第二章~⑤

 そうしている内に年が明けて春を迎え、新年度を迎えた。つまり楓の誕生日である四月二十六日が来たのだ。暦では金曜日で、しかもこの年の五月一日は皇太子様が天皇に即位される為祝日となり、世の中は翌日から十連休だと騒がれていた。

 しかしこう言うと失礼に当たるかもしれないけれど、楓達にとっては二十歳を迎える誕生日の方が重要だった。その為平日で授業もあったが、必須科目や出席を取る授業だけを受けた後、役所で所定の手続きを済ませ、夕方には三人で連城先生の事務所へと向かった。 

 もちろん正式に楓が祖母から受けた遺産全額の受け取りを行う、事務処理の為だ。そこでもしかすると、初めて祖父が姿を現すかもしれないと期待した。だが彼は現れなかった。やはり全て弁護士に任せたらしい。

 以前も通された応接室で少し待たされた三人の元に、連城先生が書類箱を持って現れた。正面に座った後、それをテーブルに置いて中身を出し、彼は言った。

「お待たせしました。ではこれから、遺産相続に関する各種書類をお渡しします。楓さんはよく確認した上で受領書にサインし、捺印をして下さい。印鑑はお持ちですよね。事前にお知らせしましたが、区役所での印鑑登録もされましたか」

「はい。印鑑証明書も持参しています」

「結構です。それと目黒さんや須藤さんは、余り中身を見ないようにして下さい。楓さんが同席を許されたとはいえ、大切な個人情報です。それに額も大変なものですから」

 二人は黙って頷いていた。事前に話し合った通り、遺産の受け取りに立ち会うのが今回の主な目的ではないからだ。その為楓だけ、少し離れたテーブルの横の椅子に腰かけた。連城先生と大貴達は向かい合っていたが、彼らは楓から見て斜め左の場所にいた。

 それでもどれほどの保有資産があるのか、大貴だけは気になっている様子が感じられた。資産運用する世界を目指しているだけあり、好奇心がくすぐられるのだろう。絵美はじっとスマホを見ていた。

 彼らとの付き合いも九カ月ほど経ったこの頃には、どう思っているかが少し分かるようになっていた。楓の生い立ちをさらけ出していたからか、二人の話も聞いていたからだろう。例えば人当たりも良く友人の多い大貴は、親友がいないらしい。また異性を本気で好きになったこともないという。その点を絵美と話したことがあった。

「須藤さんはお兄さんがいて、両親に溺愛されていたんでしょ」

「長男で父親に似て堅実な性格だったからみたいね。でも彼は叔父さんと仲が良かった。それが気に食わなかったのかもしれないね」

「起業して成功した弟の悪口を、夫婦で言っていたんでしょ。それを彼は聞いてしまって、ショックを受けたみたいね」

「それだけじゃなく、弟に懐いている須藤さんより、お兄さんの方が利口で可愛げがあるとか褒めていたっていうじゃない。当然よね」

 両親という、最も身近で信頼していた人の裏の顔を知ったからだろう。彼は友人達と表面的な付き合いはできるけれど、懐に入る程親密になるのが苦手になってしまったという。 心から人間を信じられなくなったようだ。そこでお金を持つ人物に関心を抱き、豊富な知識を持つようになったらしい。だが最近は少し変わりつつあった。

 対照的に絵美は初めて会った頃から、全くぶれない。地元が大好きだからこそ、東京で勉強し将来に活かそうと考える一途な人だ。

「目黒さんは物静かだけど、意外に人から頼りにされているんだね。この間もクラスの男子の相談に乗っているのを見かけたよ」

 大貴によれば、絵美のサークルにいる女子との仲を取り持つよう、依頼されていたようだ。彼が真剣だったからか、熱心に耳を傾けていたという。しばらくして、その二人は付き合いだしたらしい。

 彼女は両親からとても愛情を注がれていた。だから穏やかな人柄の陰に、他人に寄り添う温かい心を持てたのだろう。けれど彼らは田舎にコンプレックスを持ち、娘にはしっかり勉強し外へ出て都会で暮らせるようになれと、昔から言い続けていたようだ。

