同類
ピスキーの長を名乗っているパックルは、敗北を知らないインクブスだった。
マジックの領域に引き込んだ獲物の精神を蝕み、エナを喰らって糧とする。
脆弱なヒトの精神で抵抗は不可能、ウィッチも例外ではない。
勝利とは必至であり、敗北という概念がなかった。
《おかしい……》
だからこそ、パックルは苛立ちを覚える。
遅々として侵食が進まない現状に。
常に他者を嘲ってきた口を引き結び、雑木林の陰より邪魔者を睨む。
その者は破壊者──否、災厄を守護する最強の騎士だ。
漆黒の外骨格が夕陽を帯び、独特の金属光沢を放つ。
3対の長大な脚が巨躯を加速させ、外敵に向かって突進する。
《こいつっぎぇ!?》
重々しい爆発音が響き、樹木ごと砕かれた分身の四肢が宙を舞う。
たかが1体や2体を破壊されたところで問題はない。
ヒトに例えるなら毛や爪のようなものだ。
《背中が……》
巨躯ゆえの死角となっているファミリアの背面を3体の分身が強襲する。
《お留守だぞ!》
《虫けら──》
大気を引き裂く重低音、そして乾いた破裂音。
腰から上を失った2体の分身が転がり、砕けた翅が舞う。
旋回と同時に繰り出される胸角のスイングは、あらゆるインクブスを粉砕する。
《くそっ……》
即死は辛うじて免れた分身が地を這う。
その姿を巨影が覆い隠し、無慈悲に振り下ろされる脚。
樹皮のような黒い外皮が軋み、紙細工のように翅が潰れる。
《はな、せよっ》
その重量を前に抵抗もままならない。
鋭利な爪は異形を地へ縫い付け、もう片方の脚が腹部に爪を突き立てた。
そして──
《ぶぇぁっ》
圧倒的な膂力によって二つに引き裂く。
飛び散る体液が地に吸い込まれ、草木を黒く汚す。
原種と同様に極めて気性の荒いコーカサスオオカブトは、敵と認識した存在を徹底的に破壊する。
周囲に散乱する分身の残骸は、どれも原形を留めていなかった。
《…どうなってる?》
眼前のファミリアは侵食など存在しないかのように暴れ回っている。
それが理解できない。
ウィッチの生み出したファミリアなど餌でしかない──はずだった。
漆黒の外骨格はエナを侵食する体液を浴びようと変質せず、種が芽吹くこともない。
彼女なら抗菌性タンパク質による防御と推察しただろう。
しかし、この領域に合理的な論理は存在しない。
ここではパックルが法であり、理なのだ。
《そんなに遊び相手が欲しいのかよ?》
無機質な敵意を宿した複眼を前に、パックルは苛立ちを嘲りで隠す。
雑木林の影で腕を振るえば、立ち並ぶ分身の影が揺らぐ。
インクブスのエナが音もなく世界へ浸透していく。
《仕方ないなぁ……合わせてやるよ》
分身の黒き外皮が泡立ち、四方へ腕を伸ばして他の分身と結合する。
そして、一塊となった7体の分身は粘菌のように姿形を変えていく。
筋肉質な手足が生え、4枚の翅が背中から飛び出す。
重量級ファミリアを見下ろす影──異形の巨人。
新たな敵を視認したコーカサスオオカブトは怯まない。
厚い鞘翅を開き、後翅を広げて小刻みに震わす。
肉弾戦ではなく突撃によって破砕するのだ。
《そういうの……猪突猛進って言うんだっけ?》
対するパックルは口角を吊り上げ、傍らの樹木に手を置く。
《させるわけねぇだろぉ!》
突如、コーカサスオオカブトの影より無数の仮足が伸び、3対の脚を包み込んで硬化する。
機動力を封じられ、重量級ファミリアは触角を忙しなく動かす。
常にインクブスの想定を凌駕してきた災厄の眷属が、初めて見せる動揺。
《虫けらが…》
それを見下ろす異形の巨人は、悠然と左腕を振り上げた。
《調子にっ》
左拳が風切り音を伴って胸角の付け根を打つ。
側面から痛烈な一打を受けるも漆黒の巨躯は動かない。
《乗ってんじゃ!》
間髪を容れずに右拳を繰り出し、開かれた鞘翅を強制的に閉じさせる。
そして、両手を頭上で組んで槌とし、胸角の1本を照準。
《ねぇよ!》
跳躍、そして打擲。
雑木林の陰が震え、大樹を叩いたような鈍い打音が響く。
戦果は如何に──長大な胸角は健在だった。
それどころか打撃を加えた外骨格も傷一つない。
パックルの分身たる巨人の浮かべる嘲笑が、微かに引き攣る。
《その堅い殻、引き剥がしてやる》
しかし、防御の脆弱な部位を発見したパックルは、すぐ邪悪な笑みを浮かべる。
コーカサスオオカブトの胸部と翅にある隙間へ手を伸ばす。
厚い外骨格も内側からの攻撃は想定していない、そう考えたのだ。
異形の巨人は前胸背板と鞘翅の間に指を差し込み──
