狐火

 インクブスどもの目的は人類を滅亡させることではない。

 その行動の全ては人類を害するものだが、イコールではない。

 最終的な目的、それは人類の家畜化だと私は考えている。

 その片鱗が見える例として、大陸では最低限の統治機関が生き残り、インクブスに人身御供している地域があるという。

 他にも人類に必要不可欠な物資やインフラを積極的に破壊しないなど、インクブスには明確なが見られる。

 ゆえに、食品や生活必需品といったものが普通に店頭へ並ぶ。

 前世とそう変わらない光景が、今世でも見られるのだ。


〈東さん、豚肉お好きなんですか?〉

「安いからな」

〈主婦してますね、東さん〉


 部活動に所属していない私は、放課後になるとスーパーへ足を運び、夕食の材料を買って帰る。


 本日のメニューは──豚肉とナスの野菜炒めだ。


 主婦の何気ない会話、食材の重みで揺れるエコバッグ、そして沈む夕陽。

 この世界は平和なのではないかと錯覚しそうになる。

 だが、いずれ鳴り響く外出禁止のサイレンで現実に引き戻されるのだ。


〈でも、たまには贅沢をされてもいいと思いますよ? 先程すれ違ったご婦人は、すき焼き鍋を作られるそうです!〉


 他所は他所。

 贅沢をできるだけの、何不自由しないだけの生活費を父は振り込んでくれている。

 だからと言って使い込んでいいわけではないのだ。

 そして、なにより私は──


「…牛肉の甘さが苦手なんだ」

〈東さん、苦手なものがあったんですね〉

「私をなんだと思ってるんだ?」


 心の底から意外そうな声を頭上から降らせてくるパートナー。

 私にだって苦手なものはあるぞ。

 芙花の前ではにも出さないが。


「あ〜東さんだ〜」


 私を呼ぶ声に振り向けば、見慣れたチェック柄のスカートが揺れる。

 私が出歩いているのだ。

 帰宅中の生徒、クラスメイトと出会うこともあるだろう。


 ただ──タイミングがよろしくなかった。


 パートナーとの会話が聞こえる距離ではない。

 しかし、そうなると私は独り言を呟く危うい女子生徒になるのだ。

 人通りが途絶えたからと油断していた。

 どう誤魔化す?


「こん、こん…こんにちは?」


 戦々恐々とする私に、脱力しそうな挨拶が投げかけられる。

 小さく首を傾げ、長い三つ編みを揺らすクラスメイト。

 なぜ疑問形なんだ。


「…こんにちは」


 小さく挨拶を返す私に歩み寄ってきたクラスメイトは、珍しく身長差がなかった。

 どこか眠そうな、目尻の下がった瞳が私の手元へ向けられる。


「お買い物?」


 視線の先には手元から下げたエコバッグ。

 それに対して思わず無言で頷いてしまう。

 口下手というより根本的なコミュニケーション能力に問題がある。

 これでは口が飾りだ。


「えっと……」


 加えて致命的なのは、名前を覚えることも苦手ということ。

 クラスメイトだった憶えはあるが、そこまでしか分からない。

 それを察したらしい彼女は、のんびりとした口調で名乗った。


「政木、政木律だよ〜」


 政木と聞いて、ようやく虫食いだらけな名簿から名前を引き当てる。

 シモフリスズメの絵が上手い金城と席が近かった女子だ。

 クラスメイトの名前を憶えていない自分に落胆しつつ次なる言葉を紡ぐ。


「政木さんも買い物に?」


 相手の手元にも手提げバッグ。

 可愛らしい狐の刺繍が施されたは、そこそこ物が入っているように見受けられた。


「そうだよ〜奇遇だね」


 まったく予想外だったよ。

 いつから背後にいたのか聞きたいところだが、どう切り出したものか。


「東さん、自炊するんだ〜」


 のんびりとした口調で話題を振ってくる政木律。

 聞かれていない可能性を一瞬考えるが、やめておく。

 一思いに言ってくれないだろうか。


「意外?」

「うん」


 長い三つ編みが頷きに合わせて揺れる。

 心外だ、とは言えない。

 授業中を除いて活動的ではない私から俗に言う女子力など──


「いつも惣菜パンしか食べてないでしょ?」


 思わぬ不意打ちに固まる。

 いつも昼休憩になると姿を消す私など誰も気にしていないと思っていた。

 誰が見ているからといって何が変わるわけでもないが。

 

「…手軽だから」

「え~育ち盛りなのに…しっかり食べないとダメだよ〜」


 そう言って彼女がバッグから取り出したのは──お稲荷さん?


