Episode35.どうしてジーク様がここに? -暗黒竜②-




 負傷した騎士達を治療する医療用天幕テントに、ロサミリスは移動していた。

 オルフェンに「残ります」と啖呵を切ったのだから、何もしないのは愚行の極まり。かといって戦力に足るほど魔法や剣技が出来るわけではないので、ロサミリスがやることとすれば、事務部で蓄えた魔獣の知識を活用し、少しでも多くの騎士を救うことだった。


 本来の騎士団での正式任務とは違い、調査隊としてやってきているだけあって、現場の人数は最低限だった。負傷者の数と治癒術師・医者の数が合っておらず、てんやわんや状態。力になりたいと申し出たロサミリスに、現場はすぐ拒否感を露にした。

 当然だろう。

 魔獣から受けた傷を癒す方法を本でしか見たことのない少女に、大事な騎士の手当てを任せられるわけない。すぐに門前払いを食らったけれど、ロサミリスは頭を下げ申し出た。


 傷の浅いものなら、治療の経験がある。

 どうか手伝わせてほしい、と。


 ちなみに、治療したことがあるのは今世ではない。一度目から四度目の人生の間で、自分に忠誠を誓っていて、いつも魔獣との戦闘で血を流していた騎士に治療を施したことがある。

 それでも、やってないよりマシだと思えた。


『では向こうで軽症者の治療をお願いしたい。見ての通り現場はこんな状態だ、魔獣の知識があり、適切な対処ができるなら誰も文句は言わないだろう。さっさと取り掛かれ』


 現場を医療班を統括する治癒術師の男は、ロサミリスにそう伝えて行ってしまった。

 辛辣な言葉だったが、貴族にへこへこ頭を下げる医者よりよっぽど好感が持てる。

 気持ちを切り替え、ロサミリスは騎士たちの治療に取り掛かった。

 

(……一回目の峠は越えたかしら)


 血で汚れてしまったドレスの裾を折りたたみ、ロサミリスは休憩用の椅子に座る。ひどい疲れだ。ほっと息を吐くと、今からでも眠ってしまえるくらい疲れている。雀の涙ほどしかない魔力を治療のために使ったためだ。


 魔獣との戦闘で負傷した騎士は、大なり小なり瘴気を浴びている。瘴気を吸い込み続ければ幻覚を見るようになり、より長時間ともなると意識が混濁する重篤症状を引き起こす。最悪、死に至るものだ。これは魔導を嗜んでいる者なら防ぐこともできるのだけれど、そうでない者は防ぎようがない。


 そういった者が瘴気を浴びてしまった場合、治癒術師か専用の魔導具でないと取り除く事が出来ない。治癒術師はより重篤な患者を治療するのに手一杯だったため、ロサミリスはなけなしの魔力で魔導具を動かし、治療にあたった。


(負傷した騎士が溢れかえる、という事態からは脱したわね)


 さきほど、数名の治癒術師たちがロサミリスの目の前に現れて、礼をしていったところだ。

 最初は嫌がってしまってすまなかった、君がいてくれて助かったよ、とも。

 

(少しはみなさんの力になれて何よりだわ……)


 少しだけ息を吐き、残してきてしまったニーナとルークスに思いを馳せる。セロースは無事に帰って来ただろうか。伝言を頼んだニーナが家に戻って来た後、セロースのことはニーナに任せてしまった。魔獣が町に侵入してきた話はあがっておらず、家に戻っていないからといって、セロースが危険なわけではないのだけれど。


「────領民の避難を開始させろ!!」


 少しぼーっとしていた時に、突然遠くから聞こえてきた騎士の怒声。

 避難を開始するということは、町に侵入してくる可能性が高まったということ。

 魔獣除けの結界石では、もうたないのだ。


「黒点が南西に向かってゆっくり進行中。町には入れるな。なんとしても食い止めるぞ!!」


 黒点。

 下級魔獣を統率する上級魔獣の隠語だ。

 暗黒シュヴァルツドラゴンが町に向かっているのだろう。


 医療用天幕テントで休んでいた騎士が動き始めているのは、暗黒シュヴァルツドラゴンと戦うためだろう。


(自分にできることをするまで……)


 勇ましい彼らを心の中で讃えながら、武運を祈る。

 また負傷者が運び込まれてくるだろうから、持ち場に戻ろう。

 そう思ったロサミリスの背後に、誰かが立っていた。


(え……?)


「まったく、可愛い妹を迎えに来たと思ったら、次期騎士公爵はなんてことをさせてるんだい。ドレスが血まみれじゃないか」

「サヌーンお兄様!?」


 高貴な青玉石サファイアをやや細めて、困った笑顔を浮かべる黒羽こくばの男。

 甘いルックスで数々の女性を虜にしてきた兄サヌーンは、「やあ」といつも通りに手を振る。ロサミリスと視線を合わせるように膝を折り曲げ、ポケットから出した白いハンカチでロサミリスの血塗れドレスを拭いていく。


「お兄様、これは──」

「分かっているとも。これはロサが自発的にやったこと。褒めることはあっても、咎めることはしないさ。おおかた、兄ならここに残るだろうから自分もここに残って何か手伝う、とでも言ったんだろう。我が妹ながら、なんと健気なことか」


