裁定
国防陸軍は日本国を護る最後の盾だ。
陸上自衛隊を前身とし、その装備の多くは更新されていない。
しかし、インクブスとの死闘が国防陸軍を世界有数の陸軍へ変えた。
技量と戦術、そして士気を以て、人類を圧倒する怪物と渡り合ってきた。
ゆえに、百戦錬磨の防人にとって有象無象の信奉派など敵ではない。
「我々は目覚めた者だ! 恐れるな!」
ピストルクロスボウで武装した男は口から唾を飛ばす勢いで叫び、路上を駆ける。
男は還暦を過ぎてから陰謀論に傾倒し、社会から完全に孤立していた。
「救世主の導きを受け、天罰をくだ──」
炎上する軽自動車の陰から国道へ躍り出た瞬間、男の眉間をライフルの弾丸が貫く。
脳漿が路面へ四散し、支離滅裂な思想を出力することは二度とない。
アスファルトに倒れ伏す人影が1体増え、乾いた銃声が無人の国道に響き渡る。
「…何が天罰だ」
闇に潜む狙撃手は敵の最期を無感動に見送る。
暗視スコープから目を離し、スナイパーライフルの薬室に次弾を送り込んだ。
真鍮の薬莢がタイルの壁を叩き、硬質な金属音が鳴り響く。
「斎藤、移動するぞ」
無線に耳を傾けていた観測手が狙撃手の左肩を叩く。
熱線映像装置を装備するドローンが信奉派の新たな動向を捉えたのだ。
次の狩場へ移動する必要がある。
「了解」
マンションのベランダから音もなく姿を消す迷彩柄の人影。
夕刻の戦闘から厳戒態勢にある国防軍は、優位な地形を掌握している。
信奉派は自ら虎穴に飛び込み、その身を引き裂かれんとしていた。
「なぜ位置が分かる! ベリチップか!?」
小綺麗に並べられた植木鉢を薙ぎ倒し、必死に腕を掻き毟る中年の男。
一般住宅の庭先に転がり込んだ男もまた信奉派の一人だ。
ゲリラ戦だと息巻いていた仲間を次々と射殺され、退路がない。
「救世主を信じない馬鹿どもが…!」
全ての窓用シャッターを下ろした住居を睨みつけ、男は憎悪の声を漏らす。
国防軍の指示に従い、屋内退避している住民は信奉派にとって敵の協力者だ。
男は手に持った石頭ハンマーを握り締め──
「っ!?」
重々しい足音が背後より響く。
慌てて振り返った男が最期に見た光景は、焔を吐く銃口だった。
アルミホイルを巻いたヘルメットが内容物を散らしながら芝の上を転がる。
≪02、こちら10、南西の裏口から路地へ2名逃走、送れ≫
「02、了解、追撃する」
男の死亡を確認した国防軍の隊員たちは、裏口の方角へ銃口を向ける。
立派なガーデンアーチに阻まれ、暗視ゴーグルでも奥を見通せない。
分隊は最大限の注意を払い、緑に囲まれた狭路へ突入する。
「──松井、右だ!」
観葉植物の影より飛び出す人影。
それは逆手に持った刃を振り上げ、先頭の隊員へ襲い掛かる。
「死ね、政府の狗ぅぅぅ!」
耳障りな金切声が闇を切り裂く。
「くそっ」
咄嗟にライフルを盾にすることで果物ナイフの一撃を止める。
そこで奇襲の効果は失われた。
しかし、憎悪で目を曇らせる襲撃者は退かず、なおも刃を押し込もうとする。
「鉄鎚をぅっぎゃ!?」
射線を確保した後続の隊員が至近距離で発砲。
山姥のような女の肩と頭を貫き、周囲の観葉植物に赤が散る。
そして、目を見開いた壮絶な死相は植木鉢の陰へ消えた。
「大丈夫か、松井」
「ああ、助かった」
血と硝煙の臭いが漂う狭路で、戦友の安否を確認する。
信奉派は違法薬物を服用しており、得物にも塗布していた。
負傷すれば、無事では済まない。
≪02、こちら10、逃走した2名が増援と合流、04と挟撃せよ≫
その間にも状況は流動し続ける。
安堵の空気は一瞬、すぐさま分隊は裏口へと前進を再開した。
開け放たれた裏口から路地へ足を踏み入れ、信奉派の後を追う。
