第二章~⑦

 父達がマンションに到着したのは、予定通り翌日の午後二時過ぎだった。札幌から朝早くの飛行機に乗って成田空港へ降り立ち、どこかでお昼を食べてから来ると事前に告げられていた。

 金融機関である保険会社に勤務している為、休みは暦通りの十連休だ。とはいえ休みの初日早々東京に帰ってきた目的は、間違いなく楓と会う為だろう。当然一人娘の顔を早く見たい、などという殊勝なものでは無い。父達と顔を合わせるのは、祖母の葬式以来だ。

 その間に、楓は高校を卒業し大学に合格している。父達が所有するマンションに入居もした。そんな機会があったにも関わらずだ。電話で多少の会話はしている。しかしほぼ全てのやり取りは、連城先生を通じて行った。そういう意味では、徹底して彼らと距離を置いてきた。これは楓からだけでなく、相手側も同じだったはずだ。

 それが楓の成人した翌日、約六年振りにわざわざ札幌から来るという。もちろん二十歳を過ぎた為、間に入っていた連城先生という壁が無くなった影響は大きい。だからこそ彼らの毒牙から楓を守ろうと、絵美や大貴は傍で控える計画を立ててくれたのである。

 絵美は前日から楓の部屋に泊り、大貴は一時半過ぎからマンション近くの喫茶店で準備しているはずだ。何かあれば楓達のどちらかが合図し、呼ぶ段取りになっている。その為に父達が部屋へ入ってきたタイミングで、彼の携帯にかける約束をしていた。その間通話中にしておけば、部屋でのやり取りも把握できるからだ。

 いよいよドアチャイムが鳴り、彼らが玄関先にいると確認した楓は、スマホで大貴の番号を呼び出し、通話状態にしたまま服のポケットに入れた。

 もしトラブルなどが起き、通話が切れたり通じなくなったりした場合、大貴から楓もしくは絵美にかけ直す打ち合わせもしている。

 楓は内心ドキドキしながら、玄関の内側の鍵とストッパーを開け、扉を押した。そこで父の姿が目に飛び込んできた。しばらく見ない内に、少し老けたように見える。

 その後ろで梨花が立っていた。彼女はあまり変わらない。というより、年齢を隠そうと必死に化粧で誤魔化し、若々しい服装をしている。それが余計に痛々しく、また楓を苛つかせた。

 最初に口を開いたのは、やはり父だった。

「おお、楓。しばらく見ない内に大きくなったな。元気だったか」

「う、うん」

 楓が小さく頷くと、甲高い声が耳に突き刺さった。

「まあ、綺麗なお嬢さんになっちゃって。それはそうよね。もう大学生なんだから。部屋の住み心地はどうかしら。悪くないでしょう。私達も五年程度しか住んでいないからまだ新しいし、一人で住むには勿体ない広さだからねえ」

 そう言いながら靴を脱ぎ、二人はずかずかと上がってリビングまで入って来た。久しぶりに聞く梨花の声は、相変わらずかんさわる。すれ違いざまに匂ってきた香水が強すぎ、思わず口と鼻を手で塞いだほどだ。

 リビングで控えていた絵美もそんな彼女をちらりとみて、眉間に皺を寄せた。同性から嫌われるタイプは男女ともいるが、梨花は確実にそのたぐいだ。しかもほんの少し話しただけで、性格の悪さが体中から滲み出ている気がした。一見褒めているようで馬鹿にしたような口調や態度が、そう思わせるのだろう。

 また貸してやってるという立場を前面に出し、その後の話の伏線を既に張っているあざとさが、なんとも憎らしい。それに血は繋がっていないとはいえ、六年以上会っていない娘に対する最初の言葉がそれかと、腹が立った。

 楓は敢えて返事をせず、目礼程度で済ませた。正直何と答えれば正解なのか、困ったからでもある。ご無沙汰しています、有難うございます、そうですね、とでも言っておけばいいのだろうか。しかしこれまでの軋轢あつれきを考えると、そんな言葉さえ口にしたくなかった。

