捕捉
インクブスが出現してから人類は、国家間戦争を休止している。
官民の被害は大きく、割ける国のリソースは有限だ。
そして、ウィッチなる超常の力を操る少女によって全てを相手取ることはないが、国軍もインクブスの脅威と戦わなければならない。
戦争をしている暇がない。
≪ヴァイパー1、こちらACP、送れ≫
≪ACP、ヴァイパー1、送れ≫
一切の光源がない闇夜を切り裂く影。
魚を彷彿とさせるスリムなデザインの飛翔体は高速回転する羽をもち、時速200kmほどで山間部を進んでいた。
数は4機。
知る人が見れば攻撃ヘリコプターと呼ぶ日本国防軍の軍馬は対戦車ミサイル8発を搭載し、目標を目指している。
≪ホールディングエリアにて待機、送れ≫
≪ヴァイパー1、了解≫
夜間戦闘に対応した虎の子の攻撃ヘリコプターに与えられた任務は、当然のことながらインクブスの駆逐である。
目標は山間部を活動拠点とし、周辺市街の市民を殺害、誘拐している群れだ。
複数のウィッチが連れ去られたという未確認情報もある。
≪オメガ2、敵集団について報告せよ≫
≪数に変化なし、目下直進中、速度方位共に変化なし≫
先行する観測ヘリコプターから最新の情報が提供される。
今宵も人類の領域へ踏み入ろうとする魑魅魍魎の前へ立ち塞がる最後の壁。
それはウィッチではなく、我々でなければならない。
その自負を抱く隊員の駆る鋼の軍馬は、インクブスを1匹残らず駆逐するという強い闘志を宿している。
≪ACP、ヴァイパー1、敵集団との距離、約2000、送れ≫
≪了解、作戦を開始する──射撃開始、繰り返す、射撃開始、送れ≫
≪ACP、ヴァイパー1、了解、射撃する≫
空中に静止する攻撃ヘリコプター、その電子の目が人類の敵を睨みつけた。
≪目標、敵集団≫
細長い山道を下るインクブスは攻撃ヘリコプター4機の有する対戦車ミサイルと同数。
しかもオークと呼称されるタフネスな相手だ。
完全な駆逐は困難を極める。
≪発射用意──発射≫
4機のランチャーが一斉に光り、ロケットモーターの噴き出す炎が闇に沈む山道へ吸い込まれていく。
閃光、そして鈍い爆発音。
オークのエナと肉厚な表皮の複合装甲を貫通し、頭が弾け、腕が吹き飛び、腹に風穴が穿たれる。
次々とランチャーから飛び出す対戦車ミサイルは、狙い違わずオークに直撃した。
爆発と共に血肉が撒き散らされ、インクブスの影は地へと沈む。
≪誘導弾、全弾命中。撃破11、大破8──敵に対空攻撃の意図を認める!≫
≪ヴァイパー1、退避せよ≫
死屍累々の山道より直線軌道で放たれたのは、オークの頭部。
恐るべき膂力で放たれた弾丸の直撃コースに攻撃ヘリコプターの1機が滞空していた。
アウトレンジを想定していた隊員の反応は遅れる。
眼前に迫る黒い影──
「まったく手癖の悪い奴らだ」
形容しがたい肉の潰れる音。
恐る恐る目を開けた隊員の眼前には──長方形の無骨な大楯あるいは装甲板が浮遊していた。
肉の破片がこびりつく前面には、金木犀の紋章。
その外見に見合わぬ軽快さで主の元へと舞い戻る。
≪ウィッチ…!≫
舞い戻った1枚を含め6枚の大楯、それを翼のように従える少女。
聖職者を思わせる純白の衣装を身に纏い、鉛色のメイスを肩に担ぐウィッチは世の理が定めたように空中で静止していた。
≪ACP、ヴァイパー1、ウィッチが出現した。これより退避する、送れ≫
一斉に退避する攻撃ヘリコプターの風圧を受け、馬の尾のように靡く長い金髪。
「あいつらには躾が必要だな」
黄金の瞳が眼下のインクブスを見下ろし、嘲る。
彼女こそナンバーズの一角、ウィッチナンバー8──ゴルトブルームである。
〈主よ、それは聡い獣にのみ有効ですよ〉
「インクブスは獣以下ってか?」
好戦的な笑みを口元に浮かべるゴルトブルームは、メイスを指揮棒のごとく振るった。
「
世界の色が反転したかと思えば、彼女の背には3本の黒鉄が浮遊していた。
攻撃ヘリコプターほどもある筒状のそれに装飾の類はなく、ただ機構だけが存在する。
それは砲、大砲、カノン砲。
照準は生き残ったオークの群れ。
──斉射。
闇に包まれていた山間部を昼間同然に照らす砲火。
着弾と同時に、世界が震えた。
「突っ込むぜ」
〈ご随意に〉
発射と同時に自壊する黒鉄を背後に置き去り、煌々と燃え盛る山道へ流星が落ちる。
マジックによる砲撃へ耐性を有するようになったオークは、この大火力を受けても消滅しない。
ゆえに、殴って潰す。
「おらぁ!」
居並ぶオークを片端から殴る。
消滅はせずとも瀕死のオークの脳天へメイスが唸り、醜悪な面を風船のように破裂させた。