「来たな、人殺し集団め!」
銃口が指向する十字路には、炎上する軽自動車と聞き慣れた悪罵を叫ぶ男の姿。
平和主義を標榜する活動家はクラブバッグから火炎瓶を取り出す。
腹底に響く重い銃声──耄碌した男の生命は吹き消された。
国防軍に課せられた任務は、暴動の鎮圧ではない。
国民の生命と財産を脅かす敵勢力の殲滅だ。
「囲まれるぞ!」
「おのれ、軍産複合体の手先が!」
十字路に即席のバリケードを築く信奉派は挟撃の危険性を理解している。
しかし、仲間との連絡を遮断され、増援は望めない。
ゆえに起死回生の一手を繰り出す。
「行きなさい、恵茉!」
「恭子さんの仇を取るんだ!」
口々に勇ましい言葉を投げかけ、小さな影をバリケードの外へと押し出した。
炎の弾ける音が響く路地に伸びる影。
その正体が幼い少女だと判明した瞬間、隊員たちに緊張が走る。
「子ども…!」
彼らは血も涙もないキリングマシンではない。
自国民を護るために訓練された軍人であり、良心ある大人だ。
だからこそ、発砲を自制できた。
「爆弾だ!」
しかし、現実とは酷薄だ。
パイプ爆弾を腹に巻き付けられた少女は意味も分からず、ただ足を進める。
慎重に後退する隊員たちは銃口を下ろせない。
起爆スイッチを握る信奉派を狙うもバリケードが射線を阻む。
「自分がやりますっ」
隊員の1人が苦渋の決断を下す。
恐怖で身を震わし、それでも歩みを止めない少女に銃口を向ける。
これは必要な犠牲であると己に言い聞かせながら──
「待ってください」
真紅の装いが夜風に靡く。
焔の輝きを帯びる髪が揺れ、バトルアクスの石突が地を打つ。
「え…?」
少女は抱いていた恐怖も忘れ、目を瞬かせる。
まるで初めから存在していたかのように佇む眼前の麗人を見上げて。
「も、もう大丈夫ですよ」
人類の守護者は少女の前に屈み、口元に笑みを浮かべてみせる。
眉が八の字を描き、ひどく頼りない笑みだ。
しかし、少女を映す真紅の瞳には慈悲があった。
「ウィッチだと!?」
「き、起爆しろ!」
その慈悲が虚無へと変わる。
娘を道具と見ていた愚父が起爆スイッチを押し込む刹那、世界の色が反転する。
信奉派の足下で閃光が瞬き、爆発音が十字路を満たす。
「ぎゃぁぁぁ!」
「ぁがあぁぁ!?」
白煙が立ち込め、路面に打ち付けられるバリケードの残骸。
いずれも表面には釘やボルトが突き刺さり、鮮やかな赤を帯びる。
パイプ爆弾の殺傷性を高める工夫は、信奉派の皮膚を無惨に引き裂いた。
「軍産、複合体…の尖兵がぁ!」
「ぶっ殺してやる!」
全身を血に染めながら生き残った信奉派は、憎悪に任せてショットガンを構える。
しかし、懐中時計を握るウィッチは誰も見ていない。
暴力の気配に震える少女も、背後で身構える国防軍の隊員も、トリガーを絞る信奉派すらも。
「死ねぇぇ!」
発火、発砲、拡散。
エナの光を帯びる真紅の瞳は、眼前に広がる散弾だけを映す。
「は?」
突如、散弾が空中から消失する。
「不発か!?」
「なにが起き──」
狼狽する信奉派の頭上で銀が瞬く。
重力加速度を加えられた散弾は、今度こそ信奉派の生命を粉砕した。
インクブスから与えられた薬物を服用しようと肉体の脆弱性は変わらない。
「…62匹」
上半身を砕かれた骸を無感動に見届け、それから防人へ振り返る。
血臭に満たされた空気が微かに緊張感を帯びる。
「あのぉ……」
そこでウィッチは視線を泳がせ、恐る恐るといった体で切り出した。
信奉派を殲滅──自滅が正確か──させた人物とは到底思えない。
困惑を隠せず、国防軍の隊員たちは顔を見合わせる。
「こ、この子をお願いしますっ」