 おそらくサヌーンは、オルフェンからの連絡を受けて来たのだろう。

 だからといっても、異常に早い。


「どうやって、っていう顔をしているね?」

「当たり前ですわ。お兄様は屋敷から一歩も出られないような日程を組んでいたはずです、なのに」

「未明、シェルアリノ騎士公爵から通信魔導具による報せを受けてね。緊急要請だったよ。忙しいのを理由に断るつもりだったんだけど、その場所がロサが向かった場所と同じだったからね。夜通し早馬を走らせてきたのさ」


 立ち上がったサヌーンの顔は、確かにいつもと比べて疲れている。

 馬に乗って来たということは、一睡もしていないのだろう。


「妹のピンチに駆け付けるのはお兄様の役目だからね」

「……お疲れでしょう」

「一日くらい寝てなくたって平気さ」


 《竜の剣》を手に持ち、サヌーンは「そういえば」と後ろを振り返った。


「ジークフォルテン卿もいるよ。伝えたのは俺。ロサの身に危険が迫っていると聞いた瞬間、誰にも何も言わず仕事先を抜けてきたようだよ。途中で合流したから一緒に来た」


 そこにいたのは、金糸雀カナリアきみ

 無感情で仏頂面と言われている美しい彼の顔には、明らかな安堵の表情が浮かんでいる。深緑の瞳をわずかに細め、ロサミリスの頬に手を添えた。


「何もなかったようで何よりだ」

「ジーク様、どうして」


 あまりの驚きで、それ以上言葉が出なかった。

 仕事の都合でここには来られないはずだった。

 しかもサヌーンとは違い、ジークは仕事先で一泊していて、どれだけ急いでもこんなに早く着ける訳がない。


「転移魔法を使った」

「転移…………」

「おかげで少し疲れたが、仕事先から家には一瞬で戻れた。あとは早馬を走らせればいいだけだ」


 指定の場所に魔法陣を描いておくと、魔法陣の描いた場所に移動できるのが転移魔法だ。緻密な計算と莫大な魔力が消費されるため、理論が確立していても出来る魔導師は数える程度しかいない。

 

 それを「少し疲れた」という感想だけで済ませられるジークが、いかに魔導師として天才であるか。それを分かっているからこそ、サヌーンは面白がるように目を細め、ジークを見ていた。


「ロサ? 大丈夫か?」

「……い、え、心配いりませんわ。ご心配おかけいたしまして、申し訳ございません」


 顔面蒼白のロサミリスに、ジークは心配げな表情を寄こす。

 すべてが予想外だ。

 転移魔法を使えるくらい魔力があることも、ここにジークがいるということも。


「ジーク、様…………こ、ここにいては危険です。早く、早く、安全な場所に!」

「ロサ……?」


 ロサミリスの脳内には、前世の記憶が蘇っていた。

 前世の婚約者シリウスは、魔獣に襲われて生死の境をさ迷う。

 その事実を手紙で知っただけでも恐ろしかったのに、目の前にいる今世の婚約者ジークの身にも起こったら。


 軽いパニック状態になっていた。

 ひどく動揺したロサミリスの様子に、サヌーンとジークは揃って眉根を寄せる。


「町に魔獣が押し寄せてきている!!」


 飛んできた声に、ロサミリスの肩がびくりと震えた。

 まっさきに反応したのはサヌーンで、前線へと駆けていく。

 ジークはまだ動かなかった。


「ロサ」

「は、い……」

「俺を見ろ」


 吸い込まれそうなほど綺麗な深緑の瞳が、すぐ近くにあって。


「俺は絶対に死なない」


 安心させるかのような声音が、ロサミリスの心に沁みわたっていく。

 

「約束しよう。ロサ、俺は死なないし、大怪我を負うつもりもない。もう二度と、ロサに悲しい思いをさせたりはしない」


 ジークは片膝を立てていた。

 ロサミリスの白い手が取られ、甲にジークの唇が軽く落ちる。

 

「安心してくれ。何も心配はいらない。ロサは、ただ俺の帰りを待っていてくれればいい」

 

 安心させるような微笑を浮かべるジークを見て、ここでようやく、ロサミリスの心は落ち着きを取り戻した。


(今までずっと、ジーク様を死なせないよう死なせないようしてきた……)


 彼が武術に秀でているのも分かっていた。

 でも運命の力は残酷で、自分が彼を守らなければと、ずっと思っていた。

 心のどこかで、彼の強さを信じ切れていなかった。

 運命に負けてしまうのでは。

 それがたまらなく恐ろしくて、今までロサミリスはがむしゃらに頑張ってきた。

 護衛を増やすよう進言したり、オルフェンの協力を得て暗黒シュヴァルツドラゴンを討伐しようと動いたり。

 でも、彼はここに来てしまった。他ならぬ、ロサミリスを守るために。


「サヌーンルディア卿とともに魔獣討伐に参加する。この力で、ロサを守ろう」


 そう言って、ジークはロサミリスの頭に手を置いた

 ひとしきり髪の感触を堪能したところで、ジークは「行ってくる」とだけ残し、サヌーンの後を追った。


「ご武運を、お祈り申し上げます……」


 声が震えるほどの強い気持ちを込めて、ロサミリスは祈りを捧げた。

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