第一章~⑨

 泊の推測に大貴達は納得した。報告書に書かれていた中身は、楓の祖父が住むアパートの写真とその家賃だけではない。勤務先でのスケジュールを含めた一週間の生活まで、詳細に記録されていた。

 例えば平日だとアパートの最寄駅まで徒歩二十分かけ、朝四時半の始発に乗り、三十分ほどかけ新宿にあるビルへ向かい、朝六時から八時まで保険会社の清掃を行う。そこから直ぐ近くにあるIT会社の中にある社食へと移動し、九時から十六時まで働き、その後アパートへ戻る。

 土日祝日は、両社とも休みなので仕事が無い。朝は早いが一日九時間労働で、夕方は早く帰宅できる為に比較的楽かと思いきや、そうでもなかった。金土日と祝日は、十九時から閉店の二十二時までアパート近くにある、スーパーのレジ打ちをしていたからだ。平日は恐らく朝三時頃に起き、夜は金曜以外だと二十一時頃までに就寝しているらしい。

 土曜の朝は夜が遅いので、さすがにゆっくりしているという。朝昼兼用の食事をして家事を行い、夕飯を済ませてから仕事に出かけているようだ。日曜日は前日二十四時前後に寝ているので、朝七時頃に起きて朝食を済ませ、家事や買い物などをしながら夕方には仕事へ出かける。

 おそらく祝日の場合、前日が平日であれば日曜日と同じスケジュールになるようだ。前日が金土日だと遅くまで仕事している分、土曜日と同じリズムではないかとも記載されている。

 ここまで読んで、泊は少なくとも一週間の行動を張り付いて観察していたと推測できた。夜寝る時に明かりが消え、朝起き出す時間帯まで見張っていなければ、ここまで詳しく把握できないだろう。また追記部分に、最も大変なのは一日十二時間働く金曜日。朝三時過ぎには起き、夜寝るのは早くても夜中の十二時だと思われる為、とあった。

 翌日の土曜日は仕事が夜からなので、睡眠時間はそれなりにとれるのかもしれない。それでも日曜日の夜は、翌朝三時起きならば四時間しかないので、月曜日も厳しい。または祝日明けが平日ならば、同じスケジュールになる。もし木曜日が祝日だったなら、金曜日は朝三時起きでそこから十二時間働かなければならない。それもまたきついだろう。

 ゆっくり休めるのは、土日祝日の朝から夕方までの時間しかない。そうした時に、平日出来ないような家事を行っているのではないかとまで、記載されていたのだ。

 ちなみに清掃の時給は千三百円プラス交通費で、社食は時給千六百円プラス交通費、スーパーの時給は千二百円らしい。そうなると月収は約三十八万円で家賃や光熱費、食費などを引いて二十五万円前後を月々の返済に充てているという。

 清掃と社食の仕事場が近いのは、交通費が二重取りできると考えたのだろうとも書いていた。主な収入源となる社食の仕事が決まってから、清掃やスーパーで働く事を決めたらしい。それでも約五千万の借金を返すとなれば、元金だけでも十七年以上かかる。そこへ利息が加わっている為、完全に返済するのは二十五年近くかかるだろうと予測されていた。

 さすがはプルーメス社と提携している調査員だけあって抜かりないと、大貴は改めて感心させられたのである。

会社の顧客になるには、不動産や負債を差し引いた純金融資産保有額が、最低一億以上なければならない。叔父から聞いた話では、そこで怪しいと思われる顧客がいた場合、調査員が負債を抱えてはいないか。または反社会勢力との繋がりがあり、マネーロンダリングを目論んではいないか等、徹底的に調査する場合があるという。

 時には他のプライベートバンクに乗り換えられないか、そうした動きがあるかどうか、不動産等はどれくらい保有しているのかといった身辺調査も行うらしい。プルーメス社の顧客を調べるとなれば、それなりにセキュリティがしっかりした家に住んでいるはずだ。しかも裏に何かあれば、下手をすると痛い目に遭いかねない。