《は?》
甲高い金属音が雑木林を反響し、嘲笑が消え失せる。
転がり落ちる巨人の五指──前胸背板と鞘翅の隙間は閉じられていた。
コーカサスオオカブトの武器は角と爪だけではない。
前胸背板の後縁は刃物状になっており、鞘翅と挟み込むことで敵対者の手足を切断する。
弱点などではない。
《何なんだよっ》
口元から嘲笑の消えた巨人が後退った瞬間、パックルの生成した足枷が弾け飛ぶ。
あらゆる存在を束縛する破壊できぬ足枷。
そう定めた理を災厄の眷属は覆し、無機質な敵意を迸らせる。
《この虫け──がはっ!?》
4本の角が雑言ごと大気を切り裂き、外敵を天高く打ち上げる。
3度の打擲に対する返礼は、これまでで最も重い一撃だった。
翅があろうと空は舞えない──夕陽を飛び越した巨人は、重力に捕まる。
墜落の衝撃は砲爆撃に等しい。
巻き上がった土煙が夕刻の雑木林に夜を招く。
その夜の訪れた世界でコーカサスオオカブトは悠然と佇む。
《ちっ……》
またしても分身を破壊されたパックルは忌々しげに舌打ちする。
周囲に転がる残骸が崩れ、銀の輝きとなって漆黒の外骨格へ吸い込まれていく。
その瞬間だけヒグラシの鳴く夏の薄明が、細氷の舞う冬の夜となる。
《またかよ》
パックルは分身の残骸に残るエナを回収できずにいた。
霧散したエナは災厄に制御を奪われ、逐次ファミリアの糧となって消える。
その速度は驚異的であり、対応が間に合わない。
群体であるパックル──ピスキーの演算を上回るウィッチなど存在しなかった。
まだ2匹のウィッチを嬲って遊ぶだけの余力はあった。
しかし、時間的余裕がないことに苛立ちを覚える。
《上等だよ、災厄のウィッチ》
眼前のファミリアを下し、如何にして災厄へ報復するか。
ただ嬲るだけでは気が済まない。
盛大に歓迎し、徹底的に痛めつけ、それから傀儡として侍らせる。
パックルは初めて一個体に対して強い執着心を抱いていた。
《いや……待てよ》
次なる手を考えていたパックルは、違和感を覚える。
鳥居の前で構えるコーカサスオオカブトを取り囲む分身の数が少ない。
敵は騎士だけか──否、龍がいない。
重量級ファミリアは2体、存在したはずだ。
しかし、先程から大立ち回りを演じるコーカサスオオカブトしか認識できていない。
《もう1匹は……》
視覚の存在しないピスキーは、エナの感知に意識を集中する。
しかし、感知できたのは、風に揺れる木々の陰に転がる分身の残骸だけ。
どれも潜伏位置から動かず、警告を発することなく頭部を噛み砕かれていた。
《なぜ認識できない?》
ここが己の領域だと信じて疑わないパックルは、認識できない敵など想像できなかった。
ゆえに、異常への反応が遅れる。
背後へ落下する人影──それは頭部を失った分身の骸。
そして、木々と同化していた捕食者がパックルを睥睨する。
龍の如く長大な身体は枯れた大樹のようだが、大鎌は獲物の体液に塗れて生気を放つ。
《虫けらどもが!》
後方へ跳躍と同時に、パックルは理を書き換える。
近傍の木々から無数のキノコが飛び出し、毒々しい胞子が視界を覆う。
回避の困難な面制圧、呼吸器を狙った侵食。
対するオオカレエダカマキリは風に合わせて揺れるだけ──否、それは何の変哲もない木だった。
ピスキーに視覚があれば、風に揺れる龍を捕捉できたかもしれない。
しかし、分身の残骸がエナの粒子となって舞う中、索敵は困難だった。
エナの感知に頼り切った弊害だ。
《はははっ》
乾いた笑いが虚しく反響する。
的確に目鼻を潰す判断も異常だが、最も異常なのはエナを変換する速度。
もはや変換ではなく、再利用とでも呼ぶべき速度だ。
《災厄のウィッチだって?》
異種であるインクブスを捕食し、苗床に変え、増殖するファミリアの女王。
本来、相容れないエナを取り入れ、己の支配下に置く
彼女は他者のエナを変質させる──本当にそうか?
災厄が築いた生態系はインクブスの存在を前提としている。
ただ循環しているだけで、変換など行っていないとすれば、災厄はウィッチなどではない──
《本当に同類じゃないか》
一つの解を導き出したパックルは、分身から意識を徐々に剥離させる。
ファミリアと戯れている場合ではない。
そして、背後から音もなく振り下ろされる大鎌。
《お前も僕も…ぁがっ》
捕獲した獲物の真言を、龍の大顎が齧る。
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