疑義

 私はファミリアにエナの供給比率を傾けているため、ウィッチとしての能力は低い。

 新米ウィッチが容易く屠るゴブリンすら一対一は危険だった。

 そのため常日頃からファミリアと行動しているわけだが、それはインクブスにのみ有効だ。

 ファミリアは人間に無関心となるよう

 私に悪意をもつ人間が現れた時、どこまで抵抗できるかは未知数だ。


 そして、おそらく悪意は欠片もないウィッチ──アズールノヴァとの再会は思ったより早く訪れた。


 遭遇するのは三度目になるが、今回は快晴の旧首都。

 インクブスを相手に大立ち回りを見せている最中だった。


〈す、すごいですね……ナンバーズに比肩するのではないでしょうか?〉


 宇治川の蛍火のように燐光が飛び交い、蒼い閃光がコンクリートジャングルで爆ぜる。

 無人の旧首都では制限する必要がないとは言え、とても新米ウィッチと思えない威力だ。

 高架を挟んだ向かいにあるマンションのベランダが余波で震え、酷道が粉塵に覆われる。


「天賦の才、か」


 その才は他人を救うが、本人は救わない。

 埋没すべき才だ。

 鬱屈とした気分になる。

 そんな胸中を表したような灰色の粉塵から飛び出す人影。

 ふんだんにフリルを使った蒼いドレスを翻し、軽やかに信号機へ着地する。


〈見えました、アズールノヴァさんです!〉


 思わず歓声を上げ、ぴょこぴょこ小さく跳ねるパートナー。

 嬉しいのは分かるが、やるべきことを忘れるなよ。

 私の目、パートナーの眼、上空の眼、それらで残存するインクブスを探す。


「想定より少ないな」

〈ほとんど倒されてしまったようですね〉


 粉塵の中より現れるインクブスどもは、捕捉した当初より相当数を減らしている。

 32体いたゴブリンは全滅。

 確認できる限り、ひらひらと宙を舞うインプ──端的に言えば羽と尻尾の生えたゴブリン──が3体。


《おのれ、ウィッチめ!》


 そして、咆哮を上げるオーガが1体。


〈……オーガは健在ですが〉

「あれはオークよりタフだ」


 筋肉隆々の巨躯は大質量を振り回すパワーとオーク以上のタフネス、そして当然のようにマジックへ耐性を備える。

 数こそ少ないが、非常に厄介なインクブスだ。


〈加勢しますか?〉

「しましょう、ではなく?」

〈それは……〉


 信号機の上に佇むアズールノヴァの姿が消え──蒼い光芒が駆ける。


 その進路上に立つオーガは鉄塊の如き得物で迎え撃った。

 迫る質量武器と激突し、それを正面から弾き返すアズールノヴァ。

 後退るオーガに対し、燐光を散らして二撃目が放たれる。


 両者は再び激突し──衝撃波で足場のベランダが震える。


 可視化したエナを纏うアズールノヴァは、3倍近い体格差のあるオーガを圧倒していた。

 新世代のウィッチというパートナーの推論は外れていないかもしれない。

 そう思えるほど、規格外だ。


〈あの間に割って入れるファミリアは限られますし……分かって聞いてますね?〉

「確認したかった」


 眉はないが訝しげな視線を向けてくるパートナー。

 あの空間に割って入れるファミリアが現状いないことを確認し、狙うべき目標を絞る。


 雷鳴が轟く──雲一つない快晴の旧首都に。


〈インプがマジックを使ったようです〉

「ああ」


 インプの指先から紫電が迸り、頭上よりアズールノヴァを襲う。

 無粋な横槍は直撃の瞬間、周囲の燐光と干渉し、大きく湾曲して酷道へと逸れる。

 インクブスの中にはウィッチと異なる体系のマジックを扱う者が存在する。

 その威力は世代交代が進んだファミリアにも脅威となるほど。

 圧倒的な身体能力によるインファイトを好むインクブスはだが、あの手合は優先して駆逐すべきだ。


〈放出されるエナの量が多いですね……強力なインクブスのようです〉

「ネームドか」

〈分かりません。しかし、仮にそうだとして連続で現れるでしょうか?〉


 仮にネームドとすれば、戦力の逐次投入もいいところだ。

 戦力は集中した方がいい。

 分散すれば先日のフロッグマンのように各個撃破──


「いや、倒されたからこそか」


 先日のフロッグマンは、情報収集を目的としていた節がある。

 帰還しなかった時点で間違いなく戦力は増強される。

 あれは本腰を入れてきたインクブスのなのではないか?