 そこで生まれた奇妙な間を埋めようと気遣ってくれたのか、絵美が前に出て挨拶した。

「初めまして。楓さんと同じ大学の同級生で、目黒恵美と言います。今日はご両親が見えられるというのに、お邪魔して済みません」

「あら、何。お友達を呼んでいたの。私達がここへ二時過ぎに来るって伝えてあったのに」

 彼女の存在には気付いていたはずだが、それまで無視していた彼女はそう言った。初対面の娘の友人だというのに、ここにいること自体をいきなり責めるかのような口ぶりは、明らかに不機嫌なものだった。

 言い返そうかと思った時、空気を察したらしい父が間に入った。

「まあまあ、いいじゃないか。今日から大学も休みだし、遊びに来てくれていたんだろう。娘がお世話になっています。父の健一です。こっちは妻の梨花です」

「こんにちは。本当に広くて綺麗なお部屋ですね。昨日、初めて泊まらせて頂きましたが、すごく静かでした。こういう分譲マンションは、防音もしっかりしているんだなと驚きました。私が住んでいる賃貸マンションだと、時々変な声がどこからか聞こえてきたり、排水管を流れる音が響いたりしますが、全く無かったです」

「あなた、昨日ここに泊まったの。もしかして、お酒を飲んだ? 少しリビングから匂いがしたので、おかしいと思ったのよ」

 父もこれに続いた。

「そうなのか。楓。目黒さんって言ったかな。君は二十歳を過ぎているのかい。楓は昨日で二十歳になったばかりだろ。もうお酒を飲んだのか」

 これには楓もムッとし、強い口調で言い返した。

「別に良いでしょ。ここを借りる時、お酒を飲むなとか友達を連れてくるなって条件は無かったでしょ。別に汚した訳じゃないし、今日友達を呼ぶなとも聞いてないから。文句を言われるような生活は、していないわよ。それに二人共、初めて会った私の友達に対して、その言い方はないでしょう。恥をかかせるつもりなの」

 思ってもいない反撃にあったからかしばらく沈黙があった後、父が口を開いた。

「いや、申し訳ない。目黒さん。気に障ったのなら謝ります。ただ私達は札幌から朝早く飛行機に乗って帰って来たばかりだし、楓と会うのも久しぶりなんだ。失礼だが今日はもう帰って貰えないかな」

「そうね。今日は大事な話があってわざわざ来たんだから、親子水入らずにさせて欲しいの。いいかしら」

 勝手な言い分と梨花の忌々いまいましい言葉に我慢ができず、楓は思わず叫んだ。

「何言ってるの! 私はあなたを母親だなんて、認めたことは一度もありません。父と結婚したのだから妻なのは事実でしょうけど、私を巻き込まないで下さい」

「おい、それは言い過ぎだろう。しかも友達がいる前で何だ。梨花に文句があるんだったら、お父さんに言いなさい」

「梨花さんだけじゃない。お父さんだって認めていないから。私を育ててくれたのは、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんでしょ。仕事が忙しいからって、お母さんに任せっきりだったじゃない。病気になった後も全部お祖母ちゃん達に押し付けて、お父さんは何をしてくれたの。お金は払ったとでも言いたい訳? そんなことで親だと言われて、はいそうですかとでも言うと思ってるの」

「あなた、実の父親に向かってそういう口の利き方はないわ。どんな育てられ方をすれば、そうなるのかしら」

 梨花の嫌味を耳にして、楓は更に激高した。

「子供を産んだ事のないあなたに、育児を語る資格なんてないわ!」

「もういい加減にしろ! ああ、目黒さん。申し訳ないが今日の所は帰って貰えないか。久しぶりに会うものだから、お互い少し感情的になってしまったようだ。びっくりさせてしまったね」

 父が間に入って取り成そうとしたが、絵美ははっきりと断った。

「いいえ、帰りません。こうなるだろうと事前に聞いていましたので、想定内です。こうやって言い合いになった時、二対一にならないよう私はここへ呼ばれたのですから、ずっといるつもりです」