横より掴みかかろうとした太い腕を大楯が弾き、メイスの一撃が頭を吹き飛ばす。
一振りで肉が弾け、一振りで骨が砕け、一振りで命が吹き飛ぶ。
流れ作業のように振るわれたメイスは1分と経たずにオークの群れを屍に変えた。
「こんなもんか…ねっ!」
フルスイングされた鉛色の凶器がオークの頭に殺人的な加速を加え、積み上げられた死骸の山に叩き込む。
内包するエナへ干渉し、一種の爆薬とした砲弾。
それは死骸のエナと連鎖反応し、極彩色の爆発となって辺りの木々を照らす。
《──ご挨拶だなぁ、おい》
その極彩色の光を背に着地したインクブスは溜息交じりに言う。
爆発より逃れる影を正確に追尾していたゴルトブルームは、既にメイスを構えている。
《まったくよぉ…この島だけ狩りが上手くいかねぇ》
既に射程内。
黄金の瞳が推し量るのは、眼前で口を回すフロッグマンの力量。
見慣れぬ真紅の表皮、鋭利な爪を備えた両腕、どこを見ているか定かではない眼。
《強くもねぇウィッチを数匹ずつしか捕まえられねぇ…なぜだぁ?》
嘲りを多分に含んだ声を耳にして、ゴルトブルームのブーツが地に沈み込む。
流麗に見える足へ蓄えられたエネルギーは──
「お前らが弱いからだろ」
解放された。
跳躍と同時に振り抜かれるメイスは音を置き去りにしていた。
直撃──それを予期していたかのように真紅の影は跳んだ。
地面を抉り飛ばす一撃を前に宙返りを見せ、見事な着地を披露してみせる。
《あぁ違いねぇ…たかが虫けら相手に手こずるなんてなぁ》
「
回避されるのは折り込み済。
ゴルトブルームの周囲を一回転した大楯6枚の影より現れるカノン砲が業火を放つ。
火箭が吸い込まれたフロッグマンの着地点は火山の噴火よろしく大爆発を起こす。
《危ねぇじゃねぇか》
爆発の反対方向より現れたフロッグマンの右腕がゴルトブルームに迫る。
両生類にはない鋭利な鉤爪。
劇薬の仕込まれたウィッチ殺し。
それは柔肌を捉えることなく旋回してきた大楯に阻まれ、黄金の瞳がインクブスを睨む。
「潰れろ」
《おっと!》
高速で旋回してきた2枚の大楯はカエルのミンチを作り損ね、火花を立てて打ち合う。
目の痛くなる真紅の影は、一瞬で闇へと逃げ込んでいく。
「ちょこまかと鬱陶しい…
大楯の扉が開かれると同時に、カノン砲の業火がフロッグマンを照らし出す。
周囲の木々が薙ぎ倒され、より強く燃え盛る山道。
接近したところで攻守一体の大楯に退けられ、距離を離せば正確無比の大火力が投射される──そのスタイルを人々は、要塞と呼ぶ。
《…ここだと面倒だなぁ》
「お前がな」
周囲で揺らめく紅蓮が闇を蝕む中、傷一つないフロッグマンは溜息を吐く。
その実力は間違いなくネームド。生半可なウィッチでは返り討ちにされるだろう。
睨み合うウィッチとインクブス──
《邪魔者もいるしなぁ!》
フロッグマンが地面を蹴ると同時に地面が爆ぜる。
まるで地面が沸騰したように土煙が次々と噴き上がり、飛び跳ねるインクブスを追う。
闇夜より降り注ぐ攻撃ヘリコプターの掃射である。
真紅の影は山道を大きく外れ、山林へと消えた。
〈逃走したようです〉
「ちっ……」
引き際の良さに思わず舌打ちするゴルトブルーム。
機関砲の咆哮は絶えず、木々を破砕して目標を追い続ける。
しかし、大した効果はないだろう。
〈主よ、お行儀がよろしくありませんね〉
「余計なお世話だっての」
十字架に扮したパートナーの言葉に鼻を鳴らし、ゴルトブルームは闇夜を見上げる。
掃射を続ける攻撃ヘリコプターなど眼中にない。
黄金の瞳に映るのは──上空を旋回する灰色の影。
「シルバーロータスのファミリアか」
光を反射しないモスアイ構造の複眼で地上を睥睨するスズメガだった。
◆
インクブスの死骸の多くは現場で焼却される。
危険なガスを生じさせるのだ。当然の判断と言える。
しかし、私にとってはファミリアのエナ供給源。
日本国防軍は確実に処理するが、ウィッチは不十分な場合が多く、利用させてもらっている。
ここのところは見つからなかったが、久々に発見のテレパシーを受けた。
「どのファミリアを向かわせるか、だな」
〈残飯を漁らせるようで、なんとも……〉
言いたいことは分かるが、活動中のファミリア全てがインクブスにありつけるわけではないのだ。
ウィッチが激しく損壊させてもガス化するまではエナの塊。
それを得てファミリアが成長するなら私は徹底的にやる。
あと──
「残飯言うな。料理中だぞ」
〈す、すみませんでした〉
換気扇のカバーに張り付いたパートナーが頭を下げる。
そこの近くにいると豆腐ハンバーグの匂いが殺到するぞ。
後2分ほどで蒸し焼きが終わるのだ。
