黙過

 私がウィッチに変身していない間もファミリアは活動している。

 インクブスを捕捉すれば、即座に反応し、攻撃あるいは情報収集を行う。

 それは昼夜を問わず行われ、テレパシーの形で報告される。


〈多いですね〉

「ああ、だが…」


 今日はテレパシーを受信する数が異常だ。

 たった今、隣町を哨戒しているオニヤンマからライカンスロープ3体出現のテレパシーを受信した。

 これで41件目だ。

 白昼堂々とインクブスがポータルより出現し、活動している。

 しているのだが──


「舐めているとしか思えん」

〈なぜ分散しているのでしょう?〉


 出現地点は広域かつ複数だが、インクブスの数自体は少数。

 即応したファミリア、主にスズメバチの一群が半数をし終えた。

 各個撃破されに来たのか?


〈目的が攻撃であれば無意味としか……〉

「最近の傾向と逆行しているな」

〈はい。ありがたい話ではありますが〉


 私を勉強机から見上げるパートナーの言葉には含みがあった。

 言いたいことは、おおよそ分かる。

 せっせと消しかすを丸めるハエトリグモは、インクブスに別の目的があると考えている。


「インクブスどもは馬鹿じゃない」


 これまでのインクブスとの明確な違いは、同時に複数の地点に出現したということ。

 しかし、数自体は少数となれば各個撃破は必至。

 その意図はなんだ?

 開けた予習用ノートの上を手から離れたシャーペンが転がる。


〈陽動の可能性はどうでしょう?〉

「こちらの手を飽和させるため、か」

〈もし、そうだとすれば本隊に備える必要があります〉


 ファミリアを振り分ければ当然、手薄となる地域が生まれる。

 そこに大規模なインクブスの群れが現れれば、対応は後手に回るだろう。

 今回、出現したインクブスは少数だが、腕は立つらしく処理に時間を食っている。

 厄介だ。


「ファミリアへの対処法を確立していない状態で来るか?」

〈むぅ……確かに〉


 厄介ではある。

 だが、最強の即応戦力を前にインクブスどもは肉団子にされている。

 世代交代によって得た強靭な大顎、強固な外骨格、そして致死の毒針。空中を飛翔し、集団戦闘を得意とするファミリアから逃れる術はない。

 捕捉したライカンスロープ3体は毒液の噴射を浴びた挙句、大顎に噛み砕かれたようだ。


「それに、インプがいない」

〈マジックを使うインクブスは1体も確認されていませんね〉

「陽動にしては火力が低い」


 マジックを使用するインクブスは、インプ以外にも複数確認されている。

 対ウィッチに特化したマジックはファミリアの脅威とはならないが、多くのインクブスは火力の高いマジックを使用する。

 挑むのは危険な相手だ。


〈それは私たちだから言えることですよ、東さん〉


 圧倒的な身体能力に頼るインクブスは、インファイトが主眼のファミリアにとって間合へ飛び込んでくる獲物。

 しかし、エナで身体能力を強化しても少女であるウィッチたちは、そうもいかない。


〈戦っているウィッチの方々は苦戦しているように見受けられます〉

「……やはりか」

〈戦闘の経過時間とエナの放射量から見て、ですが〉


 ウィッチが交戦していると思われる地点は12。

 ファミリアは戦況を報告しないが、周辺の状態から推し量ることは可能だ。

 おそらく苦戦中だと。


 自らの能力に振り回されるウィッチは多く、腕の立つ相手だと策に弄されて敗北することも──


 年端もいかない少女たちが、戦いの術を心得ているものか。

 アズールノヴァやゴルトブルームがイレギュラー例外なのだ。


〈やはり、加勢はされないのですか?〉


 消しかすを丸め終えたパートナーの言葉に、私は頷く。

 ひとたび命じればファミリアは一切合切の躊躇なく、インクブスを駆逐するだろう。

 血肉とエナを周囲にぶちまけて。


「今は昼間だ」


 自室の窓より外へ目を向ければ、白い雲の流れる青空が広がっている。

 とても戦いの気配など感じない。

 穏やかな休日の午後、きっと泡沫の平和に浸る人々が多く出歩いているはずだ。


「インクブスと誤認されたくない。それにパニックの可能性も無視できない」


 旧首都か、近辺の無人地帯に出現したインクブスは逃さず潰す。

 だが、一般人の出歩く市街地は静観するしかない。

 パニックで二次被害を発生させてしまった苦い記憶が蘇る。

 二度とごめんだ。


「逃走したインクブスの対処は、やるぞ」

〈……分かりました〉


 あるいは、ウィッチが敗北する事態になれば──傍観者気取りの自分には嫌悪感しかない。


 一体、お前は何様のつもりなんだ?

