秘密のマニュアル
「それでは、失礼いたします」
古くからある住宅地にある大きな門構えの家の前、明日香は和服を着た上品そうな婦人に挨拶をした。
「いろいろとありがとうございました」
婦人は明日香に深々と頭をさげ顔を上げた。その顔はすっかり安心感に満ちた顔だった。その顔を見ながら明日香はもう一度かるく頭を下げて、住宅地を歩き始めた。
田舎とも都会とも言えない町を明日香は歩いていく、時刻は正午を過ぎた頃だろうか人はほとんど歩いていない。
「ちょうど近くで良かった」
明日香は独語した。
古い家と新しい家が乱立している住宅地、本村と表札のある家の前で明日香は足を止める。
割られた窓に段ボールを貼り付けてすきま風が入るのを防いでいる。「あれから窓は割られていないみたいね。警察がちゃんと巡回してくれるようになったのかしら? それともこの前の騒ぎで石を投げたりする人はいなくなったのかしら? まあ、どちらにしても渉の身は安全になってよかったわ」明日香はこの前の事を思い出した。
呼び鈴をおして少しすると眠たそうに渉が顔を覗かせた。
「明日香? 急にどうしたの?」
渉は少し戸を開けて明日香が来た事に驚いた。
「とりあえず入って」と言って明日香をリビングに通した。
明日香は渉に奨められてソファーに腰掛ける。
「すぐお茶を入れるから少し待ってて」と言うと渉はキッチンへ向かっていった。
渉の家のリビング、お昼過ぎで、テレビではちょうどワイドショーの時間帯であった。
渉が急須と湯飲み茶碗をお丸い漆塗りのお盆に乗せて戻って来たとき、ちょうどテレビから「牛丼屋強盗殺人事件の謎」と声が流れ画面にテロップが出た。
明日香は少しばつが悪くなったし、渉がテレビを消すのかとも思ったが渉はテレビを消す素振りも見せないで、淡々と明日香と自分のお茶を用意している。
「ねぇテレビ消さなくていいの?」
明日香が渉を気遣い声をかけた。
「少しでも情報というか何か手がかりになることがあるかもしれないからできるだけテレビや新聞にインターネットで調べたりしてるんだ」
気の弱い臆病な渉がそう弱々しいながら呟くように漏らしたのを聞いて明日香は少し関心した。だが同時に心配にもなった。
「この前の件もあったし大丈夫?」
明日香が尋ねると渉は少し顔を上げて少し明るくなったと言うか、穏やかな顔で返した。
「僕は父さんを信じているから平気だよ……まぁ最初の頃はみんなからおまえの親父は犯罪者の人殺しだとか周りの人にも言われていたし、テレビとかでも酷い事を言われていたけどね。でも、僕は父さんを信じてるだから目を瞑ったり、耳を塞ぐのを止めたんだ」
明日香はちょっと見ない間に渉の心が大きく成長したのを感じた。事件の後の様々な経験を通して少し大人になったのだろう、そう強く感じるのだった。
そして、すっかり用件を忘れていたこを思い出し、スクールバッグからプリントを取り出した。
「高橋先生から、先生心配してたよ」
渉にプリントを渡した。渉はしばらくプリントを眺めていた。しばらくすると顔を上げた。
「ありがとう、先生には一応元気にしてるって伝えておいてくれる? あと渡したい物があるから少しまってて」
渉は自分の部屋に向かいしばらくして戻ってきた。
「これ、父さんの部屋を片していたら見つけたんだ。パソコンとかは差し押さえられたけど本棚の中にあったんだ。一応、僕のパソコンで見てみたら、裁判で出てきたあのマニュアルのデータが入っていたんだ」
明日香は少し驚き声が高くなった。
「でかしたわよ! 検察側はすべてのデータを持っているけど私たち弁護側は裁判で出される箇所しか内容を知らないの! もしかしたらすごい手がかりがあるかもしれないわ! すこし預からせてもらってもいい?」
渉はコクリと小さく頷いた。そして、明日香は渉から犯罪マニュアルのデータの入ったUSBメモリを受け取た。
テレビから、次は犯罪社会学者の天野博先生にお話を伺いたいと思います。という音声と共にテレビに丸い眼鏡をかけた品の良さそうな感じの壮年の男性が映し出された。
明日香はふと時計に目をやった。
「もうこんな時間、そろそろ事務所に戻らないと、ごちそうさま、良いお茶だったわ」
