羽化

《マカロフが戻らない?》


 木彫りの椅子に腰かけるライコフは、投げやりな態度で応じる。

 せっかくの楽しみに水を差すなと暗に示していた。


《ポータルを解いたみたいなんだが…》


 住処に招待された同志アキトフはボトルの口を舐めながら補足を加える。

 心配しているわけではない。

 同志マカロフの遠征が長引き、退屈しているのだ。

 早く新しい玩具が見たい、欲しい。

 ヒト嗜好品として奪うインクブスゆえの退屈。 


 浅緑の肌で、尖った耳と鼻をもつ略奪者──ゴブリンとは、そういうものだ。


 両者の間にある洒落た机に広げられた肴を摘まんでライコフは言う。


《久々にヒトの雌を捕らえて我慢できるか?》


 口元に下品な笑みを浮かべ、無理だなとアキトフは笑った。

 奪ったモノが尽きる頃になって遠征へ繰り出すものだから、溜まりに溜まっているのだ。

 気にすることではない。そういう結論に至る。


《待て》


 新しいボトルの口に吸いつく直前で動きを止めたアキトフの警告。

 その声は、ウィッチと戦う時のように硬質なものだった。


《どうした?》


 耳を澄ますアキトフに声を潜めて問うライコフ。

 返答はなく、沈黙だけが返ってくる。

 この耳こそがウィッチを仕留めた同志の強みと知るライコフは、辛抱強く待った。


《悲鳴だ》


 ようやく口を開いたアキトフの言葉にライコフは若干気落ちする。

 そんなもの聞き慣れているだろう、と。

 マカロフは悲鳴よりもヒトの雌が出す媚びた声が好きだと言うが、そんなことはどうでもいい。


《攫ってきたヒトの雌のか?》

《いや、違う》


 では、なんだというのか?

 そんな非難めいた視線に首を横に振るアキトフ。

 要領を得ない回答を待つより先に、ライコフは立ち上がった。


《見てきてやる》


 ウィッチを捕らえた実力者が、このゴブリンの巣で、何を恐れるというのか?


 そんな心持ちで扉を潜った瞬間──異常を理解した。


 ヒトの街を襲った時に聞く悲鳴のコーラスが辺りを満たしている。

 異なるのは、悲鳴の主がだ。


 まさか、襲撃されているのか──誰に?


 ライコフは力自慢の同志ヤコフが必死の形相で走ってくるのを見つけた。

 時折、背後を見ながら走る同志にライコフは見えていない。


《ヤコフ、どうし──》

《く、来るなぁ!》


 後ろを振り返り、身構えたヤコフに空中より躍りかかる影。

 優れた体躯をもつ同志の2倍はある


《な、なんだ…?》


 6本の脚で地面と同志を捕らえる巨躯の化け物。

 漆黒の外骨格に覆われ、4枚の翅から重々しい羽音を奏でる。

 初めて見る異形の強襲を前にしてライコフは動けない。


《やめっ》


 腹に押し当てられた腹部の毒針が一瞬で同志の意識を奪う。

 毒薬に高い耐性をもつインクブスを昏倒させる毒。

 そんな劇物はライコフの知る限り存在しない。


《なんだ、こいつ!?》


 遅れて出てきたアキトフの声に反応し、長い触角が揺れた。

 深淵のように黒い複眼に映るゴブリン2体。

 獲物から脚を離し、翅を震わせる。

 そして、異様に発達した大顎を打ち鳴らした。

 コマユバチの似姿を捨て、潤沢なエナを糧に進化したインクブスを狩る者のウォークライ。


《まさか、ファミリ──》


 黒い影が過った瞬間、すぐ隣から肉体の砕ける音を聞いた。

 見ずとも即死、振り返りもせずライコフは部屋へ逃げ込んだ。

 略奪品の家具で扉を塞ぎ、奥の部屋を目指して走る。

 であってではないゴブリンは、手元に武器を置かない。


《くそっなんだってんだ!》


 しかし、ライコフは例外だった。

 捕らえて、嬲って、孕ませてやったウィッチの武器をトロフィーとして飾っていた。

 それを使って、同志アキトフの敵を討ってやるのだ。


 最期は見届けられなかったが──アキトフは、ファミリアと言っていたか?