 そうした条件下で任務を遂行するのだから、ボロアパートの住人一人の生活を洗いざらい調べる仕事など朝飯前なのだろう。しかも丁寧かつ、信憑性のある推論まで付け加えた報告書を見れば、彼が優秀かつ信頼がおける人だと読み取れた。

 楓も同じ感想を持ったのだろう。頭を下げて言った。

「ここまで詳しく調査して頂き、有難うございます。依頼して三週間しか経っていないのに、居場所だけじゃなくいなくなった後と、現在の生活状況まで調べて頂いて助かりました。もしこういう事情を知らないままお祖父ちゃんと会ったら、また姿を消してしまったかもしれません。そうしたら、もっと迷惑をかけていたと思います」

「その可能性は高いですね。あなたには決して知られたくないと、お祖父様は考えられたでしょう。下手をすれば折角長く勤めて来た仕事も止め、新たな職探しに苦労されていたかもしれません。それ位やりかねない人物だと思います。それに大貴さんがここまで調べた方がいいと予想され、別途依頼していたからこそです」

 その言葉を聞いた彼女は、深く頷きこちらを向いてお礼を言った。

「須藤さん、有難う。私の考えが甘かった。あなたは最初から、プロに任せた方がいいと言っていた意味が、これで良く分かった」

「いいんだよ、そんな事は。ただ問題はこれからだ。ある程度調べなければいけないとは思っていたけど、これほど厄介な状況になっているとは俺も想像してなかった。それに報告書から読み取れるのは、居場所を知ったとはいえ安易に近づくのは止めた方が良いってことだ。そうですよね」

 大貴が同意を求めると、泊は頷いた。

「間違いありません。まずあの方の借金問題を、片付けなければならないとは思います。しかしもしそれを山内様が解決したと知れば、また逃げられるだけでしょう。しかも今度は住民票も移さず、本当の意味で失踪者になるかもしれません。そうなると再び探し出すのは、かなり困難になります」

「どうすればいいと思いますか」

「山内様、申し訳ございません。私の立場ではお答えできかねます」

 それはそうだと思った大貴は、代わりに答えた。

「失踪しようと思い至った理由を明らかにしなければ、根本的な解決は望めない。でもその前に、借金を何とかしないと。法定利率の範囲内とはいえ、いつまでも利子付きの借金を、返し続ける羽目になる。だから思い切って、連城先生と面会し相談したらどうかな」

「それは駄目だよ。今までだって、お祖父ちゃんについては何も話せないと突っぱねられ、相手にして貰えなかったんだから」

「これまではそうだったけど、今は違う。居場所や勤務先、借金を抱えた経緯までこちらは把握しているんだ。いくら守秘義務だと口を噤んでも、事実は変えられない。正直に話して、山内さんの遺産で全て処理するよう、お願いしてみてはどうかな」

 すると泊が賛成しつつ、忠告をしてくれた。

「それはいい考えかもしれませんね。連城先生も、借金については何とかしたいと思っておられるはずです。ただ山内様の名が表に出ないよう、秘密裏に行う必要があるでしょう」

「そうですよね。だったらどうすればいいと思いますか」

 大貴が尋ねると、彼は答えてくれた。

「例えば債権を全て買い取り、一つにまとめます。ただし山内様の名が出ないよう別会社を作り、そこに支払う形を取ればよいかと。もう支払わなくて良いとなれば、怪しまれるでしょうから」

「そうか。借金を支払わなければいけないと思っている人なら、その方法だと逃げられずに済みますね。目の届くところに居続けて貰う間、失踪の理由を調べればいい。全てが明らかになれば、そこで初めて二人は会えるんじゃないかな」

「でも私が貰った遺産の管理者は、来年の四月までお祖父ちゃんだよ。勝手には動かせないんじゃないかな」

 楓は首を傾げたが、その言い分は間違っていない。未成年だし、管理者に内緒でお金を動かすのは無理がある。それに別名義の会社または個人名にしなければいけないという問題も残っていた。