そういって渉の家を飛び出して急いで事務所に戻るために駅にむかった。
事務所に戻ると山崎がディスクで書類の整理をしながら紅茶を飲んでいた。「先生、紅茶なんてめずらしいわね」
明日香は少し不思議そうに山崎の手にするカップを眺めた。
「あぁ大学の同期が大の紅茶党でな、イギリス土産と言って少し前にもらったのを思い出したんでな、ちょうどコーヒー切らしてしまったからたまにはと思い飲んで見たらなかなかなんだよ」
明日香もいい香りだとは思いながら部屋を漂う紅茶の耽美な香りに少し酔いそうではあったが、コーヒーがないのも問題だとは思った。
「先生、携帯に電話してくれれば買ってきましたよ」
山崎は紅茶をすすり、タバコに火をつける。
「まぁそうも思ったんだが、たまには良いかと思ってたんだがね。明日香君も一杯飲んでみるかね?」
たしかにいつもコーヒーばかり飲んでいるからたまには紅茶もいいかと思った。
「じゃあミルクティーにして頂こうかしら」
「うーんこの銘柄はストレートで飲むのが一番だと聞いてはいるんだがな」山崎は、明日香にストレートで飲むことを勧めたが明日香は少し不満そうにした。
「たぶん、自分の好みで飲むのが一番でしょうからミルクティー入れてきます。」
そういって明日香が給湯室に向かっていった。山崎は明日香の背中をみながら、なんやかんや言っても味覚とかいろいろ子供だなと、でもそこが明日香の良いところのような気もした。
しばらくしてミルクティーを入れてきた明日香が戻ってて来た。
一息ついたところで、明日香は渉にから預かったUSBメモリをスクールバッグから取り出して山崎に見せる。
「犯罪マニュアルのデータ手に入れてきました」
山崎はUSBメモリを受け取ると明日香にどこで手に入れたかの事の次第を聞いた。
そして山崎のディスクトップ型のパソコンにそれを指してデータを見た。
それには名前の通りいろいろな犯罪の手口が書かれていた。
強盗編
強盗をするのに適しているのは深夜店員の少ない店を狙うと良い。
牛丼屋等は深夜はバイト店員一人しかいない事が多いので犯行をするのに適している場所だ。
項目分けされどのような場所でどのように行うのが良いのか等、様々な事が書かれていた。
山崎と明日香は細かくその内容をチェックしていった。
「こんな物がネットで売られるようになるとはな」
山崎が呟いた。明日香はマニュアルを見ながら軽く頷いた。
「まったくだわ! いったいこんな物、誰が作ったのかしら?」
明日香は首を傾げて少し考えこんだ。
「こういうことは、専門家に聞くといいかもしれんな、実はな、この紅茶の送り主は今、犯罪社会学者で聖パウロ大学の教授でな、話を聞いてみる価値はあると思うんだがな」
明日香はふと考えこんで、しばらくして思い出した。
「もしかして天野博って人じゃ?」
山崎は少し驚いた。そして明日香に尋ねる。
「どうして彼の事を知っているんだい?」
「偶然テレビに映っているのを見たのまさか先生の知り合いだったなんて私のほうが驚き、しかも、被害者の通ってた聖パウロ大学の教授なんてますますビックリだわ」
山崎はタバコに火をつけてゆったりと語り出した。
「まぁ昔の話だがな、学生時代に一緒に司法試験の勉強をしていたんだが、ちょっと変わり者でな受験にはあまり向かないと言い出して、学者の道を選んだ奴なんだよ、それも刑事法学をやっているうちに法社会学や犯罪社会学に関心を持って大学院は法学研究科でなく社会学研究科にいって、ひたすら努力をして、今では、その道の大家になってな、たまにテレビにも出たりするわけだが、お互い別の道を歩んだが、何故か気があってな、たまに連絡を取ったり飲みに行ったりしている感じなんだが、たまには連絡を入れてみるか、直接会って話が聞けるかどうかせっかくだから聞いてみるか?」
明日香はにこやかな笑顔になって
「勿論!」
そう答えるとすぐに山崎は携帯を取り出して天野に電話をかけた。
しばらく楽しそうに最近あった出来事を話した後に話を聞きに行く時間があるか尋ねた。明日の午後という返事であったようで明日の午後は公判があるから弟子を伺わせていいかと尋ね良い返事がもらえたようであった。
