(3) 繋ぐ絆 -A part-
「ねぇねぇ柚花柚花見て見て〜」
自分の席でゆったりとお茶をいただくわたしのもとに、鳴亜梨ちゃんがお気楽そうな笑顔を振りまいてやってきた。至福のひとときが台無しだ。
「もう。プーアル茶を飲んでるときは話しかけないでっていつも言ってるでしょ」
長く過酷な授業の先に待っている、わずか十分間の極楽浄土。わたしはこの一杯のために学校に来ているといっても過言ではなかった。
「そんなことよりさ〜、見てよこれ!」
「そんなこと!? そんなことってどういう意味!? プーアル茶を笑う者はプーアル茶に泣くんだよ!」
カッと頭に血がのぼって、思わず隣の席で読書している子の机を蹴り飛ばしてしまう。
「きゃっ!! なにっ!?」
「落ち着いて柚花、どうどう」
「……謝って」
「えっ?」
「今すぐプーアル茶に謝って!」
「……」
鳴亜梨ちゃんはわたしの水筒に向かって腰を九十度に折り曲げた。
「申し訳ありませんでした。無礼をお許しください」
……。水筒は答えない。
「……」
鳴亜梨ちゃんは九十度の姿勢を保ったままぴくりとも動かない。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
いけない……また取り乱してしまった。プーアル茶のことになるとつい熱くなってしまうのは悪い癖だ。わたしは平静を取り戻すため、小刻みに震える手で水筒を掴んだ。
カップに移す手間も惜しんで注ぎ口から直に摂取する。するとどうしたことだろう、みるみるうちに意識が明瞭になっていく。空を飛んでいるような解放感に包まれる。全能感が頭の中で縦横無尽に躍りだす。ああっ、気持ちいい!
……っと、いけない。プーアル茶への依存、いい加減直さないと。もう五年生なんだから。プーアル茶は飲んでも飲まれるな、なんて昔の偉い人はうまいことを言ったものだ。もう二度と手を出すまいと天地神明に誓うわたしなのだった。
「鳴亜梨ちゃん、顔をあげて?」
「ですが……」
恐縮しきった顔で、ちらと上目遣いに水筒の様子を窺う。
「ほら。プーアル茶、もう怒ってないって。よかったね」
わたしは水筒に耳を寄せて、プーアル茶の気持ちを代弁してみせた。
「ほっ……よかったあ……」
「ん、なになに? 仲直りのしるしにオイラのお茶を分けてあげるよ、だって。よかったね」
わたしはペットボトルのキャップを手渡し、なみなみと注いであげた。
「んくっ……ぷはあっ! 超気持ちいいっ! うん、やっぱりプーアル茶って素晴らしいねっ、見直したよ! あははっ、なんか身体がふわふわする〜!」
「そんなことより。鳴亜梨ちゃん、わたしになにか用事があったんじゃないの?」
「そんなこと!? そんなこと……ですって!? ふざけるのも大概になさい!!」
鳴亜梨ちゃんは怒りに任せてわたしの隣で読書している子の机を蹴り飛ばした。
「きゃあっ!! せっかく直したのに!」
「どうどう。鳴亜梨ちゃん、どうどう」
「どうどう……ですって!? これが落ち着いていられますか! 言っていい冗談と悪い冗談があるでしょう! いいえ! 言っていい冗談なんてありません! え? ブラックジョークならぬプーアルジョーク、ですか? あはは、面白いことを言いますね。なにも面白くなんてありません!」
「鳴亜梨ちゃん、長い」
結局、怒り狂った鳴亜梨ちゃんを鎮めるのに残りの休み時間すべてを費やした。
次の休み時間。「そんなことよりさ〜、見てよこれ!」の続きが地味に気になって授業に集中できなかったので、今度はこちらから鳴亜梨ちゃんの席に出向いた。
「いらっしゃぁ〜い!」
目が合うなり、鳴亜梨ちゃんの
「そ、そんなに面白かった?」
「うん! すっごく!」
「そっかあ、そうなんだ。――いらっしゃぁ〜〜〜い!」
「はは。それで鳴亜梨ちゃん、さっきはわたしになにを見せようとしてたの?」
「う、うん……えっとね。そうそう、見てよこれ! どう?」
鳴亜梨ちゃんはなにを取り出すわけでもなく、くるりとその場で一回転してみせた。スカートが空気を孕んで舞いあがる。白だった。
「どうもこうも、失望したよ。鳴亜梨ちゃんのくせに白だなんて普通すぎるよ。わたしの知ってる鳴亜梨ちゃんは白なんて穿かない。もっとこう、コケ色とか……うん、似合いそう! コケ色が似合うのはドブか鳴亜梨ちゃんくらいだよ!」
