第78話

 ……しかし、おかしい。


 先ほど王子が私を捕らえるよう命じたと言うのに、一向に兵士たちが近づいてくる気配がない。


 会場はただただ静寂に包まれている。威勢よく命令したジャレッド王子の顔に困惑の色が浮かぶのがわかった。


「お前たち、何をしている。エヴェリーナを捕らえろと言っただろう。さっさと捕まえろ」


「いや、しかし……」


「エヴェリーナ様は……」


 王子は再び命令するも、兵士たちは顔を見合わせて困り顔をするだけだ。兵士の一人がねぇ? とでも言いたげな顔でこちらを見てきた。そんな顔をされても困る。



「兄上、少しよろしいでしょうか」


 突然、会場の奥からよく通る声が聞こえた。その人は人々が空けた道を通り、こちらに向かって歩いてくる。


「何の用だ、ミリウス」


 ジャレッド王子は突然現れたミリウスを睨みつけた。一体いつの間に会場に来ていたんだろうと、ミリウスの顔を眺める。


「兄上、エヴェリーナ嬢を王族に危害を加えた罪で捕らえるのは不当です。先にあなたが彼女とその執事を侮辱したのではないですか」


「な……! 私は本当のことを言ったまでだ。大体、その女はカミリアを暗殺しようとしたのだぞ!」


「それだって彼女の言う通り証拠がないでしょう」


 ミリウスは、ジャレッド王子を真っ直ぐに見つめながら言う。


 私はすっかり驚いてしまった。顔を合わせれば文句ばかり言ってくるから当然嫌われているとばかり思っていたのに、一体どういう風の吹き回しだろう。


 黙って話を聞いていたカミリアは、ミリウスを涙で潤んだ目で見上げると、悲しげに言った。


「ミリウス様、そんなことをおっしゃらないでください。まだ王宮のパーティーでの件を怒ってらっしゃるのですか……?」


「いいや、神具の件はもう怒っていない。俺が愚かだっただけだ。今はエヴェリーナの件についてのみ話している」


「それならなおさらエヴェリーナ様を擁護するなんて納得がいきません。私は今までエヴェリーナ様に何度も意地悪をされてきたんです。

今回切りつけられたときも咄嗟にあの方の顔が浮かびました。少しは和解できたと思ったけれど、やはりエヴェリーナ様は本心では私を憎んでいたのだと……」


 カミリアは目に涙を浮かべながら震える声でそう告げる。いかにも弱々しく儚げな姿だった。しかし、ミリウスは彼女をちらりと見遣るだけでジャレッド王子の方に視線を戻してしまう。


「俺にはそう思えません。エヴェリーナは、兄上にもカミリアにももう興味がないように見えます」


「そんなはずはない。あの女は嫉妬深くて陰湿な悪女だ。お前、パーティーの件を怒っていないと言うが本当はまだ根に持っているのだろう? だからあの場でお前に有利な証言をしたエヴェリーナの肩を持つのだ。おめでたいことだな」


 ジャレッド王子はミリウスに蔑みの目を向けた。しかし、ミリウスは怒ることもなく冷静な声で言う。


「確かにその件では彼女に感謝しています。しかし、だから彼女の側につくわけではありません。最近の彼女を見ていて、嫉妬で兄上やカミリアに害をなすようにはとても見えないから言っているのです」


「なんの根拠があってそんなことを……」


「先日、私はとあるレストランでエヴェリーナと執事に会いました。王宮でパーティーが行われる以前のことです」


 ミリウスは王子の言葉を遮って言った。唐突な言葉に、ジャレッド王子は怪訝な顔でミリウスを見る。

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