本日の献立は、この豆腐ハンバーグを主菜とし、副菜にトマトサラダ、主食は炊き立てご飯だ。
「…姉ちゃん」
声のする方向へ振り向くと、リビングからキッチンを覗き込む無垢な瞳。
私を姉ちゃんと呼ぶのは、この世界で1人しかいない。
血の繋がった私の実妹だ。
「芙花…?」
「また、アンダーソンと話してた」
とことこと駆け寄ってきた芙花は、どこか不満げな様子でハエトリグモを見上げる。
びくりと反応するパートナーに一言も発するな、とアイコンタクト。
今の私たちはウィッチとパートナーではないのだ。
芙花が児童向けアニメを夢中で見ていたから油断していた。
「話してないよ。献立を確認してただけ」
「……アンダーソン、嫌い」
虫だから嫌い、ではない。
まるで殺虫剤でも噴射されたようにパートナーは硬直していた。
嫌いという言葉を芙花がはっきり発するのは、かなり珍しい。
火を止めて、芙花と向き合う。
「どうして?」
クラスで身長が低い私よりも一回り小さい芙花の目線に合わせる。
そうすると妹の大きな目が不安で揺れているのが、よく分かった。
「アンダーソンと話すとき……」
いつもは天真爛漫といった言葉の似合う芙花が、今日は弱々しい。
学校で何かあったのだろうか?
いや、それよりも妹の話に集中すべきだ。
「姉ちゃん、すごく遠くを見てて」
エプロンの裾をぎゅっと握った芙花は、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
ファミリアの目を通して遠くは見ているが、そういう意味ではない。
「知らない人みたいで、やだ」
そこまで言うと抱きついて顔を私の胸に埋めてくる芙花。
私とお揃いにしたいと伸ばした黒髪を手で解き、頭を撫でる。
知らない人──ファミリアと向き合う私は、別人に見えるだろう。
「…そう」
父親は仕事で家に戻れず、母親は行方不明。
頼りになる唯一の実姉が別人みたいになったら、まだ幼い芙花が不安になるのは当然だ。
迂闊だった。
「ちょっと疲れてただけ…だから、大丈夫」
そう言うと、より強く抱きつかれる。
そんな芙花の頭を撫でながら、換気扇を見上げるとパートナーが頭を下げていた。
気にするな、と言っても聞かないだろうな。
ウィッチの活動が負担ではないと言ったら嘘だ。
だが、それでパートナーや他のウィッチを責めようとは思わない。
「……姉ちゃん、聞いてくれる?」
「いいよ」
しばらくして落ち着いた芙花は、幾分か持ち直した声で尋ねてきた。
私は一度もダメと言ったことはない。
「学校でね…この頃、カエルのお化けが出るんだって…」
元気がなかったのは、それも原因か。
以前に喧嘩した男子が仕返しに怖い話を振ってきた、といったところか?
芙花は私と違って活動的で、男子相手にも物怖じしない。
ただ、怖い話が苦手で──
「カエル?」
脳裏に過ぎるのは、あるフロッグマンだった。
3日前、インクブスの群れを追尾していたスズメガより受信したテレパシー。
ウィッチか日本国防軍──ファミリアは人間を判別できない──と交戦して群れは全滅したが、変種のフロッグマン3体は逃走に成功した、と。
「うん…真っ赤なカエルのお化け」
抱きつく芙花の頭を撫でる手に力が入らないよう意識する。
ここにいる時の私は、ウィッチではない。
「校舎の2階の窓からね、真っ赤なカエルがね、じっと下校する子を見てるって…男子が」
「それは、不気味ね」
まだ怪談や噂の範疇だが、苗床を得て、姿を現した時には手遅れだ。
おそらく周辺のウィッチは認知していない。
犠牲者が出るまで彼女たちは気づけないだろう。
どれだけ使命感があっても体は一つしかないからだ。
ならば──
「芙花、安心して」
「姉ちゃん?」
いつも通りの声は出せた。
しかし、今の私は自然に笑えているだろうか。
それだけが不安だった。
「お化けなんていないわ」
「ほんと?」
「ええ」
ゆっくりと体を離し、小さく首を傾げる芙花へ頷いてみせる。
お化けはいない。
この世界を跋扈する非科学的存在の一つに変身する私だが、お化けは見たことがない。
いるのは、どうしようもない
「きっと見間違いよ」
「……姉ちゃん、信じてないでしょ」
私を半眼で見つめる芙花は不満げに頬を膨らませるが、愛おしさしか感じない。
そんな妹の通う学校に、奴が、インクブスがいる。
まだ体のできていない非力な子どもを狙うフロッグマンは少なくない。
むしろ多い。
同程度の体格は交尾相手に最適だ、と──その息の根、止めるしかあるまい。
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