「あ、ありがとう……って、そうじゃなくて! 見てほしいのは
今度はトリプルアクセルをキメて全身で主張する。なぜかイナバウアーでフィニッシュした。
「ああ、また……例の?」
わたしは納得すると同時に、軽い呆れを覚えていた。
――女子力アップ。
流行にかぶれた鳴亜梨ちゃんの最近のトレンドがこれだ。女子力という謎パワーの向上に日夜奔走している……のはいいんだけど、残念なことに常人とはどこかズレた感性をお持ちのために、目も当てられない悲惨な結果になるのが常である。
「今日は甘辛ミックスコーデでキメてみたのっ」
鳴亜梨ちゃんは得意げに自分の胸元を指さした。白地のTシャツには大小様々なかりんとう&唐辛子の写真が所狭しとプリントされており、スカートにはミックスベジタブルを模したと思われるカラフルな図形がドット模様のように散りばめられている。
「どう? どうっ?」
甘辛ミックスコーデとは、メンズ系のアイテムとガーリー系のアイテムを同時に着こなすファッションのことだ。鳴亜梨ちゃんのそれは明らかに意味を履き違えていた。
「い、いいんじゃないかな? 鳴亜梨ちゃんらしいっていうか……」
「ほんとっ!? ふふ、あたしらしさ、かあ……うん、いいかも! やっぱり自分らしさって大事だもんね! もっともっと自分磨きしなくっちゃ! ありがとっ、柚花に見てもらって正解だったよ!」
「そう言ってもらえるとうれしいよ」
メディアの戦略にいいように踊らされて、ダメダメだなあ鳴亜梨ちゃんは。こういう人が詐欺に引っかかったり、高級布団を買わされたりするのだろう。
「うん! 柚花はファッションセンスが抜群だから、こういうときは本当に頼りになるよ」
「そ、そうかな?」
「そうだよ! 柚花、ピーコの素質あるよ! ううん、柚花の才能ならドンだって夢じゃないかも!」
「も、もぉ、鳴亜梨ちゃんったらぁ。それは褒めすぎだよぉ……」
でも、そっか。ドンだって夢じゃない、かあ……。将来はアパレル関係の仕事に就こうかな? やっぱりストレートにファッションデザイナー? それともあえてカリスマショップ店員? うん、どっちも悪くないかも。
「よっ、ドン若月!」
「えへへ……」
「ところで、ドンといえば、柚花。突然だけど、ある組織の
「え? ある組織?」
突然なにを言いだすんだろう。
「うん。あたしの女子力向上プログラムの一環でね、立ちあげてみたい組織があるんだ」
「ふうん? それって、どんな?」
「――女子会、っていうんだけど」
女子会。近年、テレビや雑誌なんかでぐっと目にする機会の増えた言葉だ。言うなれば男子禁制の飲み会だろう。
「でも、それってかりんとうのことを和スイーツって呼ぶような大人の女性――いわゆるオトナ女子がやることでしょ? わたしたちみたいな現役ピチピチのリアル女子がやってもつまんないでしょ」
とりあえず否定から入ってみる。
「そんなことないよ! リーダーシップ抜群でムードメーカー的役割もこなせるオールラウンダーでジェンダーフリーな柚花が仕切れば超ベリーグッドだよ!」
「そ、そうかな? でもでも、なんでわたしなの? ドン酒本じゃだめなの?」
わりと乗り気になってきたけど、ここは礼儀として食い下がっておく。
「だって、」
「だって?」
鳴亜梨ちゃんの目は、いつになく真剣で。
その瞳の奥に隠された想いを、このときのわたしはまだ、知らない。
「だってこれは、柚花にしかできない仕事だから」
「……もう、しょうがないなあ。そういうことなら、一肌脱ぐとしますかね」
礼儀として、渋々といった体で了承するわたし。理由になってない気もしたが、そんなことはどうでもいい。そろそろOKしておかないとこの話はなかったことにされてしまいかねない。こんなに乗り気なのに。
「ありがとっ! 柚花ならそう言ってくれるって信じてたよ」
「ま、ほかでもない鳴亜梨ちゃんの頼みだしね」
そうと決まれば、さっそく行動を開始しよう。
ふたりきりで女子会するわけにもいかないから、さしあたってはメンバー集めだ。
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