第二章~⑧

「別の大人の人に探して貰ったんだったら、調査会社の人だけじゃなく、依頼した人にも家庭の事情を話したんじゃないでしょうね」

「調査会社は守秘義務があるから他人に話したりしないだろうけど、私が相談した人はうちの事情をかなり知っている。絵美もその一人。おかしな真似をしたら、疑われるのはあなた達だからね」

「おかしな真似って何よ」

「例えば私があなたに殺されたとしたら、遺産は唯一の身内であるお父さんのものになる。そうなれば、あなたも多額のお金を手に入れられるでしょうね。その犯罪にお父さんが係わっていたとばれたら、欠格事由で遺産は受け取れない。だから万が一の為に、単独で実行するかもしれないでしょ」

「そんな馬鹿な事を考えているのか! そんな真似をする訳がないだろう! 梨花に謝りなさい!」

 父は怒鳴ったが、悪びれもせず言い返した。

「それだけ私は、二人を信用していないって事。それに全く無いとは限らないでしょ。私も昨日見てびっくりしたけど、遺産の総額が想像以上だったから。お金に目が眩んで殺人を犯しても、全くおかしくない額だもの」

「本当に非常識な子ね。私を殺人者扱いするなんて」

「非常識で結構です。私はあなたを、一度も母親だなんて思ったことはありません。お父さんとだって法的に縁が切れるなら、そうしたいと本気で思っている」

「何てことを言うんだ!」

 再び大声を出した父に、楓は本題を切り出した。

「だったら余計な駆け引きは止めて、はっきり言って欲しい。今日帰って来たのは、何をするつもりだったの。私の顔を見たかったとか、そんなくだらない言い訳はいらないから」

「何を言うの。ここは元々私達のマンションなのよ。今年は十連休になったから、帰って来ただけじゃないの」

「それなら私は関係ない訳ね。じゃあもう話は終わり。いつまでいるか知らないけど、私は絵美の部屋かホテルにでも泊まるから」

「おい、おい。もう少し落ち着いて話さないか。私達は帰って来たばかりだろう」

「だったらゆっくりしてたらいいんじゃない。絵美と一緒に出て行くから。何か用があるなら電話して。ちなみに私の部屋をあさっても、遺産関係のものは何もないわよ。安全なところに預けているから、無駄な真似はしないでね」

「いい加減にしなさい! さっきから好き勝手に言って」

 金切り声を出した梨花に、楓は反論した。

「好き勝手しているのは、あなた達じゃない。さっきも言ったけど、私はお祖母ちゃん達に育てられたの。あなたは何をしたっていうの。お金を送っていたのも、お祖母ちゃんと約束をさせられたからでしょ。あれだって、いずれは自分達に遺産が入って来ると思い込んでいたからじゃない。そうじゃなかったら、お祖母ちゃんの遺言書の中身を知って、あんなに激怒なんかする訳ない。だって遺言が無かったとしても、遺産の受取人はお父さん達じゃなく私なんだから。そうでしょ」

「あ、あれはお義母さんがあの人と籍を入れていたって聞いたから、驚いただけじゃない」

 しどろもどろに応える彼女に対し、楓は鼻で笑った。

「籍を入れていたからって、どうだっていうの。遺産の半分を持っていかれた訳じゃないでしょ。あの家の建物部分と一千万を遺贈されただけ。ほとんどが私のものになったんだから」

「そういう問題じゃないのよ」

「そうでしょうね。あなた達が激怒した理由は、そこじゃないから。籍を入れて法定相続人になったお祖父ちゃんが、親権者のお父さん達に代わって遺産の管理人に指名されていたからでしょ。それはそうよね。物凄い大金を自由に使えると思っていたのに、それが出来なくなったんだから。残念でした」

 口籠った彼女に対し、さらに続けた。

「これから先は、成人になった私が自分でしっかり管理します。もちろん信頼できる大人に相談しながら、本来半分は受け取る権利があるお祖父ちゃんの為に、有効利用するつもりなので安心して」

 彼女は顔色を変え、尋ねてきた。

「あの人の為にってどういうことよ。死後離婚してまで磯村家から出て行った人なのに」

「他人のあなたには関係ない。私とお祖父ちゃんとの問題だから」

「もしかして、一緒に暮らすとか言うんじゃないだろうな」

 口を挟んできた父に、楓は即座に答えた。

「もしかしてじゃなく、そうしたいと思っている。でも今すぐには無理。どういう理由で死後離婚までして、私の前から姿を消したのか。それが分からないと、また逃げられちゃうかもしれないから。どちらにしても、お父さん達には関係ない話だから放っておいて」

「そういう訳にはいかないだろう。もうあの人は赤の他人なんだ。楓のお祖父ちゃんでも何でもないんだぞ」

「戸籍上はそうでも、私にとってのお祖父ちゃんはあの人だけ。お父さんはお母さんが亡くなった時点で、磯村家とは関係なくなっているから他人だろうけどね」

「何て言い方をするの。あなた、自分がどういう立場か分かっているの。成人して遺産を手にしたからと言って調子に乗っているようだけど、健一さんの娘であることには変わりないのよ。大学に行くのだって、これまで養育費を支払ってきたから生活できたんじゃないの。このマンションだって、誰の許可で住めるようになったと思っているの」