 お前はファミリアの目を通じて見ているだけだろう?

 苛立ちの滲んだ溜息が漏れる。


〈い、インプが現れれば、がマジック対策として機能するか確認でき──あっ〉


 そんな私を見上げるパートナーは強引に話題を切り替えようとした。

 そして、せっかく丸めた消しかすを転がし、わたわたする。


「そうだな」


 勉強机より落ちる前に、消しかすの玉を指で止める。

 勢い余って指先に抱きつくハエトリグモの姿に、口元が少しばかり綻ぶ。


「久々に現れたインプでは確認できなかったからな」

〈あ、アズールノヴァさんを巻き込むわけにはいきませんでしたから〉


 消しかすを回収し、予習ノートの上に戻るパートナーは何事もなかったように続ける。


「いずれはインクブスだけを選定できるようになるのか?」


 インクブスどもはファミリアを効果的に撃破するためマジックを中心とした戦法を取ってくるのは確実だ。

 こちらも対策を立て、その確度を上げておく必要がある。


〈それは…なんとも言えません。ファミリアも万能ではありませんから〉

「いや、十分だ」


 手札は数があればあるだけ良い。

 どれだけの情報をインクブスが得ているか、それは分からない。

 とにかく新たな手を打ち続ける──


「そうか…偵察か」


 点と点が繋がり、一筋の線が描かれていく。

 複数の地点で少数精鋭を動かす理由が陽動とは限らない。


〈偵察……まさか、インクブスの目的ですか?〉

「ああ」

〈これほどの広域で何を…?〉


 偵察を行うということは、何かしらの情報を求めている。

 そして、広域に複数の手勢を放つということは、求める存在がどこにいるか把握していない。

 つまり、インクブスどもは初歩的な手探りの状態にあるのではないか?


