膳立
昨夜、即座に行動へ移すことはしなかった。
情報が足りない状況で校舎へ突撃するわけにはいかない。
本当にフロッグマンが潜伏しているか定かではないのだ。
〈東さん〉
仮に潜伏していたとしても、招集するファミリアを選別しなければならない。
屋内だからといって毒物の散布は当然ご法度だ。
重量級ファミリアは校舎を破壊する危険があるため除外。
大顎で解体するファミリアは死骸を四散させた結果、翌朝バイオハザードを引き起こす可能性があるため保留。
〈あ、あの東さん?〉
「どうした?」
空の牛乳パックに乗るパートナーへ目を合わせる。
持ち上げた前脚を彷徨わせ、まごまごとしていた。
何度か名前を呼ばれていた、気がする。
悪いことをした。
〈申し上げにくいのですが……報告を待つべきかと〉
「……焦れるな」
パートナーの言うことは尤もだ。
しかし、今すぐにでもフロッグマンを狩り出して、その息の根を止めてやりたい。
身内贔屓と他人は言うのだろうが、知ったことではない。
芙花に指一本触れてみろ。
生きたまま解体してやるぞ──いつものことだな。
〈ご安心ください! 事を起こそうものなら、10秒未満でファミリアの一陣が突入します〉
「頼もしいな」
〈ふっふっふっ……でしょう?〉
「パニックが起きなければ、だが」
沈黙したパートナーは気まずそうに視線を逸らす。
間違いなくパニックは避けられない。下手をすればインクブスより二次被害の方を心配する事態になる。
しかし、本当に事が起きれば、そうも言っていられない。
「……待つしかないか」
上空で滞空するオニヤンマも、小学校を囲うように配置したハマダラカも、今のところ真紅のフロッグマンを発見できていない。
昼間から活動するインクブスは少数、別の場所に潜伏している可能性もある。
今からでも捜索の範囲を──
〈ファミリアを信じてください〉
初めてマジックを使った時、傍らから聞こえた真っすぐな声を再び耳にする。
真実を語っているようで、祈っているような、そんな声だ。
──忘れていた。
私自身に大した力はない。
感情的になったところでファミリアの能率が上がるわけではない。
ならば、私ができることは信じて任せること。
「ああ」
黒曜石のような眼を真正面に見据えて頷く。
実妹のことだからと平静を失っていたようだ。
思わず溜息が出る。
いつものように、確実に、インクブスどもを駆逐しなければならない。
「らしくなかったな」
〈なんのことでしょう?〉
わざとらしく首を傾げるパートナーに苦笑する。
できたハエトリグモだよ、まったく。
頼りないようで、肝心なところは外さない。
〈そういえば東さん〉
嫌な予感。
こぢんまりとしたパートナーが改まって切り出す話題は良かった試しがない。
特に、この人気がない校舎3階の階段にいるときは。
「どうした?」
牛乳パックより跳ねてきたパートナーを左手に乗せ、続きを促す。
そろそろ昼休みが終わるというタイミング。
何を言い出すのかと身構える。
〈どうして芙花さんの誤解を解いて下さらないのですか!?〉
「……いや、何の話だ」
嫌われるのはやむを得ないと納得してただろ。
芙花の嫌いという言葉に対するフォローなら分かるが、誤解とは一体?
〈アダンソンハエトリそっくりですけど、名前がアンダーソンなのはあんまりです!〉
前脚を振り上げて抗議するパートナーは、まくし立てるように言った。
あんまり、とは世にいるアンダーソン氏へ失礼だぞ。
それに芙花はハエトリグモの個体を判別して名前を呼んでいるわけではない。
「芙花にとってハエトリグモは全部アンダーソンだぞ」
〈お、横暴…!〉
「家にいるハエトリグモはアダンソンだと教えたからな」
〈東さんのせいじゃないですか!〉
そうともいう。
ぴょんぴょんと跳ね回るハエトリグモを連れて、教室へと足を向ける。
訂正を要求するなら、まず芙花の日常を取り戻してからだ。
インクブスどもは1体も逃さず、駆逐する──
「東さん」
2階へ階段を下ろうとした足を止める。
いや、止めざるを得なかった。
踊り場から私を見上げる──金城静華がいたからだ。
その視線から隠れるようにパートナーが私の後ろ髪に潜り込む。
逃げたくなるのも分かる。
「探しましたよ」
いつも周りにいる友達を連れず、関わりの薄いクラスメイトを探す?
