定宿

「うわぁ~!」


本日、2度目の、レンの驚嘆の声である。



娼街のうらびれた街並みを通り抜け、今度は大きな屋敷が軒を並べる、オウビの中でも高級住宅街にカテゴリーされる一帯を歩くソウタとレンは、一軒の屋敷の門前に立っていた。


瓦屋根が敷かれた、立派な建物の造りは、平屋でこそはあるが、そこに住む者が持つ財力や権力の大きさを物語っている。


レンの驚嘆の声の意味は、市場街では田舎ではお目にかかれない人の多さへの驚きだったが、この屋敷を前にしての意味は、単純に、その建物が放つ威厳を受けてのモノである。



――ドンドンッ!



木造のこれまた立派な門を、ソウタは無造作に強く叩いた。



「――オリエさん!、居るんだろ?!」


ソウタが声高に、屋敷の主だと言う"オリエ"を呼ぶが、屋敷からの返答が無い。


「……やっぱ、屋敷への人の補充はしてねぇみたいだな。


返事が無いのが良い証拠だぜ」


ソウタはそう言うと、徐に力を込めて、門を開け始めた。



「?!、あっ!、あの……ソウタさん?」


テンの背中の上で、オロオロと顔を強張らせているレンは、周囲を気にしながら――


「だっ、大丈夫なんですか?、勝手に開けちゃって……屋敷の人に怒られるんじゃ?」


――と、素直な不安を吐露した。



「――大丈夫だよ。


言ったろ?、定宿にさせて……貰ってるってぇっ!」


ソウタは、なかなか開かない重い門を――


「つい、この前までならぁ……屋敷の管理を、任された婆さんが、一人居たんだがぁ――その婆さん、最近亡くなっちまって、この様子だと、荒れ放題に、してるんだろうなぁっ!」


――そう、苦笑しながらの説明と共に、テンが入れるぐらいの広さまで門を開けた。


「その婆さんの後任に、君をどうかと思って――連れて来たのさ」


「!?、こっ!、このお屋敷をですかぁ?!」


レンは、門を見ただけでもそれとなく解かる、この屋敷の周囲を見渡して――


(こんな凄い、お屋敷を管理する仕事に、私なんかを紹介するなんて……このお屋敷の持ち主と、ソウタさんとのカンケイって――?)


――と、心中で邪推したレンは、ソウタの姿をまじまじと見詰めて――


(……よく考えれてみれば、私、ソウタさんの事――優しい所と、親切な所しか見ていない。


旅の流者なのは、よく解かっているけど……一体、どんな生業をされているんだろう?)


――レンは、得体の知れなさが増して来た、ソウタという人間の底の深さに、不気味さと同時に興味も覚えていた。



「――よし、もう入れるな?」


二人は、重々しい音を響かせながら開いた門を抜け、ソウタは手を貸してレンを、テンの鞍上から降ろしてやる。



――先に見える、広い母屋へ連なる、びっしりと砂利が敷き詰められた、邸内の道に足を踏み入れたレンは、またもこの屋敷の威厳に圧倒された。


母屋への道の周りには、キレイに整備された庭園が広がっていて、都会の一角であるため、敷地の広さはそれほどでもないが――これもまた、持ち主の財力が伝わる立派な造りだ。



「庭は、定期的に専門の職人が来るから――そう、気にしなくても良いぜ?」


――と、ソウタは、辺りをキョロキョロと見渡しているレンの肩を軽く叩き、テンの馬具を外しながら、彼女へ励ます様な事を言う。



ソウタは、レンの落ち着かない様を、仕事への不安からだと早合点して言ったのだった。



その気遣いを、敏感に悟ったレンは――


「あっ、違うんです――ただ、お屋敷の凄さに驚いてしまって」


――と、照れ臭そうに頬を赤らめ、モジモジと下を向いた。



「そっか。


――さて、俺はテンを厩に置いて来るから、母屋の前で待ってな」


「はい、わかりました」


母屋へ続く道と、厩がある離れの方へ向う道へと別れ、レンは、とぼとぼと母屋の玄関へと歩いて行った。



(――ホント、静かで、誰も居ないみたい……)


レンが、そんなコトを考えながら歩くと、"敷地の広さはそれほどでもない"と、表したとおり、直ぐに母屋の玄関前に着いた。



「――えっ!?」


レンは、その玄関に掛かっている、暖簾に染め上げられている文字を見て――本日、3度目の驚嘆の声を挙げた。



『ああ、暖簾がかかっているから、居ないと思っていた屋敷の主が居ると思って――』


――いやいや、そんなレベルの驚きではない。


暖簾に記された文字の意味は、屋敷の主を示す重要なヒントだったからだ。


では何故、レンは驚いているのか?