「私から住みたい、なんて言った訳じゃない。そっちの転勤が丁度決まって、他人に貸さなければいけなくなったタイミングだっただけでしょう。こっちだって新しく住む場所を探すより楽だと思っただけで、本当は住みたくなんて無かったんだから。そんなに恩着せがましく言うのなら、来月から出て行ってもいいわよ。もう自分で家を借りられるようになったし、お金だって十分あるから」

「おい、おい、そんなことを言っているんじゃないよ。少し落ち着いて話そうじゃないか」

 話を治めようとする父に、きっぱりと言った。

「こちらから話しておくことは、三つ。一つはお祖母ちゃんとの間で交わされた、最低でも私が成人するまで養育費と学費は支払うという契約の件。昨日でその最低の期限が終了したから、もう払わなくて結構です。そっちも助かるでしょ。言う事を聞かない娘に払い続けるのは、苦痛だったと思うよ。これで解放されるから。連城先生に昨日確認したけれど、私がそう相手に告げておけば特段の手続きなしで契約は解消できるって。だからそうして下さい」

「あら。それはいい話ね。確かにこれまで、十分過ぎるお金を払ってきたんだから、余っているくらいでしょ。もう必要ないわよね」

 梨花の言葉を無視し、話を続けた。

「二つ目は、この部屋の件。契約では私かお父さんのどちらか一方が、止むを得ない理由で退去する又はさせる場合、最低一カ月前に通知する事となっていたでしょ。多分会社に異動を命じられて、お父さんが東京へ帰って来る場合を想定していたと思うけど」

「確かにそういう取り決めだったが、それがどうかしたか。まだ私が向こうに着任して、一年しか経っていない。まだしばらくは大丈夫だと思うが、もしかして出て行く気か」

「そう。今日告げたら、来月の二十八日までに出て行けばいいでしょ。もう目星はつけたし、契約も私一人で出来るから。保証人も必要ない所を選んである。資産は充分あるから、保証金を支払えば大丈夫だって確認もした。だから来月の期限までに引っ越すので、安心して。今は十連休中で引っ越し業者も忙しいし料金も高いけど、来月の中旬から下旬の平日だと、少し落ち着いているはずだから」

「本気で言っているのか」

 明らかに父は動揺していた。それでも構わず言った。

「本気です。一昨日までは未成年で色んな手続きをするのに、お父さんの許可がなければできなかった。でもその制限が無くなった今、縛られる必要はないからね」

「じゃあ三つ目って何なの」

 苛ついているのだろう。貧乏ゆすりをし始めた梨花に先を促された為、冷たく答えた。

「昨日成人した私は法的な意味だけでなく、お祖母ちゃん達のおかげで経済的にも一人で自立できるようになりました。ですから今後、お父さん達とはこれまで以上に関係を絶って生活していきます。だから新しい住所や連絡先も、教えるつもりはありません」

 これには父が慌てた。

「おい、冗談はよせ」

 それでも楓は、冷静になって話を続けた。

「スマホの番号は、引っ越し先が確定した時点で変えます。とはいっても戸籍に住所は載るから、お父さんが探そうと思えばいつでもできるだろうけど。ただこれだけは言っておきます。もう金輪際、私に関わらないで下さい。お金に困るような経済環境じゃないから、しつこく付きまとう理由もないでしょう」

「縁なんて切れる訳がない。いくら成人したからって、親が自分の子を心配するのは、当たり前だ。それこそ楓があの人を探し出すより、簡単に居場所は特定できる。そんな無理を言うのは止めてくれ」

 すがりつくような声を出す父だったが、振り切るように告げた。

「もし私を追いかけるような真似をしたなら、家庭裁判所につきまとい禁止仮処分命令の申し立てをし、制限して貰います。違反すれば、違約金を支払わなければならないんだってね。だからそんな行為は、できなくなるから」

 さすがに梨花も驚いたのか、口を挟んできた。

「あなた、本気で言ってるの」

「だから言ったでしょう。本気よ。法的に親子の縁を切ることは出来ない。それは連城先生にも説明して貰い、自分でも調べたから理解している。でも事実上縁を切ることは可能。私はそうします。それで下手に騒ぎ立てて損するのは、一流企業に勤めているお父さんだから。私は学生だしこれから就職したとしたって、何も恐れる事はない。例えどうなろうと、贅沢しなければ一生食べるには困らない資産を、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんが残してくれたから」

「楓、落ち着け。もう少し話し合おうじゃないか」

「いやよ。今日限り、私に連絡はしないで。十連休が終わって、お父さん達がここを出て行くまで私は別の場所にいる。その後に引っ越しするから。鍵は郵送で札幌に送る。それで終わり。私が話したかった三つは以上です。ではごゆっくり」

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