「私は明日の午後、西田の公判があるから行けないが確か明日香君が担当の本村の公判は午前中だったな?」
「はい、そうですけど」
明日香は山崎に答える。
「ならば明日の午後に天野君の所に行って話を聞いてくると良い、どうも最近忙しいらしくて明日の午後しか時間がとれないようだし、君も勉強になることが多いだろうし行ってみるといい」
明日香の返事も聞かないでほとんど勝手に二人で話を進めてしまったらしい、しかし、明日香にとっても少しありがたい事ではあった。山崎の言うように勉強にもなるとも思うが、何よりも公判から事務所に帰って来て一人で書類を整理しなければならないという明日の予定が大きく変ったのでそれが少し嬉しかった。
山崎はふと柱時計を見た。
「少し早いが明日に備えて今日はそろそろ終わりにしよう。明日香君は学校へ行く支度をしなさい、片付けと戸締まりは私がやっておくから」
「ありがとうございます」と返事をすると明日香は書類のたぐいをスクールバッグから取り出して教科書や筆記用具に入れ替えて事務所を後にした。
今日の時間割に数学はないその事が嬉しくて少し浮かれ気分で明日香は教室に入った。すると、教室の窓側の奥の席、渉の席の様子がおかしいのに気がついた。
花瓶に白い菊の花が刺してあるのが目にとまり近づいてみると「人殺し、死ね」等と無数の落書きがしてあるのを見て明日香は激怒した。
「誰! こんなことしたのは?」
明日香が叫ぶと茶髪にして制服をだらしなく着た見るからに不良としか言い様のない格好をした男子生徒が明日香に近づいて来た。
「人殺しの息子なんかこのクラスにゃいらねんだよ!」
その見るからにガラの悪い男子生徒は明日香に絡んできた。
明日香の怒りはますます高まって限界に近かった。
「あんたね! まだ裁判の途中でそうと決まったわけじゃないし、仮にそうだったとしても渉の何が悪いの?」
明日香がそう言い放ったその時だった。男子生徒の拳が明日香の顔面めがけてとんできたが明日香は身をかがめてそれをかわした。
そして、拳を握り男子生徒目がけてアッパーを繰り出した。見事に男子生徒の顎に命中した。その衝撃で男子生徒は床に倒れもうろうとする意識で明日香を睨み付けた。
「このアマ許さねえからなぁ」
明日香は倒れた男子生徒を見下ろしながらにらみ返した。
「弱い物いじめして、女の子の顔を殴ろうとするような下衆にはお似合いね。言っておくけどそっちが先に手を出したんだから正当防衛よ!」
しばらくすると騒ぎを聞きつけたのか若い三人の男性教師たちが駆けつけて来た勿論その一人は高橋先生だった。
「何があったんだ!? 詳しく説明しろ! それと誰か佐藤を保健室に連れて行ってやれ」
教室は、静まりかえっていた。誰も佐藤という名の不良生徒を保健室に連れて行こうと名乗り出る者もいなかったので佐藤は二人の男性教師に肩を貸してもらい立ち上がる
「二人とも後で職員室に来るように」
高橋がそう言ったあと佐藤は、二人の男性教師に連れられて保健室に向かっていった。
「佐藤の怪我の処置が終わったら呼びに来るからそれまで問題をおこすなよ」
そう言い残して高橋は職員室のほうへ向かっていった。
教室の空気はとても重たくなっていることに明日香は気がついた。
渉の机があのようにされていたのに止める生徒は誰もいなかったんだろうか、佐藤が怖くて何も言えなかっただけなのか、単に見て見ぬふりをしていたのか、それとも内心そのいたずらを見て喜んでいた生徒もいるのかもしれないと明日香が自分の机で考えこんでいると高橋がやってきた。
「一時間目の歴史の授業は自習にするからみんなしっかり勉強するように、それと大岡、職員室へ」
明日香は高橋に連れられて職員室へ向かっていった。
職員室には、数人の職員が慌ただしくしていた。
奥のほうで、教頭がイライラしているようだった。蛍光灯の光がバーコード頭に反射しているのが普段ならみんなの笑いのネタになるが表情はかなり怒っているようにも不安なようにも見える。
佐藤は、何を言っても黙ったままで一言もしゃべらない、高橋も他の教師も半分あきれ果てているようだった。高橋が、大岡からも話を聞きたいと言い明日香は教室であった出来事を話した。