それは――屋敷の主が、そのヒントを見ただけで、どの様な人物なのかが解かる名詞が、その暖簾に染め上げられているからである…


しかも、田舎娘のレンでも、すぐにピンっと来るほどの。


「――おまたせ。


おっ!、暖簾が掛かってるってコトは居るんだな、オリエさん」


テンを、厩に置いて来たソウタも、暖簾を見つけて――


「相変らず、呼んだのが聞こえねぇってコトは、来客をおトキ婆さんに任せっきりにする気が抜けてねぇな……」


――そう、未だ乏しい屋内からの反応に、呆れた様子で苦笑する。



一方のレンは、暖簾を凝視したまま――


「……あの、ソウタさん?」


――そう、震える声で尋ねて、錆付いた骨格で繋がれた人形の様に、ゆっくりと首を振り向かせてソウタの方を向く。


「暖簾に……"ヨクセ"と、入っているというコトは、ココって……ヨクセ商会の偉い方のお屋敷――ですよね?」


レンは、冷静に状況を判断して、そう尋ねた。



レンが言った"ヨクセ商会"というのは、ツクモでは知らぬ者などいないとされる、世界規模の商社の名前を指す。



ヨクセ商会とは、オウビを拠点に食料から武器まで、様々なモノの商いと物流を、津々浦々で行なっている大店である。


50年前にヨクセ商会を創業した、オリカズという流者は、小さな船会社の船乗りから身を起こし、先の大戦でも経済面で戦況を動かしたとまで言われている、稀代の大流者である。


ヨクセ商会は、その先の大戦以降、急激に業績を伸ばし、今ではヤマカキの様な田舎にまで、その名が知れ渡っている程なのである。


「――おっ!、やっぱり、レンは察しが良いなぁ♪


ああ、そうさ、この屋敷は……ヨクセの"頭領"の屋敷さ」


ソウタは、呆気なくそう答えた。


「――そっ?!、そそそそそそそっ!、そんなトコロに、私を?!」



ツクモ世界において、"商会"と名の付く組織の『頭領』ともなれば、解かり易く言い替えれば――大財閥の会長である。



レンは、そのソウタの豪気な提案と、娼婦から商会の頭領までという、彼の幅広過ぎる交友関係に心底驚いた。



「――じゃっ!、屋敷に入って、雇って貰う相談を……」


ソウタが、そう言って暖簾を避けて、戸を開けようとした、その時――



――ガラガラガラ……



――と、暖簾の向こうから、戸を引き開ける音がした。



「ソウタ――よね?」


そう言って、戸の向こうから出て来たのは、ピシッと決まった和服姿の女性だった。


年の頃は30代後半、ショートカットに短く整えられた黒髪には、飾り気こそは無いが、ボーイッシュと表するのは適当に思えない、熟れた色香も漂わせている。


和服の上には、暖簾と同じく"ヨクセ商会"と染め抜かれた法被を羽織っていて、商会の者であるのが一目で解かる。



女性を視認したソウタは――


「おっ!、ほら、やっぱり居たんじゃないっスかぁ、オリエさん。


居る気配はするのに、返事がねぇモンだから心配したんだぜ?」


――と、安堵した表情で笑顔を見せた。



彼女こそが、この屋敷の主であるヨクセ商会の頭領――オリエである。



「変に思ってたのは、コッチの方だよ。


どうせ、ソウタだろうと思って、勝手に入って来るはずと放って置いたら……"女の声"がしたモンだから」


オリエは、ソウタの後ろに居るレンに気付くと、表情を一気に強張らせ、直ぐにソウタの肩をむんずと掴み、自分の側へとグイッと引き寄せた。


「――なっ!、何すんだ?!、オリエさん!」


「あんたぁ――っ!、二十歳を過ぎたからって、ロクな甲斐性も持ってないクセに、定宿にイロを連れ込もうって魂胆ハラかい?!」


オリエは、鋭い眼光でソウタを睨み、平手打ちの構えを振り被った。



レンは、オリエのそのセリフを聞いて――


(――はっ?!、凌辱おかされるとか、遊郭に売られるとかは想定出来てたけど、その展開は想定していなかった!)