 それに絵美は心の中で反発し、今は期待通り東京に出たが卒業後に必ず戻ると決めているらしい。そうした根強い芯を持つ女性だった。

 そんな頼もしい二人が傍にいるから、楓は頑張って来れたと思っている。

 まず渡されたのは、楓名義の銀行の通帳と届出印等だ。しかも一通だけでなく、複数あった。中にはネット銀行に預けられたものもあり、暗証番号や残高が記載されているらしきペーパーまである。

 今まで気にしていなかったが、一体どれだけの桁数の数字が記載されているのか、急に意識し始めた。恐る恐る中身を覗く。数字が目に入り、脳がおおよその合計金額を把握した瞬間、言葉を失った。

 余りの大きな数字に驚いたからだ。念の為にもう一度指で桁数を数え直したが、間違っていない。さらに連城先生が用意してくれた電卓を借り、何度か叩いた後は信じられなくて、思わず尋ねた。

「これって、本当ですか」

 しかし彼は、平然とした表情で答えた。

「はい、間違いありません。もちろん、この六年余りの間に運用された利益も含まれています。ですから税金を支払った後の相続時よりも、増えているでしょう。ただそれらに記載されているのは、あくまで預金だけです。他にも土地の権利書や、所有する株等もあります。念の為、今現在の市場で換算した場合の、ざっとした金額を記載しておきました。しかし非上場株が多く含まれていますし、不動産など単純に確定できないものが多い点は、ご了承ください」

 それらの書類に目を通し、またまた驚愕した。土地はN県の家の敷地やその周辺の他、都内に個人所有し貸し出し中の農地等がいくつかある。そこから、毎月の賃料も発生していた。

 但し書きには、長年の付き合いにより売却しなかった土地なので、処分する場合は注意が必要とある。祖母またはそれ以上前の時代からに違いない。よってそのままにしておけばいいのだと分かった。

 さらに株の大半は、磯村不動産のものだ。上場株らしきものもあったが、その数は僅かだった。またそれらからも半年に一回、配当という形でまとまった金額が振り込まれている。これらが連城先生の言う、運用された利益なのだろうと理解した。この中の一部が、父から毎月支払われる養育費に上乗せされていたらしい。

 そこで大貴が、堪らずといった様子で質問していた。

「すみません。個人情報になるのでお答え頂けないかもしれませんが、もしかして非上場株と言うのは磯村不動産の株でしょうか」

 やはり関心が高いようだ。先生が楓の顔を見た為、構わないと思い頷いた。それを確認してから答えていた。

「その通りです。先程運用利益と言ったのは、主に磯村不動産の保有株で得られた配当金等を指しています」

「磯村不動産は、第三者に売却されたのではなかったのですか」

 その問いに、先生は楓にも伝えるような口調で説明し始めた。

「磯村不動産は、戦前から代々続いてきた会社です。一族経営だったこともあり、個人所有していた土地等も会社名義にする代わりに役員報酬を高くする等の相続対策をしていました。しかし由子さんが引退し、相続人でない後継者に会社の経営を任せる際、全ての株を売却しようとすれば、後継者側の資金調達に問題が生じます。といって無償譲渡するには、余りにも大きな金額でした」

「だから株式は継承させないで、経営権のみを引き継いだのですね」

「ただそれは初期の頃です。いずれ株は手放さなければならないと、由子さんも考えておられました。しかし創業経営者一族とすれば、会社の株の評価額は最初に投資した金額も含まれています。と同時に、長い間育ててきた実績の採点でもあるからでしょう。それを正当な額で売却したいと考えるのは、当然だと思います」

「つまり徐々に、売却を始めていたのですね」

「そうです。しかし買い取る側の資金力が壁となりました。そこで後継者、現在の磯村不動産の社長が新会社を設立し、そこで金融機関から融資を受けて株式を買い取る方式を取っていました」

 そうすれば金融機関からの支援が受けやすく、後に本社と合併させればいいという。親族外事業承継の一つとして、良く行われるパターンのようだ。

 大貴だけが深く頷き、続けて質問していた。

「それでも由子さんが亡くなるまで、全ての株を処分しきれなかったのですね」

「はい。一気には進められませんからね。その為会社から退いて役員報酬を受け取れなくなった分、株の配当で受け取る方法を選択されました。そうすれば株を売却し終わるまでの間も、収益が得られますから」

