残香
新星の輝きを宿す瞳は、全てが見える。
しかし、見えたとしても理解できなければ意味はない。
相対する軍装のウィッチから伸びるエナの糸はテレパシーの類と目星を付けているが、真意は不明。
すぐ散逸して辿ることも難しい。
《殺菌するんじゃなかったのかぁ?》
銃声が響く。
コンクリートの地面を疾駆するアズールノヴァの眼前で白が弾けた。
厳冬の如き冷気が蒼いドレスの上から肌を刺す。
エナの弾丸は万物を凍結させる──厳密には、分子の運動を低下させる。
それが軍装のウィッチが有する権能。
インクブスに内面を侵食されようと問題なく世界の理を捻じ曲げる。
《ほらほらほら!》
頬に走った裂傷など気にも留めず、軍装のウィッチは笑う。
カービンの銃口が火を噴き、銀のツインテールが大きく靡いた。
正確な偏差射撃──アズールノヴァは振り向かない。
蒼きドレスを翻し、解体予定だったビルディングの壁面を駆ける。
そして、着弾の瞬間に大きく蹴り抜く。
《甘いんだよ!》
エナの弾丸を躱したアズールノヴァを銃口が追う。
天地と逆になって宙を舞う彼女は、既に身の丈ほどもあるソードを構えていた。
斬撃を繰り出すには遠い。
されど、一切の躊躇なく刃を振り抜く。
蒼い燐光が散る──光の剣が灰色の世界を撫で切った。
コンクリートが溶断され、吹き上がった粉塵に覆われる夕闇の空。
忍び寄る夜を灰色の闇が飲み込む。
《危ない…ってほどでもないか》
地面に刻まれた溶断の痕を飛び越え、軽やかに着地する軍装のウィッチ。
それをアズールノヴァは追撃しない。
折れ曲がった信号機の上で、左手を水平に振るう。
《どこを狙ってたんだい?》
嘲笑う者の足下より蒼い閃光が溢れる。
アズールノヴァは一帯に満ちていた己のエナに点火した。
ただ、それだけ。
高濃度のエナが荒れ狂う──それは火山の噴火に等しい。
エナの奔流が灰色の闇を吹き飛ばす。
そこから放たれる光線は万物を透過し、その組成を完膚なきまで破壊する。
強固な鎧を纏うハキリアリさえ爆心地からは距離を取っていた。
《──思ったより多芸なんだねぇ》
しかし、それでもネームドのインクブスは消滅しない。
倒壊した商業ビルの看板に降り立つ影は、白を纏っていた。
《でも、残念!》
軍装の表面を覆うは、薄氷のバトルドレス。
それは死の光より身体を護り、己を害する事象の時を止める。
《こいつも芸達者なんだ》
あくまで余裕の笑みを見せるが、自慢のバトルドレスは崩壊を始めていた。
それを確認した蒼い瞳は、次いで周囲を見渡す。
炎上する車両のスクラップ、倒壊したビルディング、そして瓦礫に埋まったハキリアリ。
「…加減を誤りました」
《はぁ?》
アズールノヴァの懸念事項は、周辺で活動するファミリアの安否だけだった。
戦闘の余波で彼女たちは軽々と吹き飛んでしまう。
シルバーロータスの手を煩わせるなど許されない。
《虫けらの心配かよ》
小さな口から紡がれたインクブスの声には苛立ちが滲む。
そして、何事もなかったように瓦礫の下から現れたハキリアリが触角で周囲の様子を探り出す。
フェアリーリングの受容体を捕食した個体も健在のままだ。
《ちっ…しぶとい》
忌々しげに表情を歪める軍装のウィッチに対し、アズールノヴァは微かに肩の力を抜く。
その余裕に満ちた態度がインクブスを苛立たせる。
常に蹂躙する者である彼らは、それが我慢ならないのだ。
《……さて、そろそろエナが心許ないんじゃないのか?》
弱者を嬲りたい下劣な精神性から発露した言葉。
それは挑発であり、確認だった。
ウィッチとは強大な力を秘めた存在だが、エナが尽きれば脆弱なヒトの雌だ。
これまで大火力を投じてきたアズールノヴァに残された時間は少ない──おそらくは。
ファミリアを愛おしそうに眺めるウィッチは、まだ底が見えない。
複雑なマジックは一切使用せず、水鉄砲のようにエナを吐き出すだけ。
だが、放射されるエナが減少する気配はない。
「よく喋る菌類ですね」
ハキリアリから視線を戻した蒼い瞳には焦燥はなく、どこまでもフラットだった。
《…まぁ、いいか》
違和感を認識していながら、パックルは深く追究しようとしなかった。
それよりも生意気なヒトの雌を壊す手管に思考を巡らす。
《どうせ余興だ》
この身体を失ったところで大した問題ではない。
災厄を取り込んでしまえば、ヒトの世界は否応なしに終焉を迎える。
勝利が確定している以上、娯楽にリソースを割くべき──
《…あ?》
突如、嘲りを浮かべる口から黒が漏れ出す。
胸元まで滴り落ち、深緑の軍装を汚すそれはパックルの肉体であり体液であった。
しかし、逆流した原因が理解できない。
《かはっ!?》
身体が痙攣し、毒々しい体液が口から噴き出す。
サーベルを地に突き立て、辛うじて身体を支えるも痙攣は止まらない。
軍装のウィッチは全身を駆け巡る激痛に顔を歪める。
《し、失敗、した?》
パックルは瞬時に理解した。
災厄が罠を食い破った──それどころかピスキーの交信に介入してきた。
そこから異種のエナが流れ込み、身体が拒絶反応を起こしている。
己の血を家畜の血と入れ替えるような暴挙だ。
「すごい、すごいです…」
新星のように光り輝く蒼い瞳は目撃する。
