普通

 世で活躍するウィッチは年端もいかない少女たちだ。

 豊かなエナをもち、ある程度の自己判断ができ、インクブスを悪と断ずる常識がある。

 まだ義務教育の課程にいる者がほとんどだ。

 インクブスの脅威があったとしても、この国は教育を放棄していない。

 だから、深夜にインクブスを狩ろうとも授業はある。


〈東さん、大丈夫ですか?〉


 突っ伏した机の端に置かれたペンケースから顔を覗かせるパートナー。

 いかなる時もウィッチとして活動できるよう近くにいるのだ。

 だが、その声に答えることはできない。


「次の物理だりぃよぉ」

「宮野の授業は内職できねぇからな」

「そんなことより昨日の──」


 3限目の化学が終わり、訪れた休憩時間の今。

 ペンケースへ話しかける痛い人物にはなれない。

 だから、半眼を向けて睡眠不足を伝える。


〈昨夜は後始末に手間取りましたし……お疲れ様です〉


 床にぶち撒けた元インクブスが想像よりも散らばっており、回収に手間取った。

 加えて作業を手伝うと言い出したアズールノヴァの説得だ。

 応援で呼んだヤマアリの一団が困惑していたのを覚えている。

 自分の半身ほどもあるヤマアリを全く恐れず仕事を替わろうとするのだ、彼女。


「イレギュラーだな……」

〈なんです?〉


 きょとんと首を傾げるハエトリグモ。

 これくらいの大きさなら恐怖を感じない人も多いだろう。


「わ、おい!」

「ハチだ」

「え、やだやだ」

「ちょっ誰か追い払ってよ」


 しかし、私が連れているファミリアは一般人が見れば卒倒することもある大きさ。食事風景を見ようものならPTSD待ったなしだ。

 アズールノヴァはちょっと、かなり、変わった少女なのは間違いない。


〈なにやら騒がしいですね〉


 いつものことだろう。

 突っ伏したままで詳細は分からないが、芸能人──たまにウィッチ──の話や流行りのファッション、誰かの色恋沙汰と話題には事欠かないのだ。

 残念ながら私はついていけないが。


「スズメバチだぞ!」

「おーい、窓開けろ」

「刺激しないほうが……」

〈おや、コガタスズメバチがいらっしゃったようです〉


 オオスズメバチとそっくりなコガタスズメバチを一瞬で判別できるところに感心する。

 大きさ次第では見分けるのが難しいスズメバチだぞ。


〈現在、教室上空を旋回中。む……ほうきで撃退を試みる模様です〉


 突如、現場実況を始めたパートナー。

 教室の喧騒を聞き流しながら思うのは、やはり虫は一般的に嫌われ者であるということ。

 その理由は眼であったり、脚の数であったり、卵であったり、毒であったり、多種多様だ。


 だから、なんだという話だが──だめだ、思考がまとまらない。


 やはり、睡眠不足はまずい。

 ファミリアからのテレパシーに正しく応えられる自信がない。

 昼休みの時間は仮眠に充てよう。


〈あ! 東さん、こちらへ来ますよ〉

「は?」


 ちょっと待て。

 なんだと?

 ペンケースの中へ避難するパートナーは、実況を放棄した。

 隠せてない腹部を引っ張るぞ。


「お、おーい、東さん」

「東さん、逃げて逃げて」


 クラスメイトの遠慮がちな声が聞こえる。

 視線が集まっていると嫌でも分かった。

 普段聞いているファミリアのスズメバチとは比べ物にならないほど可愛らしい羽音。

 顔を上げると、ちょうど追い立てられてきたコガタスズメバチと対面する。


 逃げる──までもないな。


 コガタスズメバチは大人しい性格で、巣を刺激さえしなければ積極的に攻撃してこない。

 なんとなく人差し指を伸ばしてみる。

 私のファミリアじゃない。

 ただの気まぐれだった。


「うそでしょ」

「スズメバチを止まらせちゃったよ…?」


 これ幸いと言わんばかりに指先で翅を休めるコガタスズメバチ。

 相変わらず表情は読めないが、安心しているように見えた。

 席を立ち、開けられた窓へ向かう。

 ほうきを持った男子を下がらせ、グラウンドが見える窓から手を出す。


「行け」


 言葉の分かるはずがないコガタスズメバチは、ふわりと浮き上がって青空へ飛び去った。

 寝不足の眼には厳しい陽光から目を逸らし、私は向けられた視線の多さに固まる。

 内訳は好奇が8割、嫌悪が2割。


「す、すげぇな」


 ほうきを握っていた男子が心底驚いた声色で言った。

 名前は小森、いや中森だったか。

 最も関わりのないクラスのムードメーカー的な男子だ。


「スズメバチは普通ビビるわ」

「風の谷だったぜ」


 野球部のエースが呟いた言葉に次々と頷くクラスメイトの男子たち。

 予想外に悪目立ちしている。

 好奇の視線、投げかけられる言葉。

 ほとんど会話したこともない相手に、どう切り返す?