――そう考えて、ソウタに対して咄嗟に身構えを見せる。


「――違うっ!、違ぁ~うっ!、俺はそんなつもりなんて、微塵も思ってねぇ~っ!」


バタバタとオリエの手を振り解きながら、自身の身の潔白を訴えている、ソウタの横顔を見据えるレンは――


(……でも、ココまで世話を焼いてくれるぐらい、とっても良い人だからなぁ……もし、"そう"なっちゃったとしても、この際――ってぇ?!、私っ!、ナニを考えているのぉぉぉっ?!)


――と、自然としなっと緩んでいる、自らの姿勢を恥じて頬を赤らめた。




ソウタに対しての疑惑は、アッサリと解消され、二人は庭園が望める屋敷の居間へと通された。



「――そうかい。


ヤマカキでの一件に、実は、生き残りがいたとはねぇ……」


オリエは、ソウタからレンとの事の経緯を聞き、それを飲み干そうとする様に、茶を一口啜った。


「ああ――それで、両親を亡くして、行く所もねぇって言うから……住み込みで、アンタに雇って貰えねぇかなとね」


ソウタは、自分の練ったプランを全て、オリエに伝えた。


「ふむ――確かに、おトキさんの後任が決まらなくて、悩んではいたけど……」


オリエは、まじまじとレンの姿を見ながら、顎に手を置いて考えるそぶりを見せる。


「――だろうな、居間までは、客人が来る事もあるからキレイにしてても、戸を一つ開けると――」


「――あっ、ダメ!」


オリエの指摘を無視して、ソウタが隣室の襖を開けると――書物や書類が、乱雑に山積みされ、その上には埃が積もっていたりもしている、オリエが執務をしている部屋を晒した。


「――婆さんが居ないだけで、この有り様だ。


後釜探しは、仕事上、衛生上、共に急務でしょ?」


ソウタは、弱みを握った様で、決断に悩むオリエを揺さぶる。



「――何が出来る?」


――と、オリエは腕を組みながらレンの方に向き直り、改めて面接の類を始めた。


「はっ!?、はい!、家では母から家事を一通り仕込まれているので、お屋敷に関わるコトなら、一通り出来ると思います……」


レンは、緊張した面持ちで、懸命に答えた。


「う~ん……文字は読める?


おトキさんには、書類の整理とかも手伝って貰ってたんだけど……」


――いわゆる"圧迫面接"のつもりなのか、はたまた、レンが朴訥な田舎娘に見えるからか、オリエは識字が出来るかを問うて来た。



――ツクモの識字率は、せいぜい7割ほどだ。


特に、レンの様な地方出身者には、教育が行き届いていない地域もあるので、識字出来ない者も多い――スヨウとコウオウの国境、星石採掘が主要産業という、ヤマカキ村出身である事は、"それ"に引っ掛かる。


「大丈夫です――両親が、元々公者だったので、教えて貰っていました」



そんな、オリエとレンのやり取りに、ソウタが口を挟む。



「話した感じではあるが、この娘は、結構な水準の教育を受けてるぜ。


アンタが仕込めば、婆さん以上に手伝えると思うけどなぁ?」


――ちゃっかりと、ソウタはレンの採用を後押しし始めた。



「――アンタが使えないと思っても、せめて、しばらくは置いてやってくれねぇかな?


俺が、いつも借りるトコでも良いからさぁ……俺が、長く逗留してるとでも思って、頼むよ」


――と、終いにはレンの行く末を案じて、ソウタは頭を下げて懇願する。


「おやおや?、それじゃあ最初に言ったとおり、この娘を定宿のココに"囲う"ってのかい?」


「ぐっ……じゃあ、それでも良いよっ!、この娘を路頭に迷わせるよりはマシだっ!」


からかう態でのオリエからの問い掛けに、ソウタが渋々ではあるが、そうきっぱりと言い切ると、横のレンは先程の心境を思い出し、俯いて頬を染める。



「――へぇ、ビンボー流者のアンタに、そこまで言わせる娘かい……どうにかしてやりてぇ気持ちは、重々解かったよ。


まあ――アタシも、おトキさんが逝ってから、一人っきりでこの屋敷ウチに居るのも、正直寂しかったからねぇ……」


「!、じゃあ――?!」


レンは目を輝かせ、オリエににじり寄る。


「ああ、採用さ――よろしく頼むよ」


オリエかのら嬉しい返事を受け、レンはホッとした表情で溜め息を吐き、心底の安堵感だからか、呆けた様子で涙を流した。

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