翅の生えた背中から伸びるエナの糸が白銀に染まっていく光景を。
「シルバーロータス様…!」
そのインクブスを侵食する白銀こそ敬愛するウィッチのエナだ。
糸を辿った先は、人口密集地──インクブスのエナを宿す人間が克明に見えた。
小賢しい罠を踏み潰すだけに止まらず、埋伏した毒の位置まで暴く。
シルバーロータスは如何なる時も一歩先を見据え、行動する。
「とても敵いませんね……」
あの雨の日に見た背中は、常に少女の前にある。
並び立つことは疎か、追いつくことさえ困難だ。
己の行いが及ぼす影響など微々たるものだろう。
「…さて」
それで良い。
ただ為すべきことを為せば良い。
「有言実行しましょう」
長大なソードを頭上で軽やかに回し、逆手に持ち替える。
担ぐように構え──おもむろに信号機を蹴った。
重力に従って落下、蒼いドレスが風で膨らむ。
空中に身を躍らせながら、標的を正確に照準する。
《くそっ…どういうことだ》
標的は、体勢を立て直さんとする軍装のウィッチ。
腕の膂力だけを用い、投擲。
音の壁を貫き、白いヴェイパーを纏う超音速の凶刃。
《手癖が──》
軍装のウィッチは権能を発動させ、飛翔体から運動エネルギーを奪う。
それでも刃は止まらない。
《悪いな!》
上体を反らし、紙一重で直撃を躱す。
左耳より外で靡く銀髪が断ち切られ、風に弄ばれて舞う。
そして、左肩から散る鮮血が銀を彩った。
《お静かにっ》
着弾と同時に地を蹴る。
背後から吹き抜ける爆轟、そして灰色の風。
それを追い風に軍装のウィッチは降り立ったアズールノヴァへ肉薄する。
無手のウィッチなど恐るるに足りない。
《ねぇ!》
上方より繰り出される最速の一撃──
《は?》
しかし、刃は何も切り裂けなかった。
少女の柔肌も、美しい髪も、絢爛豪華なドレスも。
両掌に挟まれ、静止したサーベルの刀身──その下で、蒼きウィッチは嗤う。
ウィッチの身体能力で振り下ろされる得物は音速を超える。
それをアズールノヴァは正確に捉えていた。
「239番を限定解放」
ここは彼女の間合だ。
瞬間的な高熱量、そして膂力によってサーベルの刀身が破断する。
《こいつっ》
一歩後退る軍装のウィッチを影のように追うアズールノヴァ。
カービンの銃身を右手が掴み、左手が顔面を捉えた。
《ぐぁっ!?》
驚異的な力で瓦礫に叩きつけられ、解けた銀の髪が舞う。
そして、頭蓋を軋ませる細い指に膨大なエナが収束する。
蒼が白へと変わり、アズールノヴァの掌が光り輝く。
《おい、この身体を壊していいのかぁ!?》
パックルは反射的に身体を人質に取り、動揺を狙った。
しかし、それは無意味だと一瞬で理解した。
喜色を浮かべる蒼い瞳は、同胞の死など微塵も恐れていない。
《話をき──》
「
閃光が全身を貫き、人体を発火させる。
エナの防壁も、エナで編み上げた装束も、その光の前には等しく無力だった。
発火した人体が炭化し、インクブスの存在ごと塵となる。
「おやすみなさい」
コンクリートに刻まれた黒い影を見下ろし、アズールノヴァは言葉を紡ぐ。
かつてウィッチだった者の命を刈り取るたび、儀式のように繰り返してきた。
その言葉に意味はない。
握り締めた手から零れ落ちる塵が夜の闇へ溶けていく。
「お、お疲れ様です……」
疲労の滲む声に振り向けば、重い足取りで近づいてくるレッドクイーンの姿があった。
濁った血の滴るバトルアクスを両手で持ち、顔には憔悴の色が見られる。
エナの消耗は微々たるものだが、精神的な消耗が激しい。
「まだ終わってませんよ」
そんなバディへアズールノヴァは無慈悲に告げる。
「え…?」
憔悴した表情が一瞬で凍りつく。
情けない悲鳴を上げながらも餌付けを完遂したレッドクイーンは、不安そうに視線を泳がせる。
「ふ、フェアリーリングは全て食べさせましたよ…?」
周囲には、瓦礫や鉄骨を裏返すハキリアリたちの姿があった。
爆発物の処理を終えた彼女たちは何かを探している。
捜索の協力を言い出すのではないか、とレッドクイーンは恐怖で身を固くした。
「掃除が残ってます」
アズールノヴァの視線は全く別の方角へ向けられていた。
透過の権能が常時発動している目は、勤勉なファミリアを見ていない。
市街地に張り巡らされた白銀の糸、その終端──インクブスの傀儡たちを睨む。
夜の訪れた市街地に銃声が響き渡り、遅れて爆発音が轟く。
潜伏位置の露呈したインクブスが形振り構わない攻撃を始めたのだ。
「それも大掃除です」
有象無象の総数を数えながら歩みを進めるアズールノヴァ。
ヒールの奏でる雅な足音は、瓦礫に突き立った刃の前で止まる。
「もう一仕事、いきますよ」
バディへ振り向くことなく刃を抜き、鈴虫のような美しい音色を響かせる。
「は、はい」
レッドクイーンに拒否という選択肢は存在しなかった。
しかし、その横顔に悲観の色はない。
「……掃除は得意です」
彼女は得意分野において、アズールノヴァと同等以上のポテンシャルを発揮する。
闇の中で妖しく光る真紅の瞳は、無機質な殺意を宿していた。
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