「あのハチは大人しいから」


 さすがに何も言わないわけにはいかなかった。

 いつも通りのスタイル──無口な女子生徒──でいくしかない。

 間違いなく孤立の原因である。


「へぇ…そうなのか」

「いや、でもなぁ」

「スズメバチだしな」

「怖くないの?」

「特には」


 あえて言葉数を絞り、会話を膨らませない。

 今一歩踏み込めない様子の男子たちの横を通り過ぎ、席へ足を向ける。

 好奇の視線は残ったが、コガタスズメバチ騒動は幕を閉じて、クラスメイトは普段の定位置へ戻っていく。

 私も席へ戻って、物理の教材を──


「東さんは虫が怖くはないのですか?」


 まったく関わりがない女子に話しかけられ、私は一拍ほど固まった。

 顔を上げると薄茶の瞳とかち合う。

 好奇とは異なる別種の感情、何かを期待しているような、そんな眼差し。

 苦手だな。


「必要以上に怖がる必要がないと思うだけ」

「へぇ…」


 私の言葉を聞いた刹那、病欠しがちな大和撫子にしては──


「そうですか」


 好戦的な笑みを見た気がする。

 柔和な微笑みに隠されて、それを確かめる術はない。

 黒髪を靡かせ去っていく後ろ姿を見送りながら、脳裏の虫食いだらけな名簿から名前を引く。


 確か──金城静華だったか?



〈必要以上に怖がる必要はないと思うんです〉


 ぶちり、と筋繊維が引き裂かれる音を聞きながら、拳大のハエトリグモは言う。

 まだ終わっていないが、言わずにはいられなかったのだろう。


〈アズールノヴァさんは特別としても、ファミリアは正義の味方ですよ?〉

「そうだな」


 目の前でハリアリ2体がインクブスの肉を取り合っている。

 正義の味方とは一体?

 いや、今日の獲物がエナを豊富に蓄えたインクブスだから取り合いもやむを得ないのだ。


〈気絶されるのは心外です!〉


 ぺちぺちと左肩を叩くパートナーの抗議を受け、傍らで気絶しているウィッチに目を向ける。

 鏡の国から飛び出してきたようなメルヘンな格好で、得物は赤いリボンを巻いた金のステッキ。

 おそらくマジックによる砲戦を主とするウィッチ。

 マジックに耐性を有するインクブス、通称オークに追い回されていた。


「仕方ないって結論で納得しただろ」

〈そ、それは…そうなんですけど……〉


 一度でもを経験すると次も期待してしまうのは分かる。

 しかし、これが普通だ。

 まだファミリアが世代交代していなかった頃、死闘の末にオークの頭を割っても感謝の言葉はなかった。

 血塗れの私とファミリアに向けられた視線は、畏怖。


「感謝されるためにやってるわけじゃない」

〈むぅ……〉


 不満げなパートナーには悪いが、私と組んだ以上は諦めてくれ。

 近づいてくる羽音に対して右腕を伸ばすと、さっと黒い影が止まる。

 正体はファミリアの中では小柄なヤドリバエ。


〈…オークが苗床で大丈夫ですか?〉

「心配か」

〈当然です! ファミリアですから〉


 苗床は気に入らないが、ヤドリバエの卵は心配なパートナーに思わず苦笑する。

 どれだけタフなインクブスでも体内までは防御できない。

 逃してやったオークも例外ではないのだ。


「強かなヤドリバエのことだ。上手くやる」


 祈るように前脚を擦り合わせたヤドリバエの額を軽く撫でてやる。

 確かにでの増殖に成功はしていない。

 帰還した先で切除され、羽化しても新たな苗床を捕らえるのに失敗し、苦難の連続だ。

 それでも新たなファミリアを送り込み、インクブスに負担を与え続ける。

 既に活動中のコマユバチやコバチも、いずれ対策が練られるだろう。

 だから、次の手を打ち続ける。


〈そうですね……あと、セイブルブリーズですよ〉


 真紅の眼に映る銀髪の少女が、同色の瞳を瞬かせた。

 私はファミリアの正式名称を覚えていない。

 だから、パートナーから訂正を受けることが多々ある。


「…あれ、私…なんで…?」


 額を押さえながら起き上がったメルヘンなウィッチ。

 まだ完全に覚醒していない様子だが、また気絶されると面倒だ。

 ヤドリバエを飛び立たせて、状況説明のため歩み寄る──


《うぉぉぉぉぉ!!》


 お呼びじゃないインクブスも起き上がって、大音量のウォークライを轟かせる。

 非常に喧しい。

 無駄にタフなオークだ。


「ひっ」

「まだ生きてたか」


 腹を開かれ、脚を千切られ、まだ動けるらしい。

 首が太いからと切断を諦めたのは浅慮だったか。

 解体を終えた血塗れのハリアリたちへ新たな獲物を指し示す。


《やめ、てぐぅれぇぇぇ──》


 一斉に殺到する大顎は競い合うように、オークの肉を抉り、噛み千切った。

 気がつくと首と胴が泣き別れし、エナを多分に含んだ噴水が飛び散る。


「あ、あなたは……ウィッチなんですか?」


 背後から戦々恐々とした声をかけられる。

 衝撃的な光景に動揺し、不安と恐怖で揺れる瞳を見返す。

 私をウィッチ以外のと思い込みたいのだろう。

 しかし、事実だけは伝えておく。

 震える小動物みたいなウィッチを見下ろして、私たちは答える。


「ウィッチだ」

〈ウィッチです〉

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