不明
見目麗しいウィッチは一種のアイドルだ。
悪を滅ぼし、人々を護る戦乙女たち。
世間はインクブスの脅威が高まれば高まるほどウィッチへ注目し、神格化すらしている。
私の内にある常識が認めない今世の常識。
いや、アップデートできなかった私の常識が認めない今世の常識か。
ウィッチが現れてから紆余曲折を経た世界が、今だった。
「本来のゴルトブルームはインファイターなんです!」
「は、はぁ……」
要領の得ない相槌を気にした様子もなく語る男子。
本来も何もメイスが得物ならインファイトが主眼ではないのだろうか?
私は現在──認めたくない今世の常識と相対していた。
このウィッチのファンを名乗るクラスメイトに捕まったのは、昼休憩に入った直後。
授業が自習となり、予習も終えて時間を持て余していた私は、ゴルトブルームの大楯に描かれた花が何か気になった。
──それは、ゴルトブルームの紋章ですか?
うろ覚えで描いた花の絵、それが自称ファンの男子──田中、いや中田だったか──に見つかった。
聞こうと思っていたパートナーはペンケースから前脚を振るだけ。
そのため、花の名前を聞くだけと話に乗った。
「メイスを持ってるし、元々インファイターじゃない?」
「要塞のスタイルが確立されてからメディアが特集を組んでいるので、インファイターって印象は薄い人が多いですね。ちなみに、初登場時はシールドに収納されているエストックやハルバードといったウェポンを駆使して戦っていたんですよ」
遠い日々を懐かしむように中田は語る。
よく覚えているものだ。
話し始めてから彼の口から飛び出すウィッチへの知識量は圧巻の一言だった。
しかし、あのゴブリンの眼窩を貫通していたのはエストックだったのか。
貫通痕が炭化していたからマジックの一撃とばかり思っていた。
「旧首都で戦う時は見なくなりましたが、街中で戦う時は華麗な剣技を見ることができますよ」
「へぇ……」
私を日常へ戻してくれる場でウィッチの話題は極力避けていたが、中々どうして興味深い。
ファミリアはウィッチを基本的に無視するため、ウィッチを観測する第三者の意見は初めて聞いた。
だが、禁足地での活動は見逃せない。
あそこはファミリアの狩場、もといインクブスの最多出現地域だ。
「どうやって旧首都に?」
「ここだけの話なんですけど……ドローンで空撮しているんです。僕もバイト代を投資してますっ」
「ふむ」
そう言って小さく胸を張る姿に、私は適当な相槌でやり過ごした。
かつてドローン大国と呼ばれた中国が軍閥とインクブスの陣取りゲーム盤になってから、民生ドローンは高価な道具だ。
それを駆り出してまでウィッチの姿を追いたいのか。
「望遠なので、判別くらいしかできませんけど」
見ているだけで助けない──戦う力がない人々に何を求めている?
