Episode32.ルークスの魔障
「おはようルークス。今日は、お姉ちゃんのお友だちと領主様を紹介するね」
部屋には、上半身だけ起こせるようになっている寝台が一つあって、8歳ほどと思われる線の細い男の子がいた。姉のセロースに顔立ちがよく似ていて、鼻のあたりにそばかすが少々。
右腕と両足には皮膚が黒く硬質化した魔障があったけれど、想像したよりも体調が良さそうなのは、帝都で受けた治療の甲斐あってなのだろう。一時退院できたくらいなのだ、完治は近い。
(良かったわ)
突然家にやって来たオルフェンとロサミリスを見て、ルークスはきょとんとしていた。
「こちらはロサミリスさん。お姉ちゃんの仕事仲間で、お姉ちゃん唯一のお友だちなの」
「姉ちゃん、友だち出来たの?」
「それがさっき出来たの! すごいでしょ!?」
「うん、すごい。ていうか、めっちゃ美人な姉ちゃんじゃん!」
(わたくし?)
セロースと同じ碧い瞳を見開きながら、姉ちゃん! と指さしてくる。
どうやら彼にとって、姉ちゃんというのは姉だけでなく女性の意味も含んでいるらしい。イントネーションが微妙に違うので、そこで区別できそうだ。
「こらルークス! ロサミリスさんに向かって姉ちゃんは失礼でしょ!!」
「あれ、兄ちゃんもいる」
今度はオルフェンに向かって兄ちゃんなんて呼ぶから、セロースは顔を真っ赤にして「んもう!」と唸った。
「ルークス、この方たちはとっても偉い人たちなのよ。それに、ルークスの様子を心配して見に来てくれた、いっぱいお見舞いだって貰ったんだから、お礼を言ってね」
「…………偉い人って、貴族?」
ルークスの表情が暗くなった。
きっと貴族に良い印象を持っていないのだろう。特権階級にかまけて傲慢な人だっているのだ。ルークスが貴族に良い印象を持たないのは、そういった人を見たことがあるからだろう。
「この人たちは大丈夫だよ」
セロースは寝台の近くに腰かけ、ルークスの頭を撫でた。
やがて真意が伝わったのか、ルークスは「分かった」と頷く。
「ちょっと信じてやるよ。特に、黒髪の姉ちゃんがとっても美人で気に入った!」
(あらまぁ)
少し笑ってしまう。
セロースは顔を青ざめさせていたけれど、オルフェンも笑っているのでお咎めは無しだ。
「これは将来有望だね」
「ですね」
「ごめんなさい! あとで言って聞かせますので!!」
「構いません。むしろお邪魔しているのはわたくしたちですから」
言いながら、ルークスの傍へ近づく。
「初めましてルークス君」
「おう!」
「わたくしの名前はロサミリス。どうぞ、好きなように呼んでちょうだいね」
「じゃあロサだ! ロサ、よろしくな!」
後ろで、オルフェンが腹を抱えて笑っている気がする。
セロースは見なくても分かる。顔面蒼白だ。
「で、ロサはここに何しに来たんだ? 俺に何か用? お見舞い? なんかくれるのか?」
「もちろんお見舞いもあるわ。少しでもルークス君がよくなるように色々持ってきたの、後でお姉さんと一緒に見てちょうだいね」
「ほんとか!? やった!!」
両手をあげて喜ぶルークス。
元気だ。魔獣に襲われて塞ぎ込んでいたら、精神的に病んでいたら、と心配していたけれど、杞憂だったみたいだ。
「もう一つは、一年前に魔獣に襲われた話を聞きに来たの。向こうにいらっしゃる彼は、オルフェン様と言ってね、とっても強い騎士なの」
「兄ちゃん強いのか!?」
「うん、強いよ。魔獣なんて、あっという間に倒しちゃうくらいに」
「え、魔獣を……?」
(もしかして、この話題は
ルークスの雰囲気が変わった。俯いて、わずかに拳を震わせている。
セロースを見てみると、彼女は申し訳なさそうに眉根を寄せていた。
「魔獣は、確かに……オレの父ちゃんを襲ったし、畑の作物をダメにするし、悪者なのは分かるけどさ……みんながみんな……悪い奴じゃないんだ」
「魔獣は瘴気と呼ばれる邪悪な気を放つ。大なり小なり、人間の生活を脅かすものなんだ。ルークス君、君はそれでも魔獣は悪い奴じゃないと言うのかい?」
オルフェンは茶化すことなく真剣な表情だ。
子どもながらにそれが伝わっているのじゃ、ルークス
「だって、魔獣のなかには瘴気を出さないやつがいるんだ。オレの友だちのコルは、絶対に瘴気なんて出さない。だってあのでっかい魔獣に襲われる前まで、オレはコルと一年以上一緒にいたけど魔障になんてならなかった」
「瘴気を出さない魔獣だって?」
オルフェンは目を見開いて驚いていた。
「魔獣は必ず瘴気を纏っている。それが常識で、騎士団だって第七師団だって、魔獣はそういうものだって思ってる。だから魔獣は一切の慈悲もなく掃討される存在なんだと。いや、それは本当に魔獣なのか? ただの動物なんじゃ……」
