空席

 文明の墓標が立ち並ぶグラウンドゼロ。

 日本国防軍とインクブスが初交戦した首都圏に人影は戻らず、強かな緑がコンクリートを侵食しつつあった。

 そんな禁足地の一角、比較的原型をとどめるビルディングに集う者たちがいた。


「昨日、鋭爪のニカノルが倒されたようです」


 天井の一部が抜け落ちた開放的なワンルームに、事務的な少女の声が響く。

 その姿は陰に隠れ、中央に置かれた円卓だけが射し込む夕陽を浴びて鈍く輝いている。


「それは願ったり叶ったりだね。誰がやったんだい?」

「ウィッチナンバー13です」


 どこか面白がるような問いに対し、やはり事務的な回答が返される。

 ウィッチナンバー、その名が示すように人類の守護者たるウィッチの序列。

 実績と実力に応じて授けられたを信奉する者もいれば、オールドウィッチの余興と唾棄する者もいる。

 そして、この場に集った上位者は、前者から憧憬を、後者から軽蔑を込め──ナンバーズと呼ばれる。


「マカロフの軍団に続いて? 圧倒的というか異常ですわね、彼女」


 ただ1人、律儀に円卓の席に座るウィッチは信じ難いという表情を隠さない。

 彼女の言うマカロフの軍団とは、神出鬼没に現れては市民を襲い、単独のウィッチだけを狙う狡猾なゴブリンの一団である。

 ナンバーズも手を焼かされた相手だが、ナンバー13のテリトリーに入ったが最後、二度と姿を見ることはなかった。

 キッチンの害虫に喩えられるゴブリンを、どうやって1体残らず駆逐したのか──


「手品の種を知りたいもんだ」


 ぶっきらぼうな言葉を投げるのは、崩落した壁面の頂点に腰かけるウィッチ。

 夕陽を一身に浴びてシルエットは掴めないが、馬の尻尾のような髪が風に靡いて黄金に輝く。

 

「ひと月の間にネームドを9体……とても1人の所業とは思えないよ」

「手札はファミリアだけって話だったか?」

「ファミリアは大勢お見かけしましたけど、ニカノルを仕留められるとは思えませんでしたわ」


 鋭爪のニカノル。

 4人のウィッチを返り討ちにしたライカンスロープであり、ネームドと呼ばれる強力なインクブスの1体である。

 上空1000m付近を飛び回るトンボやアブのファミリアでは、とても仕留められる相手ではなかった。

 しかし、ナンバー13が強力なファミリアを呼び出した形跡はない。エナの急激な増減はのだ。


「誰も会ったことがないから分からないね〜」


 円卓の隅に浮かぶ9つの蒼い焔、それに照らされる狐の耳と9つの尾。

 内包されたエナの性質と量で、ウィッチの形態は大きく変わるという好例は、緊張感のない声で一同に語りかける。

 それに対して、頷くなり、天を仰ぐなり、溜息を吐くなり、多様な反応ではあったが、お手上げという点は共通していた。


「彼女に救出されたウィッチも多くを語ろうとしません。情報が不足しています」

「やっぱり直接会うしかないんじゃないかな?」

「お会いしようにもツチノコみたいな方ですわ。どうしますの?」

「せめて、呼び出しに応じてくれればな……まったく」


 数々のネームドを打ち倒しながら、表舞台には決して現れない謎多きナンバー13。

 判明しているのは、インセクト・ファミリアを率いる異端のウィッチであるということ。

 ここに集ったナンバーズの興味は、ただ1人のウィッチに注がれている──


「あ〜そういえば」


 というわけでもない。

 のんびりとした口調で別の話題が振られる。それを遮ろうとする者はいない。

 ナンバー13の話題は堂々巡りして、結局進展しないからだ。

 せっかく集ったのだから、生産的な情報交換をしたいとも一同は考えている。


「ナンバー4が欠席って珍しいね?」

「確かに……珍しいですわね」


 身の丈ほどもあるソードを床に突き立て、背もたれの代わりにする彼女の定位置には、誰もいない。

 皆勤賞に近いナンバー4が欠席というのは珍しい話であった。

 ナンバーズ全員が揃うことは滅多にないが、5人で円卓を囲うのも久々である。


「何か聞いてないのかい?」

「蓮花を見つけた、そうです」


 ぽつりと告げられた蓮花という言葉に沈黙する一同。

 言葉を額面通り受け取って困惑しているわけではない。

 むしろ、ストレートな表現を好むナンバー4らしからぬ婉曲な表現に困惑していた。


「それって…もしかしなくても?」

「シルバーロータスを見つけたってか?」


 ナンバー13ことシルバーロータス。

 蓮花と言われれば、連想されるのは銀の蓮を意味する彼女だった。

 しかし、現状ナンバー4とナンバー13の関係性は不明である。


「分かりません。それ以上のことは何も」

「そこそこの付き合いになるけど、相変わらず読めないよね」

「あの方だけではありませんけどね」

「腕は確かなんだけどな、あいつ」


 実績と実力は確かだが、ナンバー4は連帯に難があった。

 残念ながら、ウィッチナンバーは人格面まで評価の対象にしていない。

 一癖も二癖もある者がナンバーズに名を連ねていることは多々ある。


「あのさ〜」


 一癖も二癖もある者、それに該当するであろうウィッチが口を開く。

 ナンバー4の話を振っておきながら、明後日の方角を向いていた狐耳のウィッチだ。


「ここよりも私の家に集まって話さない?」


 沈黙するナンバーズ。

 突拍子もない提案を受け、なんとも言えない空気が流れる。

 そんな空気を意にも介さず、蒼い焔を指先でくるくると回しながら狐耳のウィッチは言う。


「同級生しかいないしさ〜」

「……ナンバーズの自覚ありますの?」



 人との接点が少なくとも学校生活は、私を日常に戻してくれる場の一つだ。

 たとえ、どこそこでインクブスを捕捉し、捕食したというテレパシーを受信しても。

 ただ、今日はクラスの女子が5人も欠席していた。

 インクブスの仕業とするのは早計だが、穏やかな気分ではいられない。


〈東さんは良い主婦になれるでしょうね〉


 左肩に乗ったパートナーのお世辞に思わず脱力しかける。

 せっかく買った夕飯の材料を落とすところだった。

 特売日に買い物をする程度で良い主婦なら世は良妻で溢れているぞ?


