エビフライの呪いにかかった女

松浦どれみ

エビフライの呪いにかかった女

 二〇二三年、某日某所の海底にて——。


「みなさん、今年の世界シュリンプ向上委員会の議題についてですが……」


「最近、世の中で私たちの存在が軽んじられておる!」


「早急に解決せねば!」


「日本だ、日本人がいけない。アイツら商品になんでもエビを使えばヒットすると思ってエビの乱用をしている」


「確かに、海老カツや海老ラーメンはなかなかだったが、最近はなあ……」


「飲食店は、エビさえ使えば消費者が食いつくと思って、味の向上の努力を忘れた。そして消費者もエビに慣れ、「昔ほど美味しくない」などと……くっ!」


「悔しい! 誰だ、そんなことを言う奴は!」


「……この女です」


「ふむふむ。前科はあるか?」


「あります。二〇〇五年、この女はアルバイト先の先輩と共謀し、「エビがシュリンプと呼ばれるようになったのは、この世で初めてエビを食したのがエドワード・L・シュリンプという名の男だからだ」などと言うくだらない嘘を勤勉な大学生スタッフに信じ込ませ、彼の心を深く傷つるとともに、エビの地位を貶める『エビ侮辱罪』の前科があります。」


「なんと罪深い女だ! 許せんっ!」


「では、今年はこの女で?」


「決まりですな」


「今年は、松浦どれみを『エビ侮辱罪』および『エビ軽視防止法違反』の代表被告人として裁きます」


「「おおー!」」


「なお、被告人は三日間エビにまつわる、何らかの呪いにかかることとします」


「なんの呪いか楽しみですなあ」


「エビの尊さを思い知るがいい!」


 この日、海底は世界各国のエビ代表たちの怒号に沸いた。


◇◆◇◆


 二〇二三年某日、日本。

 北海道ののどかな住宅街にある一軒家の一室。

 松浦家では、一番早くに起きた長男ソラシが父や母を呼び起こすのが日課となっている。


「パパー、パパー……。パーパ!」


「うーん……ソラシ、おはよ。ちょっと待って……」


 ソラシの母どれみは、三歳の息子がいつもなら先に自分を起こすのに、どうしたのかと不思議に思いながら彼に声をかけた。


「あれ? ママー? どこ?」


「ここだよ」


「マーマー? パパ! ママどこー?」


 おかしい。ソラシがまるで母の姿を見えていないかのように辺りをキョロキョロと見渡している。


 しかし、どれみはいつも通り彼の隣のベッドに夫と並んで寝ていたのだ。


 何かあったのかと心配になったどれみは、急いで上体を起こし隣で眠る夫のリズムを揺さぶった。


「パパ、ちょっとソラシ様子がおかしいかも」


「……うう……」


 夫はまだ眠りの世界にいるようだ。どれみはさらに強く彼を揺さぶった。


「ちょっとパパ! 起きてよ! ソラシが……ん?」


 リズムの体が揺れるたび、茶色っぽい何かがパラパラと彼の顔に降りかかる。驚いたどれみはすぐに上に視線を向けるが、そこには見慣れた白い天井があるだけだ。


「どれみん? どしたの、なんか顔ザラザラするんだけど……! あーーーーーー!!」


「うるさいなっ! 何さ朝から!」


 やっと目を覚ましたかと思ったら、化け物でも見たかのように叫びだす夫に苛立ちながら、どれみはその声に負けじと声を張った。


「え? あ、着ぐるみ? びっくりした……かなりリアルだね。早く脱ぎなよ」


「は?」


 動悸を抑えるように胸元を撫でさする夫に、どれみは首を傾げた。しかし、彼はそれに答えることなくソラシをキッズベッドから抱き上げ、こちらを指差している。


「ソラシ、見てごらん。ママ面白いね」


「これ、ママなの? おもしろーい!」


「面白いって何? 生まれつきこの顔ですが?」


 朝からすっぴんをバカにされたと思ったどれみは、不快感を隠すことなくギロリとふたりを睨み上げた。


 しかし、夫も息子もニヤニヤとうすら笑いを浮かべてこちらを見ている。そしてリズムが軽く首を左右に振った。


「いやいや。もういいよ。早く脱いでおいで」


「脱ぐ?」


「だから、その着ぐるみ。もう十分ビビったから」


