第二章~①
連城先生の所属事務所は大きなビルの中に入っていたが、部屋自体はこぢんまりとしていた。事前に大貴の叔父経由でアポを取っていた為、ほんの少し応接室で待たされた後、直ぐ彼は現れた。
年齢は七十近いけれど、見た目はもう少し若く見える。柔らかい雰囲気を持った優しそうなお爺ちゃん風だが、弁護士だけあって目は鋭い。そんな彼は、楓の姿を見て驚きの余り一瞬立ち止まり固まっていた。
すかさず腰かけていたソファから立ち上がり、頭を下げた。
「先生、ご無沙汰しています。だまし討ちのような真似をしてすみません。横にいる彼が、ご連絡を差し上げた須藤道隆さんの甥の須藤大貴さんです。大学の同級生で私の悩みを聞いてくれ、今回このような周りくどい方法を取りました。今日は先生にご協力を頂けるよう、お願いに参りました」
そこで彼と一緒に来た絵美の二人も立ち上がり、頭を下げてくれた。まずは泊から貰った中間報告書を渡しつつ、楓は告げた。
「私はもう調査会社に依頼して、お祖父ちゃんの住所や勤務先を突き止めています。そこで大きな借金を抱えていると知り、お祖父ちゃんと会う前にここへ来ました。その点をご理解ください」
「私は須藤さんと同じく、山内さんの大学の同級生で目黒絵美と言います。何故私達がこんなことをしたのかは、ちゃんとした理由があるので、是非話を聞いて頂けませんか」
連城先生は戸惑いながら、とりあえず正面のソファに腰かけ報告書に目を通してからようやく口を開いた。
「楓さんが、本当の依頼人だったのですね。あの人の債務をまとめて買い取りたいと聞いた時は、おかしな人達が動き出したのかと警戒しました。でも窓口は私にしたままで、金利もかなり低く抑えていいと言うじゃないですか。そんな都合の良い話があるなんて、おかしいとは思っていたのです、しかしここまで調べていたと分かり、ようやく納得ができました」
「お祖父ちゃんが何故借金を背負わされたか、その経緯も調べて貰いました。最初はすぐにでも先生に相談し、私の名義になっているお祖母ちゃんの遺産で清算して貰おうと思いました。でも彼らや調査員の方達と話している内に、その方法は難しいと言われたのです」
「そうだね。あれは楓さんの名義だが、来年の四月の誕生日がくるまで、資産管理者はあなたのお祖父様だ。彼の許可なしでは勝手に動かせない。ただ私もあのお金で、一度清算するべきだと進言したんだ。しかし彼は頑なに拒否した」
やはり泊が調べた通りだった。彼は話を続けた。
「勤務先を調べ、かなり過酷な労働状況も把握しているようだね」
「はい。ですから少しでも楽にしてあげるにはどうすればいいかと考え、須藤さんの叔父さんにお願いしたのです」
ここで大貴が話を引き継いだ。
「初めまして。須藤大貴です。連城先生のことですから、叔父がどういう人なのか調べていらっしゃるでしょう。かなりの資産家なのは実業家として成功しただけで、決して怪しい仕事はしていません」
「ああ。簡単に調べさせてもらった。君の言う通り、おかしな人物でないと確認している。だからこそ奇妙だと思っていたんだよ」
「承知しているのなら、ご理解頂けるでしょう。叔父が今回の話に乗ってくれたのも、決して彼女に同情しただけではありません。あくまで保有する資産の内、ほぼ確実に元本が保証される運用先を選んだだけだと申していました。叔父はプルーメス社というプライベートバンキングを利用していますが、そこだって確実に資産を増やせる保証はありません。だったら五千万程度でしかも来年の四月までの短期間なら、全く問題ないと判断しただけです」
「ほう。プルーメス社と言えば、富裕層しか相手にしない独立系の資産運用会社だったよね。あそこの顧客なら、間違いは無さそうだ」
大貴の説明で、自らが所属する銀行や証券会社の商品を使って運用する部門と独立系とは、全く違うと聞いている。販売できる商品に縛られない分、より幅広く様々なアドバイスが出来るという。
メリットは大きいが、各社におけるサービスの質はかなり異なるというリスクもあるようだ。また大きな資本を持つ会社ではない為、顧客の望む運用が受けられるか、きちんと見極める必要だってある。
けれどその中でもプルーメス社は、業界の評判も良く業績も上げているらしい。連城先生もそれを知っていたからか、安心したのだろう。警戒心がより少なくなったようだ。
そこで楓は今回の計画に至った経緯を説明し、ぜひ協力してくれないかと改めて頭を下げた。
話を聞き終わった彼は、頷きながら言った。
「そういう事情なら、私が断る理由はないよ。表向きは単に、あの人が抱える借金の負担を和らげる取引だ。裏に楓さんが係わっている点は若干引っかかるけれど、私が彼や由子さんから受けた依頼には背いていないからね」
「お祖母ちゃん達からの依頼というのは、どういう内容ですか」
「細かくは言えないが、第一に健一さん達が係われないよう楓さんが受け取る遺産の管理をする点と、彼らから受け取るべき養育費などをしっかり回収することだ。その他に死後離婚した彼の居場所は楓さんに絶対教えず、連絡を取れないよう守って欲しいとも言われている。ただ後者の方は、私を介さず調査会社を使い探し当ててしまったのだから、今更隠しても仕方がないけれどね」
「それでは協力して頂けますか」
「もちろん。彼の借金については、私も頭を痛めていたから助かるよ。でも教えてくれないか。やりようによっては、全額返済してしまえるだろう。それをしないのは、どうしてなんだ。それとも四月を過ぎて遺産の全額を受け取り、名実共に楓さんが自分の意志で使えるまで待つつもりかな」
