に声が上擦っていた。

 どこか恥ずかしそうにしながら、背中から出てくる。


「だからそう言っただろう、まったく」

「メガネはなにしてたの?」

「答える筋合いがあると思うか?」

「うん」

「そうだな。バードウォッチングだ。嘘だが」


 だそうだ。

 招き入れると、麻由ちゃんが顔を綻ばせた。


「あっ、このみさん、こんにちはです!」

「こんにちは、麻由ちゃん。遅くなってごめんね」


 照れたような微笑を浮かべ、袖に隠れた手を振って応えるこのみちゃん。


「メガネさんも、おばんです!」

「はあ」


 不思議そうな顔でそっけなく応じるメガネ。

 おおむね昨日と同じ。他愛のない光景だ。

 ここに鳴亜梨ちゃんが加わっても、変わらずこの光景が続いてほしい。そう思うから。


「わたしの仕事、なにか残ってるかな?」

「とりあえずみんなが帰ってくるまで、あり合わせでサブのおかずでも作ろうと思うんだけど、このみちゃんがいないとなにもできない無力な我々に救いの手を差し伸べてくれる?」

「もちろん。お安いご用です」


 リミットは、鳴亜梨ちゃんが帰ってくるまで。

 それまでに、わたしはこのみちゃんに仲直りするよう説得して、向こうは向こうで、悠斗が鳴亜梨ちゃんを説得する。


 そうして、二人が合流したときには、お互い素直な気持ちで言葉を交わせるようになっていて。

 すべてが元通り。ぜんぶ丸く収まる。

 そうに決まっていた。


「材料はこれで全部?」

「そうみたい」

「うん、充分かな」


 手際よく調理器具を用意し始めるこのみちゃん。


「ちなみに、ジャーマンポテトは作れる?」

「え? うーん、じゃがいもさえあれば……なんとか?」

「だって、麻由ちゃん。探しておいてくれる?」


 ここは、このみちゃんと二人きりにさせてもらおう。そのほうが話しやすいだろうし。


「あ……うん! 任せて!」


 察しが早くて助かる。


「えと、メガネさんもこっちへ。じゃがいも探すの手伝ってください」

「ばれいしょ?」

「じゃがいもです」

「メークイン?」

「男爵です」


 二人は連れ立って居間のほうへ消えていった。

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