そんな人々がウィッチを応援できる余裕があるだけ我が国は、恵まれている。
正体に迫ろうとしてウィッチ本人を巻き込んでインクブスの餌食になった追っかけの事件から、無責任なファンも激減した。
これでも弁えていると言うべきなのだろう。
「あの、東さん」
申し訳なさそうな中田を見て、心のささくれが顔に出ていた可能性へ思い至る。
私の表情筋は思ったより内心を反映すると芙花の一件で知った。
フォローする心算で反応する。
「なに?」
「なんというか……僕が一方的に話してしまって申し訳ないな、と」
そう言って頭を掻く彼に、私は軽く脱力した。
あれだけ気持ちよさそうに語っておいて今更の話だろう。
「気にしないで……面白い話も聞けたし」
ウィッチのファンという存在を私は快く思ってはいない。
だが、それは私の内で処理すべき感情だ。
わざわざ他人の趣味嗜好へ口を出し、非常識だと糾弾する権利はない。
それに──ウィッチへの真剣な姿勢は、蛇蝎のごとく嫌うものではない。
個人的に彼の話で感心したのは、ゴルトブルームの紋章に関する考察だった。
花言葉からのアプローチは面白かったと思う。
「だから、ありがとう」
真っすぐ見返して、礼を言う。
困ったように頬を掻いて笑った彼は、どういたしまして、と小さな声で答えた。
今、周囲から視線が殺到したような──自意識過剰だな。
周囲のクラスメイトは普段通りの他愛ない会話をしていた。
当然だ。
自意識過剰と言えば──私は降って湧いた好奇心で更なる会話を試みる。
「中田くん」
「あ、田中です」
「……ごめん」
「き、気にしないでください!」
すまない、田中くん。
机に突っ伏したい気持ちを堪える。
顔から火が出そうな気分を味わったが、気を取り直して聞く。
「他のウィッチについても分かる?」
「もちろんですよ!」
自信がある様子だ。
ウィッチに青春を懸けてしまうなよ。
そんな心配を覚えながら、私は私について聞いてみた。
「シルバーロータスは?」
「けほっえっふ!」
「ちょっと、どうしたんですの!?」
「お〜わさび、多かったかな?」
私の席から5席分ほど離れた場所で、誰かが盛大に咽せていた。
相変わらず賑やかなクラスだ。
「シルバーロータス?」
名前を反芻する田中くん。
ふと思ったが、そもそも私はメディアに露出していない。
映り込んだファミリアは、心外なことにインクブス扱いだ。
つまり、一般人には名前すら知られていない可能性が──
「東さん、シルバーロータスに興味が?」
なんだって?
シルバーロータスと聞いて顔を出すパートナーをペンケースへ押し込む。
「ま、まぁ……?」
思わず曖昧な返事で答えてしまう。
わなわなと震える田中くん。
なんだろう、厄介なスイッチを入れてしまった気がする。
「彼女は、一切が謎に包まれたミステリアスなウィッチなんですよ!」
「えぇ……」
目を爛々と輝かせ、彼は恥ずかしげもなく言い切った。
名乗った覚えがないのに、名前を知られている事に驚愕なんだが。
「唯一鮮明に撮れた写真は、これだけ!」
「うわぁ……」
差し出されたケータイの画面には、銀髪赤目の少女が廃墟の中で佇んでいる写真。
よく撮れている。
フードを取り払った私の横顔が、相変わらず無愛想だと分かるほどに。
どこで撮った!?
「これは?」
「有志が撮影したものです! 日時や場所が非開示なので、合成って言う仲間もいますけど、僕は本物だと思ってます」
合成であってくれ。
ここまで鮮明に撮れる距離で気がついていないとしたら──この廃墟、旧首都か?
禁足地へ立ち入って私を追える存在は、ウィッチしかいない。
まさか、いや、それはないと願いたい。
アズールノヴァ──次に会うことがあれば聞いてみよう。
「見ての通りウェポンはククリナイフと分かっているんですが…それ以外は何もかも謎のウィッチなんです」
「そう」
認知されていた事は予想外だったが、私のやっていることは把握されていない。
一般人には、それでいい。
そう思う。
世には知らないままで良いこともある。
◆