バトルアクスの陰に隠していた少女の肩に触れ、己の前に立たせる。
まるで壊れ物を扱うような優しい手つきだった。
「あ、ああ…」
「…了解した」
頷く隊員たちに少女を預け、安堵の表情を浮かべるウィッチ。
それは新たな爆発音によって消え失せ、真紅の瞳は闇夜を見上げた。
左手に握る懐中時計の針が回り出す。
「き、消えた…!?」
瞬きの後、ウィッチの姿は十字路に無かった。
まるで初めから存在しなかったように。
「彼女は一体…?」
国防軍に一般人の保護を求め、自身は危険な戦いに身を投じる。
誰もが知るウィッチの姿だ。
だが、彼女たちの敵とはインクブスであって人間ではない。
殺人を躊躇わないウィッチの存在に、防人たちは一抹の不安を抱かずにはいられなかった──
「なぜ、ここが…!?」
火薬の臭いが漂う高層マンションの屋上にて、信奉派の男女は脅威と遭遇する。
ロケット弾の第1射目が国防軍病院に着弾した時、彼女は現れた。
真紅の装いに身を包むウィッチ──レッドクイーン。
闇夜でありながら信奉派を見据える瞳には、無機質な殺意が宿っている。
「63、64……」
誰に聞かせるわけでもなく数字を唱えるレッドクイーン。
貯水槽から降り立つ音は、華奢な外見に違わず軽やか。
しかし、その体躯に見合わぬバトルアクスが大気を裂く音は重々しい。
「くっ…思考盗聴か!」
傍らに置いていたピストルクロスボウを取った瞬間、真紅の瞳が妖しく光る。
「う、腕、腕がぁぁ!」
屋上に響き渡る絶叫。
顔面蒼白となった男は右腕を庇い、床に頭を打ち付けて激痛に耐え忍ぶ。
その至近でウィッチの奏でる足音は止まった。
「あ、あぁぁ、うでぇげっ」
バトルアクスの石突が男の後頭部を貫き、顎から上を吹き飛ばす。
ロケット弾の発射台にまで飛び散る肉片。
「ひぃぃ…!」
脳漿と頭蓋骨の破片、そして眼球を浴びた壮年の女は悲鳴を上げる。
華奢な腕が繰り出す威力ではない。
生物に備わる本能が抵抗は無意味だと告げていた。
「や、やめてっ!」
生体兵器を生み出す国防軍病院を破壊すると息巻いていた女は、発射台を蹴り倒して後退る。
「もうこんなことはしな…しません!」
壮年の女は髪を振り乱し、自己保身の言葉を吐き出す。
思想を同じくする者と群れ、己が強者になったと誤解していた。
「だ、だからっ」
しかし、本質は弱者でしかない女は簡単に矜持を投げ捨てる。
同情を誘うため無様に跪き、情けない声色で慈悲を乞う。
「許してくださいっ」
「え、嫌です」
人類の守護者は迷いなく即答した。
汝の罪を許さぬ、と。
「は…?」
ウィッチの善性に期待していた女は呆気に取られる。
その眼前で、床面に突き立ったバトルアクスの石突が引き抜かれる。
「死なないと分からないでしょう?」
小さく首を傾げるレッドクイーンは、子どもを諭すように壮年の女へ語りかけた。
信奉派──彼らは
社会から弾き出され、帰る場所も失い、害毒を撒き散らす。
そこまで身を落とした人間が更生することはない。
死こそが救済だろう。
「大人しく死んでください」
少女の細い腕が軽々と凶刃を振り上げ、信奉派の女は目を見開く。
死を直視し、恐怖に囚われた身体は動かない。
中途半端に理性を残した狂気は、女を救わなかった。
「いや──」
「えいっ」
バトルアクスの刃が大気を引き裂き、女の頭頂部を捉えた。
刹那、水風船のように弾ける人体。
宙を舞った腕が眼下の電線に引っ掛かり、少女の頬に赤が散る。
「これで64匹」
その凄惨な光景に微塵の興味も示さない。
血を滴らせる刃のように、真紅の瞳には無機質な輝きが宿っている。
レッドクイーンは眼前の肉塊を人間と認識していなかった。
「何匹いるんでしょう」
