第一章~⑦
十分ほど経って彼が現れた。楓の姿がないと確認した上で、店に入ってきたようだ。先にコーヒーを頼んでいた旨を告げると、席についていた彼は同じものを注文してから、口を開いた。
「お待たせしました。山内様とは別のご依頼と伺いましたが、具体的にどういった内容でしょうか」
「山内さんはそこまで言いませんでしたが、彼女の祖父を探すだけでなく、経済事情や現在に至るまでの行動を、分かる範囲で結構ですから調べて欲しいのです」
「それでしたら、彼女がいる前で言われれば良かったでしょう。山内様も、お知りになりたい点だと思いますよ。それがどうして、別途大貴様が依頼なさるのですか」
「その大貴様、という呼び方は止めて頂けますか。僕の方がずっと年下なんですから、大貴でいいです」
「未成年とはいえ依頼人ですし、須藤様の甥御さんですから、それはいけません」
「だったらせめて、大貴さんでお願いできますか。僕は泊さんと呼びますから」
「分かりました。では大貴さん、教えて頂けますか」
「何かまだ固いなあ。まあいいか。理由は最初からあれやこれや頼めば、彼女が嫌がるかもしれないと思ったからです」
余り知りたくない事実が、色々出てくるかもしれないと考えたからだ。それでも彼女が後にそうした内容を含め関心を持った場合、調査料は彼女に請求して貰うかもしれないと告げた。
彼は理解したらしく頷いた。しかし他にも調べて欲しいが、これは彼女が知りたいと思うか微妙な為、恐らく大貴が全額支払うことになるかもしれないとも付け加えた所、首を傾げられた。
「一体何でしょう」
「彼女の祖母が退いた後の、磯村不動産の件です。今どういう経営状態なのかと、どういう経緯で引き継がれたのか。できれば株主の構成等も調べられるといいのですが」
「なる程。実はお話を頂いた時、磯村不動産についてはざっとですが調べました。というのも山内様がほぼ全額引き継いだと言われる資産がどのくらいあるのか、それでだいたい分かりますからね」
大貴は目を丸くした。まさしく自分が知りたいと思っていた点だ。しかしよく考えてみれば、将来顧客となる可能性があるなら、どの程度なのか事前確認しておくのは当然だろうと納得する。
そこで意図的に惚けて聞いてみた。
「そうでしたか。良ければ教えて頂けますか。第三者に運営を譲ったのは確かですよね。なのに名前が磯村のままなのは何故なのか、僕なりに調べたのですがその点はよく分かりませんでした」
上場企業なら、
「なるほど。名前が磯村のままなのは、前社長の磯村由子様が大株主だったからでしょう。それに経営権は売却されましたが、戦前から先祖代々続く由緒ある不動産会社です。だから名前を変えない方が、仕事を引き継ぐ上で都合良かったからだと思われます」
譲渡した経緯は、楓の説明通り九年前に社長が会社経営から身を引き、N県に移住する為だった。その際株の半分以上を由子が所持し、今でも経営状態は良いという。よって株主への配当も、順調に支払われているはずだという。その株を引き継いだのが楓なので、資産も同じく確実に増えているのではないかと彼は言った。
「つまり磯村不動産の株の半分以上は、彼女の手にある訳ですね」
「そう思われます。調べたところ、配当を無くすなど定款を勝手に変えられないようにする為だった、と聞いています。非上場企業の場合は、株主の意向で配当を出すか出さないかを決められますからね。もし経営権を売却した際に株を多く手放せば、その後会社は利益を上げても配当を出さない可能性があります。それを避ける為だったのではないでしょうか。後は引退後も経営状態がどうか、由子様は把握しておきたかったのかもしれません」
「なるほど。昔から一族経営だったようなので、株の大半は由子さんが持っていたでしょうが、半分弱程度の売却で済ませた訳ですね」
「細かい内訳までは不明です。ただ楓様の委任状さえ頂ければ、いつでも株式の保有内容は分かりますよ。株主であればいつでも閲覧請求が可能ですから、名簿や株の保有数等も把握できるはずです」
「そこまで調査するには、山内さんの印が必要になるのですね。だったらそれは、必要となった時にお願いすることにしましょう」
「では磯村不動産の件は後程ということで、大貴さんの依頼としては、探している山内さんのお祖父さんの経済状況と、其れまでの足取りを調べる事、で宜しいでしょうか」
「はい。それでお願いします。別途サインしますし、後で叔父が保証人になってくれるはずですから。ああ、すみません。磯村不動産の件を、タダで教えて貰ったことになってしまいましたね」
大貴がそう言って頭を掻くと、彼は笑いながら首を振った。
「構いませんよ。新たなご依頼を頂く訳ですし、何よりも道隆様のご紹介ですから、この程度の情報はおまけしておきましょう」