「意味わかんない」


 どれみはリズムが失笑している意味がわからず、かつ小馬鹿にしたような態度も気に食わず強めに息を吐いた。

 顔をしかめながら朝の支度をしようと洗面所に進み鏡に向かう。


 そして、どれみは家どころか町内中に聞こえるほど大絶叫しながら、先ほどの会話の意味を知った。


「ぎゃあーーーーーー!! なんじゃこりゃあっ!!」


 自分の大声のせいで、夫の返事もずいぶんと遠くに聞こえる。


「うるっさいな!」


 鏡にうつるのは、大きなエビの尻尾ときつね色のパン粉の衣から腕が生えた何かだった。目や鼻、口などの顔はない。


 おそるおそる、どれみは右手を上げてみた。


 ……鏡の向こうの、手が上がった。


「ぎゃあーーーーーー!!」


 再び、町内中にどれみの叫び声が轟いた。



「うーん、信じられないけど確かに取れない」


 自分の周りをまわりながら、まじまじと見てリズムがどれみの頭部にある尻尾を引っ張った。


「痛っ! ちょっとやめてよ」


「ああ、ごめん。痛いんだね」


 リズムがそう言って苦笑している。どれみは無言で彼を睨みつけるが、目がないので無意味だろうとため息をついた。口はないのに呼吸や会話ができることが不思議だ。


「ま、とりあえず俺、ソラシを保育園に連れて行くね」


「……よろしく」


 ソラシの送迎が終わったあとリズムが帰宅し、ひとまず夫婦で状況を整理することにした。


 カシャ——!!


 スマートフォンのカメラのシャッター音が聞こえた。リズムがどれみにカメラのレンズを向けていた。


「ちょっと、やめてよ! なに撮ってんのさ?」


「いやあ、俺らの幻覚って可能性も視野に入れないと……」


「……で? どうなの?」


「うーん」


 どれみは背後からリズムのスマートフォンを覗いた。そこには手足の生えたエビフライが画面いっぱいに写っているだけだった。リズムが肩をすくめる。


「幻覚じゃないみたいだね」


「マジかー……」


 松浦どれみは、全長一五一センチメートルのエビフライになったのだ。


 エビフライ生活初日、どれみは自分の能力を知るためにいろいろなことを試した。


 まずは仕事。フリーランスでパソコンでの作業が主なので全く支障がなかった。両腕が生えていて本当によかったと胸を撫で下ろす。


 次に家事。動くたびにパン粉が少々落ちてしまうため洗濯はしない方がいい。掃除に関してもそうだ。唯一できるのはロボット掃除機の操作といったところだった。


 そして料理。こちらもパン粉が入ってしまう可能性があるため、あまり向かない。ちなみに口はないが飲食が可能だった。


 さらには息子と猫の世話。息子はある程度は口頭で指示し、あまり動かずに対応が可能。おもちゃなどは最後に拭き取りなどパン粉対策が必要だった。三匹いる猫に関してはどれみを見る目が飼い主ではなく食料で、常に鼻をひくひくさせていたため接触は避けた。


 最後に入浴と睡眠だったが、まず入浴は衣が心配だったので控えた。落としたパン粉を集めて水に濡らしたらふやけたので危険と判断したのだ。

 睡眠に関しては、よく見るとシーツに油染みができてしまったので、ペットのトイレ用のシーツをつなげてシーツと掛け布団の代わりにした。これについては精神的ダメージが大きかった。



「おはよ、どれみん」


「おはよ……」


「ママー、パパー! おはよ!」


 翌日、起きてすぐにどれみは手で自分の腹の部分をさすった。残念ながらザラザラとした感触とパン粉が手のひらに残った。

 あれだけ憎らしかった下腹部のぜい肉の柔らかさが恋しい。


 エビフライ生活二日目、どれみは前日から特に変わり映えのない一日を過ごす。

 よかったのはこの日も夫が公休で四連休中だったため、外との接触が不要だったことだ。


「けどさあ、顔もわからないし、声が同じだからって君がどれみんかどうかはわからないよね?」


 夫のリズムが突然問いかけてきたが、どれみは自分だってなぜこんなことになったのかわからないでいるのに、今度は松浦どれみであることすら疑うのかと怒りが込み上げてきた。