「なるほどそういうことだったのか」
高橋が腕を組みながら言った。
「やっぱりとは思っていたが、渉の机の犯人はやっぱりお前だったのか? 佐藤!」
高橋が佐藤にそう問い詰めたとき教頭が立ち上がった。
「それも問題かもしれませんが佐藤君は怪我をしているじゃありませんか? この責任をどう取るつもりですか? それに渉君の机のいたずらは本当に佐藤君なのですか?」
バーコード頭の教頭が高橋を指さし詰め寄ってきた。その時職員室の扉が勢いよく開いた。
「やめてください!」
眼鏡をかけた大人しそうな少女がその容姿に似合わず大きな声で叫んだのであった。
突然の出来事に教頭は黙り込んでしまった。しばらくして教頭はヒステリックに眼鏡の少女を怒鳴りつけた。
「ノックもしないで入ってくるとは何事だ!」
眼鏡の少女は教頭に向かって一礼した。
「すみません失礼いたしました。ですが、あまりに大変な事になっていると聞いて飛んで来たんです。職員室に入るのが少し怖くて外に聞こえてくる話を聞きましたが、明日香さんの話している事は本当です。それに渉君の机にいたずらしたのは佐藤君です。私ずっと怖くて言えなかったけど、こんなことになるならもっと早く先生にお話しすればよかった」
眼鏡の少女は泣き崩れてしまった。
「ありがとう桜井さん助かったわ」
明日香は桜井の脇に近づいて肩に手を置いた。
「どうです教頭、話は事実でしたし佐藤の怪我も軽いようですし今回は二人ともお咎めなしにするのは?」
教頭は納得いかないという態度だった。
「そういうわけには行きません、現に佐藤君は怪我をしているのですよ、親御さんに知れて教育委員会の耳にでも入ったら」
黙り込んでいた佐藤が顔を上げて口を開いた。
「誰にも言わないって言うか言えねぇよ女に殴られて怪我したなんて」
佐藤は、悔しそうに天井を見上げていた。
「でもよ、大岡、お前がこんなに強かったなんて知らなかったぜ」
そういうと明日香に向かって手を差し出した。
「もう、あんなイタズラしないでね」
そう言って明日香は佐藤の手を握り返した。
「教頭、生徒たちの間では解決したようですし、この件は私が責任を持ちますから」
高橋の言葉に教頭は、不服そうな顔ではあったが、納得した。
するとチャイムの音が鳴って時計を見たら帰りのホームルームの時間だった。今まで何度かチャイムは鳴ってはいたが職員室は修羅場と化していたので、チャイムや時間に気がつかなかったのだ。
高橋に連れられて三人はクラスに戻りホームルームが開かれた。渉の机から花瓶は消えて落書きも丁寧に拭き取られていた。
何事もなかったかのようにホームルームが終わった。
「駅まで一緒に帰りませんか?」
明日香に桜井が声をかけてきた。
「ええ、良いわよ」
明日香はにこやかな笑顔で答えた。
「あの、あと恵って呼んでもらえませんか?」
そういえば近くの席なのに桜井さんの下の名前をあまり意識することはなかったしクラスのみんなも彼女の事をみんな名前でなく名字で呼んでいたので明日香は少し拍子抜けした感じはあった。
「私も明日香でいいわ、では、恵さん、行きましょう」
明日香と眼鏡の少女桜井恵は駅に向かって夜道を歩いていった。
「渉の机きれいににしてくれたの恵さんなんでしょ?」
大人しそうな眼鏡の少女小さく頷くいた。そして、しばらくして口を開いた。
「一時間目が自習になったのでその間に掃除して、誰も手伝ってくれる人はいなかったけど、何とか一人でがんばったの?」
明日香は大人しいこの眼鏡の少女がそのような行動を取ったのが少し意外でもあった。そして尋ねた。
「やっぱり佐藤のやったイタズラが許せなかったの?」
明日香の問いに桜井恵はゆっくりと口を開いた。
「そういうのもあるけど、実は、私、佐藤君の事が好きなの、好きな人がいじめとか、そういう事やるの見てると少し悲しくなってしまって、本来ならば自習の時間なんだから勉強しなければと思ったけど、あの机を見ていたらいつの間にかというか、なんか自分でも解らないけど気がついたらあの机を綺麗にしようって立ち上がってしまって、あとは何というか体が勝手にというか……」
「勢いってやつね」