ある生物が魔獣と言えるのは、
瘴気がないのなら、魔獣ではなく普通の動物という可能性もある。
「いいや、魔獣だよ。オレはコルとそっくりなヤツを見たことがある。そいつは……そのときもう死んでいたけど、
(瘴気を出さない魔獣……? 突然変異かしら)
オルフェンは眉根を寄せて、何かを思い出そうとしている。
セロースも小さく首を振っていた。
誰も、瘴気を出さない魔獣について詳細が分からないようだ。
「お願いだよ。オレの友だちを……コルを、殺さないで……」
「落ち着いてルークス君。わたくしたちは、あなたのお友だちをやっつけにきたわけじゃないのよ」
「ほんと……?」
声が震えている。
きっと、オルフェンがコルという魔獣を殺しに来たんだと勘違いしてしまったのだ。
今回の目的はあくまでA級魔獣。
あなたのお友だちではないわ、とロサミリスは思いながら、ルークスの拳に自らの手を添える。感情をこめ過ぎて、手のひらに血が滲んでいたため、そっとハンカチで拭った。ルークスは驚いてロサミリスを見る。
「わたくしたちは、
捜索が打ち切りになった
最終目標は、討伐。
たとえこの期間で討伐が出来なくとも、住処を特定する。
(絶対にジーク様には近づけさせはしないわ)
前世のような、婚約者を殺されかける、なんてことは阻止してみせる。
「あの、ちょっといいですか」
「セロース先輩?」
「
「見つからなかったというより、昨年は各地で発生した魔獣の対応に追われ、捜索を中断せざるを得ない状態だったね」
「そうでしたか……」
「今回も人員の余裕があるわけじゃないけど、僕は先遣隊の隊長としてここに立っている。次期騎士公爵としても、領内で
そう言うと、オルフェンはくるりと背を向けた。
「じゃあ、僕は先遣隊のみんなと合流して、
「ではわたくしも……」
「ロサミリス嬢はここにいて、セロース嬢とルークス少年を見ててくれないかな。
遠回しに、ここでルークスから話を聞いていてくれないか、というお願いだ。
「承りました。
「了解。またあとでね」
オルフェンを見送る。
「ねえねえ」
「なにかしら?」
「いつまでいるの?」
「わたくしは明日まで。オルフェン様は、5日間は現場で指揮を執ると伺っていますね。他の方はもっと長いかと」
本当はロサミリスも現場での捜索に参加したいのだけれど、そよ風を吹かせる程度の風の魔法と、噴水の水面に波紋を作る程度の水の魔法しか使えない人間なので、足手まといになるのが目に見えている。
一泊したらもラティアーノ家に帰るつもりだ。
(ジーク様にも一日だけだと念押しされましたし……)
過度に心配性になってしまったジークを思い出す。同行すると言われたけれど、ジーク自体の仕事の都合があり、泣く泣く断念したのだ。なんでも「二人きりではないとはいえ、オルフェンと一緒」なのが気に食わないらしい。
そんなことを思い出していると、目の前のルークスが身を乗り出していて、頭と頭がごっつんこ するところだった。
「この家に泊ってくの!?」
「お邪魔にはなりませんわ」
「えー!! オレの寝床貸してあげるからよ、ここに泊まろうよ!!」
「ルークス! あなた、ろ、ロサミリスさんになんてこと提案してるの!?」
「姉ちゃんもロサと一緒の方がいいでしょー? だって友だちなんだからさ」
「そ、それは………もちろんそうだけど……で、でも、相手は伯爵令嬢だよっ!? こんな狭くて汚いお家に泊めるなんて、不敬罪になっちゃうよ!!」
「そうなのか?」
「なりませんわ。とはいえ、このままラティアーノの
ロサミリスはしばらく考える素振りをして。
「よしっ!」
「ろ、ロサミリスさん? よしって?」
「お泊りですわ!」
「えぇえええ!? ロサミリスさんさえよければ、とは思ってましたけど、本当に!?」
「やった!! ロサはオレの隣で寝るんだぞ!!」
「それはお断りしておきますね」
「えええええ!?」
かくして、お泊り会が決定した。
セロースは「お嬢様を泊めていいのかなぁ?」と終始呟いていたが、結局楽しみたいという感情に動かされて賛成してくれた。ロサミリスはお泊り道具をニーナと一緒に馬車まで取りに行く。
その際、先遣隊の
「ロサミリス嬢にセロース嬢にルークス少年か。賑やかな夜になりそうだね」
ニーナも一緒だと伝えると、オルフェンは愉快そうに声をあげて笑った。
「本当に君たちは仲良しだね」
「ニーナはわたくしの最初のお友だちですので」
「なるほどね。じゃ、僕は汗臭い野郎共と一晩を明かすから、楽しんで。夜更かししちゃダメだよ?」
「当然ですわ」
楽しみだった。
少なくとも、スキップするくらいには。
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