1の4 ニ位尼様の庭園
2位様は尼様だった。そのため、西丘の者は皆、二位尼様と呼んでいた。二位尼様は出家され世を捨てたお方のため、試験を受けられることはない。しかし、なぜか西丘への居住が許されていた。噂によれば、帝がお許しになられたらしい。
二位尼様のご実家は医者だった。数年前の疫病の時も陣頭指揮を取られたことから、東野の帝がたいそうおよろこびになられたと聞く。これからと言う時に尼になった経緯は不明だ。
この世界で生きていくのは過酷だ。どれだけ苦労して地位を手にいれたとしても、毎度の序列試験で落ちることもある。そこで心を病むものもいる。勉学一つで地位が決まるのは、家柄で決まった1000年前よりましかもしれない。それでも、財によって学びにかけられる費用は違う。大学寮に通えないものもいる。そしてかりに費用をかけたところで必ず才を得られるわけではない。賢い人なら望む世界なのかもしれない。でもそうでないものにとって、残酷な世界だ。
中宮様のご実家や、藤本家、大臣等中枢人物を排出する家系。中園家も先祖は西三河に勢力の持つ牛車工人として財を成した。それに比べて医者はかつて中流と目されていた。
人命を救うとして、政権の中枢へと入り込むようになったのは最近のことだ。尼様の姉君はかつて西丘の中宮であったが、官人と医者の勢力争いの最中失脚した。西丘を追われた後、今は関東の武家に嫁いだと聞く。なんともお可哀想な方だった。
二位尼様の居室は地下にあった。地下に繋がる階段はただ一つしかない。暗くて寒く、尼様付きの女官以外は誰も近づこうとはしなかった。
階段を降りた先には、広くて美しい中庭が広がっていた。白くて小さな花や、池、赤い橋などがあしらわれ、白や三毛の猫が庭に住んでいた。端に葉の紋様のあしらわれた美しい几帳がいくつもたてかけてあり、大きな御簾が下がっていた。
二位尼様付きの女官も他の者に比べて多くいた。
庭を手入れするもの、尼様とおしゃべりに講じる者、薬を持ってくるものなどだ。
「葵様がいらっしゃいました」と女官の一人が言った。通せ、と小さな声が御簾越しに聞こえた。
女官に通されたのは廊下だった。
「お初にお目にかかります、田上葵にございます」と葵は頭を下げた。
「どうぞおあげください」と尼様はゆっくりと優しい声で言った。
御簾の向こうに大きな部屋があり、尼様はその奥で座布団を敷いて座っていた。控えの女官たちも皆表情が柔らかかった。
「先日の、中秋の月は見られましたか。髪結の女官は政務がお忙しいでしょう」と二位尼様はゆっくりと優しい声で言った。
「仕事の合間に少し。たいそうきれいな望月でございました」と葵。
「葵さんは70位から28位まで序列を上げられたそうですね。滅多にあることではありません。よく精進なされたのですね」と尼様は優しい口調で言った。
「そのような。二尼様に褒めていただけるなど、畏れ多いことでございます」と葵は頬を赤らめた。
「ここへくるのは初めてですよね。いかがです、この庭は」
「大変美しく、驚きました。西丘にこのような場所があったとは」と葵。
「ここに初めてくる者は、皆そう申します。しかしここは塀も低く、夜更けに牛車でお越しになられた東野の殿方が丸見えなのです」
「牛車で誰かわかるのですか」
「ええ。良いしつらえのものは大臣か誰かであろうと。関白殿や左大臣殿はよく来られると。帝はあまりお越しになられんと。世がわかりやすいのです」
「帝は、東野と、東野の後宮と目されるここ西丘にしか足を運べませぬ。窮屈ではございませぬか」
「不敬である」と二位尼様は突然厳しい声で言った。
「申し訳ございませぬ」
「良いのです。ほんの戯言にて。帝は窮屈に間違いはないでしょう。それゆえこの庭にも財をお出しになり、たまにお越しになられるのです。私は世を捨てた身、うつせのことなど関わりのないこと。それゆえここだけが安心できるのでしょう。あなたが苦労をしないか心配です。突然序列をあげたものが壊れていったのを何度も見てきました。あなたに後ろ盾は?」
「いえ、私は田舎の農民の出ですから」
「あら、それであなたは心の優しい人なのね。ひと目でわかります。何かあれば、この私にいつでもご相談くださいね。話し相手にはなれましょう」と二位尼様は言った。
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