大和撫子の浮かべる柔和な微笑みから感じる違和感。
警戒心を抱くな、というのが無理な話だ。
「私を?」
「はい」
問えば、淀みなく答える。
階段を上ってくる金城は、背筋が真っすぐで重心も安定している。
病欠しがちだが、武道の類でも嗜んでいるのだろうか。
目の前に立たれると身長差で、少し視線を上へ向ける必要があった。
「お聞きしたいことがありまして」
そう言ってチェック柄スカートのポケットから取り出した1枚のメモ用紙。
丁寧に折りたたまれているところに性格を感じる。
「この虫について、何かご存知でしょうか?」
開かれたメモ用紙には──シモフリスズメが描かれていた。
「これは……」
上手い。
スズメガ科に属するシモフリスズメだと一目で分かった。
一見写実的だが、複眼や脚を違和感なくデフォルメして可愛く仕上げている。
柔らかいタッチで私好みなイラストだ。
「上手く描けてる」
「え?」
しかし、どうしてシモフリスズメなんだろう?
灰色の翅は華やかさと無縁で、他のスズメガ科と比べると可愛いとは言いにくい。
私は精悍な顔つきが好きだが。
「どうしてシモフリスズメを?」
「し、シモフリスズメ?」
目を瞬かせる彼女にメモ用紙のシモフリスズメを指差してみせる。
私が食いついてくると思っていなかったのか?
確かに距離感が近かった、かもしれない。
慣れないな。
だが、金城のチョイスした理由に興味が湧いたのだ。
「この頃、よく見かける虫だったので」
どこか困ったように微笑む大和撫子を見て、私は理解する。
日陰を求めるシモフリスズメがベランダに寄ってきて困っているのだろう。
鱗粉を落として洗濯物を汚すことがあるのだ。
コガタスズメバチ騒動の私を見て、効果的な助言を求めに来たというところか。
しかし、時期が時期だから──鳴り出す予鈴。
「季節だから仕方ない」
無理やり話を切り上げて、私は行動に移る。
5限目の化学を担当する教師は、遅刻すると長い説教を始めるご老体だ。
それで時間を潰されては堪らない。
「行こう、金城さん」
「ええ……そうですね」
名前を呼ばれたことに驚いたのか、反応に少し間があった。
馴れ馴れしかっただろうか?
分からない。
距離感の難しさを感じながら、私たちは階段を早足に駆け下りた。
◆
フロッグマンは容易く発見された。罠を疑うほどに。
いや、これは十中八九罠のつもりだろう。
あからさまにポータルを開いて潜伏している場所を暴露したのだ。
〈では、正面から?〉
「ああ、潰すぞ」
インクブスどもは待ち伏せていると思っている。
ウィッチ単独なら袋叩きだろうが、包囲しているのは私たちだ。
待ち伏せている位置は把握済、数はフロッグマン3体に加えて増援のゴブリンが24体。
時刻は深夜0時を回ったところ──5時までに片付け、ここで芙花が食べる弁当を作らねばならない。
いけるな。
芙花の通う小学校は統廃合を繰り返し、この辺りでは最も規模が大きい。
だが、インクブスどもは戦力を分散していなかった。
そのまま一網打尽にする。
〈立派な学び舎ですね〉
「そうだな」
運動場から見える学び舎は、まるで城のように立派な造りをしていた。
我が国が未だに文化的な国でいられるのは意地でも教育を放棄しなかったから。
いや、子どもの学べる環境を死守したというのが正確か。
それを切り捨て国防に傾倒した国々は慢性的なウィッチ不足に苦しんでいるという。
パートナー曰く健やかな心身がなければ、21グラムの魂から引き出せるエナは限られる──
「学び舎は、子どもの場所だ」
ここは未来のウィッチを育てる場所ではない。
〈はい、インクブスには退場願いましょう〉
その言葉に頷き、シースからククリナイフを抜き放ち、深夜の静寂に包まれた校舎へ向かう。
校舎へ侵入したファミリアへ行動を始めるようテレパシーを発信。
運動場にヤママユガで堂々と降り立った理由は一つ。
インクブスどもをファミリアの狩場へ誘き出す。
「へぇ……お前がシルバーロータスか」
まさか、先客がいるとは思わなかった。
──音源は上空。
視線を上げた先、夜風で黄金の髪を靡かせる少女。
その背には成人男性を軽く隠せそうな長方形の装甲板が2枚、浮遊している。
この世を席巻する非科学的存在の一つ。
ウィッチだ。
「よっと」
重力を感じさせない軽やかな着地を披露したウィッチは、私より身長が高かった。
ウィッチに総じて言えることだが、理想を形にしたと言おうか。