 喩えるならゴブリンは歩兵、オーガは戦車、インプは砲兵。


〈どうしますか?〉


 パートナーの問いは、まず何を狙うかという意味だ。

 雑居ビルが蒼い閃光と共に爆ぜ、丸太のように太い物体が宙を舞う。

 あれは、オーガの左腕だ。

 オーガを相手取るアズールノヴァに援護が不要であるなら、私のすべきことは一つ。


「インプをやるぞ」

〈分かりました〉


 滞空するインプ3体を捉えたまま、テレパシーを発する。

 距離も次元も超える私の声は、遥か上空1000mのファミリアへ届く。

 アズールノヴァを一方的に攻撃するインプは、周辺警戒を怠っている。

 今こそ好機だ。


〈突入まで3秒……来ます!〉


 旧首都の青空を黒が横一文字に切り裂いた。

 をファミリアと認識できた者はいなかっただろう。


 暴風が吹き抜け──インプは2体になっていた。


 慌てて散開するインプたち。

 その頭上より降ってきた物体は、驚愕を浮かべた仲間の頭。


「まず1体」


 インクブスの見上げた先には、咀嚼を終えたファミリアの巨影。

 縞模様柄の細長い体を2対の翅で空中に静止させる。

 インプたちが何かを喚きながら、不気味に光る指先を一斉に向けた。

 マジックを使用するぞ、という合図だ。


〈エナの放射量増加します〉


 グラウンドゼロを睥睨するエメラルドグリーンの複眼は、インプの微細な動作も見逃さない。

 私が与えるべき情報は、マジックの発動タイミングだけ。


 枯枝のような指先が光る──私の視覚情報をオニヤンマが、動く。


 人間の反射神経では回避できない速度。

 しかし、紫電は虚しく空を切って大気へと散る。


《馬鹿な!?》


 インプの驚愕する声が風に乗って聞こえてきた。

 動揺を隠さぬまま、インプは指先より紫電を連続で放つ。

 無意味だ。

 オニヤンマはエナが紫電に変換される刹那を観測し、事前に回避している。


〈攻撃速度を重視して威力が落ちていますね〉


 悪くない判断だが、手数で補おうと速度が足りていない。

 インプの視界から消える巨影。

 空を侵犯したインクブスを全て噛み砕き、飛行の原動力としてきたファミリア。

 いつからか飛行速度は、国防軍の制空戦闘機に迫るものとなっていた。


 つまり──


 瞬きの後、空中にいるインプは1体だけとなった。

 回避を思考する暇もなかっただろう。

 一撃離脱を終えたオニヤンマは、捕獲時の衝撃と殺人的加速で沈黙した獲物を丸齧りしている。


〈む…逃げるようです〉


 最後の1体が明後日の方向へ飛び去ろうとしていた。

 胴体を両断されるオーガを見限り、障害物の多い低空へ逃げ込んで。


「機動を制限する気か」

〈あるいはポータルを使用する気かもしれません〉


 その可能性もあるな。

 今度は頭まで噛み砕いたオニヤンマへテレパシーを発信し、追撃させる。

 信号機や電線程度の障害物で止められるファミリアではない。

 低空を滞留するアズールノヴァの蒼い残滓を散らす黒い風。


《く、来るなぁぁ!》


 雷鳴が一度だけ響き、それきり旧首都は沈黙した。


 ──オニヤンマ以外のファミリアからインクブス全滅のテレパシーを受信。


 ヤマアリの一群だけを呼び寄せ、私は肩から力を抜く。


〈お疲れ様でした〉

「想定より早く片付いた」

〈アズールノヴァさんのおかげですね!〉

「…そうだな」


 オーガを相手取る想定でファミリアを呼び寄せていたが、彼女のおかげで被害なくインクブスを駆逐できた。

 喜ぶべきなのだろう、本来は。

 ベランダから観戦していた私を発見したアズールノヴァが手を振っている。

 上半身の消失したオーガを背に。


〈本当に聞かれるんですか…?〉


 おずおずと尋ねてきたパートナーへ頷く。

 を撮ったのが、誰であるか確かめる必要がある。


「ああ」


 私の存在が認知されようと知ったことではない。

 インクブスどもを駆逐することに変わりはないのだ。

 多少の情報をくれてやっても、その対策ごと踏み潰す戦力もある。

 だが、それだけで済まないこともある。


「エスカレートしない、とは言えない」

〈それは……そうですが〉

「プライベートまで及ぶ事態になれば、私は」


 私は、どうする?