「インクブスどもは情報を持ち帰れてない」

〈遭遇したインクブスは、ほぼ駆逐していますから……そのはずです〉


 苗床にするインクブス以外の帰還は可能な限り阻止してきた。

 戦いのイニシアチブを渡すわけにはいかなかったからだ。


「つまり、こちらの状況を把握できてない」

〈それを打開するために、こんな人海戦術を?〉


 パートナーの訝しむような声。

 帰還率を上げるため精鋭は送り込むが、少数ゆえに各個撃破されていては意味がない。

 情報を持ち帰らなければならない、と考えるなら。


「情報をことも情報になる」


 黒曜石のような眼に映る私は、無愛想を通り越して無表情だった。

 吐いた言葉が非情なものと理解している。

 だが、腑に落ちる。


〈…被害も組み込んだ作戦ですか〉

「そうだ」


 被害すら糧として多くの情報を得たいという冷徹な意思。

 強い仲間意識を持つインクブスが、それを実行するということは──


「来るものが来た」


 仲間を捨石にしてでも、こちらを探りに来ている。

 私の取り越し苦労であればいい。

 だが、仮に読み通りとすれば、次の一手は痛打を加えに来るだろう。


「こちらも作戦を変える」

〈いよいよですか…!〉


 手札を、どこで切るか──旧首都上空のスズメバチからテレパシーを受信。


 新たに捕捉したインクブスを攻撃する旨の内容だ。

 その場所と近辺のファミリアを確認し、私は決断する。


〈む……中止されるのですか?〉


 集合を始めるスズメバチに攻撃を中断するようテレパシーを発す。

 それに首を傾げるパートナーへ私は作戦を告げる。


コルドロン大鍋だ」



 パートナーが存在のみを語るオールドウィッチの定める序列、ウィッチナンバーに何かしらの権限や拘束力は無い。

 余興と揶揄されるのは、そのためだ。

 しかし、序列の上位者が実力と実績を併せ持つことは事実。

 ゆえに彼女たちは自然とテリトリーを定め、戦力が重複しないよう行動してきた。


「見つけた〜」

「お見事ですわ、ベニヒメさん」


 旧首都上空に浮かぶ2つの人影。

 グラウンドゼロには不釣り合いな紅の和装、そして浅緑のサーコートが風に靡く。

 言わずと知れたウィッチである。


「あれで最後と願いますわ」

〈うむ! 頑張ろう、みんな!〉

「そうだね〜」


 意気軒昂なパートナーの声に対し、ウィッチたちの反応は鈍い。

 次々と現れるインクブスの迎撃に飛び回れば、いかにナンバーズと言えど疲弊する。

 たとえ、バディ制の復活で個人の負担が軽減されているとしても。


「先手は任せてもよろしくて?」

「任されたよ〜」


 翠と朱の双眸が見下ろす先には、荒れ果てたアスファルトの地を進むインクブスの一団。

 狐耳を立てたベニヒメの周囲に狐火が浮かび、旋回を開始する。

 急速に膨れ上がるエナの気配にオークは勘づく。


《ウィッチだ!》


 オークの戦士たちがウィッチの姿を認識した時──戦いの火蓋は切られる。


「じゃあ、燃やすね?」


 笑う妖狐は、そう一方的に宣告した。

 同時に狐火の1つが旋回軌道を外れ、インクブス目掛けて急加速する。

 問答無用の先制攻撃。


《散れっ》


 マジックに対して耐性があろうと直撃を受ける必要はない。

 6体のオークは外見に見合わぬ俊敏さで道路上を散開する。


 刹那──蒼き大火が旧首都の一角に溢れた。


 その焔に一切の熱量はなく、廃墟を煌々と照らすのみ。

 ただ一つの存在を除いて害することのないエナの大火である。


《くそっ消えないぞっ》


 蒼い焔に体の随所を蝕まれるオークは鎮火を図るも振り払うことは叶わない。

 その焔はインクブスを可燃物として燃え盛る。


《ただの子供騙しだ! マジックを封じるぞ!》

《おう!》


 しかし、屈強なオークには無視できる痛痒であった。

 腰より下げた武骨なボウガンを構え、擲弾が装填される。

 その充填物は新たなウィッチ殺しと目される劇物。


「お〜さっそくだね?」

〈感心しとる場合か!〉


 それを散布された領域に入ったが最後、マジックを使ったウィッチは

 前例を知るがゆえ警戒心を顕にする勾玉のパートナー。

 ベニヒメはマジックを主力とするウィッチなのだ。


「大丈夫、大丈夫〜」


 しかし、ベニヒメは相変わらずの調子だった。

 ただ細められた翠の目は、6つの標的を捕捉していたが。


 狐火が一際強く明滅し──赤熱するボウガン。


《なっ!?》

《ボウは棄てろ! 投擲用意っ》


 溶融したボウガンを躊躇なく投げ捨て、路上に散らばるコンクリート片や鉄屑を手に取るオーク。

 そこへ狐火が飛来し、一面を蒼い焔が舐める。