我が強そうな切れ長の目から逃れるため、フードを深めに被る。
「地味だな」
歩み寄ってきたウィッチは聖職者を思わせる純白の衣装を纏っていた。
鼠色のてるてる坊主と比較すれば、後者が地味なのは当然だろう。
〈主よ、それは失礼ですよ〉
「うっさい」
胸元の喋る十字架に対して、ぶっきらぼうに答える純白のウィッチ。
そのデザインの衣装とパートナーで、その口調なのか。
ギャップを感じるな。
そそくさと逃げようとする私のパートナーを左手で捕まえ、金色の瞳と相対する。
「初めまして、でもないか。私にとっちゃ初めましてなんだが──」
「いや、私も初対面だと思うが」
どこか挑戦的な笑みを浮かべていた彼女は、私の一言で凍りつく。
いや、そもそも場の空気が凍りついたような気がする。
──沈黙。
それに耐えかねたパートナーがもぞもぞと動き、説明を試みようとする。
〈……あ、あのですね。彼女はナンバーズの〉
「お前、見てたよな!?」
素っ頓狂な声を上げ、純白のウィッチが詰め寄ってくる。
そう言われても見ていないし、会ってもいない。
自意識過剰なのでは、と状況を悪化させかねない言葉を胸中に押し込む。
「この前、お前のファミリアが観戦してたの知ってるんだぞ!」
その言葉に左肩のパートナーと顔を見合わせる。
なるほど、道理で知らないわけだ。
「私のファミリアはウィッチが判別できない」
「へ?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔、それから意味を理解して肩を落とす純白のウィッチ。
一人で盛り上がり、一人で落ち込んでいる。
多少、申し訳ない気がしなくもない。
「すまない」
「いや、謝らなくていい……」
別種の気まずい沈黙。
意思疎通できるウィッチと会話を交えるたび、この空気を味わっている気がする。
どうしろというのだ。
〈主よ、本来の使命を忘れておりますよ〉
「はぁ…そうだった」
その空気を十字架のパートナーが切り捨て、純白のウィッチの声に張りが戻る。
咳払いの後、その口元には好戦的な笑みが浮かんでいた。
「ここのインクブス、私が逃がしちまった奴なんだ」
「そうなのか」
スズメガが追尾していた群れを全滅させたのは、ウィッチだったか。
オークを主力とする群れだったが、それを短時間で全滅に追い込んでいた。
実力の高さが窺える。
「おそらくネームドで、腕の立つインクブスだ。ここは私に任せてくれないか?」
つまるところ、横取りするなと言いたいのだろう。
だが、ネームドは背を向ける理由にはならないし、もう一度逃さないとも限らない。
確実にインクブスどもの息の根を止めたいのだ。
ここは──
「問題ない。私が──」
「へぇ……なら」
問題ない、という言葉に笑みを強める純白のウィッチ。
説得の通じる相手ではないと薄々気づいていたが、スイッチを入れてしまったらしい。
嫌な予感がする。
「早い者勝ちだぜ、シルバーロータス!」
世界の色が一瞬反転し、空中に現れる鉛色のメイス。
その得物を掴むなり、純白のウィッチは振り返りもせず校舎へ飛ぶ。
マジックによる重力を感じさせない飛翔だった。
〈行ってしまいましたね……〉
「ああ」
言葉を額面通り受け取るなら、彼女はネームドを相手取る実力がある。
それゆえに出た発言。
パートナーが諫めないところを見るに、あれが彼女のスタイルなのだろう。
だが、負ければ死よりも惨い未来がウィッチには待っている。
これは遊びじゃない。
「面倒だな」
イレギュラーに振り回されるのは、苦手だ。
飛び込んでいった彼女はファミリアの狩場を知らない。
待ち伏せしているインクブスに正面から当たる気だろう。
作戦を変更せざるを得ない。
〈あの、東さん……〉
どういう作戦に変更すべきか考えていると左肩のパートナーが遠慮がちに声を出す。
「どうした?」
さっそくインクブスが動き出した旨のテレパシーを受信。
あのウィッチ、誘蛾灯よろしくインクブスを引き寄せている。
このままだと袋叩きだ。
〈彼女の実力は高いです……高いのですが、それはマジックの火力あってこそと聞きます〉
多少の数的不利は火力を発揮できれば問題ないということか──
「つまり、本領を発揮した場合」
〈校舎が破壊されかねません〉
思わず溜息が出た。
芙花の通う小学校を破壊されるわけにはいかない。
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