「あ、の、さあ、そんなんこっちだって証明できるわけないじゃん。起きたらエビフライって状況がおかしいんだから。パン粉のDNA鑑定でもすりゃいいのか?」


「いや、それは……」


 リズムが一歩後ずさる。どれみは二歩進んで彼に詰め寄った。


「いきなりエビフライになってこっちは不安なんだよ。賞味期限とかあんのかとか、トイレ行きたくなんないけどいいのかとか、そもそも元に戻れるのかとか。それなのにそっちは私のこと疑うわけ? 私のこと普段好き好き言ってウザいくらい引っ付いてくるくせに、こうなったらわかんないのかよ? お前の愛はその程度か!」


「いいえ。疑ってごめんなさい。あなたは間違いなくどれみんです」


「ふんっ」


 確実にどれみのストレスは蓄積されていた。



「おはよ、どれみん」


「おはよ……」


「ママー、パパー! おはよ!」


 翌朝、前日同様にどれみの体はパン粉に包まれていた。エビフライ生活も三日目に突入だ。

 いつまでこの状態は続くのだろうか、そしてこの体は腐ることはないのかなど、今後の人生に対する不安がどれみの心を覆っていく。


「私、戻れなかったらどうしよう……」


「どれみん、もしそうでも、どれみんは俺のお嫁さんだよ」


「リズくん……。でも、この体ってエビフライじゃん? 腐ったりしないのかなって……」


 いい雰囲気だったが、どれみのこの発言でリズムの顔が青ざめる。彼は急にスマートフォンで「エビフライ 常温 賞味期限」と検索しはじめた。


「数時間? どどどど、もう腐ってる。やばい。どれみんを冷蔵庫に入れないと……」


「な、なに?」


 ぶつぶつと虚な瞳で呟き自分を抱えようとする夫に恐怖を覚えたどれみは、その腕に捕まらないように彼と距離を置いた。


「どれみん、冷蔵……」


「いや、落ち着け。数時間で腐るなら、私はもう死んでいる。大丈夫ってことだ」


 どれみは両手のひらを思い切り前に突き出し、これ以上夫が近寄ってこないように必死に防御しながら、リズムを説得した。彼は目をぱちっと一度瞬きし、ポカンと口を開いた。


「あ、そっか。よかった」


 この日も平和に過ごし、どれみと家族は眠りについた。



 そして翌日……。


 アラームで起きたどれみは夫と息子に挨拶をする。

 もう体の確認はしない。


「おはよ……」


「おはよ、どれみん……!!」


「あ、ママだ! エビじゃない」


「え?」


 息子の言葉と夫の反応に、どれみは自分の体をベタベタと手のひらで確認する。柔らかい。どこもかしこも柔らかい! ぜい肉バンザイ!


「「も、戻ったーーーー!!」」


 どれみはリズムと元に戻った体でしっかりと抱き合った。今はこの世の全てが愛おしい、そんな気分だった。


 夜、松浦家の食卓には海老天、エビフライ、エビチリなどエビ料理が並んだ。


「「いただきます!」」


 食卓を囲んだ三人の笑顔と笑い声が室内に響いていた。


◇◆◇◆


 そして、海底では——。


「う〜ん、いい気味だったなあ」


「ああ、痛快じゃった」


「これでこの女も反省し、エビを軽視したり侮辱する発言はしないでしょう」


「エビの地位も再び向上したでしょうな」


「うんうん」


 世界シュリンプ向上委員会の面々が、モニターに映った松浦家の様子を見ながら満足そうに笑顔を浮かべたり、頷いていた。


 しかし、直後のどれみの発言が、全てを台無しにする……。


「でもさあ、エビの分際で生意気だよね。そもそもエビって天つゆとかソースとかタルタルとか、あとチリソース? そういうものに頼らないと美味しくいただけないわけじゃん。なのに私を悩ませるなんてさ」


世界シュリンプ向上委員会の面々が、モニターを見て小刻みに震えている。


「こおおの女ああああ!!!!」


 海底は再び、世界各国のエビ代表たちの怒号に沸いた。


>>終わり

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エビフライの呪いにかかった女 松浦どれみ @doremi-m

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