「これ、おすすめ~」


 半額シールの貼られたパックを差し出し、ふにゃと笑うクラスメイト。


「あ、ありがとう」

「うん」


 満足そうに頷く彼女を見て我に返る。

 何を普通に受け取っているんだ、私は!?

 邪気のない笑顔を前に断れなかったが、これは──


「あ…時間」


 お稲荷さんのパックを受け取る瞬間、腕時計が視界に入る。

 その使い込まれたの腕時計を確認し、政木は一歩下がった。


「ごめん、そろそろ行くね」

「あ、うん」


 返品の交渉を始める前に、長い三つ編みが私の前を横切る。

 そして、小さく手を振るクラスメイトへ反射的に振り返してしまう。


「また来週~」

「……また、か」


 茜色に染まる夕刻の通りを小走りで去っていく背中を見送る。

 ぴょんぴょんと跳ねる三つ編みが見えなくなるまで。


 それからお稲荷さんをエコバッグへ入れ──率直な感想を口にする。


「なんだったんだ?」

〈政木さん、よくぞ言ってくれました……しっかりと昼食は食べましょう、東さん!〉


 それは百も承知だが、朝から弁当を2つ作るのは手間がかかるのだ。

 私の体は一つしかない。



 豚肉は好きと言ったが、オークの群れは求めていない。

 エナの総量から獲物として好むファミリアは多いが、インクブスなどいない方がいい。

 深夜の旧首都で相対するたび思う。


《うわぁぁぁぁ!》


 悲鳴が私の頭上を飛び越え、どんっと鈍い音が降ってくる。

 見上げればオフィスビルの外壁に突き刺さって沈黙するオーク。

 相当な重量のはずだが、体長と同寸の頭角を誇る重量級ファミリアには軽いものらしい。

 これで2体目だ。


《ドナートっ》

《余所見するな! 来るぞ!》


 頭角と胸角を開け、ゆっくりと前脚を進めるヘラクレスオオカブトを前に後退るオーク。

 喩えるなら大型トラックと軽自動車、その差は絶望的だ。

 戦士を自称するオークどもは重量級ファミリア8体と正面衝突し、文字通り轢殺されている。


《化け物が──》


 交通事故を思わせる衝突音。

 視界の端でボールのように跳ねる影が路肩のガードレールを吹き飛ばす。

 ボールもといオークを撥ねたアトラスオオカブトは三本角からエナを滴らせ、次なる敵へ矛先を向けた。


《くたばりやがれぇ!》


 野太い雄叫び、そして重い風切り音を伴ってクラブが迫る。

 ウィッチ相手なら十二分な威力だろうが、厚い外骨格には痛痒たり得ない。

 では闘争心の塊に火をつけるだけだ。

 骨肉の砕ける鈍い音を響かせ、オークは宙を舞った。


《サンドロたちはまだか!?》

《くそっ撤退すべきだ!》


 当初23体を数えたオークどもは今や7体。

 すっかり及び腰になっている。

 この場から抜け出せた伝令は、即応したスズメバチが肉団子に変えた。

 だが、現在進行形で発生している騒音は近隣まで聞こえているはず。

 増援が来るのは時間の問題だろう。


《なん…だと…!》


 くるくると宙を舞う刃が月光で瞬いた。

 漆黒の外骨格と下手に打ち合えば、自慢の得物も容易く折れる。

 唖然とするオークの胴体に大顎が食い込み、その重量をものとせず持ち上げて──


《くそっぎゃぁあぁぁ!!》


 ぱん、という破裂音。

 夜空を真っ赤な飛沫が舞い、荒れ果てたアスファルトとヒラタクワガタを彩る。

 見慣れたスプラッターな光景だ。


 夜戦──それはファミリアとなっても夜行性らしい彼らの独壇場。


 この荒れ果てた酷道はインクブスどもが凱旋するための大通りではない。

 重量級ファミリアが存分に力を振るうためのフィールドだ。


「これを呼び出さなくてもやってくれないものか」


 彼らは強力なファミリアだが、その巨躯の維持に多くのエナを必要とする。

 しかし、食性の問題なのか、インクブスを捜索してまで攻撃しない。

 もっぱらスズメバチの加工した肉団子がエナの供給源である。

 こうして呼び出せば、他の追随を許さない活躍を見せてくれるのだが。


〈それは難しいかと……彼らもモチベーションがありますし〉

「私にアピールしても仕方ないだろ」

〈そ、そうですね──南東からオークが18体、接近中です〉


 歯切れの悪いパートナーは、一瞬でスイッチを切り替えて報告する。

 5体──訂正、1体になった──を残すところで増援は間に合ったようだ。


「仕掛けは?」