「参りますわ」

〈うむ! 参るとしよう!〉


 それを見届けたバディは、空中にて一歩踏み出す。

 フクロウのパートナーが肩より飛び立つが、ウィッチの体は重力に従って旧首都へ落下する。


 激突か──否、着地した。


 運動エネルギーが瞬時に失われ、爪先はアスファルトを小突くだけ。

 翻る浅緑のサーコート、覗く白磁の鎧に包まれた四肢。

 ウィッチでありながらナイトを彷彿とさせる姿。

 しかし、その手に得物は無い。


《お前は…》


 古傷を身に刻むオークがアックスを構え、鋭い眼光を向ける。

 そして、間髪容れずウィッチの正体を看破した。


《プリマヴェルデ!》

「あら、ご存じですの?」


 名を呼ばれたウィッチナンバー11、プリマヴェルデは脚を軽く開いて拳を構える。

 得物は己の拳、己の脚。

 未熟な少女の体躯には不適なインファイト一筋というスタイル。

 そんな特異なウィッチは、1人しかいないのだ。


《囲め!》


 わざわざ得物の届く間合に現れたプリマヴェルデを取り囲まんとするオークたち。


「させないよ」

《ちぃっ!》


 すかさず着弾する焔に行手を阻まれ、やむを得ず足を止めた。

 しかし、ただでは止まらず、コンクリート片や鉄屑をベニヒメ目掛けて投擲する。


《こいつは俺に任せろ!》


 降りかかる焔を払ったオークの戦士は、ベニヒメを迎撃する同族へと告げる。

 下手に密集すればマジックの標的にされる、そういう判断だ。


《バルトロの敵を討つまでやられるなよ!》


 同族の声へ当然だと言わんばかりにアックスを掲げて応える。

 それを低く構え直し、膂力を蓄えた脚がアスファルトを蹴った。


《うぉぉぉぉ!!》


 愚直に、ただ一直線の吶喊。

 鉛色の刃が地を舐めるように斜め下方より浅緑のウィッチを襲う。


 轟と低い風切り音──プリマヴェルデは臆さず踏み込む。


 結った長い後髪が残り香のように追従。

 その亜麻色の線は、鉛色の線と交わらない。


「まず一手!」


 アックスの質量が頭上を擦過する中、拳は隙を晒したオークの脇を打つ。

 しかし、あまりに軽い。


《効かんわ!》


 振り抜いた得物を返し、上段より振り下ろすオーク。

 拳の間合ゆえ殴打に等しいが、迷いはない。

 対してプリマヴェルデは、軽快な足運びで体を回転させ、回避と同時に蹴りを見舞う。


 二手、三手──絶望的な体格差がありながら迫る凶刃を躱し、拳と脚を打ち込む。


《ええい、潰れろ!》


 際限の見えない持久戦を予感したオークは吠える。

 打撃の軽さから脅威は低いと踏み、大胆にも両腕でアックスを振り上げた。


「できるものなら」


 風切り音を唸らせて質量物がプリマヴェルデへ振り下ろされた。

 単調な一撃、回避は容易。


 粉砕されたアスファルト片が四散し──浅緑のサーコートが空中で翻る。


 空中に身を躍らせるプリマヴェルデは、既にカウンターアタックの動作を終えていた。

 輝く朱の瞳より高く振り上げられた脚。 

 それは綺麗な円運動を描き、アスファルトへ突き立つアックスへ落つ。


「これで五手!」


 交通事故を思わせる重い打撃音。

 だが、体重を加えた一打もインクブスの得物を砕くには威力不足だった。


《無駄だ!》


 乱暴に引き抜かれるアックスの力を利用し、綺麗な宙返りを披露するプリマヴェルデ。

 両者が間合を仕切り直す間、背後で蒼い焔が炸裂する。


《そんな攻撃で砕けるものかよ…!》


 アックスの刃を地へと這わせ、腰を落として構えるオークの声には苛立ちが滲む。

 名の知られたウィッチゆえ警戒していたが、とても脅威とは思えない。

 ただの足止め、時間稼ぎを疑う。


「やはり、組成は鉄ではありませんのね」


 そんなオークは眼中にない朱色の視線は、武骨な得物へ向く。


《なに?》

「いえ……次で終わらせてあげますわ」


 口調こそ優雅だが、不動の構えはインファイターのそれ。

 しかし、決定打に欠くと知ったオークの眼には虚勢としか映らない。

 生意気なウィッチには躾が必要だ──


《できるものならなぁ!》


 殺人的速度で迫るアックスを前に、繰り出されるは裏拳。

 オークの眼は驚愕に見開かれる。

 先程とは打って変わり、質量と正面から打ち合う暴挙。


 驚愕は嘲笑へ──厚い刃は硝子細工のように砕け散った。


 無為に空を切る得物を横目にプリマヴェルデは間合の奥へ踏み込む。

 そして、オークの膝を鋭く蹴り打つ。


《なっに!?》


 その一打は皮膚も、筋肉も、骨も関係なくした。

 まるで豆腐を切るように。

 体勢を崩すオークの眼には、拳を固めたウィッチが映る。