 これには二人も驚き、口を閉ざしてしまった。そこへ楓が続いた。

「もちろん彼女には、遺産相続の件も話してある。昨日連城先生の事務所へ行った時だって一緒だったから、この後二人が何の用でここへ来たのか理解しているし、話によっては参戦して貰うつもり。それに親子だと言いながら、昨日誕生日を迎えて二十歳になったというのに、おめでとうの一言もないんだね。どうせあなた達には、私を多額の遺産を持った金蔓かねづるとしか見ていないからでしょうけど」

 図星だったのだろう。言い返す言葉がしばらく見つからなかったようだ。しかしようやく父が言った。

「お、遅れて申し訳ない。誕生日おめでとう、楓。もちろん忘れていた訳じゃないよ。プレゼントだって買ってある。だけど連城先生の所に昨日、友達を連れて行ったというのは本当なのか」

「本当よ。お祖父ちゃんについても相談している。おかげで居場所が分かったし、大変だけど元気に暮らしていることも確認したわ」

「本当なのか。もう会ったのか。あいつはどこにいるんだ」

 意外な言葉に驚いたらしく、父までが興奮して大きな声を出した。しかし相手の方が動揺し始めた分、楓は返って落ち着くことができた。そこで淡々と答えた。

「教えない。それこそお父さん達には関係ないでしょ。だってお祖母ちゃんのお葬式の後、言っていたじゃない。磯村家から関係ない人は出て行ってくれって。だからお祖父ちゃんはいなくなったのかもしれない。でもお父さん達にはその方が、都合が良かったんでしょ。関係ない人だから。でも私には大事なお祖父ちゃんなの。お父さん達よりも、ずっとね」

「まあ、なんて子かしら。あの人は磯村の名だけでなく、あなたを捨てた人なのよ」

 梨花の言葉にも、冷静に対処した。

「本当は、二人がお祖父ちゃんを追い出したんでしょ。そうしなければならないように、何か言ったりしたんじゃないの」

「何も言っていない。確かにあの時は色々興奮していて、お父さんもついそんな言葉を口にしてしまったのは確かだ。でもあの人が本当に姿を消して驚いたのは、私達も同じだよ」

「それは本当なの」

 楓の問いかけに、父は頷いた。

「ああ、嘘じゃない」

「それならいいけど、お祖父ちゃんは私を捨てた訳じゃない。そんな人が弁護士を雇い、遺産に全く手を付けず管理なんかしないわよ」

「ただ面倒になって、任せっきりにしただけじゃないのか」

「そんなはずない。もし私の遺産の管理をお父さん達がしていたとしたら、同じように出来たといえるの。一円も使わないどころか、出来る限り増やして全額そっくり渡せたと言い切れるの」

 一瞬言葉に詰まっていたが、父は言い返しつつ話題を逸らした。

「当り前じゃないか。そんな事より、どうやって探し出したんだ。あの連城弁護士から聞いたのか」

「当たり前、ね。何も知らないくせに。じゃあ今日帰って来たのは、何をする為なの。ちなみに連城先生は守秘義務があるからって、お祖父ちゃんについては何も話してくれなかった。だから友達の伝手で、優秀な調査会社の人を雇ったの。おかげで直ぐ突き止められた」

「未成年のお前が、親に黙って調査依頼なんかできる訳ないだろう」

「だから私が直接ではなく、別の大人の依頼で調べて貰ったんだって。お金は私が後で払う約束をしてね」

「それは違法じゃないのか。誰だ、その大人と言うのは」

「教えない。違法だったらどうだっていうの。どういう理由で訴えるとでも言うの。そんな真似をしたら、家の恥を晒すだけよ。私は構わないけど、お父さんの会社の人が知ったら何て言うかな。娘と遺産の奪い合いをしているって、ばれちゃうよ。それでもいいのなら、すればいいわ」

 これにはグウの音も出なかったようだ。再び父は沈黙した。しかし代わりに、梨花が喋り始めた。

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