〈いつでも〉


 こちらへ向かってくる足音は重なり合って地鳴りのようだった。

 密集している証拠だ。


「やるぞ」


 酷道もとい元国道に現れるオークの一群。

 驚愕はすぐ憤怒の表情へ変わり、各々が得物を構えて突撃してくる。

 当然の話ではあるが、狭い道より広い道の方が数を生かしやすい。


 だが──その道は、いや旧首都は誰が作り出したモノか知るといい。


《サンドロ!!》


 喜色に満ちた声が上がった瞬間、オークの一群が視界から消える。


《何だっ!?》

《じ、地面がっ!》


 行先は、地面の下だ。

 アスファルトの大地が大口を開けてオークの一群を飲み込む。

 ここが旧首都となる前、かつて地下鉄が走っていた空間まで──


《ぎゃぁあああ!》


 そこでインクブスどもを出迎えるのは、ファミリアの大顎しかない。


《囲まれてるぞっ》

《わ、罠だ!》

《ぐわぁぁぁぁ……》


 地下の闇で反響する怒号、遠ざかっていく悲鳴。

 地下鉄をするシロアリ、そこを巡回するオオムカデとゲジ、そして崩落の主要因たるケラ。

 ここからでは見えないが、100体に及ぶファミリアが競い合ってオークを解体している。


〈成功ですね〉

「ああ」


 実のところ仕掛けというほどのものでもない。

 インクブスが通りかかる瞬間、国道を崩落させる一種の力業。

 周辺被害を考慮しなくていい旧首都限定の戦術で、手間の割に応用が利かない。

 しかし、奇襲効果は高く、誘引さえできれば大規模な群れも殲滅できる。


《円陣を組っがは!?》


 声を張り上げた隊長格と思しきオークの声が途絶え、ファミリアが崩落箇所の中心へ殺到する。

 まるで大波が小島を飲み込むように。


《く、来るなぁぁぁぁ!》


 耳障りなインクブスの絶叫は──ぴたりと止む。


 後には、肉を咀嚼する音だけが残った。

 1分と経たず解体を終え、戦利品を咥えたシロアリたちは早々に引き上げていく。

 すぐ崩落箇所の修復のための替わりが来るだろうが。


《う、うそだろ…ぐぇ!?》


 それを呆然と見下ろすオークを長大な頭角と胸角が上下から挟み、無造作に放り投げた。

 重力に囚われた者は等しく落ちる。


《あぁああぁああ!!》


 豚面のインクブスはアスファルトより下に広がる屠殺場へ落ちていった。


〈あれで最後のようですね〉

「この規模だ。まだ分からない」


 上空のスズメガが捕捉した群れは駆逐したが、オークだけとは限らない。

 ここ最近、旧首都に現れるインクブスの群れは規模が大きくなっている。

 原因は不明だが、警戒すべきだろう。

 ぐいぐいと頭を擦りつけてくるアトラスオオカブトを押し止めつつテレパシーを──


「あ〜本当にいた」


 ひどく場違いな緊張感のない声が頭上から降ってくる。

 見上げた夜空には、時代錯誤な紅の和装に身を包む人ならざる者が浮かんでいた。


 天を衝く狐の耳、揺れ動く九つの尻尾、ぼんやりと光る翠の目──妖ではない。


 ウィッチだ。

 ウィッチがいる。


「わ、大きなカブトムシ……かっこいい」

〈確かに…立派なファミリアじゃな〉


 男児のように目を輝かせる紅のウィッチ、そして胸元で明滅する勾玉のパートナー。

 両者から悪意は感じないが、意図も読めない。

 インクブスの最多出現地域、その中心部とはウィッチにとって敵地に等しい。

 私にとってはファミリアの狩場でもウィッチからは忌避される場所なのだ。


「何か用か」


 妖ではないと言ったが、妖しいのは間違いない。

 口から出る声は自然と硬質なものになる。

 しかし、紅のウィッチは気にした様子もない。ゆっくりと目を閉じ、両腕を組んで黙考の姿勢。

 いや、待て。

 考えるようなことなのか?


「用、用……」

〈悩むところかの?〉


 ウィッチの周囲を所在なさげに青白い狐火──マジックの一種と思われる──が回る。

 奇妙な沈黙があった。

 月光を背にスズメバチの群れが通り過ぎ、なお頭を擦りつけてくるアトラスオオカブトの頭を叩く。


 ぺちっと間抜けな音──狐耳が揺れ、翠の目が開かれる。


「お礼参り?」

〈うむ……うむ? 待つのじゃ、それは誤用じゃ!〉

「…報賽される覚えはないが」

〈稀有な返しじゃな!?〉

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