見渡す限り草木のない不毛な土地が広がり、空には血のように赤い月が瞬く。
ここはヒトを喰らう悪意の塊が跋扈する異界。
《バルトロ、本当にここなのか?》
《ああ、ここだ》
そんな殺風景な景色から浮いた存在、厚い皮膚と筋肉に覆われた巨躯のインクブス──オーク。
その一団を率いるバルトロは、静寂に満ちたゴブリンの巣を前にして頷く。
無骨な得物を担ぎ、布を雑多に巻いたバーバリアンのような一団を同族は戦士と呼ぶ。
彼らの目的は、連絡の途絶えたゴブリンの巣を調査することであった。
《誰もいないな》
《いや、いなくなったんだ》
足下から首飾りらしきものを掘り出したバルトロは厳かに告げる。
巣を治めるゴブリンが身につける装飾品と気づいた戦士たちは一様に顔を顰めた。
《ここも奴らの仕業か》
断定的口調の仲間にバルトロは再び頷く。
奴ら、とは近頃出没しているインクブスを捕食、苗床とする化け物のことだ。
この異界に棲む数少ない原生生物でないことは明らか。
仕留めた個体がエナとなって四散した点からウィッチのファミリアと断定されたが、いまだに侵入経路は不明のまま。
《気を引き締めろ、お前ら》
《おう》
この周辺では最も規模の大きい巣の全滅に危機感を抱くバルトロに対し、幾度か襲撃を退けている一団との間には温度差があった。
ここも外れだろうという空気を隠しもしない。
バルトロは天を仰ぐ。
《生き残りは、いないな》
一つ一つ住処を覗き込み、異変の痕跡を探すオークたち。
ゴブリンの住処は土を盛り固めた簡素な造りで、建築というより穴倉である。
扉を破壊され、屋内は荒れ放題となっているが、これまで見てきたものと大差はない。
《くそ……ウィッチ相手なら楽しみもあるってのに》
覗き込み、見回し、次へ向かう。
その単純作業の繰り返しに思わず不平を漏らすオーク。
《ファミリアよりウィッチの尻を叩きてぇよ!》
《まったくだぜ!》
過去7人のウィッチを倒し、犯し、孕ませた戦士たちは下品な笑い声を響かせた。
仲間のストレスがピークに達しつつある、それを肌で感じるバルトロ。
この調査を終え次第、すぐ遠征に出て発散させてやる必要があった。
《奴らがファミリアなら、とっととウィッチをやっちまえばいいものを》
若いオークは血気盛んな様子で、アックスを振るってゴブリンの住処を叩き壊す。
思わず天を仰ぐバルトロ。
そんなことは腕に覚えのあるインクブスは皆、理解している。
しかし、この異常事態を引き起こしているウィッチは姿どころか名前すら分かっていない。
《肝心のウィッチが分からないという話だ》
《エリオットが行ったんだろ?》
大陸のヒトが興した国で、ウィッチを次々と手籠めにし、数多のインクブスに雌を提供した真紅のフロッグマン。
その手腕を妬む者は多いと聞くが、エリオットの情報を当てにするインクブスも多い。
彼は件のウィッチを探し、護りの堅い島国へ出向いた。
《まだ、戻らんそうだ》
《つまみ食いでもしてんのかね》
そんな呑気な回答にバルトロは一抹の不安を覚えるも、探索に意識を戻す。
そして──未探索の場所は、ゴブリンが余興で建設した祭祀場を残すところとなった。
祀るのは、インクブスを生み出した神。
しかし、略奪と繁殖しか能がないゴブリンは、生贄を捧げると称してウィッチを嬲る場にしている。
《雌1匹くらい残ってねぇかな》
下卑た笑い、それから少しばかりの期待。
そんな弛緩した空気を漂わせたまま一団は階段を下り、祭祀場の扉を潜る。
扉より先には、天井から射す光以外に光源のない薄闇の広間。
穴倉を好むゴブリンらしい造りだった。
バルトロが指示を出さずとも、場内に散って探索を始めるオークたち。
見渡す限りゴブリンが略奪した雑多な家財以外、目ぼしいものは見当たらない。
ただ、僅かに饐えた臭いが──
《止まれ、お前ら》
息苦しい緊張感を纏ったバルトロの声。
周辺を調べていたオークの戦士たちは脚を止め、一斉に得物を構える。
《……バルトロ?》
問うた戦士に沈黙のジェスチャーが返される。
天井に設けられた8つの格子窓から射し込む光──それに照らされた床面を睨むバルトロ。
