私雨

 芙花の母校が未だ健在なのは、純白のウィッチことゴルトブルームが理性的に戦ったからだ。

 ゴブリンによる包囲を阻止していたとは言え、大火力の制限という足枷を自ら課して戦っていた。


 そして、現在──危機的な状況に陥っている。


 一度は逃走に成功し、増援を得た時点で対策を立てられていると睨んでいたが、やはりにやられたようだ。


《ゴブリン共がいたはずだがなぁ?》


 倒れたゴブリンを指差すと、表情の読みづらい面を歪めるフロッグマン。

 ゴルトブルームに集中するあまり後方確認不足のゴブリンを仕留めるのは容易だった。

 囮にする気はなかったが、結果的に手早く片付いた。


《……役立たず寄越しやがって》


 吐き捨てるように言うと真紅の姿は揺らぎ、月明かりに照らされた廊下と同化していく。

 既知のフロッグマンとの違いは色と鉤爪だけか。

 巧妙な擬態だが、視覚的に姿を隠蔽したところでファミリアには見える。


〈ゴルトブルームさんを狙っています〉

「ああ」


 私狙いのフロッグマン1体、ゴルトブルーム狙いのフロッグマン1体、ネームドと思しきフロッグマンは動かず。

 右手のククリナイフを真正面へ向け、視線を誘導する。


 それが合図──奇襲する心算だった2体のフロッグマンを褐色の一群が強襲した。


《なっ!?》


 二酸化炭素の代わりにエナを感知するファミリアに視覚的な小細工は通用しない。

 弾丸のごとく一直線に突進するノミ。

 擬態を過信していたフロッグマンは回避できない。


《なんなんだこいつら!》

《くそっ剥がれねぇ!》


 両腕を振り回し、引き剥がそうと無様に踊る2体の褐色の人型。

 お構いなしに次々と取り付くノミ、ノミ、ノミ。


《ぎゃぁぁあぁ!!》


 全身に口吻を突き立てられたインクブスの絶叫が廊下に響き渡る。

 変種でもネームドではないフロッグマン、対処は容易だ。

 ノミの腹部が赤々と染まるにつれ、じたばたしていた人型は床に倒れて動かなくなる。


《なんの冗談だよ》


 ノミの第一波を躱したネームドは、擬態が無意味と悟ったらしく再び姿を現す。

 位置は天井。

 逆さまの状態で私を観察している。


《なんだ、そのファミリアは?》


 インクブスはファミリアをウィッチより下位の存在と侮っている節がある。

 戦闘能力を有するファミリアは存在するが、それでも支援や補助が主な役割だからだ。

 侮っている手合は容易く屠れるが、こうも警戒されると面倒だった。


《いや、まさか……お前か、お前だな?》


 独り言を吐き続けるフロッグマンにノミの群れは照準を合わせた。

 四方八方で褐色の影が跳躍のため脚を折り曲げる。


《あの虫けらを操ってるウィッチは!》


 同時に跳躍。

 私の目では追いきれない速度で、褐色の弾丸と真紅の影が交錯した。

 ファミリアの気配が6体消え、白い床面にノミの亡骸が落ちてくる。

 すぐエナが崩れて消え去ってしまい、弔ってやることもできない。


《思わぬ収穫……いや、そこの雌なんざ比べもんにならねぇ》


 そこへ着地するフロッグマンは無傷だった。

 さすがネームドといったところか。


 だから──なんだというのだ。


 ぎらつく眼で私を見つめるフロッグマンは、背を向けて逃走の姿勢を見せる。

 脅威と認識した相手から即座に逃走する点は、ネームドも変わらない。

 そのを持ち帰らせると思っているのか?


「逃すと思うか」

《いいや、逃げるぜぇ!》


 白い廊下を駆けていく真紅の影を目で追う。

 窓ではなく律儀に階段を選択したが、それでいいんだな?

 フロッグマンが階段前の防火シャッターを潜り──


《なにっ!?》


 響き渡る驚愕の声、ぼとぼととが降る音。

 窓を開けながらゴルトブルームの横を通り過ぎ、階段へ足を向ける。


〈虫けらと侮った罰です〉


 左肩より聞こえるパートナーの冷ややかな声。

 防火シャッターの向こう側を覗けば、マダニの雨が降る中を跳ね回る真紅の影。

 見開かれた眼が、私を見る。


《お前のようなウィッチが──》


 最後まで言い切ることなく、黒褐色に覆われる。

 雨粒全てを避けることは誰にもできない。

 一度、捕まってしまえばお終いだ。

 廊下に静寂が戻り、ゴルトブルームの荒い息遣いだけが聞こえた。


 これで──芙花の母校に潜むインクブスは全て処理した。


 風船のように膨れていくマダニは、最後の一滴までエナを吸おうとするため動かない。

 丸々とした一群は、キノコの栽培風景を彷彿とさせる。


〈移動が間に合って幸いでした〉

「五月雨式では振り切られていたな……よくやった」


 アンブッシュの位置を急遽変更したが、間に合わせたファミリアを労う。


「無事か」


 それから、モンスターパニックの世界に1人取り残されていた純白のウィッチへ声をかけた。

 すると、小さく万歳を披露していたパートナーが縮こまる。

 苦手なのか?