「口説いてるのか」

〈事実を言っただけですよ!〉


 ぺちぺちと肩を叩いて抗議するハエトリグモのパートナーを傍目に、薄暗い路地へと入り込む。

 良い主婦は無駄な寄り道なんてしないだろう。

 私は随分と遠回りなコースで自宅を目指している。住宅街を散歩したいわけではない。

 夕闇が空を覆う頃、人気のない道を歩けば高確率でのだ。

 インクブスが。


「かくれんぼは終わりだ」


 背後へ振り向き、誰もいないはずの空間へ言葉を投げた。

 隠れているつもりなのだろうが、赤外線を視認できるファミリアには丸見えだ。

 この夕陽が射し込まない路地の入口、まるで逃げ道を塞ぐように


《おまえ、ウィッチか?》


 案の定、電柱の影から姿を現したのは二足歩行のカエル。

 見たままのネーミングでフロッグマンと呼ばれるインクブス。体色を巧妙に変化させ、姿を隠して相手を背後から襲う。

 その性質ゆえ発見が遅れ、犠牲者が複数出てから存在を認識されることも多々ある。

 だから、時折こうしてのだ。


「そうだ」


 虫とはまた違った無感情な目が私を凝視する。

 粘つくような視線が学生服の上を、チェック柄のスカートと太腿辺りを行き来しているのが分かる。

 気色悪い。

 鼠色のてるてる坊主に変身している時は一切浴びない視線だ。


《弱そう……ちょうどいい》


 フロッグマンは用心深く、勝てると踏んだ相手しか襲わない。

 ウィッチとの正面戦闘は確実に避けるインクブスだが、ちんちくりんの私はやれると思ったようだ。

 路地に脚を踏み入れ、じりじりと距離を縮めてくるフロッグマン。

 私との間にあるマンホールの蓋が揺れたことに気づく様子はない。


《おまえ、孕ま──》


 前傾姿勢で飛び出す、その瞬間に黒い影が覆い被さった。

 ぶちりと肉体の裂ける嫌な音。

 それから、潰れたカエルみたいな声が聞こえてくる。


《ば、ばかなっ》

「残念だったな」


 フロッグマンを貫く鋭い鋏角。

 血を吐きながらも逃れようと足掻くが、パワーが段違いだ。

 8本の脚をもつ薄茶色のファミリア──ジグモは気にした様子もなくマンホールの中へ獲物を引きずり込む。


《やめっ》


 フロッグマンの伸ばした手はマンホールの縁を掴み損ねた。

 ぱたんと蓋が閉じられ、路地に静寂が戻ってくる。

 まるでモンスターパニック映画のワンシーンみたいな光景だった。


〈お疲れ様でした〉

「ああ」


 どうと言うことはない。

 それよりもクモ科のファミリアが活躍すると、機嫌が良くなる分かりやすいパートナー。

 ウィッチらしからぬアンブッシュだったが、それでいいのか?


「やはりアンブッシュへの警戒心が薄いな」


 虎の尾ならぬクモの糸、張り巡らされた受信糸に触れたが最後、そのインクブスはジグモの餌食になる。

 こういう路地に潜ませたジグモたちは、私が囮をせずとも結構な頻度で餌にありつく。


〈情報を持ち帰るインクブスがいないからでは?〉


 与えてよい情報、そうでない情報。

 ジグモのアンブッシュは後者に当たるため、目撃したインクブスは確実に息の根を止めている。

 対策されていないところを見るに、その効果が出ているのかもしれない。

 だが、今のフロッグマンが出方を窺うための捨石でないと誰が言える?


「だとしても、ここまで容易いと不安になる」

〈であるなら、安心できるまで策を考え続けるしかありませんね〉


 左肩に乗るパートナーは当然のように言い切った。

 この二度目の人生が終わるまで、あるいはインクブスが滅びる日まで、安心できる日は訪れないだろう。

 際限のない話だ。

 それでも考え続けなければならない。


「当然だ」


 私自身のために。

 世界のため、人々のため、ウィッチのため、などと大言壮語を言えるほど私は強くない。

 だからこそ、一切合切の躊躇なく、あらゆる手段を用いて、インクブスを屠る。


「手始めに、囮作戦は今後やめる」

〈誘引するまでに時間がかかりますからね……〉


 しゅんと縮こまるハエトリグモのパートナー。

 別にジグモをお払い箱にしようというわけではないのだが。


「別の作戦を考えればいい」

〈あっ…そうですね!〉


 溌剌とした声が返ってきて、思わず苦笑する。

 さて、次は誘い込みではなく、追い込んでみるか?

 アンブッシュが得意なファミリアは他に何がいただろうか?

 真っ先に思いつくのは、カマキリだが──

 夕飯の献立でも練るように新たな作戦を考えながら、私は自宅を目指す。


〈東さん〉

「ん?」

〈夕飯は何を作られる予定なのですか?〉

「肉じゃが」

〈家庭的ですね〉

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