 そこで大貴は閃き、提案して見た。

「だったら考えがある。俺の一存では決められないから、しばらく時間が欲しい。でもそれが上手くいけば、次に進めると思うんだ」

「どうするつもりなの」

 絵美がそう言い、楓も興味深げに大貴の顔を見たので、簡単に説明した。そこで泊は深く頷いた。

「それは良い考えですね。ただプルーメス社がどう思うかと考えた場合、私の立場で積極的なお勧めは出来かねます」

 しかし楓は首を振った。

「そこは大丈夫です。つまり私が正式に遺産を受け取って、自由に使えるまでの間ですよね。だったらしっかり、それに見合った運用利益分を支払えばいいんでしょ。元々お祖父ちゃんが受け取るべき分も含まれているんだから、その程度のお金なんて惜しくない」

「もし山内さんが良いのなら、話を進めていいかな。後は泊さんに一番肝心で、難しい調査をこれから引き続き依頼するかどうかだ」

 彼女は即答した。

「ここまで来たら、お願いしたい」

 泊が反応した。

「過去に遡っての調査ですね。時間もかかると思われるので、相当な費用が必要になります。それでも思うような結果が出ない可能性は否めません。それでも宜しいですか」

「構いません。ただ出来れば泊さんにお願いしたいと思います」

「承知しました。内容が内容なので、あまり多くの人に広める話ではないでしょうから」

 大貴は同意した。

「そうですよね。俺もそう思う。それに信頼出来る泊さんでさえ分からないなら、誰に頼んでも結果は変わらないんじゃないかな」

「須藤さんの言う通りだと、私も思います。宜しくお願いします」

「ではこちらで今聞いた話をまとめて、どこへ行き誰に話を聞けばいいのか整理します。後で疑問点や教えて頂きたい項目を、メールでお送りしましょう。それに答えられる範囲で構いませんから、返信いただけますか」

「はい。お待ちしています。もし今説明し忘れた部分や、思い出した点があればその都度ご連絡します」

「助かります。ところで今回の中間報告の請求ですが、大貴さんから依頼されたお祖父様の身辺調査についてはどうしましょう。これは山内様がお知りになりたかった追加報告を、事前に調べていた事になると思いますが、如何ですか」

 一瞬何を言われているのか理解できない顔をしていたが、しばらくして気づいたのだろう。彼女は笑って答えた。

「もちろん私に請求頂いて結構です。順序が逆になっただけで、調べて欲しい内容でしたから。それに、以前の依頼内容だけを聞いていたら、私はとんでもない過ちを犯すところでした」

「それではそちらもメールで請求書と明細書を送付しますので、ご確認頂いた後、指定された口座へ振込んでください」

「分かりました。宜しくお願いします」

「俺も助かる。こうなるだろうとは思っていたんだけど、もし請求されたらどうしようって、実は心配していたんだ」

 大貴が正直に告げると、彼女はまた表情に笑みを浮かべて言った。

「有難う。私が最初、それ程乗り気じゃなかったから、あれこれ調べようとしない。そう思ったのね。だから先手を打ってくれたんでしょ。それに想定以上の話が出て来たから、私も助かった。須藤さんにはこれからも、別の件でお世話になるけど宜しくお願いします」

「他人行儀なことは止めよう。元々首を突っ込んだのは、俺の方なんだから。それにもうここまで来たら、最後まで付き合うよ」

 照れ臭くなったので、話題を変えた。

「泊さん、ちなみに居場所はどうやって調べたのですか。住民票や戸籍を取り寄せられれば直ぐに分かったと思いますが、今はそれなりの理由が無ければ、弁護士でも取得するのは難しいはずですよね」

 正当な理由とそれを示す書類があれば、本人以外でも住民票等は請求できることになっている。ただしいくつか条件があった。

 まず本人と同一世帯として住民票に記載されている方や、その方から依頼を受け委任状を持っている人。そうでなければ請求に正当な理由がある方に限定されているのだ。

 正当な理由とは、相続や訴訟手続き等にあたって、国または地方公共団体等の機関に法令上、提出する必要がある場合。または正式な金銭消費貸借契約を結んだ相手から金銭返済の履行が無く、債権保全の為に通知を行う必要がある時。または自動車等のリコールにより該当する方へ、通知を行う場合などに限られる。