「それでは、ごきげんよう!」


 放たれた正拳は、オークの顎より上を消滅させた。

 砕けた刃の破片が砂のように崩れ去り、そこへ意思を失った巨躯が倒れ込む。


《アルミロ…!》


 蒼白い炎が燻る同族の亡骸を盾にするオークは、苦々しい表情を浮かべるしかない。


「やっぱりタフだね」


 絶え間なく降り注ぐ焔のマジック。

 並のウィッチであれば昏倒するエナの消費量だが、ベニヒメは変わらぬ調子で身を浮かべている。

 非効率という言葉を鼻で笑う才能の暴威であった。

 ベニヒメに加え、歩を進めてくるプリマヴェルデも視界に認め、隊長格のオークは決断する。


《発見した地下道まで行け、ピエトロ》


 一団の中で最も若いオークへ反論を許さない鬼気迫る声で命じる。

 そして、同族の亡骸を苦渋の表情で放し、路肩の信号柱を掴む。


《そして、長へ伝えろ》

《くっ…任された!》


 駆け出す若き同族を護るため、2体のオークは動く。

 与えられた命令は情報を一つでも多く持ち帰ること。

 多くの同族を屠った忌まわしきウィッチを倒すために──


「お待ちなさい!」


 下賤な感情を欠片も見せないインクブスに妙な胸騒ぎを覚えたプリマヴェルデが駆ける。


《行かせるかよ!》


 その眼前に立ち塞がる隻眼のオーク。


 半身を焔に蝕まれながらクラブを横一文字に振り抜く──より速く正拳が打ち込まれ、指が弾ける。


 あらぬ方向へ遠心力に任せて飛ぶクラブ。

 それを片目で追ったオークは、白磁の踵落としに頭を消し飛ばされる。


「ベニヒメさん!」

「火力、上げるよ」

〈承知したのじゃ!〉


 バディの呼び声を拾った狐耳が立つ。

 旋回する狐火が1つに結合し、紅の袖より覗く細い指の先で静止する。

 ほぼ同時に、剛腕が信号柱を引き抜き、投槍よろしく構えた。


《こっちだ、ウィッチ!!》


 インクブスの咆哮、そして投擲──胸部を穿つ閃光。


 いかにタフネスを誇るインクブスも生命活動を停止せざるを得ない。

 しかし、放たれた渾身の一槍は止まらない。


「はっ!」


 飛来する浅緑の影、そして白磁の一閃。

 信号柱の軌道が大きく逸れ、商業ビルへ突入して轟音と共に粉塵を巻き上げる。

 その様子を横目で確認し、やはり軽やかに着地するプリマヴェルデ。


「ありがと~」

「当然ですわ」


 手を振るベニヒメへ軽く手を振り返し、視線をオークの屍が転がる路上の先、地下鉄駅出入口へ向ける。


「ベニヒメさん、追いますわよ」

「あ、待って」


 今に駆け出さんとしていたバディの隣に降り立ち、ベニヒメは制止した。

 当然、怪訝そうな朱色の視線を受ける。


「どうして止めますの?」

「そこからね、ナンバー13の匂いがする」

「確かに、この辺りは彼女のテリトリーですけれど…」


 当人が姿を現していない以上、追撃は自分たちが行うべきと言外に語るプリマヴェルデ。

 対してベニヒメは口元に指先を当て、直近の記憶を辿っていた。


「ここ、この前に見たシロアリさんの巣なんじゃないかな?」


 そして、思い至る。

 20に及ぶオークを屠ったファミリアの大群が向かった先であると。


〈うむ…あれに囲まれれば命は無いじゃろうな〉

「うん、任せても良さそう~」


 追撃せずとも虎穴に飛び込んだインクブスの命運は決まったも同然。

 尻尾の1つに顔を埋めたベニヒメは、旋回する狐火の数を9つまで減らす。


「ファミリア任せというのは……ちょっと待ってくださいます? この前?」


 いまだ戦闘態勢を解かないプリマヴェルデは、バディの言葉を反芻して眉を顰める。


〈あ〉

「あ」


 ウィッチとパートナーの声が綺麗に揃う。

 ツチノコことシルバーロータスと遭遇した事を伝えていなかった、と──


「忘れ」

〈忘れておったわけではないんじゃ!〉


 失言が飛び出す前に弁明を図る勾玉のパートナー。

 しかし、後の祭りである。


「シルバーロータスと会ったんですの!?」

〈さすがベニヒメ君だな!〉


 素っ頓狂な声を上げるプリマヴェルデ。

 その肩へ舞い戻ったフクロウは、眼を細めて朗らかに笑う。


 そして──地下鉄駅出入口より溢れ出す紅い閃光、禍々しい気配。


 こちらとを繋げる扉、ポータルが開かれたのだ。

 それはインクブスが追撃不可能な異界へ逃れたことを意味している。


「あれ?」


 首を傾げるベニヒメ、それを半眼で睨むプリマヴェルデ。


「ベニヒメさん?」

「おかしいね〜どうしたんだろ?」


 視線を泳がせる翠の目は──飛び去る影を追った。

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