 シースに収まるククリナイフの重みが、気分まで重くさせる。

 芙花や父、近しい人間を巻き込む惨事になった時、私は相手を──


「シルバーロータス様!」


 一度の跳躍で酷道より高架を越え、4階のベランダへ降り立つアズールノヴァ。

 緑に侵食された灰色の建築に溶け込まない蒼はよく目立つ。

 鼠色の私は、背景あるいは影だった。


「まさか、助けに来てくださるとは…ありがとうございます!」

「大したことはしてない」

「そんなことありません。シルバーロータス様のおかげで目の前のインクブスに集中できました!」


 飼主を前にした大型犬のように、はきはきと返事をするアズールノヴァ。

 並のウィッチならオーガ単体であっても危険なのだが。

 やはり、規格外だ。


 ──必要な言葉を吐き出す気力は、中々湧いてこない。


「そうか」

「はい!」


 こうも真っすぐな眼差し、純粋な好意を疑うのは、どうにも憚られる。

 だが、それでも私は聞かなくてはならない。

 そわそわとするパートナーに口を出さないようアイコンタクトを送る。


「アズールノヴァ」

「は、はい!」


 私が名前を口に出すと、その背筋が真っすぐ伸びた。

 改めて名前を呼んだのは初めてかもしれない。


「一つ聞きたい」

「はいっ」


 私は口下手だ。

 言葉は知っていても、それを上手く扱えない。

 だから、開き直って端的に言う。


「ここ最近、私を尾けていたか?」


 口から出た言葉には不快感しかない。

 自意識過剰かつ被害妄想の塊のような言葉だった。

 今か今かと言葉を待っていたアズールノヴァは、そんな私の問いに──


「いえ、そんなことはしていませんよ?」


 ただ不思議そうに首を傾げるだけだった。

 嫌疑をかけられ、取り乱すわけでも、悲しむわけでもない。

 無理に取り繕った様子はなかった。

 これで演技なら私は人間不信になるぞ。


「17日前にお会いしたきりですね」


 17日前と言えば、共同でライカンスロープに対処した日だ。

 それ以前について追及することもできる。

 だが、していないと言った相手を詰問したくはない。

 彼女を、信じてみようと思う。


「そうか」

〈やっぱり、そんな分別のつかない方じゃありま──むぎゅ〉


 囁くパートナーの鋏角を押さえて黙らせる。

 まだ何も解決していないというのに安堵を覚え、同時に押し寄せてくる罪悪感と自己嫌悪。

 肩は軽くなったが、苦々しい気分になる。


「どうして尾けられていると思われたのですか?」


 そんな私を見て、アズールノヴァは当然の質問を投げかけてきた。

 真っ先に疑ってきた相手を心配する視線が辛い。

 だが、答えないわけにはいかない。


「旧首都にいる私を盗撮した写真が出回っている、らしい」


 その一言で──アズールノヴァの纏う雰囲気が変質した。


 よく似た感覚を知っている。

 これは、インクブスを捕捉した時にファミリアが見せる無機質な敵意だ。


「なるほど、それで私ではないかと思われたのですね」

「…ああ」


 それを一瞬で霧散させ、眉を下げて困ったように微笑む少女。


 ライカンスロープへ刃を向けた時と同じ、制御不能な何か──どこか底知れないアズールノヴァに戸惑いつつも、まずは疑ったことを謝罪する。


「すまなかった」

「いえ、シルバーロータス様の危惧は理解できますので……盗撮するような輩は必ずエスカレートしていくでしょうから」


 輩と口にした時だけ温度が体感で2度ほど下がった気がする。

 敵と判断したものへの反応が極端だ。

 どこか危うい。


「旧首都で行動できるとなればウィッチですね。私以外に心当たりはありませんか?」

「ない」

〈ないですね〉

「そ、そうですか……」


 はっきり言い切るとアズールノヴァは、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。

 私と遭遇したウィッチは二度と会いたくないと思う経験をしている。

 わざわざ私に会いたいと思う候補者は、今のところ1人しか思いつかないのだ。


「でも、シルバーロータス様のファミリアが見逃すとは思えませんね」

〈ファミリアたちはウィッチを認識しても基本的に無視するので……〉

「え、そうなんですか!?」


 パートナーの補足に目を丸くして驚くアズールノヴァ。

 ファミリアの敵味方識別はインクブスか、それ以外にしている。

 複雑な判断基準を設け、を引き起こしたら目も当てられない。

 それに関して変える気はない。

 だが──


「プライベートまで追ってこられると厄介だ」

「そうですね」

〈むぅ……〉


 盗撮と尾行の対策をできないものか。

 変身のたびにいらぬ気苦労はしたくない。

 細い指先を頬に添えて考えるアズールノヴァ、頭を前脚で器用に撫でるパートナー。


 ──陽射しの射し込むベランダに沈黙が訪れる。


「よし、分かりました」


 テレパシーだけでファミリアを指揮する案を真面目に検討し始めた頃、アズールノヴァが意を決して口を開いた。


「シルバーロータス様、私に任せてもらえませんか?」

〈おぉ…!〉


 ぱくりと簡単に食いついてしまうパートナー。

 ここまで話しておいて今更ではあるが、安易に任せていい話ではない。

 インクブス以上に厄介な相手かもしれないのだ。


「いや、これは──」

「私、実はが得意なんです」


 前屈みになって私の手を取る少女の目は、いつにも増して真剣だ。

 一切の打算を感じない真っすぐさに、おそらく私は弱い。

 彼女と相対するようになってから知った。

 拒みづらい。


「お願いします! お役に立ちたいんです!」


 時折、彼女の見せる危ういところが気がかりではある。

 だが、人探しだけなら断るような申し出ではない。

 ないはずだ。 


「……無理はしなくていい」

「はい!」


 蒼いウィッチの返事は、蒼穹のファミリアまで届きそうなほど活力に満ちていた。

 これで良かったのだろうか?

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