 楓の場合、既に祖父は姻族終了届け出を出しているので、同一世帯ではない。相続手続きも終えており、債権の取り立てもないので正当な理由となるものがなかったからだ。

 しかし彼は首を振って言った。

「それは職務上の秘密です。それにあなた達は知らない方がいい。君子くんし危うきに近寄らず。触らぬ神に祟りなしとも言いますからね」

 これは後に知ったが、どうやらN県の家を管理する田畑家のパソコンにハッキングし、メールアドレスをこっそり抜き取ったようだ。彼は必ず祖父に連絡を取っていると読み、そこから辿って居場所を突き止めたという。

 この手法は厳密にいえば、不正アクセス禁止法違反に当たる。ただこの公訴時効は三年の為、それを過ぎた後に大貴達は内密で聞くことが出来たのだ。

 こうして第一回目の報告会が終わった。しかしこれからの調査はN県が中心となる為、今回以上に時間が必要になる。よって泊から中間報告まで少なくとも二ヶ月は欲しいと告げられ、楓は了承した。

 解散した後、大貴は早速叔父に連絡を取った。楓に提案した、彼女の祖父の借金を処理する為である。その計画ではまず叔父に頼み、借金を全て肩代わりしてもらった上、彼の名義で新たに設立した会社に返済してもらうというものだ。

 五千万とはいえ、ほんの七カ月程度過ぎれば楓から返済される。またその間の利息も払う、とまで彼女は言っていた。そう告げた所、叔父は直ぐに了承し手続きを取ろう、と約束してくれたのである。

 今は法人の設立が簡単だ。それでもそれなりに費用が掛かってしまう。そこで叔父は資産運用の為に別途設立した会社の名前を使い、そこから連城弁護士に連絡をし、債権を全て買い取る手続きを取ればいいと提案してくれた。

 全ての消費者金融に一括で支払った上、利息をかなり低く抑える等の条件を出せば引き受けてくれるはずだという。もちろんその金は、プルーメス社に預けている資産から引き出される。その為そちらの担当者は、当然良い顔をしないだろう。そうなると分かっていた為、泊は口が出せないと断っていたに違いない。

 最終的には回収できると承知していても、叔父にとっては一時的に運用する資産が目減りしてしまう。かといって、プルーメス社の運用を越える高い利率を請求されれば、楓には酷というものだ。 

 その点を尋ねると、叔父は笑って言った。

「今の法定利息ぎりぎりの十五%を請求すれば、優秀な運用会社に預けるより得をするだろう。だが俺は金貸しじゃないし、そんな免許も持っていない。だから弁護士を間に入れるんだ。弁護士が債務者から債権を回収すれば、問題ないからな。その代わり条件がある」

「条件って。俺はまだ学生だよ」

「そうじゃない。山内さんから連城先生に、今回のからくりを説明しておくことだ」

「俺もそう思っていたんだけど、相手はお祖父さんに依頼されている立場だから、こっちの味方になる真似はしてくれないんじゃないかと山内さんは心配しているんだよね」

「そこは話しの持って行き方にもよるだろう。俺から事前に、お祖父さんの債務を全て買い取りたいと連絡を入れておく。ただそれは、ある依頼人によるものだと伝える。その後山内さんが依頼人として、何故このような計画を立てたのか、誠意をもって説明すればいい。お祖父さんを助ける為の裏取引だといえば、納得してくれるはずだ。心配なら、お前達もついて行け」

 遺産の受け渡しが済めば、連城先生は彼女の祖父との関係も終了する。借金についての繋がりは残るだろうが、正直に話をしておけば問題は起こらない。それどころかそれ以降、頼もしい味方になってくれると叔父は説明してくれた。

 その理由として、守秘義務があると言っても、こちらは既に居場所や仕事場を把握している点を挙げた。さらに借金の実質的債権者が楓に移行すれば、もう逃げようがない。踏み倒す覚悟で逃げない限り、どこまでも追う事だって可能となる。

 しかしこれまで騙された借金を抱えて真面目に返済してきた彼が、そのような行動に出るとは考えにくい。そう聞いて大貴は理解した。 

 そこで叔父の指示通り、大貴達は連城先生を尋ねたのだった。

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