「しかし体調を崩し、死期が近づいていると悟った由子さんは、遺産相続の際に生じる影響を考慮したのですね」

「はい。売却しきれない株が残った場合、それを引き継ぐのは未成年の楓さんなので、手元にある株を種類株式に変更されました。もちろんそれには株主全員の同意が必要となりますが、株を買い取っていた磯村不動産としても都合が良いと判断し、了承されたのです」

 全く理解できなかった楓や絵美の為に、大貴と先生の二人で解説してくれた。

 それによると、種類株式は普通株式と違い、一定の条件が付く様々なものがあるという。例えば持ち株数が少ない後継者の経営権の強化に役立つ、議決権制限株式や拒否権付き株式などだ。

 議決権制限株式は呼び名の通り議決権を制限する株式で、特定の議決のみを制限する場合もあれば、一切の事項について行使できない無議決権株式というものもあるらしい。

 どういうケースが多いかと言えば、配当優先株式と組み合わせて“配当優先無議決株式”として使われるという。 これは他の株主より優先的に配当を受けられる代わりに、株主総会での決議に参加できなくなるものだ。

 その為事業継承後の経営に関わらない株主の保有株式を未議決権株式に変更しておけば、後継者が会社を経営しやすくなる。だから磯村不動産は、由子の申し出を受け入れたのだろうと教えられた。

 将来の為に、そうした勉強をしているらしい大貴は、その点に興味を持ったのだろう。

「配当優先株式と組み合わせた、議決権制限株式に変えたのですね」

 先生は驚きながら頷いた。

「株式について、須藤さんはお詳しいようですね。そうです。由子さんは経営に関わらない条件を提示する代償として、優先的に配当が受け取れるよう変更されました。将来的には磯村家が所有している株を、全て売却する計画書まで作成されていたのです」

「由子さんの遺言により株を遺贈された山内さんは、配当を受け取っていた。と同時にこの六年間で、売却も進めていたのですね」

「はい。これも遺言通り遺贈財産の管理を任された彼が、私に委託し作成済の計画書に従い売却を進めていました。先方の会社との打ち合わせも全て私が窓口となり、今年度で全株売却し終わる予定です。ただし楓さんが売却したくないとおっしゃるのなら、新たな打ち合わせをしなければいけなくなりますがいかがですか」

 楓は慌てて首を振った。

「いえ、お祖母ちゃんの立てた計画通り、進めて頂いて結構です」

「承知しました。残るは今年度だけですので、引き続き私が手続きさせて頂きます。その旨の委任状にもサインと印鑑を頂けますか」

「はい。宜しくお願いします」

 出された書類にペンを走らせている間に、彼は付け加えた。

「あと若干ですけど、上場株もございます。その売買については、申し訳ありませんがご自分でなさって下さい。もちろんそのまま所持し、配当を受け取って頂いても構いません」

「分かりました。それはおいおい考えます」

「上場株を持っていたんですね」

 大貴は意外に思ったらしくそう尋ねると、先生が答えた。

「不動産の取引をしてる中で、そういうお付き合いもあったからでしょう。ですが全体の資産からすれば、大した額ではありません。運用の為ではなく、仕方なく持っていたという程度です。あの方は余りそうした資産運用に、積極的ではありませんでしたから」

「先生は磯村不動産の顧問弁護士をされていたのですから、由子さんとも付き合いが長いのでしょうね」

「そうですね。彼女の祖父母や母親の八重さんが、ご存命だった頃からのお付き合いです。当時は私の父が主に窓口でしたけど、その手伝いをしていましたから。当然彼女が社長に就任した時の事も、よく覚えていますよ」

「それなら四十年以上前から、ということですか」

「はい。あの時は立て続けに三人共が病死され、大変でした。由子さんもまだ磯村不動産に就職して間もない頃でしたし、まだ三十代と若かった。娘さんもまだ小さかったですしね」

 灯台下暗もとくらしだった。こんなところに磯村家の過去を知る人物がいることを、すっかり失念していた。楓の祖父の弁護士であり、こちらに情報を与えてくれるはずなどないと思い込んでいたからだろう。

 楓達は三人で顔を見合わせた。同じことを考えたのだろう。大貴がその点を尋ねてくれた。

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