楓は姿勢を整え、改めて頭を下げて言った。
「そこを先生に、ご相談したかったのです。依頼した調査結果では、私が全額返済したとお祖父ちゃんに知られれば、また失踪する恐れがあると言われました。もしそうなってしまえば、今度はそう簡単に居場所を突き止められなくなるとも忠告を受けたので、迷っています。本当にそうなりかねないと、先生も思いますか」
彼は少し考えてから、溜息をついて口を開いた。
「確かにその可能性はあるね。調査員がどうやって居場所を突き止めたのか知らないけれど、彼は遺産として受け取ったN県の家の管理と固定資産税を支払う義務がある。加えて借金返済の為に、働かなければならない。だから住民票はしっかり取得しているけれど、借金が無くなれば大きな重しが一つ減る。楓さんへ遺産を無事渡し終わり居場所を知られたと彼が気付けば、今度こそ本当に失踪してしまうかもしれない。固定資産税は銀行引き落としになっているから、住所変更しなくても済む。家の管理費用は前払いで田畑家に支払われているし、自分から定期的に連絡を入れて確認すれば、先方から連絡ができなくなったって、大きな問題にはならないだろう」
「やはりそうですか。それだと困るので、借金は残しておいた方がいいと言われました。しかしその方法では、いつまで経ってもお祖父ちゃんの酷い労働環境は、そのままです。それが私には辛くて」
「なるほど。楓さんが裏で債権者となっていれば、彼の居場所は常に把握できるからね。よく考えたものだ。その代わり、借金返済の為に働き続けなければならない。でも今の高い利息を払わずに済むのならば、もう少し早く完済できるだろう。その間に、彼の頑な態度を軟化させられればいいと思うがどうかな」
「そこです。何故死後離婚までして、姿を消したのですか」
必死の形相で尋ねたが、彼は悲しげな表情で首を振った。
「申し訳ないが、私も知らないんだよ。由子さんがまだ存命だった頃から、遺産相続については相談されていた。でも彼が磯村家と縁を切り楓さんの前からいなくなる話は、彼女が亡くなった後聞いた」
「お祖母ちゃんは、死後離婚までさせるつもりが無かったんですね」
「それは分からない。少なくとも私は知らされなかった。遺産管理人となった彼から窓口になるよう依頼を受けた際、初めて聞いたんだ。もちろん何故なのか尋ねたよ。でも彼は教えてくれなかった」
「そうでしたか。他には何か言っていませんでしたか」
「ただ、“楓も私も磯村家とは縁を切った方がいい”と口にしただけだった。深刻な顔をしてそう告げられたので、何か事情があるのだろうと思った私は、それ以上聞かないようにしていたんだよ」
期待はしていなかったが、やはりここでも祖父が取った謎の行動の真相は、不明なままだった。
しかし彼自身の問題だけでなく、楓も磯村家と縁を切る為だったというヒントだけは得られた。そう考えるとやはり、かつて呪いと呼ばれた過去に何かが隠されている疑いが強くなる。
謎が解明できず一瞬気落ちしたが、思い直し顔を上げて連城先生に対し念を押した。
「とにかく先生は、借金の取りまとめにご協力頂けますね」
「約束する。彼の居場所や現在の状況を、ここまで把握しているんだ。また四月には、遺産管理者としての私の役割も終える。その後の関りは、彼の借金に関してだけだから問題ない。但し先程も言っていたように、今はまだ接触しない方が良い。何故あれだけ拒むのかという理由を解明しなければ、逆効果になると私も思うからだ」
「どうすれば、良いと思いますか」
「申し訳ないが、今は無理だとしか言えない。これから四月の手続きまで、何度か話す機会がある。その間に私も少し探ってみるよ」
申し出は有難いと思ったが、敢えて尋ねた。
「大丈夫ですか。弁護士には守秘義務がありますよね」
しかし彼は軽く首を振った。
「もちろんあるが、この件については特別だ。もちろん彼が話す保証はない。でもここまで詳しく調査し探し出した楓さんの気持ちを考えれば、その苦しみはとても理解できる。私は昔から、磯村不動産に
「有難うございます。先生が味方なら、大変心強いです」
「但しあくまで今の私は、彼から依頼された弁護士だ。よって今回の件は内緒にして欲しい。裏切ったと誤解されかねないからね」
「もちろんです。もし四月までにお祖父ちゃんの行動の意図が分かれば、教えてください。それまで余程のことが無い限り、こちらからは連絡しません。私達は別の方法で、謎を解いてみようと思います。それが出来たら、堂々と会いに行くつもりです」
「まだ会っていないんだね。住所も把握しているようだけど、遠くから様子を伺ってもいないのかな」
連城先生の問いに、楓はぐっと唇を噛んだ。
「我慢しています。もし一目でも見たら、声を掛けられずにはいられません。でも今そんなことをしたら、全ての計画が台無しになってしまうと思って、耐えています」
「それが良い。だったら後は須藤道隆さんと連絡を取り、債権の取りまとめの手続きを進めるとしよう」
「宜しくお願いします」
そうして楓達は事務所を後にした。これから借金の件は大貴の叔父に任せ、N県で調査している泊から連絡が来るのを待つだけだ。
そう思っていたが、それまでに至る間が問題だった。想像以上に、磯村家の周辺で起こった出来事を調べるのは、困難を伴った為だ。よってようやく泊から連絡があり二回目の中間報告を受けたのは、十二月も終わろうとする頃だった。
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