2-2 伏魔殿

「29位様がご挨拶にお越しにございます」と葵付きの部屋の来訪者を管理する女官が言った。


「通せ」


 葵と浅見は部屋へと戻った。


 29位様は前に面会したときと同じ、淡い桃色の唐衣を着ていた。


「無事のお部屋入りおめでとうございます」と29位様は挨拶の言葉を述べた。


「わざわざのご挨拶、恐れ入ります」と葵。つい数日前まで自分より上位だった方を下座に座らせるのにはどこか心の抵抗があった。能力で決められる世界は残酷だ。


「本日は、お部屋入りのお祝いを持ってまいりました」


 29位様がお付きの女官に運ばせたものは、緋色の西陣織だった。


「このような高価なもの」と葵。


「必要となるものです。お納めくださいませ」と29位様は笑顔で言った。


「それにしても、帝も中宮様も継続してご在位とのこと。誠におめでたいことです」


「そうですね」と葵は言った。「これだけ賢い方がお近くにいるのは、ありがたいことですね」


「ええ、ほんに。敵う敵わぬではなく、尊敬いたします」


 29位様御渡りのご準備を、と女官が囁いた。


「それでは失礼いたします」というと29位様は下がっていった。


「今いらしていたのは、29位様ですか?」と赤石が部屋に入ってきて言った。


「そうだ。あのようなお優しい方がお隣の部屋でありがたいかぎりだ」


「29位様はお気をつけなされませ」と赤石は鋭い口調で言った。


「赤石殿、それはどういう意味ですか」と浅見。


「あの方は、右大臣様のご寵愛を受けております」と赤間。


「知っておる。右大臣様は、大学寮が同じであった。女子好きではあったが、自らの腕のみでのしあがってきたお方。誰かを追い落とすような方ではない」と葵。


「ええ。その女子好き、というところです。華の会の10位様を北の方に持つにも関わらず、右大臣様のご寵愛を拒まなかったとか。ゆえに御髪下ろし様方の中では孤立しているのです」


「10位様を敵に回すとは……あの方のご実家もたいそうな富をお持ちではありませぬか。29位様に太刀打ちできる方ではございませぬでしょう」と浅見。


「それゆえに、皆噂しているのです。29位様は右大臣様がくださった牛車を頻繁にお使いとのこと。見せびらかしているということです。次の東野での宴のために、我々は自ら準備せねばならぬというのに。これから金子がかかる時に良い気持ちはいたしませぬ」


「でも、29位様は唐衣をくださった」と葵。


「しきたりゆえにございます。前回、初のお部屋入りとなった者は、次初入りとなった者に、唐衣を贈るしきたりがあるのです。優しくするのも、味方を作りたいがゆえでしょう」と赤間。


 そういえば華の会には注意しろと29位様は言っていた。


「よく事情をご存知なのね」と浅見。


「こう言った噂は、大部屋の女官時代に嫌というほど聞きました」


 これが伏魔殿というものなのか。これから始まる生活が、突然おそろしくなった。


「さて、夕食にいたしましょう。持ってまいります」というと赤間は再び出ていった。


「赤間は物知りですね。私は表使いだったのに、何も知らなかった」と葵。


「序列と権力は別の話ということです。序列によらず、力を持つものはいます。29位様は私に逆らうな、と言いたいのでしょう。権力者のご寵愛を受ける者は強くでるものです。でも、赤間の話はどこまで本当かわかりませんよ」と浅見は言った。


「え?」


「赤間にも色々噂はありますから」


「聞かなかったことにします」葵はそういうと、御簾を下げた。


 夜、廊下に出ると、葵は笛を吹いた。綺麗な月が見える。門には多くの殿方の牛車が並んでいる。


「良い音色だ」


 声のする方を向くと、右大臣様がいらっしゃった。葵は頭を下げた。


「右大臣様!」と言って、29位様は部屋を出てきた。


「これは28位様。もう夜遅うございますよ」というと、29位様は右大臣様の腕を取って、部屋の中へと入っていった。


 葵は気まずくなり部屋の中へと入っていった。

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