頬に散った血を拭い、高層マンションの屋上から戦場と化した住宅街を見渡す。
優れた目を持つアズールノヴァと異なり、レッドクイーンの五感は平均的なウィッチの域を出ない。
ゆえに、国防軍の動向を注視していた。
彼らが向かう先には間違いなく信奉派の姿がある。
「おい、何やってる! 政府の狗に早く鉄鎚──」
不用意に屋上へ踏み込んだ青年の首から上が消失する。
意思を失った身体がコンクリートの床面へ倒れ込み、鮮血を散らす。
「65匹……はぁ」
それを一瞥し、小さく溜息を吐くレッドクイーン。
屋内に逃げ込まれると発見に手間取り、駆除の効率が下がる。
これがアズールノヴァであれば、華麗に信奉派を塵芥に変えるのだろう。
「あ、そうだ」
バディの姿を脳裏に思い描いていたレッドクイーンは妙案を閃く。
圧倒的な暴威を振るうアズールノヴァに倣えば良いのだ。
これまでは前身たるアリスドールの延長として力を振るっていた。
しかし、レッドクイーンとなった今、抑制する必要はない。
「今なら、できる」
パートナーがウィッチを保護するために設けるバウンダリ。
その枷を焼き切られたレッドクイーンは、限界を超えたエナの行使が可能だ。
社会にとって不要な害獣を鏖殺し、アズールノヴァの期待にも応える。
この好機を逃してはならない。
「…限定解放」
アズールノヴァが口にしていた言葉を唄うように囁く。
真紅の瞳が輝きを帯び、足下より渦巻く高濃度のエナ。
限界を超えたエナの放射──それは紅の奔流となって可視化される。
一面の闇を瞬く間に侵食し、真紅の万華鏡が曇天に浮かび上がった。
「
魂の奥底から導き出された言の葉が、不可視の力となって世界に満ちる。
「
赤き女王が下す無慈悲な裁定。
それは夜から闘争の音を奪い去り、沈黙を齎す。
無価値な命が散る──頭部の消失という事象によって。
活動中の信奉派、総勢702名は一切の例外なく即死した。
己の血によって全身を赤く染め、地へ倒れ伏す。
「で、できた…!」
霧散するエナの下、レッドクイーンは思わず破顔する。
彼女が行使したマジックは罪人と定めた人間の頭と虚無の置換。
誰一人、裁定から逃れることはできない。
「できましたよ、アズールノヴァさん!」
「何ですか、レッドクイーン?」
女王の背にてコンクリートの床面を叩く雅な足音。
夜の闇を切り裂き、蒼の装いが風に揺れる。
「あ、アズールノヴァさん…!」
降り立った絢爛たるウィッチは、依頼を遂行したアズールノヴァだ。
振り向くレッドクイーンの表情は無邪気な喜色に溢れていた。
「ど、どうですか?」
静寂に包まれた住宅街を指し示し、真紅の瞳を爛々と輝かせる。
人命を奪った罪悪感などない。
圧倒的な力を行使する全能感、敵を一網打尽にした達成感に少女は酔っていた。
「掃除、終わぃ…あ、ぁれっ?」
視界が明滅し、世界が歪む。
限界を超えたエナの放射は瞬間的に絶大な力を得るが、負荷も大きい。
全身から力の抜けたレッドクイーンは重力に抗えず、遠ざかる曇天を見上げ──
「ええ、お疲れ様です」
その細い腰を軽々と抱き、普段通りの調子で労うアズールノヴァ。
突然の事態に反応できないレッドクイーンは、餌を取り上げられたハムスターのように硬直する。
「よくやりました」
蒼い瞳が抱き留めたバディから住宅街へ視線を移す。
全てを見通す目には、首を刎ねられた信奉派の姿が映っていた。
愚者に相応しい最期を見届け、アズールノヴァは冷徹な笑みを湛える。
「ひゃい……」
それを至近距離で眺めるバディは、ただ頷きを返すしかなかった。
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