床面の光と影との境目、そこで動く影に視線が集まる。
一つ二つではない。
気づけば、影の境目が蠢いていた。
ゆっくりと天井を見上げた者たちは、その正体を知る。
《奴らだ!》
悲鳴じみた警告が広間に反響した瞬間──天井の闇から深い闇が次々と姿を現す。
《固まれ!》
《おう!》
戦士の一団は得物を手に、近場の者と背中を合わせて天井を睨む。
エナの塊のようなオークを黒い複眼に映し、打ち鳴らされる大顎、響く重々しい羽音。
インクブスを狩る者たちが、動く。
《ぎゃぁぁぁぁ!》
最初に襲われたのは、隊列から離れて床を調べていた者だった。
薄汚い床に叩きつけられ、太い首が大顎に噛み千切られる。
いとも容易く戦士は、屠られた。
──今まで遭遇した個体が幼体に思えるファミリアに。
エナを多分に含む噴水を浴び、漆黒の外骨格が妖しく輝く。
《ぶっ殺してやる!》
《おい、離れるな!》
激昂した若いオークはアックスを振りかぶって突進する。
オークと同等の体躯でありながら軽々と飛び上がった漆黒のファミリア。
渾身の一撃を躱した元コマユバチは、わざわざ孤立してくれた獲物に対して4体で襲いかかる。
《な、ぐが、ぁぁぁ──》
大顎が腕を、脚を、腹を、頭を挟み、噛み千切った。
殺到する黒に若いオークは覆い隠され、断末魔も途絶える。
《くそが!》
その場で解体ショーが開始され、戦士たちは士気どころか戦意喪失の危機に直面した。
だが、背を向けることは死を意味する。
接近してくる羽音に得物を振るうしかない。
《何匹いるんだ!?》
《や、やめてくれぇぇ!!》
厚い皮膚を毒針に貫かれ、自由を奪われた者が連れ去られていく。
その末路は苗床である。
ウィッチには自慢のタフネスで優位に戦うオークだが、眼前を飛び回る漆黒のファミリアには通じない。
大顎は骨ごと肉を噛み千切り、毒針は厚い皮膚を貫く。
《退け! 退けぇ!》
このままでは全滅することを悟ったバルトロは撤退を指示する。
しかし、それが困難であることは誰の眼にも明らかであった。
出口は果てしなく遠くに見えた。
《ボニート、後ろだ!》
《くそっ──》
ボニートと呼ばれたオークの首を大顎が挟み、一息に噛み千切る。
真っ赤な血飛沫が戦士と襲撃者を等しく彩った。
《化け物が!》
すかさずバルトロの振るったクラブは漆黒の外骨格に直撃し、その巨躯を吹き飛ばす。
ウィッチであれば戦闘不能の一撃。
しかし、激突して柱を1本へし折った影は何事もなかったように飛び上がる。
それを苦々しく見送り、バルトロは次なる羽音へクラブを振るう。
《ぎゃぁぁあぁ!》
大顎の打ち鳴らす音、そしてオークの悲鳴が反響する祭祀場。
一団は犠牲者を出しながら這うような速度で出口を目指す。
《離れるなよ、お前ら!》
《おう!》
バルトロの声に応える戦士は半分以下にまで数を減じていた。
出口へ下がるオークを無機質に、無感情に、ファミリアは殺戮する。
それでも粘り強く抵抗した戦士たちは、出口へ辿り着く。
《行け! 上れ!》
階段を駆け上がる仲間を横目に、迫る大顎を打ち払い、その勢いで出口の柱を叩き壊すバルトロ。
少しでも時間を稼ぐため、出口を塞ぐのだ。
重い羽音が遠のいたことを確認し、バルトロは一息に階段を上る。
《よし、このまま──》
命からがら場外へ飛び出した一団は、脚を止めた。
否、止めざるを得なかった。
──静寂の支配するゴブリンの住処へ次々と降り立つ小さな影。
その場にいる戦士の得物が小刻みに震える中、バルトロは憎悪を宿した眼で小さき者たちを睨む。
《虫けらめ……》
祈るように手を擦り合わせる漆黒の暗殺者。
最も多くのオークを屠ってきた元ヤドリバエ、その真紅の眼は新たな苗床を無機質に見下ろしていた。
戦士たちの背後から迫る大顎の打ち鳴らす音。
退路はない。
《虫けらどもめぇぇぇ!!》
渾身のウォークライを上げ、オークの戦士は最後の戦いに挑む──
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