「なん、とかな……」


 上擦った声で答えるゴルトブルームに出会った時の威勢はない。

 薬物に侵されているのだから当然ではあるが。

 手負いの獣は過大、捨てられた猫が喩えとして妥当に思われた。


「これが、お前の…ファミリア、なのか?」


 恐怖の見え隠れする表情で、もぞもぞと動き回るノミを見遣るゴルトブルーム。

 インクブスだったモノには視線も合わせない。

 見慣れた反応だった。


「そうだ」


 当然、肯定する──背後より射し込む月明かりが遮られた。


 振り返って見ずとも分かる。

 校外を巡回させていたアシダカグモが、忘れるなと言わんばかりに窓枠から巨躯を覗かせていた。

 逃げ足の速いインクブスを屠る優れたファミリアだが、人によっては悪夢だろう。

 ゴルトブルームが恐怖で凍りついている。


「安心しろ。ファミリアだ」

「そ、そういう問題じゃ……」


 震える声はインクブスの薬物だけが原因ではない。

 フードを取り払って、アシダカグモへ定期巡回に戻るようアイコンタクト。


 鉄骨のように太い脚が去って一安心──とは、ならない。


「お、おい…な、なんだよ!?」


 今度はマダニの群れが前脚を上げてゴルトブルームへ詰め寄っていた。

 座り込んで動けない純白のウィッチは、まるでクモの巣に捕らわれたチョウのようだ。


「く、来る…な!」


 ゆっくりと包囲の輪が縮まるたび、荒い呼吸がより激しくなる。

 まずい。

 鈍感な私でもエナの流動が肌で分かる。


「落ち着け」


 ゴルトブルームへ声をかけながら、マダニの前進方向を妨げるよう手を差し出す。

 インクブスの薬物であれば、媚薬の類。

 つまり、状態が悪化すれば廃人になりかねない。


「インクブスじゃない」


 前脚を下ろし、動きを止めたマダニへ首を横に振る。

 マダニは眼が存在しない。

 前脚に備わるハラー氏器官が触角の代わりだ。

 つまり、前脚を上げているのは威嚇しているわけでも、ゴルトブルームを脅かそうとしているわけでもない。

 薬物に侵されてエナに変調をきたしたウィッチが何者か確認しようとしたのだ。

 だが、そんな事情を知らない少女には恐怖でしかない。


「すまない」

「……あ、ああ」


 解散するマダニを見送り、呆けているゴルトブルームの容態を診る。

 意識はある。

 瞬き、それと呼吸の回数が多い。

 頬が紅潮し、発汗あり。

 新薬と宣っても、やはり媚薬だ。

 つまり、私は何もできない。


「何も、言わない…のか?」


 私の視線を受け、居心地が悪そうに身じろぎするゴルトブルーム。


 金色の目は何かを恐れているような──喩えるなら、親に叱られる子どもの目をしていた。


 初めての反応だった。

 私は何を求められている?

 同情は論外。

 未熟だ浅慮だと責め立てることは、簡単だ。

 それこそ馬鹿でもできる。

 置物のようになっているパートナーから助け舟はない。

 私は──


「貸し一つだ」

「え?」


 逃げた。

 負ければ死より惨い未来が待っているウィッチに、次はない。

 ないのだ。

 だが、私は諭せる言葉を持っていない。

 連帯を拒み、一人で戦ってきたウィッチの言葉に、どれだけの説得力がある?

 今日失敗しなかっただけだ。

 まるで言い訳のような言葉を胸中に並べ立て、私は見開かれた黄金の瞳から逃げた。


「解毒できそうか?」


 ククリナイフをシースへ戻し、私は問う。

 先程から沈黙している十字架へ。

 ウィッチの容態を外部から把握している存在はパートナーしかいない。


〈新たなマジックを使うと症状が悪化する可能性があります〉

「自然治癒は可能か?」

〈エナは鎮静化傾向にあるため、自然治癒は可能と考えます〉


 打てば響く受け答えに、心中で感心する。

 ウィッチの危機に取り乱すパートナーは少なくない。

 エナの影響を受けているはずだが、冷静に分析している。


「分かった」

〈……シルバーロータス殿、感謝いたします〉


 できたパートナーだ。

 安静が必要ということであれば、護衛を呼び寄せて後始末に入るとしよう。

 ゴルトブルームが屠った11体のゴブリン、それからインクブスの干物16体を処分しなくてはならないのだ。


「待っ…」


 踵を返した瞬間、伸ばされる細い手。

 無理に立ち上がろうとして体勢を崩す少女──私の方がちんちくりんだが──を咄嗟に抱き支える。


「んぅんっ!」


 華奢な体は小刻みに震え、悩ましい声が耳元で聞こえた。

 薬物に耐性をもつウィッチに通用するとなれば、相当に強力なものだ。

 荒い呼吸を繰り返すゴルトブルームは、私の背に回した手へ力を込めて必死に耐え忍んでいる。

 人間の尊厳を著しく損ねるインクブスの薬物には嫌悪しかない。


「無理に動くな」

「ひぁっ」


 声を発するだけでゴルトブルームの体が跳ねた。

 これ以上、刺激を与えるべきではない。

 不用意な介抱の結果、後遺症が残ったウィッチを私は知っている。もう二度と見たくはない。

 ゆっくりと時間をかけ、極力刺激を与えないように壁際へ座らせる。


「安静にしろ、分かったか?」


 返事はないが、弱々しく頷いた。

 熱を帯びた金色の目、荒い呼吸、汗で張り付いた純白の衣装、全てが背徳的な雰囲気を醸している。

 とても見ていられない。

 視線を逸らした私は、改めて後始末のためにヤマアリの一群を呼び出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る