 目的の部屋へ辿り着いたライコフは、とある噂話を思い出す。

 馬鹿馬鹿しいと一蹴した噂話を。


《ま、まさか》


 曰くそのファミリアは、インクブスを食らう。

 曰くそのファミリアは、インクブスを苗床にする。

 曰くそのファミリアは、


《ありえない、ありえない!》


 質量物の体当たりで扉の粉砕される音が背後より響く。

 時間稼ぎにもならない。


 ──重い羽音。


 部屋の奥へ走り、壁に掛けた目当ての武器を掴む。

 簡単に心の折れてしまったウィッチの得物は、ひどく頼りない細身のソードだ。


 ──大顎を打ち鳴らす音。


 入口より覗く黒い眼、眼、眼。

 獲物を映していながら、何一つ感情が見えない。

 その無機質さは死が形を成したようだ。

 ライコフは恐怖に突き動かされ、一直線に挑みかかった。


《化け物めぇぇぇ!》


 力一杯に振るった刃は軽々と避けられ、体勢を崩したライコフに異形のファミリアが殺到する。

 声にならない悲鳴を喧しいほどの羽音が打ち消す。

 同志の血に染まった大顎は、頭蓋を一撃で噛み砕き、四肢を千切り──



 人気のない校舎3階、閉鎖された屋上へ向かう階段の端。

 私のランチタイムは、いつもここだ。


「コマユバチが羽化した、気がする」


 むしゃむしゃと惣菜パンを頬張っている最中、唐突にファミリアからのテレパシーを受信した。

 距離どころか次元すら超え、脳内に直接届く声のようなモノ。説明が非常に難しい。


〈昨晩のナイトストーカーですね〉


 実寸大のハエトリグモに扮したパートナーが私の頭の上から声を降らせてくる。

 定位置の左肩にいると叩き落される危険があるのだ。

 彼女たち──複数形ならナイトストーカーズか──は夜以外でも活動しているが、野暮は言うまい。


「相変わらずの成長速度だな」

〈ファミリアですので〉


 現代の技術では解明できない異界の技術は、エナさえあれば大概の事象を可能にしてしまう。

 つくづくインクブスのためだけに用いられて良かったと思う。

 制約も多いが、人類の敵を滅ぼせる力は、人類も簡単に滅ぼせるだろう。

 そんなことを考えていると頭から飛び降りてきたパートナー。

 うきうきしてる。


〈昨晩といえば、東さん……とうとうファン第1号と会ったんですよ、私たち!〉


 両脚を上げて万歳をするハエトリグモに胡乱げな視線を向けてしまう。

 ただでさえ美味くない惣菜パンが不味くなる。


「…そうだな」

〈む……気乗りではありませんね〉

「ファンが欲しくてウィッチやってるんじゃない」


 世間的に周知されている魔法少女ことウィッチ。

 人類の敵と戦う美少女には当然のようにファンがつき、一部では宗教化していると聞く。


 負ければ苗床にされる年端もいかない少女をアイドル扱い──ふざけているのか?


 ファンなんて必要ない。

 そんなものより彼女らを守れるが必要だ。


〈それはそうですが……誰かに想っていただけるというのは喜ばしいことでは?〉


 そこに邪なものがなければな。

 惣菜パンを牛乳で流し込みながら、捻くれた考えを胸中に追いやる。

 少なくとも昨日の、なかなか手を離してくれなかった新米ウィッチに邪なものはなかった。

 困惑こそしたが、悪い気がしなかったのも認める。

 だが──


「興味ない」

〈むぅ……〉


 誰かに感謝されたくてやってるわけでもない。

 自称女神の悪趣味な世界に反抗してやりたくて、やっているのだ。

 そんなエゴは評価されるべきではない。


 ──テレパシーが届く。


 ここからでは見えない高度を滞空するオニヤンマからだ。

 その視力の良さを存分に発揮し、ポータルを潜ってきたインクブスの種類と数を伝えてくる。

 ライカンスロープ、数は3体。


「インクブスだ」

〈出ますか?〉


 緊迫した空気を醸すこぢんまりしたパートナーへ首を横に振る。

 空を飛べない私はファミリアを足代わりにするが、他のウィッチと違って一般人に見つかれば通報される。

 よって私は参戦できない。


「人気のないところへ入ったら仕掛けさせる」

〈では、近くで活動中のハントレスを?〉

「ああ」


 ライカンスロープが入り込んだ路地は、インクブスが逃げ込む候補の一つ。

 だから、ハリアリの巡回路にしていた。

 取り出したケータイの時間を見るに、2分後に接敵するだろう。

 空になった牛乳パックを持って、私は立ち上がる。


〈どちらへ?〉

「昼休みが終わる」

〈結果を待たれないのですか?〉


 高い身体能力と生命力があり、頭も切れるライカンスロープは手強い。

 だが、今から襲いかかるハリアリは19体を屠り、そのエナを取り込んだ一種のアンチユニット。

 取り逃がさないよう別のハリアリを向かわせるくらいで事足りる。


「無理ならスズメバチをぶつけるだけだ」

〈バタリオンですよ……分かりました〉


 スズメバチ──バタリオンは攻守に優れた飛行可能なファミリアで、最強格だ。

 投入すればインクブスは死ぬ、肉団子になる。

 おそらく出番はないが。


「それに学業は疎かにできない」

〈それは大変良い心がけとは思うのですが……〉


 歯切れが悪いな。

 前世では疎かにしてしまったが、純粋に学べるだけの時間は貴重だ。

 私の人生はウィッチ一筋で終わるわけではない。

 止めてくれるな。


〈私としては、ご学友を作られた方が──〉

「余計なお世話だ」


 そんなことは分かってる。

 高校に進学しても私は、人との距離感を掴めないでいた。

 おかげで私の席には見えない壁があるように人が寄りつかない。

 あの女神、よくも性別を変えてくれたな。


〈そういえば東さん〉


 階段を降りようとする私の足を止めさせるパートナー。

 たった今、思い出したという声。

 嫌な予感がする。

 差し出した右手の甲に飛び乗らせ、続きを促す。


「どうした?」

〈ナンバーズよりお茶会のお誘いが来ていました〉


 か。

 げんなりした気分になる。

 インクブスを見つけ次第ファミリアの血肉に変えていたら、いつの間にかナンバー13に指名され、頻繁にお誘いが来るようになった。


「パス」

〈そう言うと思っていましたよ……〉


 残念そうなパートナーには悪いが、私は行かない。

 ウィッチは実績に応じてナンバーがつけられ、上位者はナンバーズと呼称される。一度も会ったことはないが、パートナー曰く一騎当千のウィッチたちらしい。

 そんなところに私が出ても場違いなだけだ。

 意見交換が主と言うが、私の出せる意見といえばファミリアの集団運用、暗所での奇襲戦法、友釣り作戦、苗床の作り方、エトセトラ。


 ──論外である。


 それに出るくらいなら、5限目の微分積分に励んだ方が生産的だろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る