桜井が口ごもったので明日香は助け船をだした。
「確かにそうかもしれません」
桜井は小さく明日香の問いに答えた。
「でも、なんか意外、だって恵さんって優等生タイプだしなんか不良みたいなタイプが好きなんて少し意外な気もするのよね」
明日香は少し考えこんで左手を顎にやった。
「佐藤君、人間にはああだけど動物には優しかったりして、子猫が捨てられていると佐藤君の家、アパートでペット禁止だから、人目のないところでこっそり餌をあげたりしてるの、それに、お母さんと二人暮らしで昼間は工場で働いたりしていて苦労しているみたいで」
明日香は、いろいろな思いを巡らしながら語り出した。
「案外、定時制高校の生徒って訳ありが多いのかしら、母子家庭だったりとか父子家庭だったりとか、私は父子家庭でお父さんと二人暮らしだけどね」
桜井は少し俯いててしばらくして口を自分の過去を語り出した。。
「私ね、中学の頃、不登校でフリースクールだったの佐藤君とは同じ中学だったんだけど、私、途中から学校にいかなくなって結局、中学卒業までフリースクールだったんだけどね、卒業して佐藤君に再会したときに私に明るく声をかけてくれたの、その後からなんか佐藤君の事が気になって、何というか上手く説明出来ないんだけど……」
「片思い?」
明日香は、また、助け船を出すことになった。すると桜井の頬が紅く染まった。
「そうなのかしら? もしかしてこれが恋っていうやつなのですか?」
明日香は、少し驚き憮然とした表情になった。
「もしかして、恵さん、今まで好きになった人とかいなかったの? だとしたら、それって初恋になるんじゃ?」
桜井の顔は、どんどん紅く染まっていった。
「ええ? そうなのですか? でもこんな気持ち初めてで」
そうこう話が弾んでいる間に駅前についた。「私上りだけど恵さんは?」明日香は、恵に尋ねると「私は下りです」と答えが返ってきた。
「だとここで別々ね。また明日ね」
駅からは出てくる人のほうが多かった。この時間に駅の改札をくぐって中に入るのはほとんどが外房総合高校の定時制の生徒であった。
「おーい! おまえ達も電車か?」
買い物袋を抱えて佐藤が出てきた。
「ああ、お疲れさま。佐藤、あんた上りだっけ? 下りだっけ?」
佐藤は急な質問に少し戸惑ったが返答は早かった。
「俺、下りだけどそれが何かあるのか?」
明日香は、改心の笑みを浮かべた。
「私は上りでさ、桜井さん下りみたいだから一緒に帰ったら良いんじゃないかな?って思って」
「明日香さん、ちょっと」
明日香の耳元で桜井が小声を出すが、明日香は小さく「任せといて」と答えた。
「そうだな、一人で帰るのも退屈だしい嫌じゃなければ一緒に」
佐藤がそう言ったので、明日香は軽く桜井の背中を押して佐藤に近づけた。
「それじゃあ、佐藤、恵さんをよろしくね」
明日香は軽く手を振って改札を抜けて上りホームの階段を駆け上っていった。
明日香は電車の中で窓に映る自分の顔と景色を見ながら少し考えこんでいた。
今日、学校で起きたささやかな事件の結末を考えていたが、考えてみれば、明日香も初恋と呼べるか呼べないかという事は合ったが本気で誰かを好きになったことがあるかと考えこんでしまった。
小さな時も多くの女の子がシンデレラに憧れ、将来の夢は「お嫁さん」などと七夕の短冊に書いたりはしていたが、明日香その頃から不思議の国のアリスに憧れるような好奇心旺盛な女の子であった。
そして、将来の夢に「お嫁さん」と書いたことはなかった。覚えているのは「発明家」と書いたのをなんとなく覚えている。研究室で時々失敗して、爆発騒ぎに助手を巻き込んだりしながらもすごい新発明を生み出す。子供向け番組に出てくる博士に憧れていたのであった。
そんな、明日香は、現在、高校生であり弁護士でもある。高校生でありながら文系資格の最高峰に上げられる司法試験を突破して今がある。
理系の素質があまりなかったので幼稚園の頃の夢は叶えられなかったが、満足はしていた。忙しくて疲れる事もあるが、やり甲斐はあると思っていた。
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