「ではおまけついでに聞きますが、磯村不動産の売却等で得た資産から推定して、ざっといくら山内さんが相続したと把握してますか」
しかしこの質問に、彼は手のひらをこちらに向けて言った。
「さすがにそこまでは、いくら大貴さんといえどもお教えできません。これは楓様の、個人情報に関わる問題ですから」
それでも少し粘ってみた。
「それは暗に、五十億って意味ですか」
手で制止して見せた指が五本ある為、そう鎌をかけると彼は
「いいえ、そういう意味ではありません」
「じゃあもっと上ですか、下ですか。流石に上ってことは無いか」
しつこくそう食い下がると、軽くいなされた。
「申し訳ございませんが、お答えできません。ご了承ください」
だがその反応を見て、大貴は目を見張った。五十億以下ならそうですね、くらいは言うと思っていたからだ。しかし彼はそう口にしなかったことから考えれば、それ以上の可能性もあり得る。
「もしかして百億近いってことですか」
これにはさすがに即答し、
「そんなにはありませんよ。余り他人の懐に興味を持たれない方がよろしいかと」
大貴は慌てて否定した。
「そういうつもりじゃありません。相当な資産だろうとは聞いていましたが、どのくらいを指すのか知っておきたいと思っただけです。僕の興味は人のお金でなく、多くの資産を持った人自身ですから。大学を卒業したらプルーメスに入社して、そういう方達に多く会ってみたいと思っています」
「そうなのですか。それなら相当な知識と運用センスを持っていなければ、通用しませんよ。これからの時間を無駄なく使わなければ、採用されないでしょう。弁護士や医師の資格を取るよりも難しく、相当な高い壁だと伺っていますから」
「そのようですね。もちろん今から、AFPや金融関係の資格取得の勉強を始めています。大学の成績も加味されると聞いてますので、単位は全てA評価を取るつもりですし、当然就職活動で面接を受けるまでに、CFPやPB、税理士や会計士の資格も取る予定です」
「ほう。それはすごいですね。まだ大学に入って間もないというのに、そこまで計画を立てていらっしゃるのですか。あの会社に入りたいというのは、本気のようですね」
「はい。そうだ。泊さんはプルーメス社の依頼で、沢山の富裕層の方々を身辺調査されてますよね。だったら僕が言わんとすることを、理解できるんじゃないですか」
「どういう意味でしょう」
再び首をひねった彼に、大貴は説明した。
「お金持ちにも、色んなタイプの方がいらっしゃるでしょう。例えば叔父のように自らの手腕で財を築いた人もいれば、山内さんのような突然お金持ちになってしまう人、はたまた代々資産家で生まれた時から、帝王学を学んでいる人など様々です」
「その通りですね」
頷く彼に、話を続けた。
「その中にも、財を使い果たしてしまう没落途中の人や、飛ぶ鳥落とす勢いでどんどん資産を増やす人もいる。僕は資産運用をしながら、そうした人達と接したい」
「なるほど」
「お金は人を狂わせるのだとか、使い方で人間性が分かるなど言われるでしょう。つまり本性が見える。だから今回山内さんの話を偶然耳にした時、協力を買って出たのです」
「それでしたら私のような仕事をした方が、そういう人種の裏側をより覗けると思います」
「そうですよね。でもそれだけでは、僕自身が富裕層になれないと思ってやめました。運用する側にいて成功すれば、それなりの報酬は得られるでしょうし、自分の資産も増やせます。出来るだけ近い目線に立った上で、より高い場所から見る景色を垣間見られる方が、魅力的じゃないですか。さらにその陰に隠れた人間模様や、上下動する様を近くで観察できる職業は、そうありません。そう思って調べ上げた中で、僕の好奇心をより満たしてくれるのは、プルーメス社だと僕は確信したのです」
思わず熱弁してしまった様子を見ていた彼は、冷めた声でボソリと言った。
「一つ間違えば、危ない人ですよ」
「それは自分でも、自覚しています。ですからその一線は超えないように、しっかり勉強しながら人間性を高める修行も必要だと思っています。そうじゃないと顧客から信用されないでしょうし、それ以前に採用されませんからね」
「そこまで理解されているのなら、私からは何も言いません。夢が叶うといいですね。もしかするといつか、ご一緒に仕事をする機会もあるでしょう。その時は宜しくお願い致します」
「有難うございます。こちらこそ宜しくお願いします。では僕の依頼を受けて頂けますね」
「もちろんです。ではこちらにサインを頂けますか」
こうして別途契約を結んだ大貴は泊と別れ、彼の調査報告を待つことにしたのである。
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